海底に隠し続けた愛
※not固定ヒロイン。↑と同じ幼馴染み主。
アイスバーグside。
目が覚めた時、俺の隣で泣いているのはお前であって欲しかった、なんて。
ンマー、我ながら何とも理不尽な我が儘だな。
包帯を外しながら、アイスバーグはガレーラ仮本社の寝室を静かに見渡した。
いつも隣にいた秘書。長年、共に働いた職長達。
カリファ。カク。ルッチ。
つい先日まで在ったその存在を失った部屋は今、静寂を携え閑散としている。
最初の襲撃の後、彼が目覚めたのは女の泣き声に導かれてだった。暗闇の中、浮かんだのはもう久しく言葉を交わしていない彼女の姿。
"市長さん"
………もう何年になるだろう。
彼女が名前でなく俺をそう呼ぶようになったのは。
幼い頃からヒスイの声が好きだった。
勿論、彼女自身も。
朗らかに笑い、面倒見の良い彼女を見ていると自然と暖かな気持ちになれた。
ヒスイ。
呼べば嬉しそうに振り返ってくれた姿――はっきりと覚えていた筈のその笑顔が脳裏に朧気にしか浮かばない。馬鹿な事に漸くそこで気が付いた。
ああ、そう言えば俺もお前の名を随分長い事呼んでいないんだな。
「アイスバーグさんっ」
明るい部屋の中で生死の境をさ迷い目覚めた彼が一番に見たのはカリファの姿だけで、当然、ヒスイは彼の視界の何処にもありはしなかった。
***
プルトンの設計図はフランキーの手によって燃えた。長年の目に見えない楔と戦いは終わったが、年月により積み重なったしこりは消えない。
今更何とヒスイに声を掛けられるだろうか。
プルトンの事など話せる筈もなく、ただ曖昧に遠ざけた。詳しい事情は判らずとも彼女は察して離れた。言葉一つで片付けられるわけがない。
会いたい思いは日に日に膨らんだが、それを実行に移す事は出来なかった。
そんな彼女を彼が久しく見たのはフランキーが島を出る船出の時だった。高台の群集の中、広大な海を駆けていくサウザントサニー号をヒスイは安堵した瞳で見つめていた。
ふと、その視線が水際に降りてアイスバーグに向けられる。どんな顔をしたものか。
内心、彼は酷く焦ったが、先にヒスイの方から優しい笑顔が送られた。
"ありがとう"
何に対して。フランキーが解放された事に対しての言葉だろうか。口元が一言、そう動いて、ヒスイは遠く見えなくなった船とアイスバーグに背を向けた。
刹那、彼女の目もとが寂しげに光った事に胸がざわつく。フランキーがヒスイを直前まで気にかけていた事は知っている。そして、彼女もまた陰ながらずっとフランキーを側で支えていた事も。
だが、そのバランスの崩れたヒスイが今、何を思うのか。
(…俺が俺の夢を追いかけて良いンなら、オメーだって同じなんじゃねェのか?)
あいつはお前を待っちゃいねェ。
―――知ってる。
けどあいつはお前を昔からずっと変わらず愛してるんだ。
―――…俺だって、そうだ。
アクアラグナの後、復建されたブルーステーションのベンチで、天気の良い日、また姿を見かけるようになったヒスイ。
海図を眺める姿を見て、まさかと思ったが、アパートを引き払う準備をしている話を知った時は流石に血の気が引く思いだった。
迷いはなかった。迷う余裕がなくなった。しがみついてでも、みっともなくとも行かせるつもりはない。
爆発しそうな心臓を押さえ込んで、アイスバーグは努めて自然に彼女が座るベンチに腰を降ろした。
いま、誓いの言葉を唯一無二の君に。
(知らないんだろうな。お前なしではこの街で俺は息すら出来ない情けない男だというのに。)
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2011 05 19
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