■ 第十六章:蘇りし魂


 水があるから 魚は泳げる


 空があるから 鳥は飛べる


 貴方がいるから 私は生きられる







 ――――朽木。お前、斬魄刀の解放は、もうできんのか?
 ――――…いえ…。実は、まだ…。申し訳ありません。
 ――――あぁ? なんで謝んだ!? ったく…なぁ、朽木。
 ――――はい…?
 ――――斬魄刀ってのは、死神の…使い手の分身みてぇなもんだ。
 ――――あの…その話、先日も聞いた気が…
 ――――うるせェよ!! 細けぇことは気にすんな!!!
 ――――は、はぁ…。
 ――――…で、俺は斬魄刀を、覚悟を形にした≠烽じゃねぇかと考えてる。
 ――――覚悟を形に…ですか?
 ――――あぁ。そこで問題だが…俺のこの斬魄刀の名、あててみろ。
 ――――あ、あてる? 斬魄刀の名を、ですか!??
 ――――それっぽい四字熟語とかでもいいぜ?
 ――――えぇ、っと………傍若無人…とか、唯我独尊……とか…
 ――――おい…お前俺に喧嘩売ってんのか?
 ――――い、いえ!! そんなつもりは…! つい!!!
 ――――つい、って何だ…? …まぁ、いい。全然分かんねぇだろ? それが理解できりゃ、充分だ。俺も、自分の斬魄刀の名は分かるが、お前が手にするであろう斬魄刀の名は分からねぇ。こんな風に、覚悟なんてのも、一人一人違いはあるはずだ。だから俺は、剣術や体術は教えられても、斬魄刀の解放の助言は、何もできねぇ。
 ――――…はい…。
 ――――だが。
 ――――え…?
 ――――その覚悟も、そういった多少の違いはあれど、同じとこはあると思うんだ。
 ――――同じ…ところ…?
 ――――人を護ること。誇りを護ること。ただ戦いを求めること。上を目指すこと。他にどんな覚悟があっても、誰もこれを崩したいとは思わねぇはずだ。覚悟は俺達死神の宝だ。……覚悟を曲げねぇ強い心。それが自らの斬魄刀を持つことで、同時に芽生えるべきものだ。
 ――――覚悟……それを曲げない、心…。
 ――――よし! 朽木!! よーく見とけよ!!!
 ――――は…?
 ――――こいつが俺の…覚悟の形≠セ…!!!

 ルキアの脳内で、ある日の会話が蘇る。

 そう。私はあのとき、海燕殿に斬魄刀の名を、教えていただいた。
 それは――――…


 ――――水天逆巻け! …


「捩花…だと…!?」
 鏡死が呆然と言葉を漏らす。
 濤目は、捩花で水グリフィンを受け止めたまま、小さく溜息を吐いた。
「はー、良かった。ギリッギリで間に合って」
 姿も違う。口調も違う。だが、ルキアは驚きを隠せない。
 しかし、それは彼女だけではなく、鏡死もであった。彼が、震える唇で、必死に言葉を紡ぎ出す。
「ば…莫迦な…! その、斬魄刀は…!!!」
 濤目は、その鏡死の言葉を無視して、呆れたように言った。
「…ルキアちゃん。そんな一時の感情で突っ込んじゃダメだよ。分かってるでしょ? 鏡死様はすごく強いって」
「…と…濤目…!! 何故、貴様が、その!!!」
 そこで、濤目の肩がビクリと震え、突然叫ぶ。こめかみに青筋を浮かべて。
「俺の話を聞いてんのか朽木ィィ!!!!!」
「はいぃ!!? …え…?」
 とっさに返事をしたルキアだったが、今の濤目の怒鳴り声が、先ほどまでの少年の声でも、口調でもないことに気付く。懐かしい、あの、師と仰いだ、死神の声。口調。
「海…燕…殿……?」
 首だけを回して、こちらを見、濤目はニッと笑った。
 姿も、無論顔も違うのに、その笑顔にはたしかに、志波海燕の面影があった。
「……久しぶりだな。朽木」


