ゲスな貴方に片想い:キリノ様


使い古した電池の消費が早い。
緊急の連絡があったら対処が出来ないということで、バッテリー交換をしにいったら30分も新型のスマートフォンの勧誘に晒された。
なんとか回避したはいいものの、在庫のバッテリーを探しにいった店員はまだ戻らない。
忘れられているのか。
黒子は影の薄さのみならず、注文した事柄への印象まで薄くなるとは思ってもみなかった。
それとも単にこの携帯ショップの利用客が多くてパンクしているからか?
近所の小売店よりも大きい、携帯会社直営の店はデザイン性に富んだ装飾だ。
敷地面積も広く、販促用のブースだって凝っている。
ふわふわのソファだって座り心地がいいから、黒子は待ち時間にこれといって不満はない。
この際、とことん待ってやろうか。
そう思って鞄の中に無造作に入れてきた文庫本を取り出し、その中身を開いた瞬間だ。
「―――っあ゛」
白い本の上に載った、赤い斑点。
とっさに鼻を押さえて、鞄の中を探る。……使えそうなものがない。
いつもタオルもハンカチも常備する黒子には痛いミスだ。
昨日の夜にすべて洗濯機に放り込んでしまって、ティッシュしかない。
それも2、3枚だ。
あぁ、先ほどすれ違ったティッシュ配りのお姉さんに認知されていたら!
吹き出す鼻血は黒子の対応をおとなしく待ってはくれない。
急いで文庫を安全なところに避難させ、左手を受け皿として犠牲にし、ティッシュを掴む。
どうにか出血を押さえるものの、久しぶりの鼻血故か、すぐにティッシュは赤に染まった。
滴るほどの出血。
だが、黒子の隣のカップルはこれといって黒子に気づかず、談笑を繰り広げている。
2度店員が黒子の前を通ったが、黒子の呼びかけには答えてくれなかった。
トイレに立とうと思ったが、奥まったところにあるのか黒子の位置からは伺えない。
ここは冷静に、おとなしく血が止まるのを待つしかないのか。
黒子は無言で鼻頭をつまみ、動かないことにした。
その間にも契約がとれて笑顔の店員を観察し、恋人の携帯に難癖をつけるカップルにセールトークをぶちかます女性の勇姿を見守った。
1分30秒。
まだ血は止まりそうにない。
『ソファを汚すのはさすがにまずいですよねぇ……』
上着を1枚犠牲にしよう、その時は。
ティッシュの残量は0である。
左手は手首まで真っ赤に染まっていた。
別にパーカー1枚ぐらいは部屋着にしてしまえばいいのだし、どうということはない。
それよりもボクの携帯のバッテリーはまだなのだろうか。
そろそろ真っ赤に湿ったティッシュが限界なのを見越して、黒子が上着を脱ごうとしたその時だ。

「おい、」
「はい?」

鼻にティッシュ束が押しつけられた。
「っぶ!」
「押さえてろ。店員さん、雑巾でいいから濡らして持ってきて下さい」
「えっ」
「早く。ソファが汚されます」
冷静な男の声に、女性定員が複数、事態を把握してせわしなく動き出す。
いきなりソファに左手が血だらけの少年が現れた気分らしい。
失礼な、最初からいたんですけど。
そんなツッコミが黒子の脳内で捻出されたのは、ティッシュを差し出した恩人の顔を覗いた時だ。

「は、な―――」

花宮、真……?

