■ Death is compared with sleep.4

 王土にやって来て何時間ほど経過したであろうか。
 ここは、黄金の装飾が細部に施された荘厳なる建物の中。丹塗りの柱の目立つ集会場。横にずらりと並ぶのは、王土に招かれた死神の一部だ。目の前にはおいしそうな山菜料理が置かれている。……しかし、とうの死神らは明らかに顔色が悪く、やつれた様子である。
 座っているのはルキアと恋次以外の全員。あと、誰が来るのかは分からないが、誰も座っていない座布団が三つほどある。
「………疲れた……」
 あの一角がかすれた声で呟き、顔を覆う。それに頷くのは乱菊だ。此方も血の気の失せた顔をしている。
「……まさかここまでヤバイ検査だとは思わなかったわ……」
「美しくないよねほんと…軽く死んだかと思った……」
 弓親がよどんだ瞳で呟けば、
「安心しなさいな弓親、もれなく全員ちゃんと目が死んでるから……」
「追い打ちかけんな瑠璃谷…」
 死んだ目でぼそぼそとつっこむ夜光に、魂が抜けていくような希薄な声で日番谷が窘める。続けて、声を潜める。
「おい、傷は……」
 夜光に関してはもっと時間がかかるものと思っていた。かなり悪い状態で試練の廊下を抜け、王土に入ったのだ。検査前までは自分で立つことはおろか、意識もあるかないかの瀬戸際だった。だが、彼らとさして変わらない時間で検査を終え戻ってきている。無論、日番谷達も負っていた怪我も、尸魂界とは比べものにならない早さで治療された上で、王土独特の検査をされたのだが、夜光の怪我はある意味で別物だ。にも関わらず、ここに合流した際には自分の足で歩き、あまつさえ冗談を口にする程度には回復していた。
「零番隊の人に軽く痛み止めみたいなのしてもらってるだけ。色々済んだらもう一回来てくれって言われてるから、落ち着いた頃にあたしがいなくなっても気にしないで」
「………」
 目は此方には向けない。意図的に合わせないようにしているのだろう。「目は口ほどに物を言う」という言葉がある通り、夜光は瞳を合わせることで、心の内が相手に伝わり易いのを心得ている。のっけから「騙す気」でいればまだしも、日番谷は彼女の諸々の事情を、既に知ってしまっている。そのような相手を中途半端に騙すことができるほど、夜光は器用ではない。だから、目を合わせないのはわざとだ。
 しかし日番谷も、無理に此方を向いて喋る様にといった要求はしなかった。早口ではあるものの、説明があっただけで充分だ。真っ向から無視をされれば、何かしら文句の一つでもしようかと思ったが、「お察しの通り、充分な治療はまだされていない」と遠まわしにでも説明があった。初めは何から何まで隠そうとしていた娘だ、これだけの説明があっただけでもかなりの進歩だろう。
 襖が開いた。彼らが其方に視線を投げると、やはりげっそりとしたルキアと恋次が、ふらつく足取りで入って来る。二人もようやく検査が終わったようだ。
「おっかえりー、二人とも。随分長かったわねぇ?」
 乱菊の全力に明るい声音はどこか掠れていて、疲れが隠しきれていない。ルキアと恋次も曖昧に頷く。
「霊圧性質の検査、斬魄刀の検査、魂魄状態の検査、霊力操作能力の検査、魄動の検査、感情起伏の検査、気性の検査、思考の検査、知識の検査、検査、検査、けんさ、ケンサ……」
「恋次、戻って来い…そして検査の内容をわざわざ数えるな……吐き気がする……」
 しかも、恋次が今挙げたのは検査のごく一部だ。今、されてきた検査の名前を全て言えと言われても数えきれず、また膨大な量のため記憶しきれていない。疲れを滲ませた表情で、ルキアは己の額に手をあて首を振った。
 何より、時刻が悪い。現在は現世で言うところの午前五時。王土に着いたのは前日の夕方の五時だ。実に十二時間もの間、検査を続けられていたと思うと眩暈がする。否、思わなくても眩暈がする。検査の中にはどういうわけか「睡眠検査」なるものがあったので、一応の睡眠時間はとれているが、それでも検査は検査だ。強制的にガスのようなもので寝かせられたのは気分が悪かったし、二日酔いの如く頭も痛い。寝ている間にどういった検査が行われていたと思うと背筋が寒くなる。
