■ ほんの少しの勇気 3/8

   ***

 視界を真っ白な光が染め上げる。誰かが呼んでいるのが分かった。一体、誰が?
 シャン、と神楽鈴のような音が響くと共に、桜の花が舞い上がる。自分の神気が視覚化されると、桜になるのだと初めて知った。
 何処かの床に足がついた。ゆっくりと瞬きを繰り返すと、次第に景色が鮮明になった。そして、そこに見えたのは、
「………は、え?」
 小柄で、華奢な体つきの、彼。
 彼も驚いた様子で藤色の目と口の両方をぽかんと開いていたが、現状を理解するとその顔に、喜びが滲んでいく。
「……よう。久しぶり」
 挨拶は無難なものだったが、必死に多くの感情を押し殺した結果なのだろう。もっと他に、思ったことはあった。
「っ!!!」
「うお、っと!」
 だから、顕現したばかりの方の刀は、たまらなくなって、自分に霊力を注ぎ込んでくれた審神者に自己紹介もせずに、彼に全力で飛びかかり、抱き付いてしまったのである。迎えた方も無様に押し倒されることもなく、相手をきちんと抱き留めて、「また泣いてんのか」と笑いながら震える背中を撫でてやっていた。
 その日、かつて織田のもとにいた二口の短刀。不動行光と、薬研藤四郎は、何百年越しの再会を果たした。

 熱い再会を果たした結果、審神者と初めましての挨拶をして数秒と経たずに不動は赤面することとなったわけだが、幸い持っていた甘酒を一気に呷ることで、多少紛らわすことができた。
 この本丸の基本方針や、今顕現している刀の数、種類、それに食事の時間、湯浴みの時間、出陣と内番の予定の組み方等、生活していくのに必要なことをあらかた話し終えて、薬研は不動を連れて審神者室を出た。このまま、古参である薬研が本丸を案内する手筈になっていたのである。
 大広間、書庫、祈祷室、茶室、鍛刀部屋、刀装部屋、厨、浴場、厠、道場、畑に厩、離れ家と、一通り誰もが使う可能性のある(また確実に使うことになる)場所を案内し、最後に不動に割り当てられることになる部屋を訪れた。
 一人で使うには広すぎるが、二人で使うにはちょっと狭い程度の部屋だ。部屋割りは既に審神者から聞かされていて、不動は薬研と同室らしい。昔の縁がある刀が来た際にはよくあることらしいが、今までの相部屋を崩して少しでも気安い間柄である刀同士を同じ部屋にするのは審神者の意向だ。早く本丸に慣れてもらうためだとか、色々理由はあるらしく、何にしても有難い。見知らぬ刀と一緒にいきなり同室と言われても、上手くやっていける気がしなかった。
「文机、そこにもあるだろ。こっちのは俺が今まで使ってた奴だから、そっち使っていいぜ」
「へー……」
 まだ出したばかりの新品である文机に歩み寄って腰を屈め、興味津々に傷一つないその表面を撫でる不動を、薬研は微笑ましく眺めていた。城にいたことがある身として文机なんかは珍しくも何ともないだろうが、「自分の」文机となると話は別である。
 恐る恐る文机の前に置かれた座布団に腰を下ろして、暫くつるつるとした面に手を滑らせていた不動が、ふと思い出したように振り向く。
「でも薬研、いいのか?」
「何がだ?」
 不動が座ったことにつられて、自分の文机の前に置いていた座布団を引っ張り、その上に座りながら首を傾げて見せる。
「今まで、俺じゃない奴と相部屋だったんだろ」
 確かにそうだが、同じ部屋だったのは粟田口派の兄弟だ。薬研の兄弟は両手の指にはおさまらないほどの数がいる。その中で組み合わせを変えることくらい大した問題ではなかった。
 だが、不動からしてみれば、昔に縁があろうがなかろうが、この本丸において新参者であることに変わりはない。だから抵抗を覚えているらしかった。
