王女と情夫
「おら! お待ちかねの水だぞ小僧! 飲めよっ!」
 手足に鉄の枷をはめられた不二は、暗い石室の奥で衛兵にされるがまま、桶の中の水に顔を押し込められていた。自由を奪われた彼の身体がもがき、水面は波立ち気泡が湧き上がってくる。しばらくして水から解放された不二は、咳き込み生理的な涙を流す。だが息つく暇もなくまた顔面を水の中へと押し付けられた。
 不二の鼻孔に水が入り込む。そしてまた顔を上げられた時の不二の苦痛にゆがむ表情を見て、衛兵たちは腹を抱えて笑った。
 幽閉されてからしばらく経った。外の世界で何日が経過しているのか、それを知る術が不二には無い。食事も運ばれてこない、定期的に給水と言う名の拷問を与えられているのみで、彼の時間感覚は狂いきっていた。だが、彼はだいぶ衰弱しているものの死んではいない。そのことから、まだそれほど時間は経っていないのだろうと不二は推測していた。
 衛兵たちは一応、不二の身体に傷を一切付けないという命令を守っていた。だが体に傷をつけないで捕虜の心を折る方法などごまんとある。衛兵たちは体ではなく心に痛みを刻み込む行為を、いくつか不二に対して行っていた。その一つがこの地獄のような給水行為である。
 拷問の訓練を受けたプロならば、この程度の行為など鼻で笑い飛ばせるだろう。しかし、不二は先日までどこにでもいる普通の高校生だった。彼自身はまだそのつもりである。この夢が覚めるのはまだかと願い続ける彼のプライドが折れるのに、そう時間は掛からなかった。
 そう、これは夢だ。痛みを伴う悪夢なら、プライドを捨てたとしても楽な道を進みたい。
「随分と無様な姿になったな」
 鼻で笑う王女の前に跪く不二。そして、彼女の足の甲へと彼の唇が落ちた。不二は、自分のその状況がいつか覚める悪夢だと信じ、情夫になる契約を結んだのである。彼がこの世界に迷い込んで、丸三日が経過した晩のことだ。


 それからの状況の変化は劇的なものだった。
 まず牢から出された不二は、すぐさま浴室へと放り込まれた。幽閉されていた期間に様々な汚物を被せられていた不二にとって、それはとてもありがたかった。しかし問題は、当然のような顔をして入ってくる少年たちであった。
「え、あ、あのすみません……。自分でやりますから」
 三人の少年たちは皆年の頃10歳前後である。不二の部屋よりも広い大理石の脱衣所で、彼らは不二の汚れた服を脱がしにかかった。自分よりも非力で小さな少年たちを突き飛ばすわけにもいかず、戸惑うばかりの不二。何より彼自身、すでに体力の限界が来ていた。やがて身ぐるみが全て剥がされた頃、押し込まれるように浴場へと連れて行かれる。
 そこは不二の家の建坪より広い空間だった。壁も床も一面がモザイクタイル張りで、摩訶不思議な幾何学模様を形作っている。そこで不二は口を開かない少年たちの手によって、頭のてっぺんからつま先まで一つの垢も残さず洗われた。同時進行で軽食が口へと運ばれたことが彼にとって唯一の救いだった。瑞々しいサラダやフルーツ、見たことのない形のソーセージに似た肉の加工品などを不二は夢中になって頬張った。そして彼がその泡地獄から解放されたのは、およそ一時間後のことである。
 その後も手触りのいい布で髪の毛の一房一房を丁寧に拭われ、体も甘い香りのするオイルを塗り込まれながら丁寧に拭き取られた。その間にも絶えず食事は運ばれてくる。今度は何かの肉が香辛料で辛く煮込まれたものが、一口サイズで口元に差し出された。それはなかなか不二好みの味付けで、二口三口と強請っているうちにまるで雛鳥のようだと不二は我に返った。落ち着いて咀嚼しているうちに、甘い香りを漂わせる紅茶も差しだされる。不二の腹がやっと正常になった頃、やっと拭き作業が終わり、彼は清潔な衣服を着せられた。
 上半身は袖もボタンのない濃紺の上着一枚。下半身は白くゆったりとしたパンツで足全体を覆っている。あの王女と同じような形のものだ。不二はそこで初めて、この履物が最近流行っていたサルエルパンツに似ていることに気付いた。不二自身は好んで履かないが、休日友人たちと遊ぶと誰かが必ず身に着けていた。
 不二の全身を映す金縁の姿見の前で、彼は椅子に座らされて髪と爪を整えられている。ここに至るまで不二は何一つ自分で身支度をしてはいなかった。それどころか、食事すらも口を動かしていたのみである。まるで自分がどこぞの姫にでもなったようだと苦笑した。
「どうぞこちらへ。アイシャ様がお待ちです」