「でも気になるね。一角や僕みたいな席官の死神だけならともかく、日番谷隊長とかも似たり寄ったりの時間で終わったんだよ? どうして二人はこんなに遅かったんだい」
 山菜料理を死んだ目で眺めながら、その前にある座布団に腰をおろしていた二人は、覚醒したように微かに目を開く。お互いの顔を見合わせ、ルキアが少し困った様に眉を下げながら、言った。
「…分かりません。ですが、検査の途中で小耳に挟んだのは、“一護と長く一緒にいたから”と……」
「黒崎と一緒にいたから?」
 日番谷が復唱する。はい、と浅く首肯する。
「どういうことだろうと思って、一度尋ねはしたのですが、有耶無耶にされて教えてはもらえませんでした」
「阿散井の方はどうなんだ?」
「俺を検査してたやつらはそういうことは言ってませんでしたね。つか、皆これくらい長いんだと思ってましたよ」
「時間的にはそんなに変わんないわよ。私達も十一時間程度だし。ただ、妙にあんたたちだけ遅いなーって思ってね」
 十一時間、と具体的な時間を口にすれば、分かり易く彼らは嫌な顔をした。検査の数々を思い出したのだろう。
 微妙な空気になったところで、一人の死神が入って来た。浮竹だ。
「みんな、お疲れ様。検査が長くて、すまなかった」
 ほぼ全員が同時に「長すぎる」という旨を伝えた。浮竹は苦笑いを浮かべ、頭を掻く。
「俺も、零番隊に来たときには同じように検査されたんだ。それに俺は弱い体を治す、というのもあったからな、皆より長かったかもしれないぞ?」
「流石にきつすぎて頭くらくらしますよ。何であんなしつこく検査受けなきゃいけねぇんだ」
 一角がうんざりといった様子で言えば、「言っただろう、王族は神経質なんだ」と肩を竦めた。つまり、細部まで調べつくすことで、王土に害をなす死神ではないかどうかをチェックされているということだ。呼ばれたにも関わらず、そういった対応をとられるのはいささか引っ掛かるものがあるが。
「それにまだ検査を受け続けている子がいるじゃあないか。これくらいで泣きごとを言ってはだめだぞ」
「まだ検査を受け続けている子?」
 死神達がお互いを見比べる。座っている順番に、ルキア、恋次、乱菊、日番谷、夜光、一角、弓親。欠けている者はいないように思えた。が、
「……あれ。ぬいぐるみ」
 ぼそりと夜光が言えば、ルキアが目を見開く。
 そういえば、王土にきてから、ずっと望実と共にいたコンの姿を誰も見ていない。王土に入るからには、厳重な検査があるに違いないと述べられてはいたが……。
 恐る恐る、彼らが浮竹を見やる。
 血色の良い顔で、良い笑顔で、親指を立てて。
「きっと死ぬ思いをしてるだろうから、戻ってきたらみんなで構ってあげてくれ!」
「零番隊の死神がその認識って、検査明らかにやばいだろ! 見直せよ!!」
 敬語も何処へと吹っ飛び、恋次が叫ぶように突っ込む。自分達より遙かに長く、遙かに過酷な検査を受けていると思うと、あまり接点がないとはいえちょっとコンに同情してしまう。ここにいないぬいぐるみもとい、改造魂魄の生存を誰もが心から祈った。
「浮竹隊長、望実はどこに?」
「九条なら、少し別の仕事で席を外しているよ。その代わり、そろそろ……お」
 どたどたと廊下から足音が聞こえて来て、浮竹は言葉を切った。襖を開けて顔を出したのは、琥珀色の大きな瞳を持つ少女。青みがかった長い黒髪を、高い位置で赤いリボンで結っている。金糸の刺繍が施された灰色の羽織を纏っているので、彼女もまた零番隊の死神のようだ。王土に入ったときに、灰色の羽織は零番隊の一般隊士の印なのだと説明を受けている。
「ただいまー。ねえ、入ってヘーキ?」
「ああ。連れてきてくれたかい?」
「うん。検査も終わってるよ。若干げっそりしてるけど…」
 並んで座っているルキアや恋次らを見回し、「だよねー」と肩を竦めて笑った。
随分幼い笑い方をする娘だな、とルキアは思った。
「そうか。まあ、怪我の治療がない分、多少短くて済んだかな」
「と、あたしも思うんだけどねー。やっぱりきついみたいだよ」
