■ 第十七章:心の底
撫子の全体を見つめ、夜一は溜息を吐いた。
「砕蜂」
名を呼ばれ、砕蜂は目を伏せる。
言われなくても、彼女ももう気付いていた。何より、撫子の戦闘スタイルは、その秘密が分かりやすすぎなのだ。小さく頷く。それを見て、夜一は少しだけ心配そうに口を噤んだ。
「……ゆくぞ」
「はっ」
砕蜂は隊首羽織を脱ぎ捨てて、夜一に並んで走り出す。蟻泰丸は何とか行く手を阻もうと、集まって巨大な刃の姿になり、彼女等の前に立ちはだかる。
二人は息を吸い込んだ。
「「瞬閧!!!」」
瞬間、二人の着物の肩の部分が消し飛び、刑戦装束となる。鬼道を体に纏った。白打と鬼道を練り合わせた高等戦闘術である。高濃度に圧縮された鬼道を拳に込め、その固まっている蟻泰丸を全て弾き飛ばした。夜一は手を軸に足を回転させ、容赦なく空舞う刃を蹴り飛ばす。砕蜂は速度を殺すことなく撫子に迫り、腕を振りかぶる。そして、雀蜂を蟻泰丸の鞘に、叩きつけた。
「あっ…」
鞘に見る間に亀裂が奔り、その端から小さな欠片がぽろりと落ちた。宙を舞っていた蟻泰丸は、ガクンと急速に力を失い、まるで苦しんでいるように不安定に揺れている。
「…やはりの…」
夜一の言葉に、撫子は悔しそうにしながら鞘に視線を向ける。
「戦いの最中、ずっとお前は、自分よりその鞘を護りながら戦っていた…それで気付かないほうが、おかしい」
砕蜂は雀蜂を突き立てたまま、言葉を紡ぐ。
「……撫子。お前は言っていたな…たとえ斬魄刀でも、それを束縛する権利は、本来我々は持ち合わせていない、と…。ならばたしかにお前を狙っても、意味はない。蟻泰丸は、その意志で動いているのだからな…。そうすると、お前と斬魄刀は全く孤立しているように思う」
ピシ、ピシ…。
音を立てて、鞘の亀裂は少しずつ範囲を広げていく。
「だが、お前の感情に、蟻泰丸は素早い反応を見せた。どこかでつながっているのだろう…そして、お前と斬魄刀がつながっているといえば、その柄と、鞘だけだ。…あとは、撫子の動きを見ていれば、嫌でも分かる」
砕蜂が一度力を込めてから、勢いよく雀蜂を引き抜いた。
「蟻泰丸の命は……鞘だ」
パンッ、と虚しい音と共に、鞘は砕け散った。宙の蟻泰丸は、暫し狂ったように滅茶苦茶に動き回り、その後、空気に溶けるようにして消えた。そして、撫子の握っていた柄もあっけなく折れ、彼女の手から去っていく。
「っ……蟻泰丸………」
何もなくなった自らの掌を見つめる。
斬魄刀を失った自分に、もう戦う手段は残っていない。白打があるとはいえ相手は隠密機動だ。敵うわけが、無い。
「…あーあ…裏切り者に斬魄刀まで壊されてしもた…。ほんま…なんで死神って、こんなのばっかなんやろ…」
「どういう意味じゃ?」
チラ、と鏡死の方に目をやった。彼は黒崎一護と交戦中だ。そして、濤目は敵である事実。皆、戦っている。それが妙に気分が悪かった。
「…覚えてる? 魂魄の変死事件のこと」
百一年前の、あの事件のことを言っているのだろう。衣服だけを残し、跡形もなく消え去ってしまうという、あの事件。
風が吹き、また、砕蜂の髪飾りが揺れた。周りは皆戦っているのに、この周囲だけが静かであるように思う。
「…無論だ」
忘れるはずなどない。その頃に、共に修行していたはずの撫子は死に、敬愛していた夜一もいなくなった。あの頃がとくに辛いときだった。そんなときのことを、忘れられるわけがない。
「…あの頃な…平子隊長に、何か不審なもん見つけたら、伝えてくれ′セわれててん。虚を斃す任務でかりだされたときも、アタイ結構まわりをよく見ててな…」
スッと顔を上げる。憎しみではなく、悲しみを含んだ表情をしていた。
「…見たんよ。不審なもん。夜やったし、暗くてよう見えへんかったけど、何や白いのがこう、弾けるみたぁ広がっとんのを見た。人影が三人くらい見えて、何やってんのやろ思たんやけど、一緒に来とった隊士にひきあげる′セわれて。気にはなったけど、とりあえず五番隊の隊舎に戻ったんや」