「別に、部屋なんかなくても、何なら厩で寝るし……」
「厩は寒いだろ。そんな気にすんなって。俺は行光にまた会えて嬉しいぜ?」
 薬研の発言を聞いた途端、不動は不貞腐れたようにそっぽを向いた。顕現して開けたばかりの甘酒の瓶に口を付けるが、中身はもうほとんど余っていない。
「へ……こんなダメ刀に会えてかよ……」
「何だ、お前だってさっき抱き付いてきたじゃねえか」
「そ、それはっ! 吃驚したんだよ! あのときいなくなったお前がここにいるから!」
「吃驚したら抱き付くのか、お前」
「やかましい!」
 誤魔化すのが下手なことである。
 顔を真っ赤にしてあらぬ方向を向いている不動に、くつくつと喉を鳴らしながら笑うものの、薬研には気になることが一つあった。
「なあ行光、訊いていいか?」
「ああ?」
「お前、何だって自分をそんな、ダメ刀≠ネんて言ってるんだ?」
 不動の肩が分かり易く揺れる。
「いやぁ、なかなかお前が来ねえなぁ遅せぇなあと思ってたところに顕現したんで、嬉しかったは嬉しかったんだが、前はそんな自己卑下酷かったかと思って、気になってなぁ」
 軽い調子で続けたが、不動から反応はなかった。不思議そうに彼の顔を覗き込もうとしながら、薬研は彼の隣りに四つん這いで近づき、座り直す。
「……お前が、それを言うのか」
 顔を俯かせ、高い位置で結った長い髪が前に垂れて来る。そのせいで、表情は判然としなかったが、声は酷く落ち込んでいた。
「あの日、何もできなかった俺を知ってるお前が、それを言うのか」
 あの日とは、本能寺の変のときのことを言っているのだろう。
「俺は信長様にも、蘭丸にも……愛してもらったのに、その分、何も返せなかった。誰もお助けすることができなかった。懐刀? 守り刀? 聞いて呆れる…こんな俺は、ダメ刀だろ……いつかお返しするんだって思ってても、俺なんかじゃ、いつも間に合わない。…間に合わないんだ……」
「そんなことないだろ」
 今にも泣きだしそうな声で、薬研は不動の頭にそっと手を乗せた。昔から恥ずかしがりやで、こういうことをすると何気なく頭を振って逃げられたりしたが、今は甘受してくれている。ぐりぐりと、ちょっと掌に力を込めて、強めに撫でつけてやる。
「お前はダメ刀じゃない」
 そんなことない、と結局涙をこぼしてしまいながら、掠れた声で抗議された。だが、彼は聞こえないふりをして続ける。
「お前はちゃんと来てくれた」
 開きもしない扉を一生懸命叩いて、炎の中から助けてくれようとした。その扉を開けなかったのは自分であるし、当時の主である織田信長と共に逝くと決めたのも自分だ。最期に不動の声を聞けただけで、充分だと思っている。そう告げると、泣いていた不動の身体の、微かな震えが止まる。と思ったら、がばりと勢いよく、顔を上げた。
「……な?」
 これでもかと言うほど目が見開かれていて、明らかに驚きの感情と思われる色が顔面に濃く出ていた。妙に顕現してから自己卑下が酷い彼は、もっと詰られるものと思っていたのかもしれない。
 薬研はあくまで優しく、声を掛ける。
 不動の目は動揺したようにきょときょとと揺れ、最後に曖昧に頷くに留まった。


 彼が本丸に来て数週間ほど経った、ある日のこと。
「……なあ、薬研」
 行先は夜の京都市中とのことで、短刀である彼には有利な戦場であるが、そこに行くのは不動は初めてだった。更に、特はついていると言っても、部隊編成の中でも練度はかなり低い。だからこそ、周りは練度が頭打ちであったり、そうでなくとも出陣経験が豊富な刀で固めてあるのだろう。決して無茶な出陣を強いられているわけでもなく、他の刀はともかく不動が軽傷でも怪我を負った際には、速やかに帰城するようにと審神者から命令されている。