  *


 尸魂界。北流魂街のはずれ。
「閃け! 竜条丸!!!」
「断ち払え! 虎淘丸!!!」
 鬼道と始解のしていない斬魄刀で、充分その場を凌ぐことができていた藤丸とまつ莉だったが、少しずつ増える偽地獄蝶に、とうとう斬魄刀を解放した。藤丸の斬魄刀・竜条丸は籠手に刃を取り付けた形状に変化し、まつ莉の斬魄刀・虎淘丸は、大型の大刀に形状が変化した。二人はそれぞれ斬魄刀を携えて、偽地獄蝶と虚の群れに挑む。
「竜剣淘舜!!!!」
 藤丸は素早く竜条丸を振るい、一匹一匹を確実に斬り捨てる。
「虎淘蓮舞!!!」
 まつ莉は虎淘丸をグルリと一回転させると、目の前に青い円を描く。すると、その内部が青白く光り、爆発的な霊力が天に向かって衝き上がった。
 今の攻撃で、偽地獄蝶と虚の群れを半分以上減らすことに成功したものの、すぐに空間を押しのけるようにして、新手が姿を現す。
「なんて数なの…こんなの、一体どうしたら…!」
 まつ莉が舌打ちしつつ呟く。
 藤丸は懐から、ひとつの腕帯を取り出した。かつて彼等の先輩・志波海燕が、副隊長として十三番隊に就任したとき、隊章をつけるために用いていたものだ。この未来に飛ばされて、空鶴の世話になるとき、彼女が渡してくれたのだ。海燕の形見は、後輩のお前等が持つべきだろう、と。
 海燕には、様々なことを教えられた。決して諦めないこと。誇りを護り続けること。
「まつ莉、諦めちゃダメだ! 海燕先輩にも、教えられたじゃないか!」
「兄さん……うん…そうだよね!」
 そして、二人が改めて斬魄刀を構えなおした、そのとき。
 彼等は尸魂界にいて、本来なら現世のことが分かるはずはないのだが。体に、随分懐かしい霊圧が流れてくるのを、感じた。藤丸とまつ莉は揃って動きを一瞬止め、顔を見合わせた。
「藤丸、これ、って…!?」
「あ、ああ…でも…間違いないよ…!」

「「海燕先輩……!!!!!」」


 東流魂街のはずれ。
「破道の六十三! 雷吼炮!!!」
「旋遍万花!!!!」
 偽地獄蝶と虚の群れに、雷を纏った衝撃波が流れ込み、そこに多数の花火玉が投げ入れられ、色とりどりに爆発する。
 岩鷲が身構えたまま、空鶴に言う。
「姉ちゃん、どんどん数が増えてる気がすんだけど、これ、俺達だけで大丈夫じゃねウプッ!?」
 言い終わる前に空鶴の拳骨が飛んできて、岩鷲は思わず鼻を押さえる。指の間から、赤いものが垂れてきた。
「弱音なんか吐くんじゃねぇ! この糞野朗!!! それでも志波海燕の弟か!!!」
「弱音じゃねぇって! 弱音じゃなくて事実をガフッ!!!!」
「つべこべ言わねぇで、とっとと戦え!!!」
 仕方なく、岩鷲はそのままコクコクと幾度も頷く。心中で、やはり門の番人と共に流魂街の住民の保護に回した金彦と銀彦を戦闘要員としてつれてくるべきであった、と後悔する。もっとも、これら全てを指揮しているのは空鶴で、岩鷲は従うしかないのだが。再び身構え、岩鷲が施遍万花を放とうとした瞬間、こちらも、なにやら懐かしい霊圧が、尸魂界ではなく、別世界から流れてくるのを感じた。恐らく現世であろう。
 二人の息が一瞬止まり、思わず岩鷲が空鶴を見る。
「姉ちゃん!?」
「……妹や弟の俺達が…間違えるわけねぇだろ……嘘じゃ、ねぇさ…」
 二人は、天を仰いだ。兄の霊圧を、体中に感じながら、気持ちを新たに偽地獄蝶と虚の群れに挑む。


