■ 第十章:死神代行復活!


 もし 君の誇りが死ぬことで


 君が名誉の死を 遂げたとして


 僕が 君の死体を見て


 友として 喜ぶことができたなら


 僕は そんな自分を


 憎まねばならない








 ハッと目を開いてから、自分がほんの少しの間だが気を失っていたことに気付く。視界に入るのは、雲と空、ビル。ただし、雲と空は向きが縦で、ビルは上下左右関係なく建ち、列を成している。自分はそのビルの壁面の上に横たわっていた。ゆっくりと身体を起こして、辺りを見回す。もう見慣れた世界だ。
《一護》
 ふいに名を呼ばれて、とっさに一護は振り向いて身構えた。しかし、そこにいたのは黒装束の男―――斬月であるのを見て、肩から力を抜く。相手が「内なる虚」でないことに安堵したのだ。
「久しぶりだな。斬月のオッサン」
 斬月は小さく頷く。
 暫し二人は見つめあい、先に口を開いたのは一護の方だった。
「斬月のオッサン、俺にまたチャンスをくれ! また、俺とオッサンが一緒に戦えるように、なくなった能力(チカラ)を取り戻したいんだ!!」
 真剣に、強い意志でそう言ったのだが、対する斬月は冷ややかな瞳で一護を見つめていた。ややあって、口を開く。
《何故、私に頼む?》
 その言葉に、一護の思考が一瞬だが停止する。どういう意味なのか、分からなかったのだ。当たり前ではないかとも思った。斬月は自分の分身のようなもので、そして斬魄刀なのだ。いつも、いつでも、ずっと、彼と共に自分は戦ってきた。彼がいたから、どんな強い敵にも挑むことが出来た。
 そして、思っていた。自分の力は、斬月をなんらかの形で結びついている。彼がいれば、自分は能力を取り戻せるだろう、と。
《私が唯一、死神だった時と同じように語り合える者だからか》
 斬月の黒いマントが、風に靡く。
《私がお前の斬魄刀だからか》
 彼の声が、一護の精神世界中に響く。
《能力は、『私』ではない。お前自身だ》
 困惑したように目を泳がせる。しかし彼にとって、今頼れるのは、自分の能力だと思っている斬月だけだ。
「でも!」
 言葉を遮り、斬月が叫ぶ。
《思い出せ一護! お前は何故能力を取り戻したい!!!》



 帰ろ、と差し出された手。
 夕日が綺麗だね、と嬉しそうに笑った顔。
 緊迫した様子で叫ぶ声。
 空を覆う厚い雲。
 雨で増水した河に散る、血。
 涙を流す家族。
 穿界門を、辛そうな顔でくぐる罪人。
 恥と知りながら、懇願する、赤髪の死神。
 一人で背負い込んだ、小さな少年。
 人の傷つく姿を見て苦しむ、クラスメイト。


 血まみれの、死神。
「家族を……助けたいか…?」
 斬魄刀の切っ先を向ける。
 ゆっくりと瞬きをして、荒い息に混ぜて言った。
「貴様が……死神になるのだ!!」



 フラッシュバックのように、鎖のように連なって目の前に映された記憶の数々。
 一護の拳に、力が籠もる。
「助けたい……」
 大好きな母を、救えなかった。
「戦いたい……」
 戦いの本能が、求めた。
「護りたい…!」
 全ての笑顔に、終止符など打たせない。
 一護は、顔を上げた。強い顔だ。叫ぶように、言った。
「だから俺は、死神になりたい!!!」
 少しの沈黙があって、斬月は目を細める。
「……それが…お前の、覚悟か…?」
 躊躇うことなく、一護は深く、頷いた。それを確認してから、斬月は一護に歩み寄る。
「ならば、叫べ! 私の名を!!」
 スゥッ…と、一護は息を吸い込んだ。

「斬月!!!!!」

 白い光が、精神世界に満ちた。


 白い霊絡が、辺りに沢山あった。そしてそれらの中の一つが、紅い液体でも落としたかのように、一つの丸いシミをつくる。やがてそれは、瞬時に範囲を増して、白い霊絡を、美しい赤に染め上げた。数本の赤い霊絡に包まれ、辺りに風がおこり、ある種の幻想的な光景の中心に、一人の死神が立っていた。足元には肉体が倒れこんでいる。
 やっと、死神の能力(チカラ)を取り戻した、黒崎一護の姿だった。
 何も背負っていなかった背に、淡い緑色の光が集まっていき、やがてそれは光を放つと共に、斬魄刀・斬月の姿へと変わった。
 一護が目を開けた。そのブラウンの瞳に映るのは、虚で埋め尽くされた空と、自分の周りをいつの間にか包囲していた虚達だった。あまりの数の多さに、絶句する。
「こんなに…いたのかよっ…!?」
 斬月を抜いた。慣れ親しんだ重量感。
「行くぜ……虚共………!!」
 そうして、駆け出す。