二度見する。
間違いない。
この特徴的な麿眉。
忘れるものか忘れられる訳がない。
「店員に声かけろよ。バカじゃねえのか」
「あ、えと。…言っても誰も気づいてくれなくて」
「試合の外でも影薄いのかよ」
悪態づきながら、花宮は店員に差し出された配布用のティッシュと、なんとか汚くないかなという程度の濡れた雑巾を使って黒子の血を拭っていく。
「あの、自分でやりま」
「黙ってろ」
あの花宮真が甲斐甲斐しく黒子を世話している。
どういうことだこれは。
後でとんでもない見返りでも要求されるのだろうか。
ぐるぐるする頭を余所に、黒子の出血は止まらない。
不安げで、手伝わなければそれはそれで人前がゆえにショップの印象を落としかねない。
が、手伝う隙間を見つけられず、かつ他人の鼻血なんてものを拭いたくもないといった様子の女性定員2名を、花宮は幾分凄みをきかせた声で退散させ、膝をついて黒子の左手を元の色に戻していく。
「止まったか?」
5分後、少し疲れてしまった右手を鼻から離せば、ようやく血は止まったようだった。
顔面をごしごしと、血を拭う要領で花宮が綺麗にしていく。
「―――もしかして、人違いなんですか?」
「ぁ?」
「花宮真、さん、ですよね?」
「間違いなくな。黒子テツヤ」
うん、間違いなく花宮真本人ではあるらしい。
ご丁寧にコンビニのビニール袋に血にまみれたティッシュの残骸と雑巾を入れてから、ゴミ箱に放り投げにいく。
その頃にようやっと黒子の担当者は黒子のバッテリーを見つけたらしく(本当に探していたらしい)、深く頭を下げて携帯を渡してくれた。
「今日の運勢最悪なんじゃねえの?」
「……本当に最悪だったら、ボクは貴方に会っていないと思います」
 黒子は先ほどの店員よりも深い角度で花宮に頭を下げた。
「ありがとうございました。助かりました」
花宮の舌打ちが聞こえてくるが無視である。
顔を上げる過程でとんでもないものに気づいた。
「ぁ、!」
「あ?」
「花宮さんごめんなさい!血!」
花宮の私服に小さな赤い点が付いてしまっている。
十中八九黒子の鼻血だ間違いない。
デザインと言うにはあまりにも花宮の服はオシャレ過ぎていた。
上質な生地だというのは見てわかる。
「変に触るなよ?クリーニング出すから」
「ちょっ!弁償しまっ―――」
「法外な値段要求してやろうか?誠凛バスケ部に」
ひっ、と反射的に黒子の顔が歪んだ。
花宮は満足そうにニヤつく。
「……まぁ、そうだな。かわりに、ちょっと付き合え」
「所持金は1200円しか、」
「貧弱な高校生らしい財布だな……」
呆れ顔になりながら黒子の手を引き、花宮は店舗入り口の無料充電機から、抹茶色のカバーのスマートフォンを取り出す。
「飯はまだだな?」
「い、家に帰ってから食べようと」
「じゃあ先輩に誘われてファーストフード食うってメールしとけ。運動部の上下関係ぐらい、バカな親でもわかるだろ」
そりゃ先輩には違いありませんけども、とはつっこめなかった。








