■ 花文―ハナフミ―

 花を持ってこなくなっただけではない。食事の時に隣に陣取ることもなくなり、湯浴みの時間も被らなくなった。部屋でだらだらと過ごしていても訪問してくることもない。部隊から外れて一人で遅れて帰ってくることもない。
 薬研の求愛行動は驚くほどあっけなく、止まった。
(そんなに簡単にやめられんならもっと早くやめろよ)
 開封したばかりの甘酒を一気に呷る。瓶から口を話すと、ごろりと縁側で寝そべった。寒くはない。今、本丸の季節は春だ。審神者が春の庭の景趣を気に入ったようで、暫くはこのままだろうと言われている。時折気まぐれで突然冬になったりするのだから、良く言えば退屈しないものの、隊長管理に関しては勘弁してくれと言いたくなる。
「何だ、不動。居眠りか?」
 上から声が降ってきて、瞼を持ち上げる。あおむけに寝そべる彼を、真上から覗くのは他でもない薬研だ。白衣を着た内番服に身を包んでいるが、いつもと違って眼鏡は外しており、首からはタオルを引っかけていた。前髪は濡れている。
「……あー、そっか。お前、今日、馬当番かぁ」
「まあな。あいつら舐めるからなぁ……」
 鬱陶しそうに顔をしかめ、前髪を掻き上げた。馬に舐められるというのは、懐かれているからこそのはずだが、薬研には歓迎できるものではないらしい。顔を洗ってきた後なのだろう。
 あいつらはかなわん、と首にかけたタオルでまた顔を拭っている彼に、くつりと笑いながら不動は起きあがる。
「で? ダメ刀になんか用ですか〜? ひっく」
「まーた飲んでたのか…飲み過ぎは体に毒だぞ」
「んだよ、説教垂れに来たのかよ……」
「違う。厨の方でおやつができたらしくてな。今本丸にいる短刀はみんな来いだとさ」
「はー? いいよ、別に。甘酒あるしぃ」
「そう言わず行って来いよ。お前、何だかんだ燭台切の旦那が作る菓子、嫌いじゃねえだろ」
 不動はうっと言葉を詰まらせた。確かに、燭台切光忠が作るお菓子はどれも美味しく、短刀から人気なわけで、不動も例に漏れない。夕食のデザートに彼の作ったお菓子が添えられたときなどは、最後に食べるのを楽しみにしながら食事を進める。
「……分かったよ。行く行く、行きますよぉ〜……」
「おう。あと、俺のは不動が食って良いぜ」
「は?」
 立ち上がった不動が薬研を見る。薬研はきょとんとした顔で首を傾げて見せた。
「ん? どうした」
「……お前、今、一緒に行くつもりで言ったんじゃねえの?」
「? ああ。俺はやることがあるからな。じゃあ、そういうことだから」
 お疲れ、とひらりと手を振って、薬研は不動に背を向けて去っていった。その背中を見送りながら、不動は言いようのない不快な感覚に襲われる。
 別に避けられているわけではない。今だってこうして、縁側にいた彼に声をかけてくれた。おやつを譲ってくれたのだから相変わらず甘いのかもしれない。……だが、あれから、目に見えて距離を置くようになったのは、気のせいではない。
(……いや、当たり前だよな。フるって、そういうことだろ)
 誰があいつの告白を断ったんだ。自分じゃないか。
 何か、苛々としたものが腹の底に溜まる。手に持っていた瓶を、一気に傾けた。残っていた甘酒が口の中に流し込まれる。しかしいつものように酔えず、口の中に甘ったるさだけが残った。
 いつも愛飲している甘酒がこのとき、異常に不味く感じたのは、なぜだろう。