 西流魂街のはずれ。
 浮竹と京楽が、無駄の無い動きで次々に虚と偽地獄蝶を両断していき、増えるより減る方がスピードを上回るように努めていた。
「不精独楽!!」
 京楽が両手に一本ずつ花天狂骨を持ち、勢いよく回転することで風を起こし、京楽の領域内にいた偽地獄蝶と虚をひとまとめにして、身動きを封じた。そこへ浮竹が、
「水の轟き=I!」
 双魚理を二本同時に地面に突くと、地面のあらゆるところから水が噴出し、そこにまとめられた大軍を一瞬にして消滅させた。
「全く、本当にすごい数だねぇ。こりゃあ終わったら一杯やらないと、ストレスが溜まっちゃうよ」
「そんなこと言って、こんな戦いがなくてもやるだろ?」
「えぇ〜? そんなことはないけどなぁ」
 なかなか苦しい戦いを強いられているはずではあるが、二人はいたって冷静で、そして何処かにいつも余裕が見えた。もう一度、と京楽と浮竹が前傾姿勢をとったとき、こちらもまた、謎の霊圧が二人に流れ込む。
「!? これは…!!」
「へぇ…」
 斬魄刀を構えたまま、二人は少し笑った。
「全く…俺も現世に行けば、折角会えただろうにな?」
「じゃ、こっちをさっさと片付けて、会いに行こうじゃない」
 浮竹は、京楽の言葉に頷いた。


