■ 花文―ハナフミ―

   ***

「なっはっはっは! いやぁ、快勝、快勝! この能なら、そろそろ夜戦の方に駆り出されても、なんちゃあじゃ起こらんろう!」
「陸奥守さんが所々で助けてくれたこともあると思うよ!」
「そうそう。やーっと厚とか乱達と同じ土俵に立てそうだなー、わくわくするぜ! なっ、隊長殿!」
「あーでも疲れたぁ。早く帰ってお菓子食べようよー、お菓子」
「その前に、主に戦果の報告が先だぞ」
 不動が隊長を務めた部隊は、比較的新参者である刀による編成だ。最近大阪城で加わった信濃藤四郎、後藤藤四郎、包丁藤四郎と、最古参―――すなわち、本丸の初期刀である陸奥守吉行と、比較的古参であるへし切長谷部がフォローの役回りで組まれていた。
 それほど敵は強くないにしても、短刀だけでどこまで動き回れるか。打刀の二人は、彼らが困った瞬間のみ助太刀に入る。そんな命令をもって出陣したが、結果として長谷部と陸奥守の出番はほとんどなかった。道中拾った資材を大切そうに抱え、彼らは帰路につこうとしていたが……
「……悪い」
 出し抜けに、不動が声を出した。
 前を歩いていた彼らが一様に振り向く。
「俺、この辺で抜ける」
「おん?」
「え、何何、どうしたの?」
「何でだよ、せっかく良い戦果報告できるんだから一緒に帰ろうぜ?」
「そうだよ。不動が隊長なんだしさー」
「貴様、怠慢は許さんぞ。隊長なのだから任務は最後まで果たせ」
「ごめん」
 口々に引き留められたが、不動は頭を下げた。ぶつくさ文句を言うことが多い彼が、ここまで素直に頭を下げる姿はなかなか見られないので、皆驚いているようだった。
「……行きたいとこがあるんだ。だから、行かせてくれ」
「お前なっ……」
 長谷部が顔をしかめて、歩み寄ろうとした。だが、それを陸奥守が手で制した。抗議するように睨まれたが、彼は白い歯を見せて笑い、長谷部の肩を叩いてから不動に近寄る。目の高さを合わせるように膝をついた。
「行かんと後悔やるが?」
 声は、とてもいつも通りだ。だが不動と同様に、陸奥守の瞳も真剣みに帯びていた。
 後悔。そう。もう、後悔はしたくないのだ。今は、自分の意思で動かせる手と足がある。…そして、薬研は、本丸にいる。カーネーションの花言葉が、頭を過ぎる。
 不動は、深く頷いた。すると、にかりと音が聞こえるほどの大きな笑みを、陸奥守は浮かべて見せた。
「そーぞにゃあ」
 ぐしゃりと雑に髪を撫でられる。いつもなら、子供扱いするなと払い除けたくなるところだが、今は陸奥守の手のひらの大きさが、心地よかった。
 ひとしきり撫でると、立ち上がった陸奥守は長谷部達を振り向き、
「ちゅうわけで、儂らは一足先に帰るきね!」
「待て、何が起きたのかさっぱり分からん!」
「気にせんでえいがやき。しゃんしゃん行くぜよ!」
 豪快に笑って納得のいっていない様子の長谷部の腕を捕まえ、他の短刀を促しながら、彼らは前を歩いていく。「不動、じゃあ先に帰るけど、おやつは待ってるからね!」「早く帰ってきてよ!」「大将には俺たちから報告しとくからさー!」手を振りながら離れていく背中を見て、良い仲間に恵まれたことを実感する。
 じんわりと、心が暖かくなるのを感じる。
幸せは必ず来る
 杜若の花言葉だ。もう、今こうしているだけで、十分幸せなのかもしれない。……だが、まだだ。
 ダメ刀が、こんなにも幸せを欲するのは、罰当たりだろうか。あの日、何もできなかったのに、生き延びて、良い仲間に囲まれて、それでももっと幸せを求めるのは、許されることなのだろうか。
 そう考え始めると、また、足を止めたくなる。
あなたを信じて待つ
