■ 花文―ハナフミ―

 障子の木枠を叩く音がする。溜息を吐いて、今まさに開封しようとしていた甘酒の瓶を文机の上に置き、重い腰を上げた。何気なく壁にかかる小規模の時計を見やって、いつもより早いなと思う。身構えながら、障子を開けた。
 ―――瞬間、目と鼻の先に現れるのは、花。
「不動、俺と付き合ってくれ!」
「帰れ!!」
 ……今日、彼が――薬研藤四郎が持参したのは、三輪ほどを花束風にまとめた、真っ白なカーネーションだった。


 薬研が不動に求愛行動を始めたのはいつからだったか。思い出せないのも無理はなく、顕現した頃からだったであろう。きっかけもくそもないのである。
 審神者の力で、ただの短刀から人の形を作り出し、光と桜の中から現れた不動行光。そのとき、近侍を務めていたのは薬研だった。
『……ひっく。俺は不動行光。織田信長公が最も愛した刀なんだぞぉ! どうだ、参ったかぁ〜!』
 甘酒を持った彼は、口上を述べてから、審神者の傍に立つ薬研に目を止めた。ぱっと見ただけでも嬉しそうに表情を緩めている彼に、不思議そうに首を傾げて、お前は誰だ、と言った。
『俺っちは……薬研藤四郎だ。覚えてないか?』
 暫く思案顔をしていた不動は、あ、と声を出してからしゃっくりをして、肩をすぼめた。
『薬研藤四郎って、あの薬研か……まさか、再会することになるなんてなぁ?』
 本能寺の炎に包まれて消えた、織田信長の懐刀。死んだはずの短刀が目の前にいるなんて、奇妙なことだと思うと同時に、自分のふがいなさで眩暈を起こしそうになった。でも自分のようなダメ刀が、あのとき動けたとして、助けられたかどうかなんて分かりはしないけれど。
 押し寄せてくる後悔の念が、意識もろとも飲み込もうとする。咄嗟に甘酒を呷り、無理矢理、意識の向こうへと沈める。
『まあお前は俺みたいなダメ刀に会ったところで嬉しくも何ともないんだろうけどさぁ…ひっく』
 そうだ、と思う。自分のようなダメ刀に助けられたところで、嬉しくも何ともないであろう。
 と、考えてすぐ。
『……不動』
『ああ?』
『俺と恋仲にならねえか?』
 ……まあ。
 そのとき、審神者と不動が全く同じ気持ちで、「は?」と口から声を零してしまったのは、仕方のないことだったのだろう。

 前もって言っておくが、不動と薬研は織田にいた頃顔を合わせていたし、会話もそれなりにしていたとはいえ、断じて、断じて恋仲などではなかった。先ほどの後悔は、同じ場所にいた刀としての、仲間意識のそれによるものであって、そもそも恋仲になろうといった意識は働かなかった。しかも、はっきりと人型をとって対面したのは顕現したときが初めてだ。それまでは、付喪神としてまだ力は弱かったし、はっきりとした姿など持っていなかった。会話こそすれ、顔を合わせていたというのはあくまで感覚的な話でしかない。極端な話、今の薬研の顔を見て言う言葉で最も適当だと思われる挨拶は、不動からすると(そして本来なら薬研が不動に対してでも)「初めまして」のはずなのである。
 想像してみてほしい。初めましての相手に、ものの数分で告白をされた、そのときの気持ちを。
(……こいつ頭大丈夫か)
 助けられなかった後悔は何処へやら。
 不動の本丸での生活は、本気で薬研の頭を心配するところから始まった。