  *


 濤目が腕に力を込めると、思い切り捩花で水グリフィンを弾き返した。水グリフィンは少し顔を顰め、一旦その場を離れると、鏡死の隣りに降り立った。
 鏡死は未だ目を見開き、その拳をガタガタと震わせている。
「嘘だ…有り得ねぇ…!!」
 濤目はそんな彼を見つめたまま、捩花を軽く後ろに向けて振るった。一護の手に纏わり突いていた液体が、あっけなく崩れ去る。
「何故! 何故濤目が、志波先輩になってんだよ!? どういうことなんだよ!? 冗談だろ!? 濤目!!!」
 鏡死から視線を外さず、答える。
「冗談でも何でもねぇよ。俺の名は志波海燕! …濤目ってのは、悪ぃが…偽りの名だ。お前を止めたくて、今まで隠してた」
「っ…!! だ、だが!! お前はずっと、俺と共にいてくれたじゃねぇか! 自由行動こそ多かったが、情報は持って来てくれた! 俺を止めようなんて、そんなこと、少しも!」
「じゃあ訊くが、一番初めに黒崎一護にに瀕死の重傷を負わせたとき、どうして四番隊があんな上手いこと来たんだ?」
「何っ…!? …ま、さか…」
 困ったように笑い、濤目が肩を竦める。
「俺が、呼んだんだぜ」
 一護もルキアも唖然としていた。あのとき、運良く四番隊が来てくれたと思っていたものだが、まさかそれが、濤目の―――海燕の助けだとは、思ってもみなかった。
「だ…だが!!」
「まだあるぜ? 虚で形成された、空座町に立てられた二十三本の木。あれは本来微弱な霊圧しか発さず、全てを発見してぶっ壊すのは困難…だが、浦原隊長の言ったとおり、それは実際全部壊されてる。微弱な霊圧が突然膨らんだから発見しやすくなったってことだよな? その霊圧を意図的に膨らませたのは、どこのどいつだ?」
 鏡死は、目を見開く。汗が止まらない。
 現世を壊滅させるために必死で集めた虚で形成した木の破壊。それは、鏡死とて不思議に思っていた。何故霊圧が膨らんでしまったのだろう、と。予定外だと。だが、それが濤目の行いであったなど、考えもしなかった。まさか、いつものように勝手に現世で行動をしていたときに、密かに行なっていた…!?
「お……お前は死神だったのに、死神に殺されたじゃねぇか! 暗いし雨も降ってるで、よくは見えなかったが…それでも! あのとき、お前は死神に貫かれていた!! それが志波先輩である筈、ねぇだろ!!!」
 半ば自棄になって言う鏡死の言葉に、ルキアは顔をゆがめ、思わず口を開く。
「それは、私が」
 しかし、そこで濤目が軽く手を挙げたので、結局彼女は口を閉じた。
「何言ってんだ? 俺は虚と殺り合って死んだんだ。その、俺を貫いてたって死神は…俺を救い、心を預けさせてくれた、情けねぇ俺の仲間だよ」
 それを聞いて、ルキアは複雑そうな表情で濤目を見上げた。濤目はまた、口許で笑う。
 じわり、と妙な霊圧の増幅に、三人はすぐ鏡死に目を向けた。彼の体中から滲み出る、黒と紫、紺と言った色の霊圧に、息を呑む。
「分かった…もう、分かった…!!!」
 ゴォッとわき起こる風に、三人は思わず手をかざす。
「知らねぇ!! もういい!! どうせ全部ぶっ壊すつもりだったんだ!!! 濤目なんか…知るか!!!!!」
 鏡死から発せられる巨大な霊圧で、辺りの空気がビリビリと震える。水グリフィンが、光の矢のように素早く、三人に迫った。再び濤目が、捩花で受け止める。
「おい、一護! 朽木!! こいつの相手は俺がすっから、鏡死んとこ行け!!!」
「お…おう! 悪りィ!」
 濤目に促されるまま、一護は斬月を構えなおし、鏡死のもとに向かった。ところが、ルキアは濤目の隣りに来て、袖白雪で水グリフィンに斬りかかる。
「朽木!!?」
 袖白雪に力を込めながら、ルキアは、
「海燕殿、一緒に…戦わせてください…!!」
 一瞬呆けた海燕だったが、それで水グリフィンに押され、慌てて捩花を握る手に力を込め直す。込め直しながら、言った。
「莫迦、何言ってんだ!? オメーは一護と」
「あの時は!!」
 強く言葉を発してから、濤目と共に力一杯、斬魄刀で水グリフィンを弾き返す。思ったほど後方へ飛びはしなかったが、ある程度の間隔ができた。水グリフィンは、こちらの様子を窺っているようで、動かない。
「あの時は、海燕殿の誇りを護る為の戦いでした。だから一人で、戦っていただきました…ですが今回は違います!!!」
 決意のある瞳を向け、言葉を待つ。
 濤目は面倒臭そうに、自分の頭を掻いた。
「〜〜…わーったよ! ったく、相変わらず面倒くせぇ…」
 そこで、ある気配に二人は気付き、振り向く。
「俺も、参加させてもらうぜ?」
 それは、恋次だった。下でイヅルの治療を受けている余裕がなかったのだろう、彼の左腕は未だにダラリと下がっている。
「おう、生きてたか、恋次」
 軽く言う濤目に対し、恋次は引き攣った笑みを浮かべる。
「あー、確か海燕だっけか? この戦い終わったら、覚えてろよ…?」
「何怒ってんだ? いーじゃねーか、結局仲間なわけだし」
「誰が仲間だ! 誰が!!!」
 そういう恋次だが、彼にもう、濤目に対する敵意はないことに、ルキアはホッと息をついた。
 濤目は呆れたように笑うと、捩花を高い位置にかまえる。
「そんじゃあ、ここらで一つ…三人の、共同戦線と行くぜぇ!!!」
 キョトン、とした顔つきで、恋次は濤目を見つめた。
 気合いを入れようとしていた濤目は、眉間に皺を寄せる。
「………何だよ?」
「いや…同じことを、少し前に聞いたことがあってな…」
 恋次は苦笑しながら、肩を竦める。