 その出陣前、不動は困り果てた顔で、薬研の傍に寄った。
 右耳に通信機を嵌めていた彼は、不思議そうに見返す。
「どうした?」
 彼が差し出してきたのは、出陣に際して渡された金色の刀装だ。落とさないように両手で大事そうに包みながら、不動は眉をハの字にしている。
「…これ、重歩兵だろ」
「? ああ、そうだな」
 刀装を一つしか装備することができない短刀には貴重な品である。兵力は十二と刀装の中でもなかなかの高さを誇るし、盾兵や大太刀なんかが装備できる刀装に比べればまだまだだが守備力の向上には申し分ない。
「…薬研は?」
「俺? 俺のはこれだが」
 つけていた刀装を見せれば、それは銃兵だ。守備力は今一つだが、その分遠戦の力はかなりの破壊力を持つもので、先手必勝の戦場では重宝されるものである。
 ただし、薬研が持っていたのは金ではなく、銀のもの。つまり、二番目に稀少とされるものだ。
「……交換しろ」
「何で。つーかだめだろ、大将がこれはお前にって渡したもんなんだから」
「だって……」
「……お前にそれを渡したってことは、そんだけ大将がお前を大事に思ってるってことだ。折れてほしくないんだよ、行光には」
「………大事に思われたって、俺は…」
「その分の愛は返せない、か?」
 先読みして、言葉を返されて、不動は不快そうに眉根を寄せた。
 未だに差し出されている金の刀装を、薬研は押し返す。
「行光。お前はダメ刀なんかじゃない」
「だから! 俺がダメ刀だってのはお前が―――」
 そこで、ぎくりと不動が表情を強張らせ、唇を噛んで黙り込んだ。自分に渡された刀装を見下ろし、何かに耐えるように顔を顰める。眉間に力が入っているのが分かった。観念して、彼は刀装をつけ直す。
 薬研は満足げに頷くが、心中で首を傾げた。
「じゅんびはできましたか? そろそろしゅつじんしますよー!」
 間もなく、隊長である今剣の声が響いたので、薬研は疑問を口にしたりはしなかった。不動にしてみても、先ほどとは表情が若干異なる。気持ちは切り替えたようだ。
 今剣を隊長に、副隊長が加州清光、そして、鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎、不動行光、薬研藤四郎という編成だ。このうち、脇差の二人と、本丸の初期刀である加州が練度は頭打ち、今剣は頭打ちではないにしても間もなく最高練度、薬研は上位練度でありながら頭打ちにはまだ遠く、そして不動は特がついたばかりと言った状態である。
 全員がお守りと刀装を所持しているか、通信機の準備も完了しているか確認を済ませてから、電子音が響く。そして彼らは指定された戦場へと繋がったゲートをくぐった。
 夜の京都市中へと出た彼らは、着実に敵を斃しながら奥へと進み、じきに敵の本陣だという辺りで足を止めた。はっきりと敵の気配を肌に感じながら物陰に身を潜める。
「あれ、何か多い?」
 小声ながらもあまり緊張感の無い声で言う鯰尾に、骨喰は無言で首肯した。
「でもまぁ多いって言っても、せいぜい数口程度じゃない。十も多かったりしないよ」
 物陰から様子を伺いながら、加州が答える。それにも骨喰はまた首肯した。
「でもゆだんはきんもつですね。では……ふどう」
「うぇ、俺!?」
 突然名指しされた不動はぎょっとして隊長を見る。暗がりの中、気配を殺していながらもはっきりと動揺が伝わってきて、今剣は苦笑した。
「ていさつ、おねがいしてもいいですか?」
「何で……こんなダメ刀に頼んでも、上手くいかねえかもしれねえぞ」
 よりにもよって敵の本陣という大事な局面である。
「なにごともけいけんです。だいじょうぶ、まんいちうまくいかなくても、やせんなんですから、ぼくたちがゆうりなことにかわりはありませんよ!」