 ルキアは目を見開いて、天をあおぐ。
「この、霊圧……!!?」
 隣りで、恋次はニヤリと笑った。
「へっ……なぁーにが、すぐ行く、だ。遅ぇよ!!」
 そうは言ってみたものの、二人は違和感を覚えていた。
 たしかに霊圧は感じていた。紛れもない、一護のものである。
 しかし、感じているとはいっても――――――
 その霊圧は、下級死神並みの、否、下級死神未満程度の霊圧にしか、感じられなかった。

(何か…あったのか…? 一護…)
 恋次が眉を顰めていると、ルキアに虚の影が迫る。
「ルキア!!」
「くっ…破道の三十一、赤火砲!」
 手を虚に向けて、叫んだ。
 ところが、火の玉は虚の顔面に激突したはずなのに、少しヒビが入る程度にしか効き目がなかった。もはや鬼道での攻撃では、傷を少しつける程度にしかならないほど、ルキアの体力と霊力は共にピークに達していたのである。
 恋次がすぐさま援護しようと試みたが、両脇からの二体の虚による攻撃を対処もしなければならなくて、間に合いそうにない。りりん達に望みをかけてみるも、彼女等も同様に、肩で息をしているような状態である上、虚を滅却するまでの体力があるかないかという微妙な状態だった。
 万事休すか、とルキアは目を瞑った。恋次もダメかと、一瞬だったが諦めかけた。
 その瞬間、二人の間に、ピンク色の花びらのようなものが、風に乗って舞い込んでくる。それを見て、恋次の頭に一人の人物が浮かんでくる。
 大量の花びらが続けて舞いこんできて、ルキアの目の前にいた虚を包み込んだ。そして、あっけなくその虚は、滅却されてしまった。
「これは…!」
 ルキアも驚いたようにして、ふらつく足で立ち上がった。
 そんな彼女の目の前に、瞬歩で現れた死神。
「このような者達を相手にして、何をしている」
 冷静沈着な声を合図に、二人はほとんど同時に叫んだ。
「隊長!!」
「兄様!!」
 辺りにいた虚を、千本桜で一匹残らず滅していく。その様子を見て、恋次は尋ねた。
「隊長、限定解除は…?」
「先刻、限定解除の許可をされた。最も、偽地獄蝶のために霊波障害が発生。こちらへの連絡は不可能。緊急で隊首会が開かれ、我々が先に現世へと送り込まれた」
 淡々とした物言いは、変わらなかった。
「我々…? ということは…!?」
 白哉は答えず、恋次とルキアを交互に見つめてから、「行くぞ」と言った。そのまま瞬歩で消えてしまったので、恋次はルキアを抱きかかえてから、瞬歩で彼の後を追った。

   *   *   *



第二十五章 送られる死神



 灰猫を操って周囲に集まってきていた虚の大軍を、一気に蹴散らす。乱菊は顔を顰めた。増え続ける虚に、減り続ける自分の霊力、すなわち体力。途方もない戦いに眩暈さえしてきた。背後に迫ってくる虚を振り向いて、そこに灰猫の刃で竜巻を作り上げる。
「もう何体倒したかしら…」
 うなだれた様子で、呟く。灰猫が、数える気にもならない、と答えたような気がした。
 息を吐き出した瞬間、目を見開く。足首が虚によって掴まれていたのだ。あわてて灰猫を振るうが、ここぞといわんばかりに大量の虚が攻めてくる。
 ゾクリ、と寒気がした。
 しかしそれは、危機を感じてのものではない。これは霊圧から感じ取れる、冷気だ。
「霜天に坐せ!」
 遥か上空からの声に、顔を上げる。
「氷輪丸!!!」
 突如、空から急降下してきた日番谷の氷輪丸の切っ先から、氷の飛龍が飛び出した。乱菊の周囲にいた虚全てを凍り付けにし、消滅させていく。
「松本、無事か?」
「隊長!」
 死覇装の下からチラリと覗く包帯を見て、乱菊は眉を顰める。あれは、自分がやった傷なのだ。そう思って、あれから日番谷を傷つけたくないと願っていたのに、今一瞬、彼が来たことを喜んだ自分に、腹を立てる。自分の覚悟はなんて薄いものなのだろう。
 日番谷は少し困ったような顔をして頭を掻く。
「……松本」
「……」
「松本!」
「え? あ、はい!!」
 あわてて乱菊が顔を上げた。
「副隊長の役目はなんだ?」
 暫し言葉を詰まらせてから、いつぞやと同じように言葉を紡ぐ。
「……隊長の背中を…護ることです」
 コクリと頷き、乱菊の背後に回る。丁度二人が背中合わせのような状態だ。
「いつまでも責任を感じてどうする。そんなんじゃまともに戦えねぇ。……背中は、任せる」
 そして、日番谷は虚に斬りかかって行った。
 そんな彼の小さな背を見つめて、乱菊は一人、頷いた。灰猫の柄を握る手に、僅かに力を込めなおしてから、
「はい!」
 少し遅れて、返事をした。