 双極の丘で、恋次は折れた蛇尾丸を手に、ルキアを抱えたまま言った。
『オメーだってわかってんだろ。逃げてもムダだってことぐらいよ。だったら、斃すとまでは言わねぇが、あいつら何とか動けねぇようにして、堂々と双極の丘(ここ)を下りようぜ』
 彼を見て、一護は呆れたように一瞬笑う。しかし。
『…はっ、しょーがねぇな。そんじゃいっちょ…共同戦線といくか!!!』

 水グリフィンが、少し後ろに下がったかと思えば、勢いをつけて三人に飛びかかった。
 すぐ三人は瞬歩でその場を離れる。ルキアが水グリフィンの真上をとり、掌を突き出した。
「破道の三十三! 蒼火墜!!!」
 青白い炎が水グリフィンに向けて放たれるが、それを爪で容易く払う。
「うらあぁあ!!!」
 狒狒王蛇尾丸を操り、白骨化した大蛇が迫る。水グリフィンの目の前までいくと、その口を大きく開いた。
「狒骨大砲!!!」
 口に集まる強大な力。それを一気に撃ち出そうとしたところで、水グリフィンが狒狒王蛇尾丸の下にもぐりこみ、体当たりした。すると、巨大な顔が天へと向けられる形になり、折角の狒骨大砲は空の彼方に消える。
 水グリフィンの背後に、濤目が現れる。
「でりゃあ!!!」
 捩花を振るうが、今度はかわされてしまった。
「ちっ! 速ぇな…!!」
 恋次が憎憎しげに舌打ちをすると、濤目が霊圧を上げ始めていることに気付く。捩花から、水が渦巻きながら現れ始める。
「水を戦闘に使うのは…鏡死や、この水グリフィン自身だけの専売特許じゃねぇぜ!!!」
 捩花を掴みなおし、水をまとった。そして、片手首を軸に、頭上でギュンッと回転させると、槍撃と共に巻き上げた波濤で、水グリフィンの首元を斜めに切り裂いた。
「ギュウゥ…!!!」
 水グリフィンは呻くが、すぐにその傷を水で覆い隠し、勢いよく尾を振った。それで、濤目を叩き落す。
「ぐあっ!!」
「海燕殿!!!」
 ルキアが落下していく濤目を目で追う。その隙を見て、水グリフィンがルキアに向かって突進する。が、
「こ、の…馬鹿野郎!!!」
 恋次が狒狒王蛇尾丸から一度手を離し、彼女の襟首を掴むと、力一杯上に持ち上げて、ギリギリのところで水グリフィンの攻撃を回避する。
「敵から目を離すんじゃねぇ!!!」
 恋次に怒鳴られ、ルキアは我に返ったように、「お…おお…」と頷いた。