夜一はただ目を閉じ、腕組みをしたまま、黙って撫子の話に耳を傾けていた。
「それから、次の日の朝、その場所に行ってみるとや…驚いたで? 流魂街の住民の、服だけ落ちてるんやから。そんで、あれは間違いなく変死事件に関係してるて確信したわ。こらぁ大変なもん、昨日見てしもた思て、急いで平子隊長に報せようとしたんや」
下唇を噛み締め、撫子はギュッと固く目を瞑ってから、ゆっくりと深呼吸をした。
「…その、報せに行く途中…藍染副隊長に会うてなぁ」
その名を聞いた瞬間、夜一は眉間に皺を寄せ、砕蜂はギクリと表情を固くした。
「気持ち高ぶってたし、副隊長にも言わな、って。慌てて呼び止めて、アタイの見たこと、全部話したんよ。元々人柄もええし、藍染副隊長には話しやすかったわ。で、副隊長は少し笑て、頷いてくれはった」
表情を歪め、撫子は俯く。
「…まさか、その後に副隊長に斬られるなんて…思わんかったわ」
砕蜂は左手で拳をつくり、震わせた。
「ユリイに聞いたんやけど、今、五番隊の副隊長って、雛森桃って言うんやろ?」
ユリイは、初めに尸魂界に奇襲をかけた際、雛森と交戦している。そのときのことは全て、仲間に話しているのだろう。
「なら、きっと藍染副隊長は隊長になってんやろうなぁ? あんたらも、アタイは任務中に死んだ思てるみたいやし。みんなで口裏合わせて、はい、お終い、やろ? …アタイが、何したっちゅうねん!!!」
声を荒げ、悔しそうに歯を食いしばった。そんな彼女を見、砕蜂はやりきれない思いで首を横に振った。それで、撫子は怪訝そうな顔つきになる。
「たしかに、藍染惣右介は五番隊隊長だった…だが、今はいない。奴は、反逆者だ…!」
あまりに予想外な言葉に、撫子も驚きを隠せない。
「っ!? どういう…」
「…尸魂界は、奴に…騙されていたのだ。恥ずかしいことに、この私もな…。藍染に、中央四十六室など、全滅させられたのだ。何もかも、藍染の目論見だった。先程お前の言った雛森は、その藍染のために重症を負い、先日まで寝込んでいたのだ…」
藍染の、冷たい目を思い出す。倒れていく自分を、見下ろしていた、あの目を。
しかし、あれは自分にだけ向けられていたものだと、思っていた。
温厚で優しい、五番隊隊長だったのだ。普段は。撫子も、斬られるまでは、そういう人なのだと信じて疑わなかった。
「…う…嘘やろ…? だって…だって、五番隊は!!」
「奴のせいで、夜一様も尸魂界から追われる身となってしまわれたのだ!!!」
夜一がいかに気楽で、いかに人が好く、いかに力がある死神なのかは、撫子もよく知っていた。だから、「もう二番隊の隊長ではない」と夜一が言った時、きっと他のやるべきことを見つけて、自ら辞退したのだろうと勝手に思っていた。それだけに、追われる身となって二番隊隊長でなくなったという事実は、衝撃だった。
夜一を見ると、彼女は困ったように笑い、
「厳密に言うと、儂が自ら首を突っ込んだのじゃがな」
と言った。
「そんな…だって…! アタイは、死神全員がグルになってるて思うたから…せやからこうやって、復讐してるんやで!? そうや! また、騙そうとしてるんやな!」
「撫子っ!!!」
「!」
たまらず、砕蜂は叫んだ。
「共に修行をしていた仲間が、突然死んで…残された者の気持ちも、少しは考えろ!!!」
――――おい、撫子。少し、動きが良くなってきたのではないか?
――――え、ほんま!? 嬉しいわ〜♪
――――では、機嫌がいいところ、私の修行を手伝ってくれ。
――――ええよ! 何?
――――弐撃決殺≠ニいう技が、まだ完成しておらん。半刻ほどで蜂紋華が消えてしまってな。だから、試しに雀蜂を受けてみてくれ。
――――それはアカンて!! いくら砕蜂の頼みでも!!