 でも、そのときに必ず、花言葉が頭に蘇る。そして、背中を押されるのだ。
 不動は、歩き出した。


 これだからダメ刀は、と自分に毒を吐く。空を仰ぐと、とっぷりと日が暮れて、月と星が仲良く浮かんでいるのが見えた。戦場を離れて、同じ部隊であった陸奥守達から離脱したのが昼頃だ。元々は夕方には本丸に帰っているはずだった。
(……思ったより道わかんなかった)
 情けないの一言に尽きる。目的は果たしたが、それから帰路につくのにどれだけ苦労したか。思わぬところに出たり、うっかり戦場の方に足を向けかかって、やばいこっちは違う、と回れ右をして戻ったり、門をくぐってみたら全く違う本丸にたどり着いたり、万屋にたどり着いたり。半泣きになりながら、色々な刀や人に話を聞き、自力でやっと分かるところまで戻ってこられた。
 一度、ある本丸の審神者には、直接不動のいる本丸に連絡をとってくれようとしていたが、勘弁してくれと頼んだ。隊長でありながら部隊を離れたこともそうだが、その上迷子になって迎えに来てもらうなんて情けなさすぎることに加え、迷惑をかけ過ぎだと思ったからだ。あとは、いくらダメ刀でもプライドがある。
(こんなに時間かかるはずじゃなかったしなぁ……)
 持っているそれに視線を落とし、深く溜息を吐いた。予定は大いに狂った。夜となると、薬研は夜戦に駆り出されているだろうし、今日はもう会うことができないだろう。
 やがて、使い慣れた門が見えた。よかった、あった、と思いながらくぐり抜けると、一瞬の浮遊感に包まれ、しかしすぐに地面が足につく。目を開けると、見慣れた本丸と……
「……薬研?」
 門の前で座り込んでいた小さな彼の名が、思わず口をついて出た。びくりと体が震えると、薬研は急いで立ち上がり、近寄ってきた。強めに肩を掴まれる。
「いっ、」
「何処に行ってた!?」
 至近距離で睨まれた。目ははっきりと怒りの色が滲んでいる。
「……え、と…ちょっと……」
「……待っても待っても帰ってこねえから、何かあったんじゃねえかって…!」
「お前、夜戦は…」
「不動が無事かわかんねえのに行けるわけねえだろうが!」
 怒鳴られて、ひゃっと肩を窄めた。それに気づいた薬研は、慌てて肩から手を離し、おろおろと視線を彷徨わせた後、ごめんと謝る。
「叱りたかったんじゃなくて……すまん、その…兎に角、無事で良かった……ああ、でも、何だ…お前一体、こんな時間まで、本当にどこに……」
 月明かりに照らされた薬研の顔は、余裕がなかった。随分、心配をかけてしまったらしい。軽率な行動をしてしまったのを、不動は感じた。
 だが、薬研の彷徨っていた視線が、何かに向いた瞬間、縫い止められたように止まった。
「……不動、それは……?」
「え。……あ、ええと……買って、来た」
 手に持っていた、二輪の藤の花で作られた、簡素な花束をおもむろに持ち上げる。いつも、薬研が通っていたであろう花屋のものなのだから、隠しても無駄だろう。
「…もしかして、あそこに?」
「……帰り道わかんなくなっちまって……ごめん。ちょっと、しおれたけど……これ。やる」
 こんなに雑な渡し方になるとは思っていなかったが、仕方ない。不動が突き出した花束に目を白黒させた薬研はやっと口を開く。
「……俺に?」
 不動は頷いた。夜だからか、いつもよりも周りが静かな気がして、何だか緊張してしまう。こくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「……お前が、死んでる、なんて言って……悪かったよ」
「……いや、でも、事実だしな……」