「エロいことでも考えてたのか?」
「卑猥な想像で鼻血出すなんて迷信ですよ」
高校生が使うには少し高い料金設定のバーガー店。
作りたてとこだわりのソース、他のファーストフードにはない落ち着いた雰囲気に、種類豊富なドリンクが特徴である。
花宮が店員に頼んで多めに付けて貰ったウェットティッシュで、黒子の抵抗を完全無視して顔にわずかに残っていた血の痕を拭っていく。
「意外です」
「だろうな」
黒子の言わんとしていることがわかっているようだった。
花宮はこれといって表情を変えない。
黒子の顔に触れる指は優しくて、傷つけることを予想させない。
「ボクの中の花宮真の行動予測は、ソファに座って丸まって鼻血に困っている敵対チームの選手の様子を携帯のムービーで撮影しながら、指をさして笑いを堪え、これといって助けもせずにそのまま店を後にして、チーム仲間に見せて爆笑の話題にするという感じでした」
「正解に近いと思うぜ?」
怒ると思っていたがそうでもない。
花宮はじっと黒子の顔を見つめて、頬や唇を指でたどった。
思わず心臓が跳ね、目が泳ぐ。
至近距離で他人に見つめられる経験は浅い。
ただでさえこの男、ご丁寧に顔だけは綺麗だ。
心は墨よりも黒いが。
「……よし。まぁ、いいんじゃねえの」
次は腕。
と、向かい合うのではなくカップル用の大きなソファに陣取ったのをいいことに、黒子の左腕を持ち上げてその爪や指先の血の痕を拭っていく。
「だから、あの。自分でやります……」
「いいからされてろ」
この人さっきからすごく楽しそうだ。
黒子はなすがまま、花宮真の観察と、マジバ以外のバニラシェイクの味を堪能することにする。
花宮の奢りだった。
レジ横のドリンク広告をじっと見つめ、その下の640円などというドリンクにかけるにはあまりにも高額な料金設定にしょげていた黒子に気づいていたのかいないのか、あっさり2つ頼んで1つを黒子に握らせた。
「―――!」
おいしい。
ものすごくおいしい。
とろりとしたジェラートのような、くどくないバニラの香り。
透き通るのどごし、しかし舌の上に残る適度な甘さ。
マジバのバニラシェイクの5倍近くの料金設定なだけはある。
「お前、なんでもかんでも顔にでるんだな」
くくっ、と喉を鳴らす花宮の一言に、黒子は首をかしげた。
「……初めて言われました」
無表情だ、感情が読めない、もっと喜んだ風にしろよと相棒の火神には毎日のように言われる。
ちょっとした日々の喧嘩の種だ。
黒子としては喜んでいるし悲しんでいるし怒っているつもりだが、生来影が薄く、ちょっとした変化に気づいて貰った試しがない。
おかげで人前でオーバーに喜ぶ癖は子供のうちにパタリと消えた。
「結構、なんでもかんでも顔にでてるぜ、お前」
爪にこびりついた血を、花宮は嫌そうな顔ひとつせずに払っていく。
「嫌だとか気味悪いとかわけわからないとか。俺に向けてコロコロ表情変えてたぜ?」
「あんまりそういうの、気づいて貰えないので」
「薄情なお仲間なこって」
「影が薄いんですよ、ご存じだと思いますけど」
花宮の指が黒子の手首へのびた。
新しいウェットティッシュの袋をあけて、手首から肘へ伝ってしまった血の線を、ツー……と、ゆっくりたどる。
「……っ、」
こそばゆい感覚に黒子は肩をふるわせた。
「気持ち悪くないですか」
「何が?」
「あの、他人の血、触るの」
しかも鼻血。
いや、どこから出た血でも嫌だと思うが。
黒子だって触りたくはない。
「別に触っちゃいないから大丈夫だろ。んだよ、性病にでも感染してんのか?血液感染の」
「検査した経験ないからわかりませんけど、異性との性交渉の経験はないので可能性は低いですよ」
「ならイイんじゃねえの」
「いや、貴方が気持ち悪くないのかというお話でですね」
花宮真だったらそのまま、今握っている黒子の手首をポキリと折るのではあるまいか?
黒子の知る花宮真であったなら。
バニラシェイクの味は濃厚で、気を紛らわすにはうってつけの味だったけれど、黒子の頭は痺れたように、ハテナマークを量産し続けた。