共に修行していた頃の記憶が、鮮明に蘇る。
撫子は、自嘲気味に笑った。次に、真っ直ぐ、砕蜂を見つめる。
「……でも。決着は、つけな。そんで、お願いがある」
「何…?」
「……弐撃決殺=A完成したんやろ?」
一度、雀蜂に視線を落とす。
「…ああ。それがどうした」
「…その技で、幕にしようや」
暫し言葉を失った砕蜂だが、それがせめてもの土産になるかと考え直す。それでも、とても苦しい。唇を強く噛んでから、空を蹴った。隠密機動持ち前のスピードで、一気に距離をつめる。そして、撫子の胸に、雀蜂を突き立てた。蜂紋華がポウッと浮かび上がる。砕蜂は涙が出そうになるのを必死に堪え、叫んだ。
「……弐撃決殺っ!!!!!」
一思いに、もう一度、その蜂紋華の中心に、雀蜂を刺しこんだ。
見る間に死の刻印・蜂紋華は範囲を広げる。
「―――――砕蜂……」
砕蜂の耳に、か細い撫子の声が届く。
答える暇もなく、その場で撫子の霊圧は、一瞬にして消え去る。
中にだれもいなくなった義骸は、空座町へと落下していった。
「……よくやった、砕蜂…」
夜一が言うが、砕蜂は答えない。
静かに、風が流れていく。
「いいぃ…よっしゃあぁぁ―――――!!!」
円閘扇の下から飛び上がってきたのは、二番隊副隊長・大前田希千代だ。下から見ていて、砕蜂が敵を斃したことに気付き、大喜びして思わずこちらまで来てしまったらしい。
「やりましたね、隊長! いやー、やっぱ隊長はすげ」
「大前田」
興奮している大前田とはうってかわって、砕蜂の静かな言葉に、瞳を瞬かせる。
「はい…?」
「黙れ」
「えぇ、なんでっすか!? 敵を斃したんだから、隊長もう少し素直に喜ぶべきぃブフォ!!!」
言い終わる前に、砕蜂の裏拳が顔面に炸裂したため、強制的に言葉が切られてしまう。
「ななな何すんスか、隊長!!!」
涙目で訴える大前田だが、砕蜂は振り向きもせず、
「もう一度だけ言うぞ…大前田……」
小さく俯き、声音を震わせて言った。
「……何も、言うな……」
――――砕蜂!
共に、修行して。共に握り飯を口にしたときが、懐かしい。
はじけるような笑顔の娘が、砕蜂の、頭のどこかには、まだいた。
* * *
ガキィン、と大きな音を立て、亞丹を少し遠くにまで弾いた。白哉の周囲には、変わらず宙に留まり続ける、桜を思わせる無数の刃。それらを見据え、亞丹は肩で息をしていた。
先ほどから、妙だと思っていた。白哉と触れるたび、彼は苦しそうに表情を歪める。特別、こちらは何もしていないのに、だ。勝手に攻撃してきて、その都度勝手に心を傷つけられたような、独特の表情を見せる。
「亞丹……貴様……」
白哉は、先ほどから感じ、まさかとは思いつつも、なんとなく頭に居座り続ける予感を、口にしようとする。
それを理解してか、亞丹はさらに激しく獣弄牙を振るった。そして、浅い呼吸を繰り返しながら、白哉を睨みつけつつ、喉に詰まっていたものを吐き出すような勢いで、叫んだ。
「知らない! 知らないッスよ!! 緋真様なんか!! ちっとも!!!!!」
まだ、正式に隠密機動に入れられてはいなかった。でも、すぐに入るだろう、と。皆に言われ、そして誰もが認めていた。これまでにはいない、隠密機動の才能の持ち主だ。「瞬神」の名を、二人目にして背負うだろう、と。でも、とうの亞丹はあまりその自覚はなくて、フラフラと柄にもなく流魂街を散歩することはしょっちゅうだった。
あの日は、少しだけ、運が悪かった。
――――南流魂街七十八地区・戌吊。
亞丹は、タラリと垂れてくる額の血を、鬱陶しそうに手の甲で拭った。最も、額の傷は大したことがなくても出血が激しいので、変わらず垂れてくる。拭ったり手で押さえたりは、気休め程度にしかならなかった。元々四番隊のように、鬼道を治癒力として使うことはできないのだ。
『いってて…ちょっと調子のりすぎたッスねー…』
彼の周りには、草刈鎌やら出刃包丁やらを手にした、戌吊の住民が倒れている。フラフラと歩いていると、突然亞丹に襲い掛かってきたのだ。
流魂街というのは、東西南北で大きく分けられ、その中で一から八十までの地区がある。そして、数が小さければ小さいほど治安がいいが、逆を言うと、数が大きければ大きいほど治安は悪い。つまり、人々の気性の荒さといったものも、それに比例して酷くなるのだ。その中で七十八地区とくれば、治安は当然酷いわけで、皆、盗人や人殺し、追いはぎ。そんな人達ばかりなのだ、ここは。
余裕だと思って軽く相手をしていた亞丹であったのだが、さすがに三十人も仲間じみた連中を呼ばれては、勝てはしても無傷でとはいかなかったのだ。
『大丈夫ですか…?』
ふいにかけられた声に、振り向く。
黒髪の、華奢な体つきの女性が立っていた。この地域には珍しい、大人しそうで清潔な女だった。
『…何スか? あんた…』
ススッ、と近づいてくると、女はふわりと微笑んで、持っていた手ぬぐいで亞丹の額の血を丁寧に拭った。
『朽木緋真と申します』
『っ!? 朽木家!!?』
思わず離れて、正座しようとする亞丹に、緋真はまた微笑む。
『いえ…出身はここなので、貴族だからといって特別に丁寧にならなくて、結構です』