 受け取った藤の花をまじまじと見つめていた薬研は、自嘲気味に笑った。でも、その言葉がどれだけ痛かったのか、全て調べてしまった今の不動には分かる。
「……お前は生きてるって、必死に訴えてくれてたのにな」
「…何だ、調べたのか、不動」
「色々あって」
 苦笑して見せる薬研は、花を使って必死に、不動に言葉を届けていた。不動が花のことに詳しくないことも、ましてや、花に言葉があるなんてことも知らないのを、分かっていながらだ。
 あのとき歌仙が不動の部屋を訪れていなかったら、きっと気づくことはできずに、花は先に全て枯れて、最終的には捨てられていただろうと思う。
 藤の花を見つめ続けていた薬研が、口を開く。
「……花」
 夜風が頬を撫でていく。春の景趣でも、夜風は少しばかり冷たかった。
「不動、店の花、ほとんど知ってただろ」
「……ああ」
 店にあった花のほぼ全てを不動は薬研から渡されていた。多少、他にも植物は置いてあったが、花ではない観葉植物や、あまり良いとは言えない花言葉の花であった。
 ただ、一つを除いて。
「……あの花屋で渡したい花を全部渡して…それでだめだったら、諦めようと思ってたんだ」
 だから、いよいよ残りの花が一つになって、焦った。どうしてこんなに何度も告白しても断られ、その割に普段から近くにいても、それ自体は拒絶されないのか分からなかった。花なんて受け取らなければいい。でも、いらないと言いながらきちんと受け取るし、挙げ句の果てに全てとっているときた。所謂、生殺しの状態だった。だから薬研は、問いただしたのだ。何故受け入れてくれないのかと。
「お前の中じゃあ俺は死んでる。…本能寺で焼けて、消えちまったのは確かだ。だから尤もな言い分だとも思った」
「だから引き下がったってか?」
「それもあるが、あとは賭けだな」
「賭け?」
 薬研は首肯し、悪戯小僧のような笑みを浮かべてみせる。
「……俺がお前に構わなくなって、恋愛感情に気づいてくれるか、どうか?」
「……は? ………はぁ!?」
 一瞬呆けてしまったが、薬研が何を言ったのか気づいてしまい、思わず素っ頓狂な声が出た。
 だって、実際そうだ。薬研が求愛行動をやめてから、苛々したり、もやもやとした感情を抱いたりした。部屋に置いている花もいやに目についた。構ってこなくなって、今までよりもずっと、薬研のことを考えた。そしてその果てで、自分の恋愛感情に気づいたのだ。
「おまっ……は!? じゃあ、何、全部お前の計算だったっつうのかよ!?」
「賭けだって言ってるだろ。お前が本当に俺を何とも思ってなかったんならそれきりだ。不動が今まで通りずっと過ごしてりゃ俺もそのまま諦めるつもりだったよ」
 顔を真っ赤にしている不動を見て、薬研は決まりが悪そうに頬を掻く。
「……それに。俺が、そうだったから」
「……お前が?」
 分厚い雲が空を駆ける。ぽっかりと浮かんでいる月を覆い隠してしまい、先ほどまでよりも暗くなる。
 薬研が遠い目をした。彼は、ここにある何かを見てなどいない。その藤色の瞳の奥に、炎がごうごうと音を立てて燃えているのが、不動には分かった。
「……本能寺で、信長の大将と一緒に燃えるとき……何て言うんだろうなぁ。あれこそ、火事場の馬鹿力ってか? ……今まで未熟で、まだ付喪神なんて呼べるかも怪しいような段階で、ろくな力を持ってなかった俺は、急に霧が晴れたみてえになったよ。こんなときに全部はっきりしなくてもって思ったがな」
 本能寺の炎に巻かれながら、織田信長の懐刀・薬研藤四郎は、本当の意味で目を覚ました。自分が薬研藤四郎であるということを、これでもかと理解しながら。完全なる付喪神として、確固たる意思を持って。