「ゲホッ……ゲホッ……」
 数回咳き込んでから、斬月にすがりつくような形で体を起こす。頬を伝う汗と血を拭って、ゆっくりと柄を握り締める。
 まわりにいる虚の数は、先程よりはるかに増していた。初めは皆無だった空間に、突然死神なる霊圧が現れたことにより、誘われてきた者がいるのだろう。
 地面に突き立てていた斬月を抜いた。そして、目前にまで近寄ってきていた虚の仮面を容赦なく叩く。しかし、その虚が斬月の刃を、軽々とかわしてしまう。そこから攻撃を再び加えることなく、せっかく抜いた斬月を再び地面に突き立てて、その場にしゃがみこんだ。
(くそっ…! どうなってんだ一体…!)
 改めて斬月を持ち上げ、渾身の力を込める。
「月牙天衝!!!」
 刃から月牙が鋭く放たれる。それに切り裂かれていく虚達は、本来ならば消えていくはずなのだ。ところが彼等は消えない。せいぜい腕や仮面の一部に、擦り傷のようなものができる程度だった。
「ゲホッ、ゲホッ」
 体の奥から競り上がってくるような激しい吐き気に、咳き込む。
 一護も気付いていた。自分の異常な体力・霊力の減り方と、月牙天衝の威力の無さ。斬月を振るう度に、虚を斬るどころか、かわされる上に手で押さえ込まれ、自分の腕が痺れているという事実。一度虚化や卍解も試みてみたが、実際それは叶わなかった。さらには瞬歩ですら、やろうとしてみると、つんのめって転んでしまうに至った。
 周囲にいる虚を睨みつけるが、自分自身は思うとおりに動けない。幸か不幸か、虚達はどんどん数を増すが、突然現れた霊圧に戸惑っているのか、攻撃する様子はほとんどない。稀に少し手を差し出してくる程度である。だが、それも時間の問題だ。少しすれば、虚達は一斉に彼を襲うはずである。今の状態で襲われては、全て蹴散らすことも、無事でいることも到底できるはずがないと思った。
 
 バキィ!!!
 一護は、一度ぽかんとした。自分の前方十メートルといったあたりに存在した虚が、一気に宙へ打ち上げられたのだ。虚の咆哮が響き渡る。一護を取り囲んでいた虚達は、狂ったようにそちらにいる『なにか』に猛突進していった。が、それらは例外なく全て、宙に打ち上げられる。『なにか』は目にも留まらぬ速さで宙へと上がり、打ち上げられていた虚全てを叩き落とした。
 あれだけの数の虚を一瞬にして打ちのめしたその人物は、瞬時に一護の目の前に現れた。
「よ……」
 ニッと無邪気な笑いを浮かべて、彼女は手を腰に当てる。
「久しぶりじゃのう、一護」
「夜一さん…!!?」
 夜一は、前触れ無く一護と斬月、近くに寝かされていた一護の体をひょいと担いだ。傍から見ると、一人の女性が男二人と大刀を背負っているような形なのだが、夜一にしてみれば造作も無いことなのだ。
「おわ!? ちょ、何しっ…」
 ジタバタと暴れる彼を見て、小さく吐息を漏らし、瞬歩を使って移動を始めた。
「夜一さん!? なんなんだよ一体!?」
「暴れたければ暴れろ。……おぬし、ちっとも力が入っておらんぞ」
「!」
「そんな体で暴れられても、暴れていない同然じゃ」
 返す言葉が見つからず、沈黙する。
「せぇっかく死神になってもこれかよ? 姐さんの方がやーっぱ優秀だな! 分かりきってたことだけどよ!!」
 ふいにそう叫ばれて、一護は目を丸くした。夜一がたすき掛けにしていた布の中から、ひょっこりと顔を出したのは水色の熊のぬいぐるみ。その中身は、コンである。そのことは、口調だけで一護もすぐに理解した。
「コン!?」
 彼の言葉を肯定するかのように、けっ、と言って顔を背けてから、コンは再び布の中に潜り込む。
 こいつ、夜一さんと一緒にいたのか…。そう言いたげにしていると、夜一は浦原商店の前まで来て、止まった。一護と斬月を下ろし、一護の体だけは担いだままだ。
「夜一さん? ここは…浦原さん、もういねぇけど…」
 ガラララ。
 閉店について書かれた紙が貼ってある戸は、今まで鍵がかかっていたことすら忘れたかのように容易に開かれた。
「喜助ならとっくの昔に現世に戻ってきておる。ここの鍵を開けとくようにあらかじめ言っておいたからの。とりあえず、勉強部屋へ行くぞ」
 一護は夜一の後を追って、浦原商店に入り込んだ。無論、戸はしっかりと閉めて。