その言葉に、亞丹は訝しげに眉を顰める。
ここ、というと、つまりは彼女は戌吊出身だということになる。しかし…
『流魂街出身者が……貴族っスか…?』
クスリと笑い、緋真は頷いた。すると改めて亞丹に歩み寄り、もう一度、額の血を手ぬぐいで拭う。
変だな、と思った。戌吊出身者となると、相当生活は苦しかったはずだ。それが貴族になったことで、今では充分幸せな暮らしができているはずであろうに、不思議と彼女は、悲しそうに見えた。
『えーと、じゃあ、緋真様』
はい、と緋真は優しく微笑む。
『こんなところに、里帰りッスか?』
緋真は小さく首を横に振った。
『妹を…捜しに来たのです』
『妹…? 一緒に貴族に――――』
彼女は少し俯いた。
『いえ……私自ら、生きることに窮して捨ててしまったのです。……もう、随分前のことになってしまいましたが…』
亞丹は、ぐるりと周囲を見回した。酒に酔いつぶれて寝入る男。次はどこを狙おうかと考えているような男。生きることに必死で、水売りから水を奪い取る子供。平和という文字にそぐうような情景が、ここにはない。
『……治安の悪いこんなとこじゃ、生きてるか微妙ッスね…』
そこまで言ってから、あわてて亞丹は緋真を見た。
先ほどと同じように、悲しそうに笑っていた。自分はとんでもないことをアッサリと言ってしまったと思った。
『わっ、ちょっ、えとっ…! …申し訳ないッス…』
言い訳しようにもできず、なんだか自分が惨めに思えてきて、亞丹は小さくなる。
『いいのです。それが事実ですし、捜しても無駄かもしれません。ですが…コホッ! ケホッ、ケホッ!!』
突如として咳き込み始めた緋真の細い背に、手を添える。
『だ、大丈夫ッスか!?』
『ケホッ! ゲホッ!! …大、丈夫で、す…。ごめんなさい…』
亞丹は心配そうに彼女を覗き込む。緋真は弱弱しく微笑んだ。
『私の体は、元々弱いのです。今に始まったことではございません…』
そんな…。亞丹は表情を歪め、浅い呼吸を続ける緋真を見つめた。本来なら、浮竹のように出来る限り床についていた方がいい身であろうに、この女はここに来て、妹を捜している。己の身を省みようとはしていないようだ。朽木家にいるのなら、誰かに頼めば代わりに捜してくれる者はいるだろうに。
自分はただ、霊力があることに気付いて、成り行きで霊術院に入学した。瀞霊廷にいれば、今のような地獄の生活から逃げ出せる。それだけが明確な目的だった。亞丹は、七十九地区・草鹿の出だ。実際は、戌吊よりも更に治安の悪い、あんなところで暮らしていた。きっと、機敏な動きや、誰にも気付かれないような素早さ等、全てあのギリギリの世界で生きていたからこそ身に付いたものではないかと思う。
『…日が、傾いてきましたね……』
空を見上げてみると、尸魂界の空がオレンジ色に染まっていた。緋真はふらつきながらも立ち上がり、亞丹を見ると、また悲しそうに笑う。
『それでは、これで。戌吊の方々は気の荒い方が多いです。…お気をつけて』
会釈し、踵を返す。その瞬間、亞丹は思わず、彼女の背に、こう言葉を投げかけた。
『自分も…捜すッス』
驚いたように緋真がこちらを向く。亞丹は赤面して俯いたが、続けて言葉を紡いだ。
『緋真様の、妹…絶対見つけるッス。見つけて…』
顔をあげ、緋真を真っ直ぐ見つめた。
『見つけて、緋真様に、笑って欲しいんス!』
ぱちくり、と瞳を瞬かせ、亞丹を見返す。
『だから、その、なんていうか…淋しいんスよ、さっきから。緋真様の笑顔』
『まあ』
緋真は手を口にやり、笑った。
『よく見ていらっしゃるんですね』
『あ、いや…』
自分が随分と勝手なことを言ったように思って、再び俯いた。初めてだった。他人のために、何かをしたいと思うのは。
緋真は亞丹に歩み寄り、彼の左手をとると、両手で包み込む。彼女の手は、冷たかった。
『ありがとうございます』
そう言って笑う緋真は、やはり悲しみを含んでいた。この笑顔を、嬉しさ溢れるものに変えたい。
隠密機動は暗殺部隊だ。色々なところで色々な情報が、嫌でも入ってくるだろう。その中に、緋真の妹についての情報もあるかもしれない。淡い期待と濃い決意を胸に、亞丹は瀞霊廷へと戻った。
亞丹が中央四十六室から呼び出しを受けたのはその一週間後で、いよいよ隠密機動に入るというときだった。
『先日、森倉亞丹の霊圧を測定した』
想像以上の緊迫感と威厳に圧倒されつつ、亞丹は彼等を見上げた。
『それが何だというんスか?』
『危険である』
間髪いれずに返って来る答え。
『尸魂界には、不要である』
『平和を脅かす者なり』
『いらぬ』
『消えるべし』
中央地下議事堂の中を、四十人の賢者と六人の裁判官の声が、反響する。
亞丹は自分の耳を疑った。これではまるで、死ねと言われているような…。
『どういうことッスか!?』
『かつての危険因子と霊圧を重ねた結果である』
無機質な声が、恐怖感を煽る。
『霊質が酷似している』
『死神なる者として危険』
冗談じゃない、と思った。霊質が似ている? それだけで危険≠ニは、一体どういうことだ?