 軽い調子で集会場に入ってくると、少女の後ろに続いて入って来た死神らを見て、今度はルキア達が目を剥く。
 此方もまた顔色は悪いものの、驚いた様に目を瞬かせている。朽木白哉、雛森桃、京楽春水であった。
「兄様……!」
 ルキアが思わず腰を浮かせる。尸魂界に捕えられた際、白哉が減刑を請いてくれたにも関わらず、脱獄した。どう詫びればいいのか分からず、視線を彷徨わせる。だが、白哉は彼女の言葉を待たずに視線を前へと戻し、さっさと空いている座布団に腰を下ろした。そして、ちらりとルキアを見て、
「……兄らも呼ばれたのか。……ルキア」
「は、はいっ」
「……怪我は」
「はいっ、ええと、少し負っておりましたが、王族の方々に助けていただき、今は何も…」
「そうか」
 なら、いい。短く言って、白哉はそれきり口を閉ざした。
 咎めるでもなく、ただ心配をしてくれたということに恥ずかしさのようなものを感じて、ルキアはもじもじと身体を動かす。だが、その隣で、ルキアと共に現世にいた恋次としては、あとでどれだけ妹に関して怒られるだろうかと冷や汗しか流れない。何より、今の短い会話の中でも、一度たりともこちらに瞳が寄らないことが怖かった。
「良かった、瑠璃谷隊長、無事だったんですね」
 一方、驚きの余り口をぽかんと開けていた夜光も、雛森の声に我に返る。
「も、桃、何で!? は!?」
「やあ、元気そうで何より。彼女に王土に来るように呼ばれてねぇ」
 京楽が軽い調子で説明し、「いやあ、驚いた驚いた」とまるで驚いた様子もない声音で発言して、のんびりと微笑む。その顔にも若干の疲れが見られるのは言うまでもなく検査のせいであろうが、ルキア達よりはまだマシな方だ。
 彼らが、ルキア達と向かい合う形で座布団に並んで座ったのを確認してから、少女はくるりと体を回して向き直った。
「へえ、勢揃い。こっち呼ぶ役割って望実と浮竹だったよね?」
「ああ。九条は今別の仕事で席を外しているけどな」
「それって、あれでしょ。陛下の」
 ふぅん、と頷いてから、少女は面識のない死神達に笑いかける。
「や、どうも! 初めまして。あたし、茜雫(センナ)っていうんだ。零番隊で死神やってまーす。よろしくね!」
 明るく挨拶をする元気な少女に驚きながらも、死神達は順番に自己紹介をしていく。そして「初めまして」とそれぞれが頭を下げた。
(……?)
 ルキアが微かに眉を顰める。それに目敏く気付き、茜雫は首を傾げて見せた。
「どうしたの、ルキア? あ、ルキアって呼び捨てでいいよね? あたしのことも茜雫でいいからさ」
「……お前、何故、」
「やーやー皆さんお揃いのようで!!」
 問いかけようとしたルキアの言葉を遮り、剽軽な声が響き渡る。彼らが驚いて声の出処を探すと、集会場にいつの間にやら姿を現していたのは、灰色の羽織を羽織った死神であり、茶色の瞳と眩しい金髪が特徴的な男。肩につく程度の長さであり雑な結い方で耳の後ろ辺りにまとめてある。その髪をまとめるためにつけているささやかな飾りは、一目でも高価なものだと分かるものだった。
 襖が開け放されているので、そこから普通に入って来たのであろうが、誰もが気付かなかったのは果してどういうわけか。遅れて、渋い顔をした望実が入って来る。
「……王家の者か」
 やや確信めいた声音で、白哉が尋ねる。「大正解」と男は軽く笑った。別段隠す必要もないのだが、はっきりと「王家の出であること」を明かした上で、飄々とした態度を変えようともしない蘭に、望実が呆れた様子で首を振り、窘めるように声をかける。
「おい、蘭……」
「わーかってますって、そんなに怖い顔しないでくださいよ、望実ちゃん!」
「遅かったね? もうみんな検査終わってるんだって。それでここで少しでも待つ時間できちゃったみたい」
 茜雫が肩を竦めると、蘭は首肯する。
「ちょっと手間取っちゃって。あ、でももう大丈夫ですよ! あ、皆さん、その山菜料理、ちゃんと食べてくださいね。それ食べ終わったら出発しましょう!」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ!」
