■ Death is compared with sleep.5

 はっきりと、もやもやとした思いを伝えたことで、望実と茜雫は気持ちの整理がついた。その後も二人はぶらぶらと王土の中を歩いていたが、やがてどちらからともなく、集会場へ戻ろうと提案した。元々は、王土にやって来たばかりの死神達の世話――もとい、監視の役割を担っていたのだ。これ以上の二人での勝手な行動は職務放棄にあたる。王土はある程度自由な行動が許されているといっても、職務放棄が許されるわけではないし、最悪霊王陛下直々のお叱りも待っている(そうそうあることではないが)。
にも関わらず、離席することを許してくれた浮竹も、望実の茜雫に対する感情が理解できた上で、止めたりしないでいてくれたのだろう。浮竹自身、王土で茜雫と出会った際に「初めまして」と挨拶して、茜雫から色々聞いていた望実からは何かと責められていたからこそ、余計にだ。だがその場で彼は、然るべきして消えた記憶の存在が王土に存在したことに「奇跡」と表現し、忘れているにも関わらず再会できたことを喜んでくれた。だが、それは浮竹一人であったからできたことであり、彼のもつ性格も相まっている。だからきっと、ルキア達がいるときに望実が責め立てたところで、誰もきちんと理解はしなかっただろう。
「多分、ルキアはちょっとだけ気付いてくれたけどね」
 集会場に戻る途中、手を後ろで組みながら、足元の石を蹴りながら歩く茜雫があっけらかんとそう言い放った。
「茜雫のことを覚えていたのか?」
「あ、ううん、そうじゃなくて。あの子、人の感情読み取るの早いんだなーって。あたしがちょっと、初めましての挨拶されて『やっぱりかー』ってなったときにね、何か聞こうとしてたから。そのタイミングで蘭が来たから結局何も聞かれなかったけど」
 一護があたしを庇ってくれたときも、あのルキアって死神は、一人だけ非情になれずに困った顔をしていたっけ。
 もう随分前になるが、案外覚えているものだと、茜雫は密かに笑う。
 この少女は笑顔で何もかも隠してしまう。きっとかつてもそうで、それをルキアも……勿論一護も見抜いて、共に戦ってくれたのだろう。望実は、笑顔こそ浮かべず、周りを巻き込まないようにと突き放し続けていた自分との差に、思わず嘆息する。だが、王土で共に仕事をしてきて、茜雫はもっと思慮深い少女なのだと知ることができた。
「ん? どしたの、望実」
「いや。一護が放っておくわけがないはずだと、思っただけだ」
「えー、何それー?」
 気になると喚く少女を軽く流しながら、集会場のある建物の前までやってくる。と、そこで、浮竹と、先ほど「瑠璃谷夜光」と名乗った小柄な隊長が出て来るところに出くわした。
「浮竹」
「おぉ、九条に茜雫。戻って来たのか」
「うん! ええっと……あれ。もしかして、もう皆陛下のところ行っちゃった感じ?」
 浮竹が集会場が併設されている建物から出て来て、しかも他のルキアや恋次といった死神を連れていないということは、蘭に全てを任せたということだ。彼は王家の者であり、霊王に会う時は必ずその一行と同行する。
「ああ。例の料理も、元々空腹を満たすためのものではないし、量も多くないからな。……早めに行ってもらったよ」
 ……どっちにせよ、傷つくことになるんだ。早く知った方が、修復に時間をかけられる。
 そう付け足して、辛そうに目を伏せる浮竹に相槌を打ち、茜雫が心配そうに覗き込む。
 望実が、ふと浮竹の後ろにいる死神に目を移した。
「それで、何故五番隊の隊長は一緒に行ってないんだ」
「治療班に呼ばれてるから、そこまで俺が案内することになってな」
「吃驚しましたよほんと……」
 頭を掻きながら夜光は浮竹を見上げる。
「確かに治療班に呼ばれてるのは確かでしたけど、てっきり霊王に会ってからの話だと……」
「うん、でもまあ、君は朽木たちほど一護くんとは関わりがないし……」
 軽く、浮竹が夜光の背中をぽんと叩いた。
 文字通り、背筋が凍るような感覚に陥り、目を見開く。口許を抑え、吐き気かとも判然としない、しかし喉から競り上がって来る“何か”を我慢する。体中から冷たい汗が噴き出した。
 浮竹は続ける。
「松本副隊長が指摘してくれなくても、瑠璃谷隊長はここで一度みんなからは離脱してもらうつもりだったよ。今の君は、陛下にお会いしたら恐らく死ぬ」
「………っ…手……」
「自覚はあるだろうけど、君のその背中の傷ははっきり言って『まずい』。自分の怪我を軽んじないことだ」
「……手……離して、くださいっ」
 背中に添えられたままの手を鬱陶しそうに振り払い、深く息を吐き出す。痛み止めのせいで、痛みこそないものの、背中を触られるだけで恐ろしく妙な感覚になる。これなら、はっきりとした痛みの方がまだ楽ではないか、と思った。
「治療班か……」
 そこでやけに沈んだ声が聞こえて、視線を寄せてみると、顎に手をあてて考えている様子の望実に、夜光が小首をかしげる。茜雫もまた、微かに唸り、浮竹をちらりと見る。
「……治療班って、村上さんですよね、たしか」
「……あいつは苦手だ」
 望実がぼそりと告げ、それに即座に同意と茜雫が顎を引く。
 浮竹もまた少し考える仕草をすれば、浅く頷き、
「まあ治療班にはとても見えないが、腕は確かだぞ!」
「待ってくださいそのあなた方の反応にあたしが安心できるとでも?」
 霊王に会うことでどれだけ辛いことが待っているのか、それは夜光には分かる手立てがない。こうして、自分は別の方へと呼ばれているのだから。
 しかし、これからその呼ばれている先にいる治療班は、どうにも癖がありそうで、また修羅場なのかと夜光の顔色は悪くなる一方だった。