『そんなことはしないっス! 自分は、ただ!!』
ふっと、緋真の淋しげな笑顔が、頭をよぎる。
『許さぬ』
『認めぬ』
『危険因子は排除なり』
そして、裁判官の声が、響いた。
『判決を言い渡す! 森倉亞丹を、これより五日の後、極刑に処す!!!』
―――――緋真様…!!!
真っ赤な血が舞い上がる。
亞丹は息を切らせ、その場でガクリと膝をついた。彼を見つめ、白哉は目を細める。
「緋真、様に…笑顔を…!!」
「…兄はやはり緋真に会ったことがあるらしい……」
ザアッと、数億枚の刃が白哉の周りで踊る。
亜丹は顔をあげ、白哉を思いっきり睨みつけた。
本当は、死神を憎んでなどいない。中央四十六室を憎んでいるのだ。だけど、鏡死に救われてから、全てが憎いと思うようになった。尸魂界に殺されたのだから、全てを憎んで当然だと、鏡死に言われた。それは納得できたし、今でもそうだと思う。
「…このようなことをして、緋真が喜ぶとは、思わぬがな」
ドキン、と心臓が脈を打った。亞丹は歯噛みして、何も言わない。
脳裏に浮かぶ、緋真の姿。
悲しいくせに笑って、辛いくせにまた笑う。
苦しくても、泣きたくなっても、妹はどこかで生きているはずだ、と。信じ続けていた。
――――ありがとうございます。
「…緋真様…」
弱弱しい、細い背が、目に浮かぶ。
自分の左手を包んだ、冷たい手。
「だけど…! 緋真様の妹を! 見つけられなかった自分が! 見つけられなかった原因の四十六室が! まだ、許せねぇんス!!!」
猛然と斬りかかってくる亞丹を軽くかわし、白哉は静かに手を差し上げた。見る間に千本桜景厳の全ての刃が、彼の周りに押し固められていき、その形態は一振りの、究極の剣へと変化した。
「終景・白帝剣」
亞丹が、呆然とその白哉の様を見つめる。
殺されるな、と。すぐに思った。しかし、止めて欲しいと思う自分もどこかにいて、しかしそれに抗う自分がまたそこにいて、なんだか複雑な心境である。
「………兄は、我が卍解で止めをさすこともできた」
「!?」
「…何故、わざわざこの姿で幕にするか、分かるか?」
「…だ…黙れ!! 死神なんか…! 貴族なんか…!! 緋真様なんかあぁぁあッ!!!!!!!!」
叫びながら、斬りかかる。死ぬな、と。分かっていたが、それでよかった。
妹を見つけました、と伝えたかった。緋真の笑う顔を見たかった。
切ないほどに願い続けたこの思いを、断ち切ってくれと、その緋真の夫に祈った。
情はいらない。存分に殺してくれと。
微笑む、緋真の姿が。
白く塗りつぶされて。消えていった。
「私は、貴様ごときに、白帝剣を使った…」
落ちていく義骸を見送りながら、白哉は千本桜を鞘におさめた。
「死神としてでなく…緋真の夫として、兄を斬ったのだ」
その言葉も、亞丹自身の緋真への思いも。
霊圧の消滅と共に、届くことはなくなった。
* * *
ポタリ、ポタリと、ユリイの腹から血が滴り落ちる。彼女の斬魄刀・無空を握る手には、なんとか落とさないようにする、その程度の力しか込められていない。
それは、彼女の限ったことでなく、日番谷と乱菊も同様で、三人揃ってまさに満身創痍といった状態だった。
「……いい気なものよね…総隊長は…」
肩で息をしながら、日番谷と乱菊の顔を交互に見つめた。
「あなたたちが羨ましいわ…。戦ってみて、分かった…あなたたたちは互いを思い合っている…」
ユリイが乱菊に攻撃を仕掛ければ、日番谷は自身が割ってはいって彼女を助けた。ユリイが日番谷に攻撃を仕掛ければ、乱菊が灰猫を使って、妨害した。二人をまとめて始末しようとすれば、二人は背中合わせになって、お互いを護りながらその場を切り抜けた。
「…優しいのね」
すぐに分かった。この二人が信頼し合っているのもそうだが、何より二人はとても優しいのだと。しかし、だからこそ、ユリイは一つ確信をこめて言った。
「でも、それならあなたたちは、総隊長に、何も言われたことがないんでしょう?」
乱菊は灰猫の握る手を見下ろした。少し力を緩めてみると、柄が血で汚れている。
「……何も言われたことがない=cって…?」
ユリイは、ふっ、と小さく息を吐き出して笑った。
「…私は、元々流魂街出身でね…。ある女の人に拾われ、育てられた。その人は私より五年早く流魂街に来ていて、ずっと一人だったらしくてね。…喜んでくれたわ。妹ができたみたい≠チて。だから私も、あの人を姉さん≠ニ慕った」
