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03扉の向こう側の来訪者


何日か留守にするから戸締まりよろしくね。
誰が来ても、開けちゃダメだよ。

ウタがそう子供に言うように話すので、まるで赤ずきんの童話のようだとヒカルは笑った。何処に行くのか、何をしに行くのか、彼女はあえて聞かなかった。
何があってもここで待つしかない。店は閉めていたが、彼女はカウンターで仮面を付けて裁縫をしていた。
おかえりなさい、ウタが帰ってきたら出迎える為に。

家は静かだったが、幾度か夜中にインターホンが鳴った。モニターで見てみると白髪の知らない男性や、奇抜な仮面をつけた女性が立っていた。
彼が不在中に客と話をした事はない為あまり知らなかったが店は繁盛しているようだ。
居留守を決め込むのは多少気が引けたが、約束だったので黙ってやり過ごした。

(……ウタさん、早く帰って来ないかな。)

二日が経った頃、少し外の空気が吸いたくて階上へ上がり窓を開けた。三階だったので気にせず明かりを点してしまったのだが、ふと人の視線を感じて階下を見下ろす。
見下ろして目を見開いた。


「……ヒカル様?」
「ま…、松、前さん…!?」


肩口で切り揃えられた黒髪。凛々しい顔立ちでスーツに身を包む見知った女性が一人。月山家の執事長が店の扉の前に佇んでいた。
足は階下を目指そうと一瞬、動きかけたが、動く前に留まる。彼女を前に何を話すのか。今更、月山習の事を聞いた所で彼を知る資格はない気がした。
あの時、習との約束を破って自分は屋敷を出た。
彼よりも弟のもとへ行くことを選んだのだ。


「…生きておられたのですか。まさかこんな近くに、東京にいらっしゃったとは。」
「…、はい。この…店のマスターに、助けて頂いて。」
「そうですか。」
「あ、の……」
「貴女が出ていかれた後、習様は我々や他の者達にも命じて貴女を捜しておりました。必ず見つけて連れ戻すようにと。…しかし、貴女は居なかった。カネキケンも生死不明のまま行方しれず。

結果、あの方は心を病んでしまわれました。」


言葉が出ない。目眩に座り込んでしまう。大切な人を救えず、大切な人を傷付けた。二人とも愛していたのに、守れなかった。忘れたいと目を閉じ続けていた現実。
松前の淡々とした声に、外に目を向けられず、ヒカルは再び立ち上がれなかった。謝る事すら罪悪感に憚られて、口に出せなかった。


「…私は貴女を責めてはいません。生きていたのは意外でしたが、貴女が習様のもとを離れるのは我々の意思でもありました。」
「え…」
「当時、私は不在でしたが貴女が出ていく事を屋敷の喰種は気づいていた筈。ですが、止めなかった。貴女が人間で、習様が喰種だから。共にいることが相応しくないと思う者達もいた事、貴女も解っていたでしょう。」


松前の声を黙って聞く。
冷ややかな声は、自分も含めそうだと暗に言わしめていた。


「しかし、それでも。あの日、足を折ってでも、貴女を行かせるべきではなかった。習様があのように錯乱してしまわれるのが解っていたら。しかし、もう遅い…。今の習様に貴女を引き合わせる事は出来ません。」
「…松、前さん…」
「このまま死んでいて下さい。恐らく、今はそれが一番いい。私に会った事は忘れて下さい。…次は店主がいらっしゃる時にまた来ます。」

「、ま」


次に下を見た時、松前の姿は消えていた。しんとした部屋で彼女は黙って涙を溢す。
久しく涙は枯れていたのに、蓋をしていた傷口が開いて後悔の念が込み上げてきた。

忘れてくれていれば良かった。出会った頃の、飄々とした態度で過ごしているのを聞ければまだ幾らか良かったものを。別れて一年以上が過ぎてなお自分の存在が彼を苦しめているとは。


「……習。」


会いたい。でも、もう会う資格はない。
それでも鮮明に思い出してしまう。幸せだった僅な時間。恋焦がれた甘い日々を。それはここにいては得られない、衝動的で強い愛だった。


(……殺してやろうかと思ったのに。)

松前は路地裏でヒカルの啜り泣きを密やかに聴いていた。
殺意はあった。その機会も。今だってそう。彼女を匿う道化師はいない。簡単に殺せる。しかし、あの頃の幸せそうな月山習とヒカルを思い出すと出来なかった。彼女を殺せば月山習が元に戻るかもしれない僅な可能性を潰すことになる。

松前は溜め息をついて、歩き出す。
迷惑な姉弟だと不快感を抱きながらも、ヒカルが生きていた事実に彼女は心の奥底で僅な希望を見いだそうとしていた。

―――松前。ヒカルは今、どうしてる?
彼女が淹れた珈琲が飲みたい…。

約束したんだ。
そう……約束。

僕が屋敷に帰ってきたら…あれ、僕たちは何を約束していたんだろうか…

彼女は今、どうしてる?
ヒカルはどうしていないんだ?

…何処へ…何故だ。
待っていると言ったのに!

嗚呼――食べたい。食べたい、食べたい!!何でも構わない。肉を持ってきておくれ…

彼女は知らない。
ヒカルの置いていった珈琲カップを部屋に置いて、眠りと暴食を繰り返す月山習の今の姿を。
―――――――――――
2016 06 30

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