 急に鮮明になる意識。記憶。信長様、と叫ぶ声が聞こえた気がする。二人の声だ。一人は信長に従い続けた若い男の声。そしてもう一人は―――。
「……未熟な付喪神とは思えないほど、はっきりと呼んでたよなぁ、お前は。信長さんのことを。……俺のことを」
 あの声は確かに不動行光だった。
「…俺は全部ここで失うんだなぁって思った」
 失って初めて気づく、とはよく言ったものだった。死の間際になって理解した。自分は、不動行光のことを――
「…感情ってのは、未熟な付喪神じゃあ案外、はっきりしてねえもんなんだ。だからずっと気づけなかった。でも多分、お前に会ったときから、俺はお前を好いてたよ」
 消えるとき、信長と共に逝くことができるとは、懐刀冥利に尽きると思った。自分は幸運だと思った。でも同時に……もっと不動と話したかったと思った。
変わらぬ愛
 青のヒヤシンスの花言葉を思い出す。不動の方が付喪神として確固たる自分となるのは遅かった。だから分からなかったが、薬研は最期に完全な付喪神として目覚めていたのだ。そして、消えるときになって、不動への愛を胸に宿した。あれからもう何百年も年月は経っている。でも彼は消えながらにして、ずっとその愛を忘れないでいてくれた。
 とくり、と心臓が鳴る。その音が、喜びを示しているのは、分かった。
 炎を映してた薬研の瞳が戻ってくる。不動を見て、藤の花を見下ろした。二輪のうち、一輪、藤の花を抜き取ると、彼は不動に向けてそれを差し出す。月を覆い隠した雲が動き出す。月光が降り注いだ。時間が経ってしおれていたはずの藤の花は、月明かりを受けて輝いて、生き生きして見えた。
「……不動。お前が買ってきてくれたのは分かってるんだが……元々これは、最後に俺が買ってくるつもりだった花だ」
 だから、受け取ってほしい。
「……俺がこれを選んだのは、」
「うん」
 まだ、手は伸ばさない。
 首と耳が熱いが、必死に言葉を紡ぎ出す。
「……花言葉とか、俺は、そういうの、全然わかんねーから」
 部屋にあった花は全て調べたし、未だに部屋に花言葉図鑑は置いてあるが、今日花を買いに行ったのはほとんど衝動的なものだった。たまたま、昨日の今日で部隊長に任命されて、出陣していたから、帰りに「薬研のように途中で抜けて花を買いに行けるのではないか」と思っただけである。何も知識の用意はなかった。
 不動が自分の気持ちに気付いてからは、近々彼と話をしようとは思っていたものの、手ぶらは嫌だった。それならば、花には花を、と思ったのだ。色々とタイミングが良かっただけの、無計画な行動だった。
「……ただ、これはお前の目の色だったから」
 綺麗で、絶対に薬研に似合うと思ったから、買ってきたものだ。
 そう素直に告げれば、薬研はそれ以上にはないほどに優しい声で、そっか、と頷いた。
「……いいぜ、受け取ってやるよ」
 今度はちゃんと、手を伸ばす。
 薬研の手から、一輪の藤の花を受け取る。
「薬研」
「ん?」
「ちなみに、これの花言葉って、何?」
 藤色の目が細められる。
 そして、教えてくれるのかと思いきや、彼は「さてなぁ」と言った。ここに来て知らばっくれるつもりか、と噛みつく不動に、にぃと口角をつり上げる。
 全てを失い、存在し続けられなかったことを悔やむ短刀が、全てを失い、守れなかったことを悔やむ短刀に、一言、告げた。

「お前と俺の後悔を消す、魔法の言葉だ」










 決して離れない≠ニ、彼は言った。









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