 ぐっと拳を握って見せる小天狗は頼もしい限りだが、敵方にも夜戦を得意とする短刀がいるのを忘れてはいないだろうか。恐らく忘れていないのだろう。今剣もかなりの古参で、無邪気な性格に騙されそうになるが、かなり頭も回る切れ者なのである。
「……本当に失敗する可能性高いからな」
「どんとこいです!」
「ダメ刀なんだからな、俺は」
「ふどうがだめでもそうでなくても、うまくいくときはうまくいくし、うまくいかないときはいきませんよ!」
「……拒否権は」
「ない! です!」
 何を言っても無駄そうだと察した不動は、「どうなっても知らないからな」と前置きして一人、部隊から離れた。
 瓦屋根の上に飛び乗り、極力自分と言う存在を消しながら空を駆ける。下で、今剣が白い歯を見せて小さく手を振っているのが見える。他の刀は皆、自身の得物に手を掛けていつでも迎え撃てるように構えていた。
(平安生まれの大先輩ねぇ)
 ここまで、隊長らしく今剣は指揮をとっている。到底真似はできなさそうだ。立派な刀なことだ、自分と違って。口の中でそんな呟きを転がした。
「お前も立派な刀だけどな」
「っ!?」
 まさか返事があるとは露ほども思っておらず、不動は跳ね上がらんばかりに驚いた。危うく足を滑らしそうになり体が傾いだが、すかさず後ろから伸びて来た手が彼の腕を捕まえてくれる。それはそれでまた驚いてしまい、思わず叫びそうになった。しかし、どこぞの白い太刀よろしく驚きを提供した張本人の薬研が、唇の前に人差し指を立てるものだから、何とか叫びは腹の中に落とし込んで堪えた。
 薬研は顎で前をしゃくり走り出したので、慌てて不動も追走する。スピードを上げて並んでから、必死に声量を抑えながら言った。
「脅かすなよっ」
「すまん。一応何かあったときのために、フォローでな?」
「どうせ俺なんかに偵察は上手くいかねえと思ったんだろ」
「経験が浅いのは確かだし、そう言うなって」
 敵の気配が強くなり、二人は軽口を叩くのをやめて足音を忍ばせた。そうっと様子を伺ってみて、不動と薬研は揃って眉を顰めた。先ほど、鯰尾や加州が言っていた通り、数が多い。同時に二部隊が挙っているのはなかなか珍しいが、戦場ならば何が起きてもおかしくない。冷静に、敵の編成や陣形を把握する。
 不動が通信機が作動しているのを確認し、小声で告げた。
「不動だ。短刀、四。打刀、一。太刀、三。大太刀、一。薙刀、一。槍、二。陣形は逆行陣」
『多いな』
 端的に返って来た声は通信機からで、恐らく骨喰の声だ。
『予想の範囲内だし大丈夫だって』
『俺達なら楽勝。で、不動、薬研、こっち戻って来れそう?』
 鯰尾が相変わらず楽観的な物言いをして、続けて加州が尋ねて来る。通信機をつけている全員がこの会話を共有しているわけで、自然に不動は傍にいる薬研と目を合わせた。どうする、と目で訴えれば、薬研も数の多さに少し考え込む仕草をして見せた。
 そのとき、二人の全身が、粟立つ。
「あー、すまん、加州の旦那」
 言いながら薬研が立ち上がり、収めていた得物を抜いた。振り向きざまに剥いた刃は、夜空に金属音を響かせて跳ね返される。屋根の上に跳び上がって来たのは敵の短刀だ。
「戻れそうにねえから合流してくれっと助かる」
『りょうかい!』
 薬研の目は、既に戦場のそれになっている。
 刀が交わる音も通信機で聞こえたのだろう。今剣が素早く答え、それきり何も言わなくなった。恐らく全速力で此方に向かい始めてくれている。
「だからダメ刀に偵察なんて任せるなっつったんだ!」