 勉強部屋は、相変わらず殺風景なところだった。夜一は近くの岩あたりに一護の体を下ろして寝かせ、コンも下ろした。彼は岩に飛び乗り、狭い空間にずっといて訛った体を解すように体を動かす。
 夜一は一護に向き直った。
「……おぬしは一度、今回死神の力を全て奪われてしまった。改めて内なる能力(チカラ)を呼び戻したとはいえ、いつものように動けないのは当たり前じゃ」
 一護は考え込むように俯く。
「………今、現世に死神達が集結を始めてるのを気付いておるか?」
「…なんだって?」
「下級・席官死神の全員と、霊術院の第一組の院生全員。そして隊長格が三人に、副隊長が六人。合計千人は優に超えるかもしれん」
「レイジュツイン?」
「死神の学校のようなものじゃ」
 はぁ、と一護は頷く。
 相当な人数になるのに、全く気付かなかった。自分のことで精一杯になっていたからなのだろうか。
「…じゃが、戦力となるのは正確に言って隊長各三人じゃ。それ以外は結界のために現世に総動員された。…相手は強い。尸魂界で、実は更木と涅がやられての」
「剣八が!!?」
 これには大変驚いた様子だ。当たり前かもしれない。一護は以前ルキアの処刑を止める際に、尸魂界へと赴いた。そのとき激戦をくぐり抜けてきたのだが、剣八との戦いは苦しかった。斬っても斬っても倒れない彼に、恐怖さえ感じた。戦いが遊びで、命などはその玩具にすぎないというくらいなのだ。あの事件が一段落ついてからも、怪我が完治した一護と、今一度剣を交えようと追い掛け回した。
 そんな剣八が、敵にやられたなど、想像ができなかった。
「ああ。じゃから一護も戦わねばならん状況には必ずなる」
「ち、ちょっと待ってくれよ、夜一さん」
「なんじゃ?」
「そんな強ぇ敵なのに、下級死神やら、まだ死神にすらなってねぇ生徒やらを戦場につれてくるのは危なくねぇのか? そんだけ大仰にやんなら、多分ジイさんの命令なんだろうけど、そんなの全員が納得すんのかよ?」
 天井に描かれた空を見上げ、夜一は口を開く。
「現世に死神や院生を送る前、緊急で隊首会が開かれての。普通隊長以外の出席は認められんのじゃが、儂はそれとは別件で総隊長に呼ばれていてな。結局、隊首会にも出席するように言われたのじゃ」
 隊首会であったことを、夜一は語り始めた。