   *   *   *

 瞬間移動が出来る床、といわれてまた自分達は馬鹿にされているのだろうかと思った。だが、複雑な文様の描かれたその床に実際に乗ったところ、たしかに「瞬間移動」という言葉以外での形容は難しい現象が起きた。一瞬前までとはまるで違う情景が目の前に飛び込んできたからだ。
 周りは白い靄でいっぱいで、一寸先は闇ならぬ一寸先は白と言った様。膝を胸にひきつけるように高く上げ、勢いよく足を下ろせば、ぼふん、と靄がゆらめきを見せる。白い靄の中には微かな光の粉のようなものが見え、まるで夢の中のような幻想的な情景だ。
「それ全部霊圧ですよ」
 これは何だろうと皆が不思議そうにしていることに気付き、蘭が解説した。
「霊王の霊圧は強大すぎて、本人の中にとどめておくこともままならないんです。王土を形成するのにも使ってはいるけど、それでも持て余しちゃって。だからこうやって、適当な空間に垂れ流しにして溜めておくしかないんですよ」
 彼らは、本当に自分達の常識が通じない空間だなと感じた。
日番谷は白い靄を掬う様に手で引っ掛けてみるが、それは指の間からするりと消えて行ってしまう。見かけだけならば、自身の斬魄刀・『氷輪丸』から発せられる冷気に似通っているが、こうして触れるだけで「モノ」が違うことは分かった。
「霊圧がこんな風に視覚化されるなんてね……」
 弓親が白い靄を見つめ呟く。
「視覚化されているのではない。……霊圧濃度が高すぎて、我々に見えているだけ。本質は我ら死神と同じだ」
 意識的な視覚化ではなく、視覚化されるほどの濃度とは果してどんなものなのかと、言った白哉本人もいまいち理解は追いつかない。あの藍染でさえ、霊圧は見えなかった。びりびりと大気が震え、肌が痺れるような感覚になったことは覚えているが、少なくともそういう次元はとうに超えている。
「いやぁ、でも凄いねぇ。バカみたいに大きい霊圧だってことは分かるのに、体感としてはそんなに重さを感じないじゃない」
 手が平時と大差なく動くことを確認してから、編み笠を少し持ち上げて周りを見回す京楽に、蘭が笑う。
「料理食べてなかったら、泡吹いて倒れてますよ」
「お前は平気なのか」
 蘭がもっと奥へと促し、彼らが白い靄を蹴散らし、かき分けるように進む中で日番谷が問うた。
「はい、これでも王家の一人ですからね、この程度なら元々耐性があります。……ま、料理食べた方が勿論楽と言えば楽なんですけど、流石にそこまで甘やかしてもらえないので」
 そんなことを言うが、蘭は息も乱していないし汗の一つもかいていない。目に見えるほどの濃さになっている霊圧の中にいながらにして、“耐性がある”の一言で片付けることは常軌を逸している。
 ――――軽い物言いだからこそ分かりにくいがこいつは……
 日番谷は一人、こくりと息をのんだ。能ある鷹は爪を隠すと言うが、この男が隠している爪がいかほどのものかと想像して、王家の底知らぬ力の片鱗を見た様な錯覚に陥る。
「……待ってください」
 ずっと黙っていたルキアが出し抜けに声を発し、足を止めた。蘭のすぐ後ろを、恋次と一緒になって先導し歩いていたため、自然と後ろに続く死神達も、順に足を止める形となる。彼らは一様にルキアを見つめた。霊王の霊圧の耐性を作る為に、と料理を食べ始めた頃から今に至るまで、彼女は一言も喋っていなかった。