 だが薬研の思いはそのとき限りのものではなく、ことあるごとに不動にアプローチを仕掛けるようになった。傍目でも分かるほどの必死ぶりである。
 食事となればほぼ確実に、薬研は不動の隣に陣取った。
「不動、これ食うか? なかなか美味いぞ。なに、苦手だったらそう言えば厨当番が少しは減らしてくれたりするさ」
 食べる行為自体が初めての不動には思い切り世話を焼いた。箸の持ち方はこうであるとか、ご飯は左に、味噌汁は右に置くものだとか、熱いものは急いで食べると火傷するから冷ましながら食べるであるとか。生活に慣れてきてそうした助言も必要なくなってくると、美味しいものを勧めてくる。自分の分であるはずのものを不動の食膳に移す等、やはり世話を焼いた。
 風呂は各々で自由な時間に使うはずなのだが、ほぼ確実に被った。
「湯浴みはな、ちと不安になるかもしれんが俺たちは今人の身だから錆びることはねえし心配しなくて良い。寧ろかなり気持ち良いから疲れもとれるぞ」
 薬研の言葉を半信半疑に聞きながら湯に浸かったが、納得できるほどに気持ちが良かった。体の芯から温まることの気持ちよさを知った。だが、あまり浸かりすぎると今度はのぼせるのだと、うとうとしていたところを無理矢理引き上げられた。
 他にも挙げていったらきりがないが、兎に角不動の視界には常に薬研がいた。唯一共にいないとすれば出陣中だろうか。薬研は随分前から顕現していたこともあって練度が高い。だから、同じ戦場に出陣することはほとんどなかったのである。
 薬研が出陣しているとき、ふと、甘酒を飲みながら不動は思った。
(っていうか何で俺こんな好かれてんの?)
 誰に聞いても答えは分からないであろう疑問である。顕現した当初からこうなのだから。
(本気で俺を? ……いやいやいや、恋仲って男と女がなるもんだろ? まさかあいつ、俺が女に見えて…いや、乱って奴を男って認識してる時点で流石にそれはねえよなぁ……)
 でも、新参者で、これだけのダメ刀はそうそういないから、珍しがっているだけなんだろうと思っていたが、薬研の求愛行動は一向に終わりを見せなかった。
 ――――何なんだよ。お前、俺のせいで、死んでるじゃん。
 もやもや。どろどろ。気持ち悪いものが、少しだけ頭をもたげた。

 求愛行動が始まって数週間。出陣先から戻ってきた部隊に薬研がいなかった。どうしたのかと思えば、途中で寄るところがあると言って部隊から離脱したのだと言う。戦場を去ってからのことらしく、破壊される危険性もないので彼らは了承しているようだった。
 その日から、遅れて帰ってきた薬研は必ず、花束を持って不動の部屋を訪れるようになった。花束と言っても、そんなに大層な代物ではない。一輪ではないが二輪、三輪の花を白い紙でまとめ、根本を麻紐で結んでいるような簡素なものだ。
 そして必ず花束を突き出しながら、言うのだ。「付き合ってくれ」と。