「お礼とお詫びは、させてください」
連絡先の交換は花宮が折れるまで黒子が打診し続けた。
「いらねーよ、だから。1200円の小遣いやりくりする奴からカツアゲとか非生産的すぎる」
「悪童なら、ボクに両親の財布から万札スってこいとか言わないんですか!?」
「だからてめぇの中のオレは何者なんだよ」
ただの極悪人じゃねえか。
と、言う花宮にその通りじゃないですかとしか黒子は返せない。
ラフプレーに卑怯な作戦バリバリの貴方が何をおっしゃいますことやら。
「……ちょっと胸くそ悪いことがあったんだよ」
「はい?」 
「てめぇ見つける前に、親子連れに落とした財布拾われた」
「いいことじゃないですか」
「人に親切にされるのは気に喰わねぇ」
「め、めんどくさい人ですね!」
「で、お前に親切にしたってことで相殺した。これで後は普通にあくどくいつも通り生きていける」
「めんどくさい人ですね!」
大事なことなので2回叫んだ。
味のついたポテトはカリカリでおいしい。
ということはアレか。
他人に助けられてイライラしていた彼は、他人を助け返して親切心を社会に変換した訳か。
そうして困っていた黒子を助けたので、その後は普通に元の花宮真に戻るのだと。
「……。なんか、その種明かしを聞けてよかったような気がします」
「あ゛?」
「うっかり道を踏み外すところでした」
何のだ、と問いかける花宮には、木吉先輩の敵をイイ人だと勘違いするところだったと当たり障りのない返事を返した。
花宮は一足先にシェイクを飲み終え、残りのポテトを黒子のトレイに移す。
連絡先はなんとかメールアドレスだけを教えて貰った。
「お礼は何が」
「知るか。適当に考えろ」 
花宮はそっけなく答えて、店を後にした。












「花宮ー。お客さん来てる、んだけど……」
原の戸惑いがちな声に、花宮はいったい誰だ、やめさせた監督か、と眉をひそめて体育館の入り口に向かう。
「あ゛ぁ?黒子テツヤ?」
「どうも。お礼を渡しに来ました」
「……何のだよ」
と、言った後に気が付いた。
そういえば二ヶ月ぐらい前に、繁華街の携帯ショップでこいつを助けた覚えがあるようなないような。
あの日は一日中機嫌が悪かった。
何故なら他人に親切にされたから。
「案の定だとは思いましたが、送られたアドレスがでたらめで、何度送ってもメールが戻ってきてしまいましたので、こうして直接伺いました」
「60日近く前のこと蒸し返してんじゃねーよ。気味悪ぃ」
「せっかく今吉先輩に花宮さんの中学時代の趣味を聞いたり、古橋さんや瀬戸さんにお願いして色々教えて貰ったんですから」
反射的に振り返った視線の先の古橋と瀬戸は、別にいーじゃんそれぐらい、という顔をしている。
「ダーツが得意と聞いたので、叔父が経営している輸入雑貨点から欧米のクラシックモデルを出世払いで。と、言うかもう店閉めるらしいので一番高いの貰ってきました。あと、祖父の遺品の銀のブックマーカーセットなんてあるんですけど」
「ダーツは貰うが遺品渡すな」
「花宮さんはそういうの気にしないかなって」
差し出された木の箱の中身に花宮はやっぱ貰うと即答だった。
本好きの黒子だって喉から手がでるほど欲しい代物だったので、若干名残惜しげに箱を見つめる。
「……随分豪華な礼だな、まったく」
「はぁ。ボクもそう思います」
2品を見つめながら、黒子はほほえむ。
「でも、希少な花宮さんの親切へのお礼ですから。これぐらいしないと相殺できないかなぁと」
「……おまえには返さないぞ絶対に」
「別にお返しはいりませんので、少し発言の許可を頂けますか」
そうですね、30秒ぐらい。
と、黒子がどこか焦った様子で言う。
花宮は少し様子がおかしかったので興味をもってしまい、黒子の次の言葉を待った。
「2ヶ月間、貴方のことばかり考えていたら、いつの間にか好きになってしまいました。
性病の検査なんかもしてきたのですけれど、とくに問題もなかったので、よろしければどのような形でもかまいませんので、ボクと付き合って欲しいです。あ、腕と顔と足が無事なら暴力行為も大丈夫です。
部活の情報とかお金は渡せませんけどそれ以外なら何でもしますので。サンドバッグでも性欲処理でも、お好きに使って頂けませんか」
「それは付き合うじゃなくて身売りだ!帰れ!」




花宮の鋭いツッコミむなしく、この直後、提出し忘れていた宿題をクラスメートが出しておいてやったぜ!
と黒子の背後から報告しにくる―――などという不測の”他人に親切にされる”事件が発生するのである。

告白の返事は如何?






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