「蘭殿、と言いましたね」
 声をかけられ、蘭が振り向く。その表情に死神らは驚いた。先ほどまでの飄々とした雰囲気も、笑顔も、そこにはない。ただ真剣みに帯びたブラウンの瞳が、此方を冷静に映す。
「……私達は霊王に会ってどうするのです」
「さあ」
「霊王は何故、一護のために走り回った我々に会いたいのですか」
「知りませんね」
「本当に?」
 感情もなく返される言葉を、ルキアは逃がそうとしない。
「“会えば分かる”のでしょう?」
 そう。蘭は先ほど、霊王のもとへ赴く前に、質問され答えられずにいた浮竹を助けた。その際、彼は「会えば分かる」と言った。霊王と、一護の間に、どんな関係があるのか。
「……そうですね。会えば分かりますよ」
「会ったら私達はどうなるのです?」
「面会した後のことはとくに指示されてないですからとりあえずは王土で自由にしてくれてていいと思いますけど」
「浮竹隊長が一護のことを“黒崎一護”と呼ぶのは、浮竹隊長自身が私達と同じ様に、霊王に会ったからではないのですか」
 浮竹は元々、十三番隊隊長だ。ルキアが何年も何年も、死神になったときから、ずっと身を置いていたところの隊長だ。伊達に長く、その隊長と付き合って等いない。副隊長の立場ではないにしても、ルキアはルキアなりに、近くで、長く、沢山、浮竹のことを見て来た。―――あの、浮竹が。一護のことを他人行儀に呼ぶ理由。そして、辛そうに目を伏せた……
「先に言っておきます、蘭殿」
 強い瞳で、あくまで冷静な相手の目を、見つめ返す。
「どんなことが告げられても、私は、一護の仲間です」
 そこで、初めて蘭が目を見開く。出会ってから一度も見ていなかった、明らかな驚きの表情だ。そもそも、感情自体が動いたのを、ここに来て初めて見た気がする。
 恋次が、己にとっては低い位置にあるルキアの頭を豪快に掴んだ。「わっ!?」と驚いた声を上げるルキアだが、構わず少し体重をかけて肘を彼女の頭に載せたまま、恋次も得意げに笑う。そして、蘭を見つめた。
「私、達、だろうがよ!」
「れ、恋次……」
 ちらりと、二人が後ろの死神たちを振り返った。
「何のためにここまで来たと思ってるんだ」
 日番谷が肩を竦める。そうよ、と続いて大きく頷いて見せたのは乱菊。
「あのバカが今更敵に回るわきゃねえだろ」
 一角。同感だね、と弓親。京楽が含みのある笑いをして見せ、雛森が力強く首を縦に振る。最後に、白哉が一言、
「……愚問だな」
 その目は、妹同様の、強い光を持っていた。
 一護への揺るぎない信頼を見せる死神に、暫く蘭が丸く開いた目のまま彼らを見回した。やがて、目をそらして、息を吐く。
「……馬鹿馬鹿しい」
 足に、腕に、顔に纏わりついてくる白い靄を何気なく手で払いながら吐き捨てる彼に、ぴり、と肌が痺れるものを感じる。嗚呼、怒ったことで全員の霊圧がちょっと上がったのか、と蘭は他人事のように思った。元々強烈な霊圧の中にいるのだから、それにおまけで隊長格の霊圧が上がれば、いくら耐性があるといっても痺れを感じるのは当然だった。本人達は一時的にでも驚異的な耐性を料理によってつけているので、ほとんど無自覚であり、気付いてもいないだろうが。