   *   *   *

 負傷により治療中の剣八とマユリ以外の、隊長たちが集まっていた。隊長でない夜一もいるが、彼女は元柳斎に言われて、ここにいるのだ。
「これより隊首会を行なう」
 緊急の隊首会では、やはり全員が緊張に満ちた顔をしていた。
 元柳斎の視線を感じ、日番谷が反応する。彼が現世駐在任務を放棄して、尸魂界の図書室にいて何かを調べていたことは、白哉の方から報告を受けていた。そして、その調査結果を言えと言っているようだ。日番谷は小さく頷くと、隊長全員の顔を見回しながら口を開く。
「これから話すことは、実際分かったことと俺の推測が入り混じっている。それを踏まえてきいてほしい。初め俺は、偽地獄蝶に奇襲をかけられた際、疑問に思ったことがあった。それは、偽地獄蝶が空間を押しのけるようにして出現していたことだ。あれは小さいものの、黒腔と酷似しているように思ったんだ。そして、ひょっとしたらこれは、虚圏と何か関係があるかもしれない、という考えが浮かんだ。それを調べる為に俺は図書室に籠もっていた。たしかに、最初はこれといった情報が一切見つからず、濤目とかいう偽地獄蝶から聞いたっていう朽木ルキアの話の海人風鏡死っつう名前も調べてみた。だがその名が記されているものもねぇ。雛森や伊勢にも手伝ってもらったが、とくに何もな。だが、一つだけ…ある日記を見つけた。どういうことかはよく分からねぇが、図書室の本棚に入ってた。その記した人物も、そんときは全く分からなかった。分かったことって言えば、その日記を書いた人物は、斬魄刀がないにも関わらず虚退治を命じられ、虚を滅せずに死んだってことくらいだ」
 黙って聞いていた元柳斎が、ピクリと眉を動かす。
 京楽や浮竹、卯ノ花の三人も、目を泳がせたり顔を背けてみたりと、少なからずの反応を示していた。
 閉じていた目を開けて、日番谷に視線を送る。そして、白哉は、
「兄は、その後我が六番隊舎に足を運んだ…」
 その通りだと、日番谷は頷いた。
「朽木ルキアが、朽木隊長にも何か別なことを話したんじゃねぇかと期待しただけだったんだがな。そこで、六番隊の一般隊士にあった。そいつは地獄蝶の世話係で、偽地獄蝶の奇襲の前から地獄蝶の数が減っていたことが判明した」
 編み笠に触れながら、「僕のとこも減ってたねぇ」と京楽が首肯する。
「そして俺は再び図書室に戻り、まず地獄蝶についての本は片っ端から読み、次いで死神の基礎学って本を読んだ。それで地獄蝶関係は全部だ。基礎学の本を捲ってたら、間に三枚ほど、紙が挟まっててな」
 息を一度ついてから、また口を開いた。
「一枚目は、霊術院の名簿からも死神の名簿からも削除されていた者の個人情報。二枚目は、偽地獄蝶についてのレポート。三枚目は、虚圏の資料。そんでその三枚が挟まってた頁が、霊子について書かれたところだ。ここで、さっき言った日記を書いた人物が、海人風鏡死であることが発覚した。海人風鏡死は百年以上前に三席に配属されていた死神だ。ただ、隊は未詳だ。その部分はあまりに紙が汚れていたために読み取れなかったが、それなりの実力の持ち主だったらしい。だが、日記のとおり無茶な命令のために、虚の殲滅に失敗して死亡」
「待て」
 砕蜂は腑に落ちない様子で歩み出る。
「だが、死んだ者が海人風鏡死だとすると、我々が敵としているのは一体誰だ?」
「それはまだ、俺も分からねぇ…もし生き返ったんだとしたら、一体どうやって…」
 そこで、日番谷の頭にふと、草冠の顔が浮かんだ。
 彼の場合、王印の光を受けて、霊子になりかけていた魂魄が虚圏に移され、再生され、生き返ったのだ。そしてあの結構な事件が起きた。さらにいえば、草冠も尸魂界を憎んでの行動だった。
 まさか、また王印が…!?
 そう思って、日番谷が顔を上げた瞬間、声がした。
「その心配はないじゃろう」
 夜一だった。彼女は腕組みをしたまま、確信に満ちた様子を見せる。どうやら全て、顔に出ていたようで、日番谷の考えていたことを先取りし、否定する。