 慌てて腰を浮かせて恋次が手を挙げる。
「もう少し、俺達が分かるように説明してくれねえか。何か、あー、山菜料理がどうとか、遅かったとか、朽木隊長たちがここにいる理由とか、山菜料理とか……」
彼らの中ではもう流れができているのだろうが、あまりに話についていけない。自分達は、まだ王土に呼ばれた理由も分かっていないし、呼ばれたにも関わらず大変な検査を受けさせられて、ここに集められたばかりだ。状況も把握しきれていなければ、はっきりとした説明もされず、何もかもが有耶無耶にされている。この状態で次のステップへと進められるのは、いささか解せないところがあった。
「ああ、すまないね、恋次くん。ええと、何から説明するべきかな……」
 やはりこういうところが浮竹なのだろう。すぐに申し訳なさそうに眉を下げれば、説明をしようと口を開きかけ……そこで、望実が歩み出る。
「浮竹」
「ん? 何だ、九条」
「茜雫と話がある。私達は席を外すから」
「え、あたし?」
 驚いて目を見開く少女の手を掴み、大股で望実が集会場を出て行く。「ご、ごめんね浮竹さん! あとよろしく!」とおろおろしながらも茜雫が叫び声を残し、集会場に静寂が舞い戻った。
 浮竹が一同を見回す。
「説明をしていなかったが、検査が終わった君達になら話しても良いはずだ。そうだろう、蘭くん?」
「はい、もうこの人達は問題ないんで、平気だと思いますよー」
 蘭の受け答えに、白哉の瞳が不機嫌そうに細められる。王家とまではいかないまでも、貴族である白哉からしてみれば、あの飄々とした態度は何となく頂けないものなのだろう。
 二人の会話から容易に推測できた答えを、乱菊は己の髪を耳にかけながら口にした。
「……検査を終えた、害を成さないと断定された死神にしか、何もかもの素性を明かさないってわけね……」
「いや、不満なのは分かるんですけど、分かって下さいよー。何を言っても、王土は」
「神経質、でしょ」
 おや、と蘭が目を瞬かせる。言葉を先取りして黙らせた、とうの本人である夜光は青い目を細め、「聞き飽きた」と短く責めた。口を酸っぱくして告げられる王土の特徴には呆れるしかない。神経質だからの一言で全て片付けられるのも、王土に身を置かない彼らにとっては胡散臭く、また納得のいかない面が多いのだ。
「王土にやっとまともな死神だと認識された俺達に、これからどういうもてなしがされるんだ?」
 日番谷が腕組みをして尋ねる。
「王土を統べているのが霊王陛下であることは知っているね? その理由として、王土、というこの空間は、空間でありながらある意味、霊王の魂魄……体の一部で構成されていると言っても過言じゃないことが挙げられるんだ」
「尤も、あくまで霊王が維持している世界というだけで、そもそもの核からは切り離された状態ですから、僕等が何をしても陛下から丸見え! っていうわけでもないんですけどねー」
「おい、こいつ黙らせられねえのか……」
 静観していた一角がいよいよ腹を立てた様子で、こめかみに青筋を浮かべたまま蘭を指した。浮竹は表情を引き攣らせる。こんなに飄々としていても、王家の由緒正しい血を受け継ぐ一人であることに、変わりはないのだ。よって、はっきりと苛立ちを募らせ、それを本人に向ける死神が王土にはほぼいない。蘭の生い立ちをよく知らず、王土のことをよく知らない尸魂界の死神であるからこそできる、あるまじき無礼であった。
 だが、蘭本人は気にした様子もなく「怖い事言わないで下さいよ」とおどけて見せている。
「それで、ですね。僕らがあなたたちを連れて行くと言っているのは、その切り離されてる王土の核とも言える部分なんです」
「核? それはつまり、霊王に限りなく近い、ということになるのでは……」
 ルキアが、そんな馬鹿な、と眉根を寄せる。
 それに対し、浮竹は案外あっさりと頷いた。
「つまり、霊王陛下自身と触れ合うことが出来る場……と言うと少しまた意味が変わってくるが、俺達が君達に要求しているのは、霊王陛下との面会だ」