「どうにもその癇に障る言い方が気に食わねえな」
 恋次が面白くなさそうに表情を歪め、ルキアの頭から肘を下ろす。その声音に怒りが滲んでいるのは言うまでもない。
「事実なんだから仕方ないでしょう。馬鹿馬鹿しい。それが絆ってやつですか。王土にきても尚それを持ってきますか」
「絆という言葉が胡散臭く聞こえるならば言い換えても良い。だがここまでしてでも黒崎に返す恩が、俺達にはある」
 日番谷が毅然として言い返す。だが、それにも蘭が呆れた様子で肩を竦め、頭を振った。
「すみませんけど、ここは尸魂界じゃないんです。現世でもないんです。王土は“絆”なんてもの、何の材料にもならないんですよ」
「じゃあ何か? 例えば浮竹隊長が誰かに操られて、敵に回ったりしたら、てめぇはその浮竹隊長を斬れるのかよ!?」
「勿論」
 即答する蘭に、つっかかっていた恋次が絶句する。当たり前じゃないですか、と笑った。
「王土に被害を及ぼそうものなら、ちょっとでも傷をつける前に片付けます。絆だ何だで斬ることができないからって、その一瞬の判断の遅さで取り返しのつかないことが起こるかもしれない。王土は全ての世界の土台。ここが壊れれば世界崩壊は免れない。……全部の世界と絆を天秤にかけるんだから」
「兄は何か勘違いをしているようだ」
 言葉を言い切れず、遮ってきた白哉に視線を向けた。
「我らは今、そのような話はしていない」
「あのですね、お願いですから尸魂界の常識、王土に持ち込まないで……」
「世界を巻き込んだ話など、誰もしていない」
 光が、彼らの間を横切って行く。白い靄に紛れながら移動しているので分かりにくいが、どうやらホタルカズラと似た生き物のようだ。これも、さしずめ霊王を護る為のシステムの一つなのだろう。そして、霊王の霊圧に耐え、容易に周囲を浮遊することのできる特殊な生態であることに違いない。
 なるほど細かい部分を見ても、尸魂界の常識は通じない。ホタルカズラは数を飼えば、天井にいるだけで照明の代わりになるほどの光を放つ。しかし飼育法はかなり難しい。あまりに強い霊圧には耐え切れず、基本的に霊圧を遮断する何かしらに覆われていなければ、死んでしまう。よって、瀞霊廷の中よりも、霊圧を持つ場合の方が少ない流魂街での利用の方が一般的だ。
 だから、尸魂界と王土とでは、まるで背負うものが違うのだから、抱いている矜持も使命も、違うのは仕方ない。が。
「我らは、“黒崎一護”という存在を信じている。そして、その絆を。……問いを戻そう。兄は、浮竹十四郎が周囲により敵と判断された場合、“浮竹十四郎”という存在を信じるのか、否か」
 蘭は視線を落とし腕組みをする。目を閉じ眉間に皺を寄せたかと思うと、此方に向き直り、
「………その答え、僕は持ってませんね」
 はっきりとした答えは、口にしなかった。
「僕は生まれたときから王家にいて、世界を巻き込む可能性があることを前提に色々なことを叩きこまれてきました。だから多分、あなたたちが考える問いは、僕じゃ答えられない」
 踵を返し、視線を前へと戻す。
「そこまで言うなら好きにしてください。でもこれだけは言っておきます」