 ヤケクソ気味に叫びながら、続けて跳び上がって来た大太刀を睨みつける。緩慢な動きで見当違いな場所に刃を振り下ろすのを難なく躱し、この程度ならばと懐に飛び込んだ。ダメ刀であることに違いはない。けれど、だからと言って敵に舐められる筋合いはないのである。手始めに敵の腹を抉り、蹲ったところで急所を突く。
 だが数が多いので、大太刀が消えていくのを見送る余裕もなく、次に飛びかかって来た打刀に応戦した。
「お前じゃなくても今回は気づかれた! 気にすんな!」
「いちいち返事しなくていいっての!」
 怒鳴り返して振り向き、短刀をのした薬研の背後に目が行く。
「薬研後ろ!!」
「なっ、!」
 構えた薬研の脇腹を、穂先が通り抜ける。不動の声で横に跳ねた結果、掠った程度で済んだが、背後にいつの間にか武器を構えていたのは槍だった。審神者の間では、短刀の機動をもってしても追いつけない素早さから通称「高速槍」と呼ばれる、厄介な敵だ。
 舌打ちをしながらも果敢に槍へと向けて刀を振るい、しかし一撃で倒すことはできない。先ほどのように再び攻撃を受けるのも得策ではないと踏んで、ひとまず後ろへと跳ねて距離を取った。自然に、不動と背中合わせの形となる。
「大丈夫か、行光」
「お前こそどうなんだよ。食らったろ、さっきの」
「何、怪我するのも仕事の内さ」
「そういう無駄に前向きなところ相変わらずで腹立つ」
「褒めてんのか?」
「そうだよ馬鹿」
「おぉ、ありがと、なっ!」
 二人が同時に駆け出し、屋根から下へと飛び降りる。
 薬研は襲いかかって来た高速槍の二撃目を間一髪のところで躱して、首の後ろ目がけて刃を突き立てる。それでも絶命しないのを見ると苛立ちを露わにしながら乱暴に短刀を引き抜き、敵の首元に手を這わして一回転すると、横転させた。その無防備な腹に、刃先を向けたまま全体重をかけてのしかかる。
「柄まで通ったぞ」
 厳かに告げて最後、高速槍は動かなくなる。
 不動は打刀に向かって刀を振るい、しかし横合いから入り込んできた刃から、咄嗟に頭を下げて逃げた。意思のようなものを感じる、明滅する赤い光。短刀に真っ向で立ち向かう打刀の手助けのつもりだろうか。だが、手助けが太刀では、少々力不足だ。二口の刃が豪快に振るわれてくる。どちらの攻撃も不動は隙を見つけかい潜り、臆することなく間合いを詰める。
「ダメ刀だからってなめんな」
 二体の急所を流れる様な動きで斬り、痛みに身体を反らせたところにすかさず止めの一撃をそれぞれに与えた。
 首を回して、薬研と不動がお互いの無事を確認する。そこに、彼らの上を三体の敵の短刀が躍った。夜戦において凶暴なのはこの敵短刀であることは重々承知だが、機動の高い三体が同時となると、どうしたって一体は打ち損じる。降って来る攻撃のいずれかを受けるしかないかと歯噛みしながら二人が刀を構えたが、その敵短刀のさらに上に、新たな影が舞う。
「あっは、うえですよ!」
 敵短刀が薬研に猛威を振るうより早く、降って来た小天狗が舞いさながらの動きで屠った。着地と同時に、一本歯の下駄が、カランと音を立てる。
 呆けている余裕もなく、二体になった敵短刀を薬研と不動が仕留めた。
「おまたせしました、やげん、ふどう!」
「今剣、すまん、助かった」
「いえいえ! おれいはあとでいいですよぅ!」
 赤い瞳が、剣呑に帯びる。向けられるのは、まだ牽制したまま動いていない残っている敵の刀。
「さあ、おそうじのじかんですね」
「おっかねえ……」
 まだ頭打ちではないとは言え、古参の今剣から感じる殺気に、不動は身震いする。味方で良かった、と呟いたのが聞こえたのか、一瞬振り向いた天狗はにこりと微笑むだけだ。その笑顔すら怖いと言ったら流石に怒られるだろうか。
 そんな彼らの脇を素早く走り抜けていく影がある。
「オラオラオラァ!!」
