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08優先順位


ちょうど店内から裏手に引っ込んでいる時の事だった。来客用の出入り口が開く音がして、ヒカルは奏でていたピアノを止めた。
今日は予約の客は居なかったから、ウタは表で店番をしながら客注品を作っていた。手伝える事があれば、と彼女は立ち上がって店の方へ向かう。


「―――いらっ…しゃいませ、」


おかしな様子で声が出なかったか不安になった。ウタの前で佇んでいたのは、先日、『:Re』で目にした弟の姿。相変わらず彼はにこやかな雰囲気で、出てきた彼女に笑いかけた。


「こんにちは。」


その挨拶にうまく笑えたか自信はないが、彼女は丁寧に会釈をした。ウタの視線と僅に交差する。カウンターを整理しに来た振りをして、ヒカルは佐々木琲世をこっそり観察した。話し方が以前よりしっかりしていて、社会人の雰囲気を漂わせている青年。昔の少しおどおどした様子は今はなくて、その成長を彼女は内心、とても嬉しく感じた。そして少しの寂しさも。


「ご夫婦で経営されているんですね。」


話の合間でふとそんな琲世の台詞が混じって、彼女は一瞬フリーズする。そうか、そんな風に見えるものかとウタを見ると、彼がそうですねと静かに笑ってこちらを見るものだから曖昧に笑い返す事しか出来なかった。
否定しなければややこしくなる程、琲世が店に来るとは思えないし、誤解されたままでも別に困ることはない。先日、遭遇したのもほんの僅かな間の事で彼が特に追究してくることはなかった。顔をよく見ていなかったのだろう。思い出してはくれまいか、そんな淡い期待も内心あったが、ウタといくらか会話をした後、彼は挨拶をして店を出た。

***

「…どうやって店に来るようにしたんです?」
「カネキくんにクリスマスプレゼントを贈ったんだ。」
「、なんて危険なことを…!この店も貴方も、もしCCGがあの時みたいに踏み込んだりしたら」
「ヒカル」


興奮ぎみに捲し立てると、ウタは静かに名前を呼んだ。立ち上がって彼女の前に来ると、彼は頬に手を添える。震える目に二年前の悪夢を見て、ウタはふと苦笑した。


「ごめん、喜んでもらえると思ったんだけど…嫌な事を思い出させたね。」
「…あの子に会えた事自体は嬉しいです。でも、ウタさんがそれで危ない目に合うなら話は別です。貴方だって私の大切な、」


そっと唇が塞がれる。一瞬、頭が真っ白になった。驚きに沈黙した彼女の頭をウタは優しく撫でると再びいつもの定位置に座り直した。表情は普段と変わらない。


「落ち着いた?」
「…混乱してます。」
「ふふ、ごめん。でも珍しく感情的になったと思えば僕を心配して怒るから。我慢出来なくなっちゃった。」


大丈夫だよ、僕は。
イヤホンをして、仕事に戻ったウタにヒカルは完全に納得出来ないものの、息をついた。謎が多い人物だが、彼が言うと本当に安心出来るから不思議だ。
だが、破壊されたあんていくを忘れる事は出来ない。
以前、当たり前のように通っていたあの暖かな空間は、もう無いのだ。


「…もうすぐキリがいいから今日はもう店じまいして珈琲飲みに行こうか。」
「え…、」
「久し振りに僕も蓮示くんの淹れた珈琲が飲みたくなって。芳村さんの深みにはまだまだ遠いけどね。」


穏やかに微笑むウタに、彼女は眉を下げて苦笑する。彼は優しい。自分の異変にも気付いているはずなのに変わらず:Reへ行く事も赦してくれていた。
いっそ今、捕まってしまいたい。ふと思う。
佐々木琲世になら、このぬるま湯に浸された状況を壊されても地獄に落とされても受け入れられるし、もう楽になりたいとも彼女は思った。


「ねえヒカル、多分、勘違いしているから訂正しておくけれどカネキくんは僕の友達でもある。君の事とはまた別にね。」
「…ウタさん、」
「だからそんなに思い詰めた顔をしないで?僕は僕のやりたい事をやっているだけ。」


また来てくれるといいね、佐々木くん。
そう呟いたウタに彼女はうまく笑えた気はしなかったが、頷いた。
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2017 02 02

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