 部屋に置いてある花を眺めて、不動は困ったように眉を下げた。水は替えているし、一足先に枯れ始めている葉や花は切り落としている。しかし、花は着実に枯れていっていた。
 季節もばらばらの花がここに揃っていて、しかも本丸の季節は春。曲がりなりにも神の部類に入る不動は、自分の神気を注いで少しだけ花を長持ちさせようとしていたが、もう限界だ。最初に持ってきてくれた花なんかはもうほとんど枯れたも同然な姿をしている。でも、どうしても捨てる気にならなくて、未だに花瓶に生けてある。
「……でも無理だよな、もう……」
 花弁をそっと指で撫でる。無惨な姿を晒すのは、花とて本意ではないかもしれない。捨てられないことを胸の中で謝りながら、部屋を出ようとして、
「うわっ!?」
 自分が障子を開くと同時に目の前に現れた相手に、思わず声を上げてしまった。相手も驚いたようで目を丸くしている。
「す、すまない。大丈夫かい?」
 そこに立っていたのは、歌仙兼定だった。
「……か、歌仙、か。……吃驚した。悪りぃ」
「気にしないで。僕の方は大丈夫さ」
「……何か用かぁ?」
 書類を抱えて不動の部屋の前にいる歌仙、というのはなかなか珍しい絵面だった。そういえば今、審神者の近侍をしているのは歌仙であっただろうか。
「ああ、少し。……でも急ぎの用が君にあるなら、出直すよ」
「いや……適当に、ぶらぶらっとしようと思っただけだから。…で、何だよ」
「主から指示が出ててね。君を部隊長にしたいって」
「……いいのかぁ? ダメ刀を隊長にしてさぁ」
「それは主が決めることだからね」
「ふーん……で、何でそんな話、にっ!?」
「おっと!」
 苦笑して見せる歌仙に、話を続けようとしたところで、強い風が吹いた。桜の花びらが舞い、太陽の光を反射してきらきらと光る様子はなかなか美しかったが、風は花びらだけではなく歌仙の持つ書類もさらおうとする。ぎりぎりのところで捕まえ、書類をぶちまけることは免れたが、次はそうはいかないかもしれない。
 ちらりと部屋の中を見やり、不動は首を振った。
「……中、入るか」
「え、いいのかい?」
「また強いの吹くかもしれねえし。散らかってっけど」
 厳密には、散らかっているというよりも花が大量にあるだけである。
「……そうだね。じゃあ、入れてもらおうかな。すまないね」
「別に」
 障子を開けて歌仙を迎え入れると、歌仙は途端に歓声を上げた。それはそうだろう、元々こうした花は好きな刀のはずだ。不動が、風流とか雅とか、そういうものに関してあまり理解をしていないあたり、きっと望ましい花の管理ができていないであろうことが悔やまれるが。
「これは素晴らしいね。ハナミズキ、菊、桔梗、向日葵……ヒヤシンス、…あれはカーネーションだね、それに薔薇、アネモネ……あとこれは…ああ、凄い量だ」
「ぱっと見ただけでよく分かるなぁ。向日葵なんて枯れかけてるのに」
「季節は確かに混ざっているけれど、こうしてみるとなかなか美しいと思って。色も…おや、この言葉選びもなかなかじゃないか」
 良い詩が詠めそうだ、としみじみ語る歌仙の横顔を見上げながら、不動は二度ほど瞬きをした。
「言葉?」
「おや、知らないかい? 花には言葉があるんだよ。知っていて集めたものとばかり思っていたんだけど、違うのかい?」
「……いや、集めたっつうか…これ、全部、薬研が……」
「薬研?」
 歌仙は書類を抱えたまま、指を顎に当てて考え込んだ。花を順繰りに眺め、一人頷く。妙に納得した顔だった。
「不動、あとで僕と一緒に書庫においで。良いものを見せてあげるよ」
「良いものぉ?」
「それより、まずは先に主の指示が先だったね。えーと……」
 間髪を容れず、さっさと本来の内容へと舞い戻った歌仙は真面目である。不動はずっと、先ほど、歌仙が考えている仕草をしてからの納得した顔が頭にちらついてしまっていた。結局、ほとんど話は聞かないまま進み、あれよあれよと言う間に明日の出陣部隊の隊長に任命されたのであった。