 濤目は体勢を立て直すこともできずそのまま落下して、少し前の恋次と同様に、円閘扇を突き破った。そのために上げられた下級死神達の苦しげな声が、申し訳ない。そして地面に落ちたときの衝撃を覚悟したが―――ドサッ、という音と共に「ぐあ!」「きゃあ!」という声が同時に聞こえ、濤目は驚いたように目を開けた。自分の下に、何かがいる。
「いっててて…」
「あたた…た…」
 聞き覚えのある声に、あわてて体を起こした。下にいたのは、仙太郎と清音だった。
「清音…!? 仙太郎…!?」
 二人は打ったらしい頭と腕を手でさすりつつ、涙目ながらも濤目と目を合わせる。
「…お久しぶり、です…」
「…海燕…副隊長…ですよね?」
 どちらも恐る恐るなのは、下から見ていたとはいえ、この男の中身が志波海燕であるという確信がなかったからだろう。
 濤目は、ふっと目を細め、笑いかけた。
「ああ。オメーらも、元気そうだな!」
 前と変わらない、暖かい独特の雰囲気。ようやく、二人はパッと明るく、笑顔になった。
「ほーれ見ろ!! やっぱり志波海燕副隊長じゃねーか!! 何が海燕副隊長ですよね?≠セ!! 当たりめぇだろ!!!」
「何よ!! あんただってえらく不安そうにしてたじゃない!! これだからあんたは嫌なのよ!!!」
「んだとォ!? もういっぺん言ってみろ、このハナクソ!!!」
「何度でも言ってやるわよ!!!」
 二人の口論が始まり、濤目はげんなりとした顔つきになった。
「オメーら、やっぱ莫迦だろ…」
 よっと、と立ち上がり、水グリフィンと交戦を続ける恋次とルキアを見上げ、二人に背を向けた。そして、
「おい、仙太郎! 清音!!」
 突然の呼びかけに驚きつつ、二人は口論をやめて、濤目の背を見る。
「…下級死神の連中、しっかり護ってやれよ」
 随分と久しぶりの、副隊長からの命令に、二人の心臓の鼓動が早まった。
 もう二度と受けることはできないだろう、と思っていた副隊長の命令。こんな形で言われるとは思わなかったが、嬉しくて仕方なかった。
「分っかりましたぁ!!」
「任せてください! あたしに!!!」
「あぁ!? 莫迦、俺だよ!! そうですよね! 俺に言ったんですよね!!!?」
「あたしに決まってるでしょ!! あたしよ!!!」
 再び口論が始まり、濤目は叫ぶ。
「うるせェ!!! オメーら二人だよ! 二人!! 面倒だから言わせんな!!!」
「「どっちかにしてくれませんか!?」」
 見事に言葉を重ねて言う清音と仙太郎に、髪をグシャグシャとかき乱す。
「ウゼー!! お前等相変わらずウゼェ! どうでもいいからとっとと他の連中手伝ってやれ!」
 なんだか、昔に戻った気分だった。
 やがて、二人は突然静かになると、濤目を真っ直ぐ見た。いきなりの静けさに、濤目も思わず口を閉じる。
「…海燕副隊長」
「気をつけてください」
 二人からの、純粋な言葉。濤目は頷くと、再び水グリフィンの方へと向かった。

「ぐぅっ!!!」
 振り下ろされた爪を狒狒王蛇尾丸の体で受け止めるが、力負けしてしまう。先ほどから右腕一本で狒狒王蛇尾丸を操っているものの、やはり思うように動いてくれなかった。
「っらぁ!!」
 何とかもう一度振るうことで、水グリフィンの方へと向かわせる。巨大な口を開け、水グリフィン全体を噛み砕いてしまおうと試みた。

 バキィ…ィン……!!
 