 前回に続いて今度も白色か…と呟きながらカーネーションを眺めていると、薬研のうなり声が聞こえた。
「んん……まだだめか…そろそろ頷いてくれていいんじゃねえか、不動」
「逆に聞くけどそろそろ諦めていいんじゃねえの、薬研。あと花いらねえって。俺の部屋、今どんななってると思ってんだよ」
「知らん。見て良いか」
「……どーぞ」
 別に花を渡してくる張本人なのだから、隠すこともないと思った。不動は障子を広く開けて、薬研を招き入れる。
 不動にあてがわれた部屋の中は、花でいっぱいだった。赤い薔薇に赤い菊、向日葵、紫色のチューリップ、ベチュニア、黄色のゼラニウム、桔梗にハナミズキに赤と紫のアネモネ、青のヒヤシンス、杜若……。いずれも、薬研が花束の形にして持ってきた花々だった。枯らしてしまうのは忍びないと思った不動が、全てを花瓶に生けて、床に置いている。しかし、そろそろ押入の前までを占拠してしまいそうな勢いだ。
 部屋の隅に所狭しと置いてある花を見て、ちょっとした花畑にも見えなくもない様に、薬研は感嘆の声を上げた。
「おぉ、壮観……すげぇな、これ」
「いやお前のせいだから」
 反射で受け取ってしまったカーネーションに一度目を落とし、溜息を吐く。
「まーたこうやって性懲りもなく新しい花持って来やがって……ああもう、どこに置けばいいんだよ…いよいよ場所ねえぞ……」
「まさか全部置いといてくれてるとは思わなくてなぁ」
「全部枯らして捨てろって? 花が可哀想だろ、流石に」
 机の脇に貰ったばかりの花を置いて、押入を開けて中から新しい花瓶を取り出す。花瓶は倉庫にいくつかあったので、そこから拝借しているのだが、それすら足りなくなる勢いである。
 振り向いて、不動はぎょっとした。何か、薬研がいつもとは違う表情でそこに立っていたからだ。何がどう違うかと言うと……機嫌が、良さそうである。
「……なんだよ、その顔」
「そういうところ、やっぱり惚れ直すなと思ってな」
 不動は長く長く溜息を吐いた。ことあるごとに口説いてくるのにはもう慣れた。初めは恥ずかしく思っていたが、いちいち恥じ入っているときりがないのだ。
「っつうか、よくもまあこんなに花が色々あるわ……」
「本丸でさえ、季節は大将が操作できるもんだからなぁ。四季なんか関係なくいつでも花を買える店があるってのは、なかなか助かる」
「季節無視とか、風流の欠片もねえ」
「ああ、だからあの店を歌仙の旦那は嫌ってるな」
 からからと笑いながら答えて、そこでふと薬研は不動の傍らに屈み、顔を覗き込んだ。
「……不動。それで、俺の気持ちにはそろそろ、答えてもらえねえのか?」
「……当たり前だろ。お前、何を勘違いしてるのか知らねえけど、俺、男だぞ」
「お前が男でも俺は不動行光が好きだ。それは、変わらん」
 顕現当初から向けられている愛だが、真っ直ぐなことである。
「自分が男だからって理由で、俺の告白を振り続けてんのか?」
「いや……そうじゃなくて」
「じゃあ何だ」
 随分、粘る。いつもなら、部屋の前で花束を突き出し、告白して、不動がにべもなくそれを断り、残念だと言いながら花束だけは押しつけて、さっさと戦装束を脱ぎに戻るのに(すぐその後また部屋にやってくることも多いが)。今日は戦装束もまだ脱いでいない。怪我はないので、元々なかったか、手入れ部屋には行った後のようだが。
 困ったように不動は視線を彷徨わせてから、「わかんねえんだ」と口の中で転がすように小さく言った。
「分からない?」
 小さな頭が肯定するようにこくりと動く。
「…薬研が、どうして、こんな俺のことが好きなのか」
 面食らったように、薬研の藤色の瞳が大きくなる。
「だってお前、知ってるだろ。俺は信長様にも、蘭丸にも……注いでもらった愛を返せなかった、ダメ刀だ。ずっと、信長様の懐にいたお前は……本能寺の炎の中にいた薬研は、それを一番よく知ってるだろ」
「………」
「愛を返せやしない奴に愛を注いで何になるんだよ」
 不動の表情が歪む。本能寺でのことは、一種のトラウマだ。できるなら、目を背けておきたいこと。でもこうでも言わないと彼は諦めないだろう。
「それに……俺はお前のこと好きか、よく分かんねえ」
 薬研が恋愛感情を自分に向けてくれているのは嫌というほど分かるのだ。でも、自分自身が、彼に対して恋愛感情を持っているかと聞かれると……正直、自信がない。
「…お前に対して、後悔の感情は、あるんだ。それは、分かる。…俺だけ生き延びちまって、お前はあそこで死んじまった。今ここにお前がいる、それはちゃんと分かってる。でも……俺の中で薬研藤四郎は、あの日に死んじまってるんだと……思う」
 ごめん、と不動は続けた。死んだはずなのにここで再会できたことを、本来ならば喜ぶべきなのかもしれない。でも彼にとって、そんな単純な話ではないのだ。
 黙って話を聞いていた薬研は、少しの沈黙の後、分かったと答えた。そして無言で、部屋を後にする。
 それから薬研は、不動の部屋に花を持ってくることはなくなった。




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