 何があっても黒崎一護の仲間であること誓ってしまったら、このあと告げられる事実は、どうしようもなく耐え難いものになりますよ。


   *   *   *

 嗚呼、と夜光は枕に顔を埋めたまま、盛大な溜息を吐いた。
「帰りたい……」
 心の底からの言葉が、思わず口をついて飛び出した。飛び出してから、しまった、と口を抑えるが、時すでに遅し。目の前にいる彼は切れ長の鋭いつり目をぎらりと光らせた。
「あぁん!? 帰りたいだぁ!? 馬鹿か! てめぇはここに一体何しにきたんだ!!!」
「ごめんなさい!!!」
「叫ぶな傷に響くだろが!!! てめぇ自身の!!」
「ごめっ、……んなさい……」
 はっきり言ってしまえば罵声を浴びせかけられ、反射的に大声で謝れば、再び怒鳴られた。咄嗟にまた大声を出しそうになり、何とか喉に力を込めてそれを留めた。
(……それにしても)
 治療班というものだから、てっきり四番隊にあるような救護詰所のようなところに連れていかれるのかと思っていたが、全くそんなことはなくて、しかし一丁前に派手な薬品は揃っている部屋に通されたのだから、最初は肝が冷えた。医療の真似事をしてるところにでも連れてこられたのではないかと思ったのだ。
 同じ死神が色々やりくりしているというのに、エリートの揃う王土では、何もかもがこんなにも違うものなのか、と夜光は感心を通り越して、半ば呆れ気味だった。

