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狼諜報員と花屋さん05


心臓が、バクバク音を立てる。
息が上がっているのではない。問題なのは自身の心の方だ。


「…ルッチ、離して」


無表情で、手首を掴んで離さない彼にヒスイは再度口にした。
すぐ後ろに迫るジャブラの気配。

―――知られたくなかった。
出来る事ならいっそ消えてしまいたい。彼の前では普通の女性でいたかった。剣を落とす。
体が自らへの嫌悪感で震えてくる。
ルッチは何も言わないまま動かぬ二人を交互に見つめると、僅かに口角を吊り上げた。


「…ジャブラ。」
「あ?」
「事情は聞かないが、この女はやめておけ。」


その言葉にヒスイは驚いて顔を上げる。当たり前のようジャブラの名を口にしたルッチ。困惑に揺れる彼女の眼をルッチは可笑しそうに覗き込んだ。


「…どうした?俺と後ろの男が知り合いなのがそんなに意外か?お前の目も腑抜けたな。」
「、…」


その軽口にすぐに言葉が出て来ない。
街の人間ではないとは思っていた。
だが、まさか……彼が政府側の人間だったとは。ゆっくりとヒスイは凍りついた顔のままジャブラの方を振り返る。
すくみきったヒスイの目を見てジャブラはルッチから彼女を引き剥がした。


「お前の指図は受けねぇよ。」


温かい手がヒスイの肩に触れ、庇うようジャブラは彼女の前へ。赤くなった手首をさすりながら、ヒスイは彼の服の裾を握りしめた。


「…ジャブラさん、…」
「いい。俺にはお前がどこの誰だろうと大した問題じゃねェ。」


お前が悪い人間じゃねぇのは分かってる。
俺はそれで構わない。
とてもシンプルで、心強い言葉だった。
安心させるように笑った彼の顔を見つめた後、ヒスイは再びルッチへ視線を移す。
彼はその視線に肩を竦めた後、小さく溜め息をついて鼻を鳴らした。


「…全く。バウンティリスト位頭に入れておけ、野良犬。貴様、今、誰を庇っている。」
「あァ!?んだと、この化け猫が…ッ」
「やめて!ルッチ!」
「その女は政府に指名手配されている重要人物だ。なァ…?クロノス。」


その投げかけに、無言でヒスイはジャブラの背に身を寄せる。ルッチの言葉。視線。気配。全てから逃げ出したくて。
冷ややかな彼の眼を見ると、嫌でもあの頃の凄惨な光景が瞼の奥でちらつく。
怖い。目の前の色が失われていくようだ。手のひらを返したように、ジャブラも自分を捕まえに掛かるのだろうか。…彼女は花が恋しくなった。
いつか、ジャブラがくれたあのアネモネに縋りついて、泣きたくなった。

―――どうか、
あの時の気持ちまでなかった事にしてしまわないで、

俯いたままヒスイはジャブラの側から動けない。真っ青に青ざめた彼女を彼は横目で見やると、不快そうに正面からルッチを睨みつけた。


「――ルッチ…てめェ人が悪いにも程があるぜ。」
「何がだ。俺はそいつが自分で言えない事実を代弁してやったまで。」
「…。ヒスイ、顔上げろ。」
「、…でも…私」
「大丈夫だ。」


俺達はもう政府側の人間じゃねェ。
顎に手が添えられて、涙の溜まった顔が上向きになる。

放心した表情。彼が言った事がどういう意味なのか、彼女にはあまりに言葉が端的過ぎた。
ジャブラはほんの少し苦笑すると、説明を付け足す前にその体を抱き寄せる。


「ヒスイ。」
「…はい。」
「俺はお前が好きだ。花屋であってもなくても、例えお前がクロノスでも。……正直、ちっと驚きはしてるがな。」


けれど最早、自らも世界政府から追われる身となった今では想いを伝える障害にはなり得なかった。むしろ都合が良いとすら思える。彼女の髪に顔をうずめてジャブラは離すまいと腕の力を強くした。


「俺と来いよ。そうすれば俺が強ェからもうお前は戦わなくていい。」


反応はすぐには返らない。が、心の奥底からすくい上げるようなその台詞はやがて小さな嗚咽誘い、彼女もまたジャブラを強く抱きしめた。

背後から刺さる迷惑そうなルッチの視線。
ジャブラはそれに振り返る事なく、彼女を抱いたまま口を開いた。


「お前が駄目だっつーなら俺はここで進路変更だ。俺はこいつと行くからよ。」
「……好きにしろ。ヒスイ、小事でいちいち泣くな。聞き苦しい。直に野次馬が集まり始める。出立の準備をするぞ。」


肩から羽織る黒のジャケットを翻し、ルッチは静かに歩き出す。
ジャブラは一瞬、驚いたように顔をあげたが、すぐにヒスイに向き直った。
まただ。黒い感情が痛みを伴い体内をざわついて気持ち悪い。本来なら甘い考えを一蹴するあの男があまりにあっさり己の我儘を許すから。不要な勘繰りが胸を渦巻く。


「――なあ…ヒスイ。」
「…?」
「いや…、」


言いよどみ、ジャブラは言葉を濁した。
感じとった違和感は殺して、ヒスイの優しい匂いを彼は吸い込む。
そうだ。取られなければいいのだ。
こうして今、抱きしめているのはルッチではなく紛れもない自分なのだから。


「お前の答えを聞かせてくれ。」


言葉が欲しい。
その言葉で、少しは安心出来る気がする。
それから、


「ジャブラさん、私…貴方が好きです。貴方と一緒にいたいです。」


思考回路一旦停止。
真っ直ぐな笑みと魔法の言葉にジャブラは全部どうでも良くなって、彼女の唇に口付けた。
―――――――――
2011 03 22

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