 しかし、水グリフィンが逆に、狒狒王蛇尾丸の刃節を打ち砕く。とっさに恋次は、意図的にその刃節を離したが、水グリフィン自身の戦闘能力の高さには感嘆するしかない。
 そしてその刃節がバラバラになった隙を、見逃さなかった。水グリフィンが牙をむきながら、恋次に迫る。
「恋次!!!」
 ルキアが袖白雪で斬りかかったが、水グリフィンの尾がグルリと回転し、彼女の腹を強かに打ち据えた。
「……っ…か……」
 口から、肺より押し戻された空気が漏れる。そのまま、ルキアの体は軽々と飛ばされる。斬魄刀の握る力こそあるものの、そこ以外には力は入っていないように、頭や足は力なく揺れていた。
「ルキア!!!!」
 叫んだ恋次だが、すぐそこにまで水グリフィンが迫っていることに気付く。
(間に合わねぇ…っ!!!)
 狒狒王蛇尾丸の刃節を元通り繋ぐことを断念して、右手で強引に左腕を持ち上げ、瞬時に霊力を集中させる。
「破道の三十一! 赤火」
「捩花―――――っ!!!」
 突如、下から再び上がってきた濤目の―――海燕の声が響き、濤目のわずかに小さい体をものともせず、捩花を豪快に振り回して、水グリフィンの頭部を深深と斬りつけた。水グリフィンは苦しげに叫ぶと、瞬間移動をして距離をとった。
 恋次は不発に終わった鬼道の霊力を持て余し、すぐにその霊力を全て、刃節を繋ぐ方へと注ぎ込む。
 濤目は振り向くやいなや、恋次の胸倉を掴んだ。
「うぉ!?」
「馬鹿野郎!!! オメー、さっきも言っただろ!? 苦手な鬼道なんか使うんじゃねぇ! 自滅する気か!!?」
 こちらとしては、最善策をとろうと考えていたのだ。それをこうも言われては、元々短気な性格である恋次が、黙っているはずはなかった。
「あぁ!? あそこであんたが来なけりゃ、攻撃をまともに食らってたんだぜ? それよりは随分マシだと思うがなぁ!!!?」
「んだとコラ…!?」
「何だよ…!?」
 互いの額をぶつけて、ギリギリと歯を食いしばりながら睨み合う。
 その二人の頭を、がしっ、と小さな手が鷲掴みにした。
「ん?」
「お?」
 次の言葉を紡ぐ暇もなく、二人はそれぞれ右へ左へと強制的に引き離された。
「やめぬか! このたわけ共が!!!」
 そんな、言葉と共に。
 濤目は、明らかに苛立った風であるルキアを見て、ぽかんとする。恋次は顔を顰めながら、頭をさすった。
「お…おう、ルキア…無事だったか」
「当たり前だ。あの程度でやられるものか!」
 溜息を吐き出すルキアに、濤目はまた、ゆっくりと瞬きをした。
「……朽木?」
 その声を聞いて、ルキアはハッとし、あわてて頭を下げた。
「す、すみません、海燕殿!! いつもの癖で、つい…!!」
 いつもの癖≠ニ聞いて、濤目は驚きを隠せなかった。彼の知る朽木ルキアは、少し抜けていて、まだ剣術も白打も鬼道も未熟で、いつも何かに悩む気弱そうな、一般隊士の死神だったのだ。こうして怒鳴ったり呆れたりする姿を見たのは、初めてだった。
「ガルル…!!」
 水グリフィンの唸る声が聞こえ、チャキッと濤目が捩花を構えなおす。
「朽木。次の舞・白漣≠ヘできるか?」
「は、はい!」
 当たり前だ。できないわけがない。
 その技は、海燕と共に修行する中で見出した技なのだ。そんな技が、できなくなるわけがない。
「恋次。そのデケェ奴で、さっきの光線みてぇなのは撃てるか?」
「狒骨大砲のことか? それなら、撃てるぜ」
 実際のところは、霊力の多大な消耗の連続はよくないのだが、その点彼は、自分自身を信じていた。何発撃とうが、耐えてみせると。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
 濤目は満足気に頷くと、その場で前傾姿勢をとる。少しだが、霊圧が上がった。
「じゃあ、俺がこれから捩花で水を纏った斬撃をあいつにぶつけるから、朽木はすぐに次の舞・白漣≠放ってくれ」
「はい!」
 柄を両手で握り締めるルキアを尻目で見て、
「俺がまだそこにいても、だぞ? じゃねーと、間髪入れずの攻撃じゃなくなっちまうからな」
 そう付け加えた。
「え…で、でも」
 濤目、否、海燕がいても放つなど、ルキアにとってはとんでもないことだった。思わず口ごもる。が、
「返事!!!」
「はぁいっ!!!」
 結局、勢いにおされて、それを承諾したことになってしまう。
 呆れたように肩を竦めると、次に恋次に目を向ける。
「で、朽木が放ったら、恋次もすぐに光線を撃ってくれ。…仮に、朽木がいてもな」
「…分かった」
 恋次がルキアを見ると、ニッと笑ってみせる。
「ルキア、さっさとどけよ? 容赦はしねーぜ?」
 彼女は不快そうに眉間に皺をよせた。「分かっている」と、怒鳴るのを堪えて言う。
「んじゃあ、行くぜぇ!!!」
 濤目は瞬歩で水グリフィンに迫る。水が、三叉槍を囲むようにして流れだす。
「どぅりゃあ!!!」
 高速回転させた捩花を水グリフィン目掛けて振り下ろした。太い腕を伸ばし、水グリフィンは頭への直撃を避けた。ニヤリ、と濤目は歯を見せて笑う。
 ルキアは狒狒王蛇尾丸の頭に乗って、四箇所を袖白雪で突く。するとそこから、結晶をまじえた冷気が噴出し始めた。それを確認し、濤目は瞬歩で水グリフィンから離れる。
「次の舞……白漣!!」
 袖白雪の切っ先から、水グリフィンへと真っ直ぐに、爆発的な冷気が空を奔った。それは避けることを許さず、恐るべき速さで水グリフィンに迫り、あっという間に飲み込む。
「おぉ!?」
 少し離れていた濤目だったが、袖の一部が凍っていることに気付いて、慌てて更に後方へと飛び退った。
「恋次!!」
「おうよ!」
 叫ぶなり、ルキアは狒狒王蛇尾丸から瞬歩で離れる。
 恋次が大きく右腕を振りかぶると、それに呼応して雄叫びを上げる。彼はありったけの霊力をこめた。ばかぁ、と開けられた口に、その霊力が集結する。
「狒骨大砲!!!!」
 赤い光線が放たれ、凍りついた水グリフィンに直撃した。壮大な爆発音が響き、空の一部を爆煙が覆い隠した。
 小さな体が飛ばされないよう、その場で踏ん張るルキアの隣りに、濤目が現れる。そして、彼女の腰に手を回して、ひょいと持ち上げた。
「わっ!? か、海燕殿!!?」
「朽木、離れるぞ」
 濤目は瞬歩で消え、遠距離で様子を見ていた恋次のすぐ近くにくると、ルキアをおろした。爆煙は未だに晴れておらず、水グリフィンがどうなったのか分からない。
「斃せたのか…?」
 恋次が肩で息をしながら言う。折れた左腕の痛みに、顔を顰めた。
 そんな彼を心配そうに一度見やってから、すぐに前へと視線を戻し、ルキアは眉間に皺を寄せる。彼女も、「次の舞・白漣」で、なかなかの霊力を消耗しているのだ。
「……いや」
 濤目が、改めて捩花を高い位置に構えたので、恋次とルキアも気を引き締める。と、そのとき。爆煙の中から姿を現したのは、グリフィン≠ニいうより、不死鳥≠形作った水だった。
「何…!?」
「莫迦な…!!!」
 恋次とルキアが思わず顔を強張らせる。
 ふと、ルキアは処刑されるときのことを思い出した。尸魂界の処刑道具である双極の矛は、斬魄刀百万本に値する破壊力を秘めていた。それと、今前にしている水の不死鳥は、瓜二つだ。