 治療班の待ち構える場所は、集会場のある建物から二十分ほど歩いた先にあった。瞬歩を使えば一瞬であるが、王土の中では極力瞬歩の利用は避ける決まりとなっているらしく、また、怪我を負っている夜光が霊力を消耗する行動をすることは、同行していた浮竹もよしとしなかった。それに霊王に会いに行った彼らは、小難しい話もするので時間がかかるであろうから、別段急ぐ必要もないだろうとのことだ。
 望実と茜雫の二人と別れ、浮竹と共に来たのは、王土の中の建物とは思えないほど質素な木造のものだった。周囲には一体何なのか大量の植物が植えられており、花々が随分鮮やかであった。手入れというほど丁寧なものはされていない印象だが、育ちの良さから誰かの手は加わっていることは一目瞭然だった。中に入ると、四番隊のように治療のための器具が整然と並んでいるわけではなく、寧ろ雑然と器具や包帯や薬品が方々に置いている光景が見られた。この瞬間の信頼レベルは夜光の中でこれまでにないほどの下降具合を見せたものである。
 驚いたのは、治療班、というものだから多くの零番隊の死神が待ち構えているのだろうと思っていたのだが、実際にいたのはたったの二人。だが、片方は見知った顔だったので、更に驚いた。
『因幡七席……?』
 恐る恐る口を開けば、おや、と驚いた声を上げて眼鏡を外して見せる。元々はあまり関わりがなく(十二番隊の死神とのコミュニケーションに関しては消極的だった)、霊骸の事件が起きた際に、瀞霊廷通信で何度も取り上げられていた。その顔写真のおかげで、すぐに判別がついた。髪の分け目が左に寄っており、左側の髪が黄色、右側の髪が緑色という、変わった髪色できめている特徴もよく覚えていた。因幡影狼佐。霊骸事件の首謀者だった男だ。
『あなたは……あー……六番隊第六席の、瑠璃谷夜光さんですねぇ?』
『はは、因幡、それはもう数年前までのことだぞ。今、瑠璃谷は隊長だ。それも五番隊の』
 浮竹が笑いながら訂正すると『そんなに経ちましたか』と因幡は素直に驚いて見せている。事件が起きていた当初に噂で聞いていたよりも、ずっとまともそうだ。そうでなければ、王土になどいることも許されないだろうが。
 そこでふと、意識が朦朧としていた中で聞いていた、望実の話を思い出す。
『そっか、そうですよね。因幡七席も、由嶌欧許の片割れで、“有り得ない存在”だから……』
『ほう、そうですか。望実から話を聞いたんですね。それは説明をする手間が省けてよろしい』
 書類のようなものを抱えたまま、奥へと促される。浮竹が少し奥へと呼びかけた。
『村上、俺はここまでで良いか?』
『おー、その小娘置いて何処にでも行け』
 奥から出て来た男に、思わず夜光は表情を引き攣らせる。体躯は細いが、死覇装の下に見える筋肉はかなり堅そうに盛り上がっていて、常識離れした筋力をもっていそうだ。だが、思わず夜光の表情が凍ったのはそこではなく、逆立てられた茶髪に、お世辞にも優しそうとは言えない強面、紫色の瞳は切れ長で、吊り目。一言で言ってしまえば、初対面で一対一になるには圧が強すぎるし、何より怖い。
『ちょ、ちょっと待って浮竹隊長……』
 いつもなら。迷惑がかかる、と思い滅多に引き留めたりはしない。が、ここが慣れている尸魂界でもなければ、治療班とはまた別の王土の死神によって成された数々の検査が、恐怖を植え付けていた。思わず浮竹の灰色の羽織を掴み、待ってくれと懇願する。短い期間ではあったものの、浮竹とは共に隊長の仕事をしたこともある。面識がある分、そして優しい性格であることを知っている分、安心ができる。
 だが、その羽織を握る手は、浮竹でもなく、勿論自分自身でもなく、第三者の手によって離された。………他でもない、怖いと感じたその男によって、である。
 恐る恐る背後を振り返り、そこにいた所謂男は鬼の形相で夜光を見下ろす(でかっ、こわっ、が最初の感想だと夜光は後に語る)。
『…何か? お前隊長でありながら浮竹が近くにいてくれねえと何もできねえと?』
『い………イイエ……』
 浮竹が徐に手を伸ばし、頭を撫でてくれる。
『瑠璃谷隊長、安心してくれ。村上は優しいぞ!』
 信じられないその発言に訊き返そうとした途端、浮竹は随分な早歩きで夜光から離れていった。
『優しいって!? どこが!? ねえ浮竹隊長!!!』
『うるせぇ怪我人は黙って中入りやがれぶち殺すぞ!!!!』
『……独呂さん、言葉が矛盾してますよ』
 この場で冷静につっこみを入れた因幡の様子から、後でだがやっと理解した。この騒がしさも、この男の怖さも、日常なのだと。