 死神一同のまとう空気が変わった。ほとんどが目を見開いて驚いており、見かけだけでは何も変化のない京楽も、「そりゃ驚いたなぁ」と嘆息はしていた。なるほど世界を統べている霊王に会おうという話にもなれば、これだけ検査を入念に行われる理由も、分からないこともないが……
「総隊長をさしおき、我らが何故その面会対象に選ばれるのだ」
「同感だな。俺達はただの死神で、隊長と副隊長と席官だ」
 疑問を投げかける白哉に便乗して、日番谷も納得がいかない旨を伝える。それは、ここにいるすべての死神の胸中を代弁するかのようだった。
「きみたちが黒崎一護のために奔走しているからだ」
 浮竹の返事も淡々としたものだった。元からこの質問は予想していたもののようだ。
「“黒崎一護”だなんて、浮竹、少し見ない間に随分他人行儀になったねぇ」
 軽い口調で京楽が言うが、その目は鋭く光っている。浮竹は少し驚いた様子で己の旧友を見返したが、困った笑顔を浮かべて肩を竦めた。
「ああ、すまない……だが、そういうことなんだ。きみたちは全員、一護くんのために頑張ってくれていた。その死神だからこそ、陛下はお会いになりたいと思われたんだ」
「あ、あの、すみません……」
 恐る恐るといった様子で雛森が手を挙げ、恐縮しながらも口を開く。
「それは、その、黒崎一護さんと霊王…に、何か関係があるってことですか……?」
 誰もが、思った疑問だろう。「一護のために動いた死神」でなければ会おうとしない霊王。しかし霊王は、世界でも絶対の存在。神、というものとは少し違うのかもしれないが、世界を保つために存在しているという意味では、あながち間違いでもない。霊王がいなければ、尸魂界も崩壊する。そんな存在が、たかが黒崎一護という、かつて死神代行として活躍した人間と、何の関係があるというのか。霊王からしてみれば、一護は寧ろ死神でもないイレギュラーな存在で、人間であるのだからちっぽけな存在に過ぎないのではないのか。
 浮竹は、ぐっと言葉を詰まらせた。視線を彷徨わせ、唇を結んでしまう。
「会えば分かりますよ」
 全員の視線が浮竹に集中していたが、それを遮るように蘭が言う。彼らの視線が自分の方へ移って来たとき、もう一度、言葉を繰り返す。
「会えば分かる」
 その目は、先ほどまでの飄々とした様子からは分からないほど真剣で、静かだった。何より、それ以上のこの場での詮索は禁止だと言わんばかりの雰囲気に、誰もが追及を諦める。蘭はけろりと笑った。
「まあ陛下って結構強烈な霊圧とか持ってるから、その山菜料理食べてほしいんですよ。それ、王宮にいるおばちゃんが特別に作ってるもので、色々耐性を作るためのものなんです。薬あれこれ飲ますのも嫌だしっていうことで山菜料理になっただけだし。それ食べとけば陛下に会った瞬間に失神する、なーんてこともなくなりますから!」
 やっと、彼らは山菜料理を見つめ、なるほどと……半ば無理矢理自分を納得させるように頷いた。たしかに王宮のものとは思えないほど質素なもので、薬と表現されれば、いささか失礼ではあるもののこの料理があることの説明はつく。
 彼らが順に箸に手を付け始めたところで、
「ねえ、霊王と会うの、この子もいなくちゃだめ?」
 出し抜けに、乱菊が夜光を指で示した。
「検査してもうばれてるでしょうけど、この子古傷があるの。あんまり無茶させたくないんだけど」
「乱菊さん……」
「何よ、本当のことでしょー?」
 瑠璃谷隊長、ときちんと呼ぶときとはうってかわっての、雑な対応だ。こんな大勢がいる目の前で自分だけ特別措置をとってもらうようなことはありがたくもなんともない。妙な心配も迷惑もかけたくない。夜光は嫌そうに顔を顰めた。
「ああ、瑠璃谷隊長は別のところに呼ばれているからね、俺が連れて行くよ」
 浮竹の答えに「は……?」と夜光が顔を上げる。
「良いだろう?」
「はい、全然!」
「乱菊さん!!」
 即答する乱菊を睨みつければ、彼女はさっさと夜光の視線から逃げるように背けてしまう。やられた、と思いながら頭を抱えたが、実際問題、霊王の前に出たところで倒れたらそれこそ迷惑というものだろう。浮竹が話を合わせてくれたのか、それとも本当に呼ばれているのかは定かでないが、ここは従うことにしよう。