 ガッシャアアァン!!!!
「がはっ…!!!!」
 思考を巡らす暇もなく、突然の声に、あわててルキアは隣りに目をやった。
 狒狒王蛇尾丸が、無残なほど打ち砕かれている。今回は、刃節を離す事もしていないようだ。水不死鳥が動いていないように思われたが、目にも留まらぬスピードで、恋次に襲い掛かったらしい。彼は、血を吐き出しながら後方へと吹っ飛ばされた。
「恋次!!」
 瞬間、風が動くのを感じ、とっさにルキアは袖白雪を目前に構えた。そこに、何が起きたか理解できないほどの打撃を感じる。思考は追いつかず、一瞬で袖白雪の刀身が、パキン、とあっけなく折れた。
「うあっ!!!」
 ルキアも激しく吹っ飛ばされ、多少の防御体勢ができていたとはいえ、肋骨の一部がバラバラに砕け散る重症を負った。
「朽木!!!」
 ヒュオッ、と光のような速さで、何かが頬をかすめた。濤目が前を向くと同時に、片腕が切り落とされるような激痛を感じ、彼もまた上空へと激しく打ち上げられた。
「ぐあっ!!!」
 濤目は宙で何度か横転を繰り返し、片手をついてすぐに立ち上がった。
 この水の化身は、先ほどまでとはまるで異なり、恐ろしく強くなっている。
 歯を食いしばって、呟くように言った。
「鏡死……もう…やめろ………!!」
 水不死鳥はあくまで静かに、その濤目の目を見返していた。


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