「儂も王印を疑ったが、王家の秘宝として厳重に保管されており、今じゃ何人も触れることができん代物となっているようじゃ。さすがに、あれでは誰であろうと盗むことはなかなかできんじゃろうな」
「貴様……勝手に王家に忍び込んだのか…?」
 かつてしょっちゅう朽木邸に入り込んでいた夜一をよく思っていなかった白哉は、不愉快そうに尋ねた。対して、夜一はとくに悪びれた様子もなく、白哉を横目で見る。
「仕方ないじゃろう? 今は緊急事態。そんなこと言ってられる状況じゃない」
「……」
 それでも白哉が夜一を睨みつけていると、夜一は肩を竦め、へらっと笑った。
「お固いことじゃのう、白哉坊は」
 今にも千本桜を抜きそうな勢いである白哉を、浮竹がまぁまぁと宥める。
 卯ノ花が静かに言った。
「それで、二枚目の偽地獄蝶のレポート…とは?」
 再び全員が沈黙する。日番谷はゆっくりと言葉を紡いだ。
「どうやら八百年くらい前の死神が書いたレポートらしく、読める範囲が限られていたが、偽地獄蝶の襲来は千十年前にも一度あったようだ。地獄に落とす、とだけ書いてあるのが読めた」
 全員が元柳斎を見つめると、彼は唸るように頷いた。彼も偽地獄蝶に遭遇したのは今回が初めてではなかったというわけだ。ただ、今回のような大事にはならなかったので、そういう存在もあったのだという程度で、やがては伝説か何かの一部にさえなり得ることがあったようだ。八百年前の死神は、既にあまり確信もなくレポートを書いたのか、文字は殴り書きでいい加減なところもあった。
「他は解読不能だったのかい?」
 浮竹に尋ねられ、暫し日番谷が考え込むような仕草をする。
「…偽地獄蝶は元々はただの地獄蝶だった、くらいだな。それ以外の解読は不可能だ。何せボロボロの紙だったし、書きなぐられた文字を読み取ったから、それが合っているかも怪しいがな…」
 ずっと黙りこくって話を聞いていた狛村が、遠慮がちに声を出した。
「三枚目の、虚圏の資料というのは……東仙…否、藍染と何かしら関係があるのか?」
 日番谷は、肩を竦めた。分からない、という意思表示だ。
「その資料には、虚圏がどういった世界なのかってことを綴られていただけだからな。あまり重視してねぇんだが」
 そしてそれは、挟まっていたという頁の、霊子についての内容も同様だった。死神は元々魂魄である。それが死んだら、霊子となって尸魂界を包む一部になる、という真央霊術院で教わるような、ごく初歩的な知識だった。これに、そこまでの重要性があるとは思えなかった。挟まっていた紙はともかく、その挟まっていた場所の頁にまで意味があるのではというのは勘繰りすぎなのかもしれない。
 眉を顰めて、全員が考え込む。
 やがて夜一は、はっきりと言った。
「現時点ではっきりしていることは、まず今まで力が莫大であった死神代行を滅すために、現世に来る。そしてそれはすなわち、現世が戦場になるということじゃ」
 元柳斎が、立ち上がった。
「窮状である! ただちに全ての死神と、真央霊術院第一組の生徒全員を、双極の丘に集結させよ!!」
 その言葉に、京楽はニヤリと口角を吊り上げた。
「山じい? 多分、考えがあってのことなんだろうけど、その集結させる意味は僕達全員に教えてくれてもいいんじゃない? じゃないと、ちょっと動きにくいし」
 彼の言葉を肯定するように、全員の視線が元柳際に集まる。
 それをしっかりと受け止め、ゆっくりと、自らの考えを説明した。そのことに関しては、そこまでの時間も要することなく端的に終わり、真央霊術院の第一組の生徒達に応援を頼んだ理由にも納得した。指揮は、鬼道が得意である雛森とイヅルを推すつもりらしい。とくにそれに反論する者もおらず、ようやく場がまとまったようだった。
「二番隊・六番隊・十番隊隊長は、現世へ向かい、現世駐在任務中の者達と虚の滅却に専念せよ!」
 これにて隊首会を閉会する、という言葉と同時に、砕蜂、白哉、日番谷は瞬歩で消え、夜一は一度考え込んでから、一足遅れて瞬歩を使い、その場を去った。