日番谷の口から漏れていく息が、白く染まる。卍解状態の彼のまわりは、未だに冷気で満たされているのだ。
「…それから数週間…自分に霊力があるって気付いてから、すぐに思ったわ。死神になって、姉さんを全てのものから護りたいって」
よくある話だ。護りたいものがあるから、死神になることを望む。流魂街出の死神は、大抵そういったものだ。本当に、ありふれた、死神になる理由。
唇を噛み締めながら、眉間に皺を寄せる。
「そう、誓った。恩返ししたいって。もっと姉さんの役に立ちたいって。それなのに…!!」
突如として、ユリイの声が大きくなった。
「それなのに!! その姉さんのいる北流魂街が、虚の奇襲を受けて!! 総隊長には、禁止された!! 助けに行くことは! いえ、それどころか、その虚を斃しに行くことは禁止するって!!!」
日番谷と乱菊が、息を飲んだ。
「…私は、まだ、席官でもなかった…だけど、私の志は、姉さんを護ること! 黙ってられるものじゃないわ!」
一息つき、呼吸を乱しつつ、ユリイは俯いて言葉を続けた。
「…だから私は一人で、現場に向かった。他の流魂街の住人なんて、興味ない。姉さんのことだけを考えて…」
姉の住んでいるはずの地域は、酷かった。あちらこちらの家々が倒壊していて、死んだ流魂街の住民が色々なところで倒れ伏していた。ユリイは焦って、急いた心に忠実に、全力で走った。虚が出たという報告のあった地点まで、あと一キロというところであったが、この一キロ以上離れた範囲にまで被害が広がっている事実に、嫌な予感しかしなかった。何より、姉の家は林を抜けた先の、虚の出現地点と限りなく近いところだったのだ。
そして、林を抜けると、そこに虚はいなかった。代わりに、木の近くで姉が座り込んでいた。彼女の家は潰れてしまっていたが、多少の怪我はしていたが、それでも、姉は生きていたのだ。
「私が来る前に、きっと、死神の誰かが来て、斃してくれたんだって…感謝したわ…」
そして、ユリイは無空を滅茶苦茶に振り回しながら、二人に迫り、叫ぶ。
「だけど違った!!!」
感情のままに、自棄になって己の斬魄刀を振り回すユリイから視線を外さず、日番谷と乱菊はただ防ぎ続けるだけで、反撃はしない。
「寧ろ逆よ!! 姉さんは私を含め、死神を憎んでいた!! 何故? それはその虚共を呼んだのが、他でもない死神だったからよ!!! 護るはずの流魂街に虚を差し向けたのは、私の属する死神の誰か!!!」
日番谷は、その真実を知っている故に、哀れむようにユリイを見つめた。
彼が図書館等で資料を調べた時、一つの死神の名簿に『除籍』した者がいたのだ。本来なら、個人の事情で『休隊』し、隊への復帰が見られそうにない者が『除籍』という形になる。その場合、名簿には『休隊』『除籍』の二つの印が押されているはずなのだ。しかし、その死神には『除籍』の印しか押されていなかった。それはつまり、自ら進んで『除籍』としてもらったということになる。自ら望んで死神になった者が、進んでそれを手放すというのは滅多にない。だが、調べてみるとそれは容易に分かった。
その死神は、本当に下っ端の死神で、席官の者たちの修行の下準備を任されていたのだ。そして、その修行の際に使う虚の撒き餌を持って、北流魂街から遠く離れた空き地へ来るよう指示されていた。ところが、その撒き餌を途中で一部落としてしまったのが、北流魂街の住人の、悲劇の始まりだったのだ。
後にその事実を知ったその死神は、そのまま『死神』をやっていくことに恐怖をおぼえ、『除籍』としてもらえるよう懇願した、といったことらしい。この事件以降、修行のために虚の撒き餌を使うことは、禁止されたのだ。
そしてよりによって、ユリイの姉さん≠ヘ、その事件に巻き込まれてしまっていたようだ。
「嘘つきって言われた! どうしてって言われた! 姉さんは、草刈鎌で私に斬りかかってきた!!!」
誤解したのだろう。妹と慕っていた少女が、『護る』と言って死神になって、それを笑顔で見送った姉。その死神の仲間が、虚を呼んだ。妹は自分を殺す気なのだ、と。
「抵抗? そんなものできない! 死神が虚を呼んだ…その事実…私だって混乱してた! 私だって信じてた! それっ…で…!!!」
ガッキイィアアァァアアン!!!!!