 普段の言動からは想像できない、荒っぽい叫びを上げて刀を振るう加州は、先ほどのものとは違って、幸い機動があまりない槍に向かう。
「戦闘、始めます」
「出る!」
 にやりと口の端を歪めた鯰尾が、わざとらしいほど静かに言い、その横を滑空するように骨喰が並んで走る。向かうのは、敵の太刀。相手は二人だが此方も二人、しかも夜戦を得意とする脇差だ。
 勢いづいて戦う彼らを眺め、一気に薙ぎ払ってしまおうと思ったのだろう。敵の薙刀が動き出す。だが、敵が持つ薙刀が、ぐんと突然重くなった。驚いた様子で目を向ければ、不敵な笑みを浮かべた小天狗があろうことか刃の上に降り立っている。
「むりですよ。ここでそれをふるうのは」
 障害物が多すぎる。薙刀を一気に振るったら、この辺にある建物は壊れてしまうであろうし威力も半減どころでは済まないかもしれない。それでも、元々歴史を修正するべく動いている彼らには、家屋を破壊しようがどうしようが大した問題ではないのだろう。だから、躊躇いなく薙刀を振りかぶれるのだ。
 勿論、やらせはしない。
「岩融くらいつよくなってから、でなおしてください」
 スパン、と至近距離の正面から喉元を短刀で裂いた。抵抗する間もなく、薙刀はそこに崩れ落ちる。他のところからも、ずしゃりと敵が倒れる音が響いたので、難なく勝利をおさめたらしい。
 後から合流した彼らに全て持っていかれた偵察役の二人は、戦いの一部始終を眺めて、笑ったり身震いしたりと各々別の反応を見せていた。
「兄弟も刀種が違うと言えど、すげぇもんだ。俺も流石にあそこまではやれん」
 練度の差を見せつけられた気分なのだろう。何処となく興奮気味に言う薬研は、やはり戦場育ちの刀である。
「こっわ……」
 一方、不動は身内の強さに恐れに似たものを感じていた。
 何が怖いかと言えば、敵の倒し方がである。夜戦が得意な短刀である自分も、確かに敵は倒しているが、正直比較対象にはならない。あそこまで無抵抗にやられていく敵はいっそ可哀想にさえ思えた。先ほどまでは、偵察したものの失敗に終わった自分にもやもやとした気持ちを抱いていたのだが、ここまで快勝になってしまうと偵察自体必要だったのかと疑問の方が大きくなる。
「っ……つつ…」
「…! お、おい」
 脇腹を抑えて微かに声を漏らし身体をくの字にした薬研に気付き、慌てて不動はしゃがんで覗き込んだ。
「ああ、大丈夫大丈夫。かすり傷だ」
「……悪い。俺が偵察失敗したから…」
「敵の陣形は分かったんだから失敗したわけじゃねえだろ。気付かれちまっただけで」
「いや、でも」
「それに俺も一緒だったんだし、もしあれを失敗だって言うならその原因は俺にもある。そうだろ?」
「………」
 薬研も一緒に悪いような言い方をされてしまうと、返事に困る。彼の性格を知っている上でわざわざそんな切り返しをしたのだろう。
「それに、想像だけだとよく分からなかったが、行光と共闘ってのは実際やるとなかなかいいもんだな」
「…想像だけって」
「忘れたか? お前、昔俺に言ったことがあっただろ。一緒に戦うようなときには、薬研のことは俺が護ってやる=c…だったか? 安土城に移って間もない頃に」
 安土城に信長が居城を移した頃。確かに、一際大きな城を建てたことに不動は当時興奮していたし、刀としての本能も叫んでか、薬研と戦の話をすることは多かった。そのときに、確かに自分は豪語している。にこやかに話を聞いてくれていた薬研を守って見せると。それから数年の後、本能寺で起きる出来事で、記憶の底に埋没してしまっていたが。
「……あ……」
「後ろに槍がいたの、俺は気づかなかったからな。行光のおかげでこの程度の怪我で済んだ。約束通り護ってくれたってわけだ」
