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01アンダーグラウンドの小部屋


鍵盤に滑らかに指を滑らせる。
この一年の内に随分、巧くなったものだとヒカルは一人思って少し笑った。古いピアノはウタに彼女が軟禁されて最初に貰ったものだ。

Hysyの店の奥、地下で始まった生活は悪いものではなかった。食事は取り寄せて購入したり、深夜にウタとスーパーに行った。パンクファッションの彼が業務用スーパーなんてもの凄くミスマッチだと思ったが、ウタは嫌な顔一つしなかった。


「何でも好きなものを買っていいよ。…でも、逃げるのだけは駄目。約束だよ。」


月山と連絡を取ることも考えたが、通信手段は気がついた時には全て絶たれていた。元よりCCGに追われる身。無理にウタから離れる事も難しいと悟ったヒカルは大人しく彼に従う以外、道はなかった。

(習…)

指を止めて、かつての恋人の事を想う。きっと彼は約束を破り家を出た事に怒り狂った事だろう。
いや…、少しは悲しんでくれただろうか。彼に負担をかけたくはなかったが、あの時のヒカルには金木研が全てだった。
結局は、助けに行こうとした弟にも会えず仕舞いでこの地下でただ生き長らえるしかしていないが。


「……今日はいつになく感傷的な音色だね。」
「、ウタさん」
「誰の事を考えてたの?」


突然、後ろから抱き締められて彼女は返答に困り俯いた。ウタとは別段、恋人関係でもなく、肉体関係にもなっていない。しかし、たまにペットのように抱き締められたり、気がつけばベッドに潜り込まれている日があった。
初めの内は恐ろしくて距離を置こうと必死だったがウタは小さな子供に言い聞かせるよう囁いた。
時間を掛けて、ゆっくりと。

――僕は君を傷付けたりしない。
美食家君から無理矢理奪うつもりもない。
でも…、一緒に居て僕を知って欲しいとは思っているよ。

繋がれた手の体温は低かったが、ウタの声は何処までも暖かかった。基本的に仕事も家の事もウタは一人で難なくこなしていたが、ヒカルが共に暮らすようになってからは家事は彼女が担当になった。
とはいっても食事の準備は血酒を注ぐ位で、もっぱら自分の食事の用意のみだった。しかしウタは彼女と共に食事を摂りたがったので、彼がHysyにいる時は二人で小さな食卓を挟んだ。
彼女が食べるのを静かに見つめながら、ウタは赫眼を細めて微笑んでいた。


「自分の家に誰かが居るっていいものだね。」


底知れない瞳の奥の心は、彼女には推し量りかねるものだったが、ウタはいつも屋内にいる彼女に満足そうだった。


「…誰かいらっしゃったんですか?」


時を重ねても分からない事もまだ多いが、分かる事も増えた。ウタが少し拗ねたようにくっついて来るときは大体彼女に客が来た時だ。ヒカルの存在を知っているのはごく僅か。イトリと彼の友人である四方、そして。


「…こんにちは、霧島さん。久し振りね。」


金木研の友人であった霧島董香だった。
Hysyの薄暗い店内に彼女が顔を出すと霧島董香は立ち上がって頭を下げた。この一年で彼女も随分大人びた。出会った頃は少女と呼べる初々しさがあったが、あんていくの一件を経て、高校を卒業後。つい二月程前に四方と小さな喫茶店を立ち上げた霧島董香は美しい女性へと成長していた。


「…お呼びたてしてすいません。頼んでたもの取りに来たらヒカルさんのピアノが聞こえてきたから。」
「ううん、声を掛けてくれてありがとう。お店の調子はどう?」
「順調といえる程はまだ…。あ、また新作メニューの味見して下さいね。」
「私で構わないなら喜んで。」


他愛ない会話は以前となんら変わらない。来客は外界との接触を絶たれたヒカルの僅かな楽しみの一つだった。ウタは彼女達の会話を隣に、董香のマスクの修繕を始めた。
ヒカルをまた『:Re』に連れていってあげようか、そう思う半面、誰の目にも触れさせたくない仄暗い欲望が彼の胸に静かに在る。

解っている。
彼女をいくら固く閉じ込めようが、その瞳が見つめる先にあるものは。だがもう暫くはこの歪で幸せな時間を味わっていたいとウタは一人考えていた。

(あ、ウタさん!食事前につまみ食いは禁止ですよ!話してても見てますよ!)
(…ごめん)

嗚呼、
本当は今、君を少しかじりたい気分だよ。
―――――――――――
2015 12 24

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