日番谷が、無空を氷輪丸で受け止める。その重ねられた刃から、無空の刀身が氷に覆われ始める。パキン、パキン…と小さな音と共に、その氷が侵食する。
ユリイは息を吐き出して、手を震わせた。
「……死んでから、やっと…気付いた。死神は、瀞霊廷での事件しか解決しない…護りたいものは、護らせてくれない…総隊長が言ったものが、死神の護りたいもの≠ノ強制的にされてしまうんだって…私が考えていた死神の姿は、ただの妄想で、実際は全然違うんだって……そう、気付いたの……」
力一杯、ユリイは日番谷を弾き飛ばした。少し後ろにまで跳び退り、乱菊と並ぶ。
氷の重さが加わった無空は、少しだけ重かった。
「…あなたたちは、幸せよ…総隊長に無茶な命令、されたことないから…まだ妄想を現実だと錯覚してられるんだから…」
憎むようにして、二人を睨みつけた。
そんなユリイを見て、日番谷は、真実は伝えないほうがいいな、となんとなく思った。言ってもまた、彼女を混乱させるだけだ。また、苦しむことになるだけだ。
沈黙が三人の中で流れ、やがて日番谷の溜息で、それは破られた。
「…随分好き勝手言ってくれてるが…そんなの、テメェだけじゃねぇ」
柄を握り締めなおす。
「俺は……親しかったやつを、殺されたことがある。…逆を言えば、俺が殺したとも言える。……俺のせいで、その友達は四十六室に殺された…」
ユリイは眉間に皺をよせた。自分のせいならば、自業自得ではないか。
一度目を伏せてから、肩を竦める。
「…俺とあいつが…ただ、同じ力を持ったってだけで」
その言葉に、ピクリと反応を示す。原因が、あまりにも、簡単すぎで。そんなことで親しかった友を殺された、殺したという過去を背負っている少年が、なんだか自分より哀れに思えた。
視線を乱菊へと移す。彼女も、日番谷と同じ表情をしていた。
「…私と隊長は、上司と部下の関係ではあるけど、一回信じられない命令を出されたことがあるわね…。たしか…隊長の、処刑命令でしたっけ???」
「あぁ…」
日番谷が苦笑しながら振り向く。それを見て、乱菊も肩を竦めた。
そんな二人が、妙にユリイの癇に障った。
「じゃあどうしてまだ死神でいられるの!?」
聞いていて、二人も相当辛い目にあっているとしか思えない。こんなに助けあっている相手の処刑命令も、大切な友達に対する四十六室の仕打ちも。
「もう嫌でしょう!? 滅茶苦茶な命令を下す、中央四十六室も、総隊長も!!!」
「ええ。嫌になることもあるわよ」
あっさりと答え、ユリイを見つめる。「だけど」と、付け足す。
「信じてくれてる隊士達がいるから、それを裏切りたいとも思わないわ」
日番谷は、チャキ、とユリイに氷輪丸の切っ先を向ける。
「俺はまだ未熟だ。だが、相手のために敢えて刃を振るうことの責任の重さは、誰よりも分かっているつもりだ」
彼の瞳は、静かだった。そこに映るのは、今、ここにはいない旧友の、草冠の姿。
十番隊隊長の立場で草冠を殺した日番谷だからこそ、言える言葉だった。
ユリイは日番谷や乱菊の言葉を聞いて、芽を閉じた。片手を胸にあてて、呼吸する。
(…軽い…)
嘘みたいに気持ちが軽い。
死神になってからずっと、信じられる人がいなかった。だから本心を晒せず、一人で悩み続けてきた。姉に殺された時から、もう、何も分からなくなっていた。自分はどうしたいのか、どうするべきなのか。過去を悔いるか、未来を憎むかしか、考えられなくなっていた。
ずっと、重かった。自分に課せられた気がしていた全てが、今の今まで。
「…もう……嫌…本当に…」
表情をゆがめつつ、笑う。額に手をあてて、俯いた。
「…大はずれよ。たいちょーと副たいちょーが、私の敵だったの…大はずれ……」
呆れたように、首を横に振る。
「私、本当はもっと…強い、のに…」
日番谷は、鏡死と戦いを続けている一護に目をやる。