(それにどうせ、治療って意味で呼ばれてるのは、事実だし)
 話の流れからして、霊王と会ってから来い、ということかと考えていたが、どうせなら早めに済ませてしまおう。自分の中でそう決めて、やっと気持ちが少し落ち着く。が、周りが全く驚かない様子から、改めて自分の背中の傷のことは知られていたのだなと実感し、それを口外した他ならぬ十番隊の隊長と副隊長に怨念のこもった視線を投げた。本人達も自覚がある様子で、日番谷はわざとらしく肩を竦めて山菜料理を食べ始め、乱菊など鼻歌を歌ってやり過ごす。
 後ろから恋次が「落ち着け」と肩を叩いてくれて、八つ当たりとばかりに彼にも鋭い視線を浴びせる。
「う、美味いぜ、結構! な、霊王に会う、会わないは置いといて、食えよ、夜光!」
 恋次のその言葉に、盛大な溜息を吐く。今の話の流れはどう考えても、「夜光は霊王に会わない」だろう。置いておく以前に話は終わっている。
 そして、それからやっと夜光自身も山菜料理を食べようと、箸を掴んだのだった。

   *   *   *

「ねえ、ねえ望実! 痛いって!!」
 抗議の声を受けて、やっと望実は茜雫の腕から手を離した。しかし、その目は不機嫌そうに細められている。―――否、そうではない。
 茜雫は、彼女の目を見つめて肩を竦めた。そしてへらりと笑う。
「……気持ちは嬉しいよ。でも、仕方ないことだもん」
「お前は一護たちと一緒にいた事実は変わらない」
 険しい顔で、望実が続ける。それに、とくに否定することもなく、ゆっくりと茜雫は頷く。
「うん。そうだよ。あたしの中にある事実だよ」
「でも、………あの、死神達は……あいつらは……」

 ―――初めましてと、言ったじゃないか。

 望実が言わんとしていることは、茜雫もよく理解しているつもりだった。彼女は自分のために怒ってくれている。何故覚えてないのかと、問いただしたい気持ちでいてくれていることも、分かってる。……そして、そうすることができないことも、ちゃんと、理解している。
「あたしは記憶の集合体・思念朱。本来なら存在しえない“存在”。だからあたしは王土に拾われた。……望実よりも、“有り得ない”存在だったってことだよ」
 茜雫はかつて、尸魂界と現世の双方で起きた事件の中心にいた。二つの世界を衝突させることで世界崩壊を企む勢力・ダークワンの手から世界を護るために、戦ったのだ。だが、そもそもの存在を茜雫は最期まで確立させることはなかった。彼女は数多の記憶が集合した存在でしかなかった。
 有り得ない記憶。それは、「現実」を生きる一護やルキア、他の死神達の記憶には刻まれることなく、消える。共に過ごした日々を覚えていないのかとか、そういう次元の話ではない。彼女はそこに、彼らにとって、「いなかった」のだ。
 事実、彼女・茜雫の姿も、実在する人間を鏡のように映し出すことで形成されたもの。この、琥珀色の大きな瞳や、青みがかった黒髪や、華奢な体や、汚い言葉遣いや、赤いリボンが似合う容姿も、どれもすべて本来、“借り物”でしかない。ベース――オリジナルの“彼女”という存在は、今も現世で暮らしていることだろう。
 彼女がいるべき場所は、どこにもない。彼女がいるという記憶が留まる場所も、どこにもない。
「でもいいんだ」
 茜雫は笑った。
「あたしの記憶からは、一護たちのこと、消えてないもん!」
 望実は唇を噛む。
 酷な話だ。自分はまだ、彼らの記憶に残ることができるから良い。再会を喜ぶこともできるし、自分が「いる」ことにそれ相応の意義を見出すこともできる気がする。でも、彼女は――。
 これは零番隊にいるからこその業と言える。誰もが抱く闇の一つ。ただ茜雫の抱くものは、こういうものだったということだけ。
「私は忘れない」
 真っ直ぐに、琥珀色の目を見つめ返す。
「……ありがと」
 照れたように笑う茜雫は、たしかにそこに存在していた。


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