   *


 ずっと話すことに疲れたのか、深いため息を吐き出して、
「とまぁ、そんなところかのう」
 夜一は一護に向き直った。
 一護は神妙な顔で、頷く。彼も夜一の話を聞いて、現在起きていることの内容が少なからず理解できたようだ。何より、何故沢山の死神や真央霊術院の生徒までが現世へやってきているのかを聞く事もできて、納得がいって、彼はスッキリしていた。
「…じゃが、わしはおぬしに、この話をするためにここに連れてきたのではないぞ?」
 改めて一護を見つめるその夜一の目は、先程よりもずっと、真剣みに帯びていた。
 それを見て、あまりいい話でないことを察した一護は、気を引き締める。

 そんな一護と夜一の様子を遠くから見つめ、コンは夜一から、持っていろ、と渡されたメモを読み、それを握り締めた。
 どこか不安そうな表情で、彼の姿を瞳に映す。

 夜一が懐から取り出したのは、巾着袋だった。一護は興味ありげにそれに視線を注ぐ。そんな中、彼女はその口紐を解いて、中から一つの丸い玉を取り出した。それはパッと見ると、何の変哲も無い真珠のよう。白く、鈍い光が見える。
「これは、おぬし専用の、薬じゃ」
「俺専用の、薬…?」
 訝しげに眉を顰め、首をかしげる。
 夜一はコクリと頷いて、その玉を再び巾着袋の中に戻した。
「一護。おぬしは一度死神の力を失った。しかし内なる底の力から、再び死神の力を呼び起こした。……否、今思えば、隊長格のそれを超えるような霊圧を持っていたのだから、もしかしたらある一部の力を奪い損ねたのかもしれん。どっちにせよ、おぬしは今、死神の力をその身に宿して、ここにおる。…じゃが、それは一護の感情といった精神、即ち魂によるものじゃ。それを魂魄自体が耐え切れると思うか?」
 一護は、何も言わない。返事をする気が無いのか、何かを考え込んでいるのか。
 構わず、夜一は続けた。
「生まれた当時からあった霊力が、突如として魂魄から消え失せる。その分には何の支障もなかろう。そうはいっても、一度はごく一般の人間の魂魄に成り下がったわけじゃ。当然、そんな魂魄に、隊長格に匹敵するような霊力が無理に宿ろうとすれば、拒絶反応を起こしもするじゃろう。水に浸かったことの無い赤子が、広大な海で泳げと命令されているようなものなのじゃからな」
 つまり、魂魄自体が一護自身の強大な霊圧に対し拒絶反応を示したわけだ。すると、死神の力は戻ったものの、それは表面上だけであって、拒否された霊圧は表に出ることなく、大人しく彼の中へと戻っていく。自ら自分を傷つけようとするものはない。それだけに一護の魂魄は敏感になっていた。だから思う存分力を使う事もできず、当然霊力を消費して行なう瞬歩もできず、卍解や虚化を出来るほどの霊圧はまず、備わっていない。月牙天衝など霊圧を大きく消費する能力を無理矢理使った際に咳が出たのは、魂魄自体が大きな拒絶反応を示したからだ。
 現在、彼の中には、下級死神ほどの霊圧も備わっていない、ということになる。ただ、外面的なものだけでの、死神だ。
「……それを想定して、喜助がこれを早急に作ったのじゃ」
 巾着袋を差し出す。一護はそれを受け取って、改めて巾着袋の中を覗き込んだ。真珠のような玉が、五つほど入っている。一護としては、玉といって思いつくものは、義魂丸くらいだった。しかし、にしては少し違う気がする。
「その玉は、おぬしの霊圧を押し固めてできたものじゃ」
「俺の霊圧!!?」
「別にそこまで驚かなくてもよいじゃろ? 喜助の前で一度や二度じゃないじゃろう、卍解したり、虚化したりしたのは」
 一護は頷く。たしかに、浦原の前で幾度も卍解や虚化はしてきた。さらには、一護に稽古をつけてくれたのは彼だ。月牙天衝を見出したのも、斬月の名を聞いたのも、全て浦原の目の前でのことだった。
「ならば、あやつも変態じゃからの。何かしらの研究材料にしようとでも思っておったのか、おぬしの霊圧をサンプルとして、データ化してとってあったのじゃ。それを使ったというわけじゃな」
 はぁ、と適当に返事をし、一護は苦笑いする。
(今…変態つったぞ…この人………)
「五つ入っておるじゃろ? それを全て一気に飲めば、おぬしは一時的に、今まであったすべての霊圧を表面に出して、今までどおりの戦いをすることができる」
「すげぇじゃねぇか! なんでもったいぶって、そんな良いもんを渡してくれなかったんだ?」
 一人、一瞬はしゃいだ一護だったが、夜一の鋭い眼光に、口を閉じる。話はまだ終わっていないらしい。そして、本題がここからだ、という気さえした。二人の間にある空気が瞬時に変換されたようで、緊張で体が強張る。乾いていた唇を舐めた。
 暫し、夜一は悩んだように視線を泳がせていた。言うべきか、言わざるべきかと考えているようだ。しかし、数秒後には意識を固めたように、真っ直ぐに一護を見据えた。
「簡単に言うとそういうことじゃが、つまりそれは、魂魄の拒絶反応を無理矢理押さえ込んで、薬の力で強引に霊圧などの力を表に引きづり出す、ということでもある」
 ジャリッ、と砂の音がする。
 彼女は足元に落ちている石ころを、足で弄ぶ。やがて、夜一は踵を返し、一護に背を向けた。
「それを使うか使わぬかは、おぬし次第じゃ。じゃが――――――」