「…一人で背負い込む奴が…一番弱ぇよ…」
ポツリと呟かれた言葉に、ユリイは彼を見た。
敵を見る目ではないことに、驚く。もっと別の何かだ。少なくとも、自分を殺そうとしている目ではない。
「……言うわね。小さなたいちょーさん?」
すると、日番谷はムッと眉を顰め、顔を背けた。
「…今のは、受け売りだ」
彼の傍らで、乱菊がくすりと笑った。
つー、と頬を伝う血を、日番谷は拭った。
互いに、妙に戦意を失くしている今だが、三人ともかなりの霊力を消耗していることは否めない。
「あ…隊長…」
乱菊の声に、日番谷は視線を徐に後ろへと向けた。氷の華の花弁が、残り一枚にまで減っていた。卍解が解けるまで、もう時間はない。
「ねぇ」
ユリイは微笑みながら言った。
「ラストは、三人の全力…っていうのは、どう?」
その言葉に、乱菊と日番谷は、表情を引き締めた。
ユリイは口許で笑みをつくり、
「きわめて単純じゃない。強いほうが生きて、弱いほうが死ぬ」
無空を構える。
「この技、死神のとき以来よ」
心は何も、遺していない。もしやり直せるなら、もう一度死神になりたいと思った。もう叶わないことだけれど。
乱菊は頷き、灰猫の柄を両手で握り締めた。霊圧を、少しずつ高めていく。
日番谷も同様に、霊圧を高める。
「でも…残念…」
乱菊がふいに言ったので、ユリイは怪訝そうな顔つきになる。
「元々、私達が死神として知り合ってたら、きっとお酒を飲み合える友達になってたわ!」
そういう彼女の顔は、優しくて、少し苦しくなる。
「お生憎様。私、お酒は苦手なの」
「あら、もったいない! 隊長、どう思います?」
日番谷は乱菊を睨むと、
「まぁ、ユリイがまともな死神として隊にいたんなら、お前よりは仕事してくれただろうな」
「え〜! 隊長、ひっどーい!」
「そういうなら、普段から仕事しろ!!! 松本!!!」
「隊長が、やってくれますから☆」
「この戦いが終わったら、給料ひくからな」
二人のやりとりを見て、ユリイはクスクスと笑った。まだ、どこかに幼さの残る笑顔だった。
そして、すっと表情を改めると、叫ぶ。
「神虚刃来!!!!」
無空から飛び出す、藍色の霊子の玉は、円を描きながら二人のほうへと向かった。
乱菊も上昇した霊圧を一気に解き放つ。
「唸れ! 灰猫!!!」
刀身がサラサラと崩れ、霊子の玉を真っ向から受け止め、相殺する。爆発をおこし、互いの力が消える頃、日番谷は勢いをつけて、ユリイに迫る。不思議と、怖くなかった。
「竜霰架!!!」
氷輪丸が、ユリイの腹を貫通する。と同時に、彼女は十字架の形をした氷塊に閉じ込められた。
周囲が氷の壁。ユリイは薄れ行く意識の中で、周りを見た。
(鏡死様…)
もう、見えない。自分が死んだとき、その崩れていく霊子を捕まえて、自分を生き返らせてくれた恩人の姿が、氷に遮られて。そしてぼやけて。
(ありがとう…)
ドクン、ドクン、と血が流れ出る。
(たいちょー…副たいちょー……)
ふふっ、と、また、幼く笑った。そうだ。自分はまだ、小さい。幼い。戦いをするにも、悲しみを背負うにも、幼すぎたのだ。今更だけど、思い出した。
(…面白い、コンビだったなー………)
お酒、本当は大好きなんだけどな。
乱菊に対してつれないことを言ってしまった、素直でない自分が、少しだけ姉に似てるなと思った。
十字架の氷塊が、崩れた。
そこから現れたのは、中身を失った義骸。それは、真っ逆さまに空座町へと落ちていく。
それを見送り、義骸が落ちたあたりを見つめたまま、乱菊が口を開く。
「…隊長…」
「…なんだ?」
「…お給料減らす件……冗談ですよね?」
日番谷は、呆れたように頭を掻き、やがて、
「……いや、本気だ」
そう答えたのだった。
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