 村上独呂(むらかみどくろ)。零番隊の死神で、どうやらタイプとしては恋次と似ているところがあるらしい。一応、言い置いて去った、というより正確には逃げたと思われる浮竹であったが、彼の言う通り、独呂は優しい性格も併せ持っているらしい。ということは、この短い時間でも理解できた。どうしてここまで荒々しい男が治療を担当しているのかは甚だ疑問だが、診てくれている立場としては反抗することもできない。
「……あの、村上、さん」
「んだよ小娘」
 何故名前を呼ぶだけで凄まれてしまうのか。そして名前を呼ばれないことからさては頭が悪いのでは、そしてこの感覚どこかで味わったことがあるような、という感覚的なものを根拠に、尋ねてみる。
「……村上さん、昔、護廷にいた頃、十一番隊だったりします?」
「それが何かてめぇと関係あんのか」
「あ、そうなんですね……」
 睨まれたものの、尋ねたことには何故か回答してくれることは把握済みだ。否定がなかったということは、これは肯定と同じ。
「や……ええと……ほら、恋次……とか、知ってます?」
「知らねえ」
 ばっさりと切り捨てられ、恋次が護廷に入るよりも前の死神だったのだなということは察した。かつて護廷にいたと聞く曳舟桐生でさえ、自分は会ったことがないのだ。たしか百年ほど前まで十二番隊の隊長だったと聞いているが、果たして零番隊に昇進となったその人物がどれだけ変わり者なのか、と勝手に想像を膨らませている。
「お喋りする元気があるたぁ驚きだな? ん? 俺黙って寝てろっつったよな?」
 しかし返事、つまりは相手をしてくれる辺り、やはり親切だ。あまりの強面な部分と口の悪さのせいで、その魅力は半減どころか九割減といったところだが。
「………はい、黙ります………」
 うつぶせの状態のまま、晒された背中にあれこれ術式を施され、一部コードのようなものに繋がれていて身動きがとれない夜光は、改めて枕に顔を埋める形で黙り込む。ところが、
「なぁ、小娘」
「いや村上さん今あたしに黙れって言いましたよね……?」
 結局相手から声をかけられたのでちらりと目線だけ上げて、なんでしょう、と尋ね返す。
「俺はてめぇにちょいと酷な選択させるかもしれねえぜ」
「………?」
「てめぇは自分の背中の傷のことをどの程度のもんだと思ってる?」
「………あと最悪一か月程度の命になるものくらいだって程度」
 夜光の、動じず冷め切った声を聞けば、そうか、と短く頷く。
 ――――ああ、困ってるな。
 人の様子を見て、すぐに何を思っているか、どんな感情を抱いているか察することができてしまう。破面化した一護が尸魂界に来たときもそれに気づいてしまったように、やはりここでも気付いてしまう自分。
 だが、違ったのはここ、王土の死神が、尸魂界の四番隊の死神ほど、こうしたことに対する決断が遅くないということだった。
「てめぇに二つの選択肢をやる。どちらを選ぶかで、俺がてめぇの背中にしてやれることは変わってくる」
 こんなにもすぐ、話が続けられるとは思っていなかった。だが、気遣われて先延ばしにされるよりも、下手に隠されるよりも、ずっと良かった。夜光は、無言で続きを促す。
 独呂は人差し指をピッと上げる。
「生きるか」
 中指が上がる。
「死ぬか」
 二つに一つだ、と立てられた二本の指を、半ば呆然と見つめる。
 簡潔過ぎて、頭が追い付かない。瑠璃谷夜光という死神は、ここで、思い知る。今までしてこなかった選択を、ここでする。
 ここは、分岐点だった。

*   *   *

 ――――そして。
 分岐点を迎えたのは、夜光だけではなかった。

(………嘘だ)

 王土。霊王宮。最深部。白い靄が立ち込め続ける、その空間。
 重い扉が魔法の様に自ら開き、死神達を迎え入れる。
 その奥の玉座は空っぽで、玉座に続く長い階段に腰かけて待っていた男。零番隊の死神達が纏う羽織以上の、金糸で飾られた複雑な文様の装飾が施された、フード付きのコートと思しきものを着ている。色は灰色ではなく真っ黒で、金がより際立って見える。動きにくさを耐えがたく感じたのか、前は開けてある。コートの内側に見えるのは、灰色の着物に、微かに花のような模様が薄く描かれた袴を履いていた。
 思っていた以上に“普通”の見かけだが、彼の周囲を踊るように回る白い靄が、自分達の霊圧の主はこの方だと、告げていた。
 死神の誰もが、瞬きすらも忘れて、見入っていた。どくりと、嫌な脈の打ち方を心臓がしたのを、感じた。
「おー……おっせぇなぁと思ってたけど、やっと来たか」
 待ち構えていた彼は、「玉座って堅くってさー、待ってる俺の身にもなってくれよ、どうせ蘭あたりとまた揉めたんだろうけど……」とぶつくさ言いながら階段から腰を浮かし、伸びをする。
 死神たちは、足を前に進めることが、できなくなっていた。ルキアの足が、震えている。
何故、と呟いたのは、ここにいる、一体誰によるものだったか。
「歓迎するぜ」
 ブラウンの瞳。
 オレンジ色の頭。
 眉間に刻まされた皺。
 安心させるような笑顔。
 耳馴染みのある―――声。

「初めまして。俺が“霊王”だ。よろしくな!」

 ―――――嘘だ。

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