 歩き始める。一護を置いていく辺り、彼のあとの行動に関しては、強制をするつもりはないらしい。長いポニーテールがゆらゆらと揺れる。勉強部屋から出る直前、先ほどの言葉を続けて、紡いだ。
「命の保障は、できん」
 驚愕に目を見開く一護を残し、夜一はその場から去った。
 シンと静まり返った勉強部屋の中に、小さな足音が聞こえてくる。コンが近寄ってきて、一護の足元まで来ると、止まった。心配だったのだが、出来るだけ顔には出さないようにしつつ、彼を見上げる。一護は緊張した面持ちで、ゴクリと唾を飲み込んだ。
 かける言葉が見つからず、腕組みをして悩んだ挙句、
「よう、重〜〜い話は、終わったかぁ?」
 と、結局いつもと同じように話しかけてみることにした。その揚々とした声色に、心配の色などは微塵もなさそうである。一護はコンを見下ろし、しゃがみこむ。彼の直線的な視線を受けて、コンは気味悪そうに後ずさる。
「………なんだよ?」
「いや……お前、熊の方がよかったのか? ライオンのぬいぐるみ、俺の部屋に放置されてたぞ」
 そんなことか、とコンは心のどこかで安堵する。
「なんか知らねーけど、姐さんに突然あの手袋でぬいぐるみから出されて、尸魂界に連れていかれて、たまたまあった熊のぬいぐるみに入れられたんだよ! ま、俺は元々姐さんと一心同体だし、一緒に行動するのはなーんもおかしくねぇけど!! 結局は夜一さんと行動することになっちまったがな! まぁ美女だから俺様は、満足してるぜぇ!!?」
 また美女がどうとか言って、と一護に呆れられることを、予想していた。それがいつもの、彼の対応だったからだ。ところが、どういうわけか一護は、口許を綻ばせた。それを見て、コンは逆に怪訝そうな顔になる。
「……何、笑ってんだよ」
「別に?」
「別にって、答えになってねぇじゃねぇか!! テメェ、俺様をナメてあんがっ!!!」
 明らかに様子のおかしい一護に、何とか渇を入れてやろうと意気込んだ瞬間、彼の手が伸びてきて、躊躇なく口の中に押し込まれた。暫くジタバタと暴れたコンだったが、やがて本体である義魂丸が一護によって取り出されると、熊のぬいぐるみは微動だにしなくなった。
 一護はそれを念入りに拭くと、自分の身体に近づいて、口の中に落とした。瞬間、パチリと一護の体が目を開き、体を起こす。
「いきなり何すんだこの野郎!!」
「コン、俺と夜一さんの話、聞いてたろ?」
 コンの文句には耳を貸さず、尋ねた。コンは仕方なさそうに、頷く。
「じゃ、俺になんかあったとき、夏梨と遊子のこと、頼むわ」
 そういうなり、背負っていた斬月を抜き、肩に担ぐ。もう片手には、夜一から渡された巾着袋が握られていた。戦いに行く為、勉強部屋から出て行こうと歩き出す。
 そんな一護を慌てて追いかけて、前に回り込む。一護からしてみれば、もう一人の自分が目の前に立っているのだから、不思議な感覚だろう。
「ちょっと待てよ! おめぇ正気か!? 夜一さんも言ってたけど、沢山の死神も隊長も、こっちに来てるんだろ!? お前なんかの出番なんかねぇよ! わざわざそんな必要もないのに、どうして死にに行くんだよ!!?」
 コンを見つめ、また、フッと笑う。
「たしかに、俺なんかが行っても邪魔なだけかもしれねぇ。ルキアや恋次も優秀だし、白哉とかの隊長格が、代わりに全部終わらせてくれるかもしれねぇ。そもそも俺なんか、不必要なのかもしれねぇ」
 でも、と言葉を続ける。
「俺の死神の力は、皆を護る為のもんだ」
 コンが、不安そうに顔を歪ませる。
「敵を斃せるかじゃなくて、俺の力は、皆を護る為にある」
 斬月の柄を握る手に、力を込める。
「敵が強くて皆が傷つけられるなら、俺が敵をぶっとばす」
 決意を固めるように、小さく俯いて息を吐き出す。
「敵が弱くて、皆で攻撃を仕掛けられるなら、それを邪魔させねぇように、全力で周りの虚を叩き潰す」
 再び、歩みを刻み始めた。コンを避けて、勉強部屋の出口に向かう。今は普通にしていられるけども、きっと戦いになったらすぐにボロボロになってしまう。この薬を、使わなければ。
「ふざけんなよなぁ!!」
 ふいにコンが叫んだので、一護が歩みを止める。彼はもう、一護の前に回り込んで、止めようとはしなかった。その代わり、
「俺様は、ぜぇったい嫌だからな!! 井上さんみてぇな特盛りお姉さんがいればまだしも、あんなめんどくせぇ家族を任せられるなんて、何があってもお断りだぜ!!!」
 息を切らせたように、ハァハァと吐き出す。そして、未だにこちらに背を向けたままの彼に、ビシッと指先を向ける。
「一護! てめぇの家族だ!! てめぇの家族はてめぇでなんとかしな!!! これからも、ずっとな!!」
 一護は口許に笑みを浮かべ、それに対しては何も答えずに、勉強部屋を後にした。


 浦原商店から出て見ると、待っていたかのように気持ち悪いほど沢山の虚の迎えがあった。一護はニヤリと不敵に笑ってみせ、巾着袋から真珠のような玉を五つ、掌に出した。
「わりぃけど、さっきまでと同じようにはいかねぇぞ?」
 そして、その玉を全て、口の中に放り込み、ゴクリと飲み込んだ。



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