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20


不思議だ。何だか最近とても身体が軽い。
叶と訓練している最中、ヒカルは違和感を覚えるようになった。
彼が打ち出してくる太刀筋が見える。まさかと思うが戦闘の才能などあったのだろうか。叶の顔を見ると、彼も何かおかしいと感じているのだろう。訝しげな眼で、彼女を見ていた。


「…貴様、何かしたのか?習様に何か戴いたとか。」
「いえ…。特に変わった事は何も。」
「これ程の異変、気付かない筈はあるまい。身体能力が上がったというより別人だ。」


手を止め、叶はヒカルに近付くと顎を掴んでしげしげと観察し始めた。人間としての匂いが以前より薄くなった気がする。瞳の色は変わらない黒のままだが。いくつか浮かぶ可能性。叶はすっと目を細めた。


「…食事は?今朝は、食べたのか。」
「ええ…。少しですけど、戴きました。」
「そうか。」


手を離す。馬鹿な事を、叶は息をついた。
彼女が喰種化しているのではないか、そんな思考が頭を掠めたが、ある筈がない。
習様は彼女が喰種になる事を望んでいない。
実験になど使うはずもなかった。

一方、ヒカルは内心、喜びに浸っていた。戦える。これで研や月山に守ってもらうばかりではなくなるかもしれない。叶には怒られそうで告げなかったが、彼女はまだ本気を出していなかった。
汗を流しにシャワーを浴びに部屋へ戻る。浴室を出るとちょうど習が彼女の部屋に入ってきた。
神妙な面持ちにふつ、と違和感が沸く。どうしたの、そう言う前にヒカルは月山の腕の中にいた。


「…習?」
「ああ、良かった…ちゃんと部屋に居たね。」


何か言いたげなのに月山はそれだけ漏らすと、彼女を確かめるようにただ暫く抱き締めていた。
何も言えなくなる。ざわざわと心だけがざわめいたが、彼女は彼に黙って身を預けていた。体の変調の事を叶から何か聞いたのだろうか。しかしそれにしては彼からの問いかけは何もなかった。


「今夜は屋敷を留守にする。貴女は絶対に此処から出ないでくれ。」
「…私に手伝える事はないの?」
「此処に居てくれるのが、一番だ。安心して出掛けられる。いいね?約束だよ、ヒカルさん。」


悲しげに揺れる瞳に頷く事しか出来ない。聞くなと目で言う癖に、触れる手は離れる事を名残惜しげにさ迷う。喰種の争いに詳しくはないが、きっとどこかへ戦いに行くつもりだ。
しかし、普段なら冷静で、董香が瀕死の時でさえ顔色を変えなかった彼がこんな顔をして何処へ行こうというのか。彼女は気が気ではなかった。


「分かった。ちゃんと部屋で待ってるわ。習が帰ったら珈琲を二人で飲めるよう準備をしておくわね。」
「うん…。ありがとう。」


前髪を撫でて、月山は離れる。彼女の瞳を静かに覗いて彼は部屋を出て行った。
甘い言葉も、冗談もなかった。不安で窓にかじりつく。携帯を握り締めて、彼女は金木研の番号を押した。ほんの少しでもいい。安心したくて。けれど何度掛けても繋がらないコール。余裕のない月山の異変。
ヒカルは黙って上着を羽織った。

(…ごめんなさい、習。)

きっと何かが起ころうとしている。
いや、もう起こっているのかも。
温い夢から醒める時が来たような、鈍い痛み。
足は少し震えていたが、屋敷の裏口の扉を彼女は抜けた。
大きな青い月が空に聳える。夜の帳がおりた街に彼女もまた飛び出した。頼れるつては少ないが、保管していた名刺を取り出し、電話番号を彼女は押した。

月山家から飛び出していくヒカルの背中を叶は見つめていた。月山からは秘かに彼女を見張っておくよう言付かっていたが、叶はあえて沈黙した。

―――人間など死んでしまえばいい。
金木研も。金木ヒカルも。
習様の心を占める輩は一人でも減った方がいい。
特に彼女など弟が隻眼の喰種であるだけのただの人間だ。

(ロゼ君…、いつもありがとう。)

しかし、笑いかける顔が、ふと、叶の脳裏に蘇る。
思えば辛辣な言葉にも彼女はいつも微笑んでいた。
何が嬉しいのか分からなかった。彼はそれが嫌いではなかったが、人間である嫌悪感を払拭するには至らなかった。


「Scheisse.貴様など…本当は邪魔なだけだ。あの方との約束も守れないならこのまま習様の前から消えてしまえばいいのだ。」


彼女の部屋には用意された二つの珈琲カップ。
言葉とは裏腹に、叶の眼は僅に歪んでいたが、やはり追い掛ける事はしなかった。

君なんか主の瞳に、
最初から映らなければ良かったのに。
――――――――――――
2015 07 25

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