 書庫は溢れんばかりの本でいっぱいだ。普段、読書の習慣もない不動は滅多に足を踏み入れる場ではない。恐らく、顕現してすぐ、本丸の中を案内してくれた薬研が連れて来てくれたとき以来だ。
 棚から一冊の分厚い本を抜き出し、はい、と歌仙が差し出してきた。表紙には、簡潔に「花言葉図鑑」と書いてある。頁を繰ってみると、花の絵が沢山描いてあり、横には開花時期や世話の方法、それに一輪一輪が持つ花言葉など、解説の文字が並んでいた。
「これが花言葉だよ。例えば、これ。金木犀と言う花なんだけれど、知っているかい?」
 横から覗き込んできた歌仙が、オレンジ色の、小さな可愛らしい花の絵を指さしながら尋ねた。
 不動は記憶を辿り、曖昧に頷く。
「……どっかの戦場行ったときに、嗅いだこと、ある気がする…すげー臭いが強いやつだろ」
「その言い方だとなんだか臭いみたいだけれど、良い香りだと思うよ。好みはあるだろうから、不動がどう感じたかにもよるけど。それで、この金木犀にも花言葉があってね。読んでごらん」
 指で示された文字を追いかけ、たどたどしく読み上げる。
「……けんそん=c」
「そう。あの花は、謙遜≠チて言葉を持ってるんだよ。香りは強いのに、花自体は指の先ほどにもならなくて、小さくて可憐で、目に見える形では自己を主張しない。そんなところが、由来になっているらしいよ」
「……へえ」
「面白いだろう?」
「……まあ」
 曖昧な返事を返しつつも、不動は一心にその頁を眺めていた。花が言葉を持っているなんて、知らなかった。金木犀も名前自体聞いたことがある程度だったし、臭いが強いくせに小さな花で、変な花だと思ったことすらある。だが、謙遜≠ニいう言葉を背負っただけで、また違う印象を抱く。
「その本、部屋に持って行っていいよ」
「え、でも」
「気にならないかい。部屋にある花の言葉も」
 不動の心を見透かしたような、確信めいた物言いに、彼は思わず表情をひきつらせた。
 思っていたのだ。もしかしたら、薬研が届けてくれた花の全てに、何か意味があるのではと。これだけ分厚いなら、全て載っているのではないかと。
 歌仙は微笑んで、頷いている。不動は、本をぎゅっと抱きしめて、俯いた。借りていく、と出した声が、声になっているのか、自分ではよく分からなかった。