 不動の頭の上に、半透明の桜の花弁がちらついた。逸早く本人がそれに気づいて、慌てて手でそれらをひっつかみ、無理矢理もみ消す。
「べ、別に! たまたまだ、たまたま!」
 顔を背けて叫ぶ様子に、照れてんのか、と笑いを噛み殺しながら尋ねられたので、また、照れてない! と返した。傍目では照れているのも、薬研に感謝されたことを嬉しく思っているのも丸分かりなのだが、不動自身は全力で隠しているつもりになっているので滑稽である。
「なーにイチャついてんの」
「だからイチャついてねえって!」
 刀を鞘に収め歩み寄って来る加州に、不動が恥ずかしさで半泣きになりながら答える。その後ろを鯰尾と骨喰がついてきて、今剣も軽やかな動きで戻って来た。骨喰が薬研の傍らに膝をつく。
「薬研、おぶろう」
「いいって。大した怪我じゃない。気にすんな」
「そー言って、悪化させて散々叱られたのも薬研だよねぇ」
 鯰尾に半眼を向けられて、薬研がうっと詰まる。男前なのは良いことだが、この短刀は医療に精通していながらも自分自身のこととなると無頓着なのだ。
「いや、でも本当に大した怪我じゃ…」
「こいつさっき痛いっつってた」
「あ、こら行光!」
「はい、証言を得ましたー。黙って骨喰におんぶされてなよ」
 骨喰が無言の圧力をかけながら薬研に背中を向けて見せる。それでも尚、悪あがきとでも言うのかオロオロと視線を彷徨わせながらも兄弟の背中に乗ろうとしない。結局、痺れを切らした加州が後ろから持ち上げて、無理矢理乗せてしまうことでこの場は落ち着いた(薬研は落ち着いた気配はなかったが、あれこれ騒がれても周りは全員無視をした)。
「よし、ともあれ、これでにんむかんりょうですね! さあ、きじょうしましょう!」
 無邪気に笑い、隊長である今剣は通信機で審神者と連絡を取った。

 それからと言うもの。
 夜戦で、特がついて間もないながらも薬研と共闘し、好成績を修めたことが良かったのか、二人は同じ部隊に組まれて出陣することが増えた。しかも相部屋なので、自然と一緒にいるようになるのも当然と言える。
 自分を「ダメ刀」と称し、愛を注がれることにも「返せない」ことに恐怖を覚えてしまっている不動は、どうしても周りと距離を取りがちであったが、そこを何とかするのは周りに頼られる薬研だ。実に自然な流れで、粟田口の兄弟が会話しているところに自称ダメ刀の彼を引き込んだり、他の刀とコミュニケーションを取らざるを得ないような頼み事をすることで、不動をだんだんと本丸の皆の中に馴染ませていった。相変わらずつれない部分は多いが、何だかんだ他の短刀とも遊ぶようになったし、自分なんかダメだとやさぐれることは減った。本能寺のことでだいぶ屈折しているが、あれで不動行光という刀は他人と関わること自体は嫌いではないのだ。
 元々織田で縁があった薬研との間に不動が築いている壁は、他の刀ほど高くはなかった。だから、彼の前でだけ見せる表情や仕草もあったし、態度もあった。薬研はそんな彼のことを好ましいと思っていたし、甘やかすことが好きだったので進んで自分の傍にくる不動を邪見に思うことは無かった。
 そんな二人。
 薬研と不動の仲が、進展していくのは早かった。本来ならば、女と男の間で契りを交わす恋仲という縁が、この二人の間には結ばれた。同性だからおかしい、等と言い出す者はいなかった。昔から同性愛は普通にあるものだったし、所謂人間でいうところ「常識」は、人間より長く世の中を見ている彼らにとって範囲が狭すぎるものだ。よって、本丸全体で彼らは公認の恋仲となった。

 そして―――




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