 部屋に戻った不動は、早速本を開いて、片っ端から花言葉を調べていった。が、途中まで調べたところで、茹で蛸になりそうな己の顔を覆い、暫しの休息をとる。薬研の口説き文句には恥じ入ることはなくなったが、こうした形で言葉が並ぶとなかなかどうして恥ずかしかった。
 どれからやれば分かりやすいかと思い、適当に、まずは赤色の花から片づけようと思ったところ。赤い薔薇は、「愛情」。赤い菊は、「あなたを愛しています」。赤いアネモネは、「君を愛す」。ベチュニアは「あなたと一緒なら心が和らぐ」。
 ……なんというか。砂糖に砂糖を足しても足りない勢いの、甘々とでも言うのか。
(……愛する愛するって言い過ぎだろ……)
 織田にいた頃も、蘭丸や信長に愛を注いでもらったことは確かだが、ここまでではない。最後に調べたベチュニアだけは、愛という言葉が使われていなかったものの、やはり内容はかなり甘い。
(……なんかもっと甘いの来る気しかしねぇんだけど……)
 とりあえず調べ終えた花を端に寄せて、火照った頬を擦りながら気を持ち直す。次は青や紫のものから調べようと気合いを入れ直した。
 まず、桔梗。頁を捲り、見つけた花言葉は、「永遠の愛」だった。
(…ですよねー……)
 そろそろ「愛」という言葉でゲシュタルト崩壊でも起こしそうである。愛って何だっけ。
 頭を強く振り、もう「愛」という言葉が来ても驚かないと思いながら、次の花へと切り替える。そして、青のヒヤシンスを調べ。
「……変わらぬ愛、ね…よくこんなにもまぁ……」
 結っている髪紐を抜いて、頭を掻いた。ここまで愛を囁く言葉が揃うと強烈だ。
(……変わらぬって。まるで前から俺を好いてるみたいな……)
 いや、考え過ぎか。
 次は、紫のチューリップ。花言葉は、「不滅の愛」。分かった分かった、と思いながら次に行った。もう慣れようと思った。下手したら残っている花全てに「愛」という言葉が使われているかもしれない。
(ええと、次は……アネモネ…さっきの赤いのは、君を愛す≠セったよなぁ…大差ねえだろ多分……)
 ぱらりと頁を捲った。色ごとに頁が分かれているのもまた、言葉が違うからなのだろうと思っていたが、どうせ同じ花だ。そう思いながら、愛を注がれる覚悟をしながら文字に目を走らせる。……愛って、注がれる覚悟をするものだったろうか。このあたりから既におかしい。
 そして、紫のアネモネの欄を見て、手が止まった。
「……あなたを信じて待つ≠チて……んなこと言われても…」
 アネモネを持ってきたのはどれくらい前か。少なくともそこに至るまでに何度も、自分は断っているはずだ。それでも尚、信じて待たれても困るところである。
(……俺なんかが傍にいてもつまらねえだろ。俺は何もできず……お前も死んで)
 小さな拳をきゅっと握りしめる。
(…それに言っただろ。お前に俺が抱いているのは、後悔で…恋愛感情なのかは、わかんねえんだって)
 次の花に目を移した。杜若の頁を捲る。……
「……幸せは必ず来る=c…」
 愛を注ぐばかりだった言葉は、突然、不動の幸せを願うものになっている。馬鹿じゃないのか、と呟いた。何故か声が震えた。
 青や紫の花を調べ終わり、また、端に寄せる。残ったのは、黄色と白の花だ。どちらから調べようか迷って、白の花に分類されるカーネーションは、薬研が最後に渡してきた花だったなと思い、何となく、この花は大切にしたいと思って、先に調べるのはもったいない気がして、後回しにした。
 もう枯れかけている向日葵を調べると、「私はあなただけを見つめる」と花言葉が出てきた。熱烈なものに戻って、ほっと息を吐く。自分を気遣うような言葉は、なんだか苦手だったから、薬研の胸中を告げる花言葉の方が幾分安心できた。
 しかし、次に黄色のゼラニウムを調べて……固まってしまう。
「………予期、せぬ……出会い=c…」
 顕現した瞬間のときのことを思い出す。薬研が嬉しそうにしていたあのときのことを。
 予期できるわけがない。薬研はあのとき死んだはずだ。だから、死んだはずの相手に出会えるわけがないと思っていた。たとえ、付喪神として未熟で、まともに顔を合わせていなくても、織田にいたとき傍にいたことははっきりと覚えていて。だから、「初めまして」でありながら、奇跡的な再会だった。
「……っ、次……」
 黄色の花を端に寄せ、残った花を見つめる。カーネーションは後回しと決めていたから、自然にハナミズキを調べる手が進んだ。たしかハナミズキは、カーネーションの前に届けられた花だった。白い花が続いたから、覚えている。
 ハナミズキの頁に書かれていた花言葉は、先ほどまでの熱烈な愛情表現とは違って、一歩下がって、でも切実な言葉だった。
 怖い、と思いながら、最後にカーネーションに目を移し、恐る恐る、頁を捲った。そして、
「………っ!!」
 じわりと、視界が歪む。
 不動の記憶が正しければ、カーネーションを渡してきた日なんか、薬研に直接言った。「お前は死んでいる」と。……これは、果たして偶然か。もしそうなら、全知全能の神がこんな悪戯をしたというなら、あまりに度が過ぎていると思った。
 ハナミズキと、カーネーションの花言葉。これを続けて持ってきた薬研の、心の内を思うと。そして自分の言葉の、痛さを思うと。必死に堪えても、たった一粒の涙を堪えることなんてできなかった。
 息を詰まらせ、深く俯く。解いた長い髪が、ぱらぱらと落ちて来て、視界が狭くなる。そして涙が出てきて、やっと、思い知る。逃げていたのは自分だったと。花を捨てることができなかったのも、ぱったりと自分に対しての接触がなくなった薬研にいらついていたのも、本当は薬研に向けていた自分の感情が、「それ」だったからと。
 彼を見ていると、後悔してしまうから、遠ざけたくて、でもそれ以上に、薬研藤四郎のことを―――


私の想いを受けてください

私の愛は、「生きて」います





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