 やっと少年の一人が声を出した。見違えるほど清潔になった自分を鏡越しに一瞥しつつ、不二は少年の後を付いていく。数日前自分が駆け抜けた薄暗い廊下をしばらく歩くと、見覚えのある大きな空間へと出た。
「アイシャ様。お連れ致しました」
 跪いて顔を伏せる彼に、冷たい声の返事が届く。
「ご苦労、下がっていい」
 無感情な少年は、その言葉を聞くとそそくさと部屋を後にした。彼の後姿を見届けると、不二は部屋の奥にて鎮座する妖艶な少女を見据える。そして、これから自分が仕えることとなる高飛車女と、その周りにへつらう四人の男へとゆっくり近づいた。
「やはり、美しい」
 彼女はうっとりとした表情を浮かべ、幾重にも重なったクッションの上に寝そべっていた。その王女の口へ甘そうな砂糖菓子を運び込んでいる男が一人。足元で王女の爪を磨いている男が一人。極彩色の羽で出来た扇で彼女へ微風を送る男が二人。その四人は全員不二と似たり寄ったりの格好をしている。そして皆、見目麗しい十代後半の男子ばかりだった。
 男たちの内、王女と同じ肌の色の者は三人だった。残りの一人は不二と同じく東アジア系の黄色がかった肌の色をしている。しかし黒髪茶目ばかりの彼らの中で、不二は明らかに異質だった。
「もっと近くで、顔を見せよ」
 王女が起き上がり、不二を手招きする。男たちの視線が痛い。視線を泳がせつつ王女の前に跪くと、彼女は絡みつくようにして不二の背に腕を回す。
「っ!?」
「その初心な反応が良いな、えっと……。ああ、そうだ。お前、名は?」
 不二に抱き付いたまま後ろに倒れる王女アイシャ。不二と一緒にクッションの海へダイブした彼女は、子供っぽい笑みを浮かべながらそう問いかけた。
「不二、周助……」
「フジ……なるほど、涼やかな響きが気に入った。今日からお前のことはフジと呼ぼう」
 満足げに『フジ』という名前を繰り返すアイシャ。不二は存在を無視された『周助』の名を思ったが、彼女にその名を呼ばれなくとも何ら支障はないと考え、気に留めないことにした。彼がそのようなことを考えている間にも、不二の唇を濡れた視線が捉える。そして、アイシャが不二の口元を指先で軽くなぞった。
「な、なにをっ!?」
「何を?」
 慌てて起き上がり後退する不二に、アイシャは眉を顰める。
「お前、さすがに情夫の務めが何かも分からぬほど、子供ではなかろう?」
 実は少々、下の発達具合には心配があるのだが。そう言ってアイシャは高らかに笑う。彼女の他の情夫たちも、便乗して下品な笑い声をあげた。彼らの品定めするような視線が自分の下半身へ向かっていることに、不二の男としてのプライドがぐらつく。
「まぁ、いざとなれば手と舌さえ使い物になれば」
「っ!?」
 そして、急に距離を詰めてきたアイシャの手が、不二の下半身を覆う布を剥ごうとする。
「や、めっ……!」
「なんだ、また地下牢へ戻りたいのか?」
 褐色のつり目が不機嫌そうに細められる。その言葉が決定打となり、不二の表情は諦め一色に染まり、抵抗は一気に微弱なものとなる。だが、人間としてせめて冒されたくないラインを死守すべく、彼はなんとかアイシャの腕を止めた。
「お願いします。……せめて、彼らを別のところへ……」
 先ほどから意地悪い笑みを浮かべて一部始終を傍観している彼らへと、視線を向ける不二。アイシャは一瞬何を言っているか分からないといった表情を浮かべ、そして次の瞬間。
 思いきり吹き出すようにして笑い出した。
「おい、聞いたかお前たち! まるで処女のような愛らしさではないか!」
 その一言によって、不二の頬へと一気に赤みが差した。羞恥と怒りが混ざりあったその表情を、男たちは指差し笑う。
「こんなに頬を赤く染めて、人の目が気になると言う。もしかして明かりがついているのも嫌か? 裸を見られるのが怖い? ああ、快楽に歪む自分の顔を見られるのが恥ずかしいのか」
「アイシャ様。あまり虐めては可哀想ですよ。もしかしたら泣いてしまうかも……生娘のように」
「なんと! それは楽しみだ。フジ、お前が泣く様はさぞ綺麗だろうなぁ。ぜひ見てみたくなった。私は今からお前を泣かせることとしよう」
 王女の唇が嗜虐的な笑みを描く。下品な男たちの笑い声と視線が、不二の精神を蝕んでいった。
 王女の細い手が不二の衣類を剥いでいく。抵抗する腕は男たちによって抑えられ、不二のあられもない姿がランプと月明かりの元に晒されてしまうのに、そう時間は掛からないだろう。
 これは夢だ。酷い悪夢なんだ。
 不二周助はただただ目を閉じ、音を拒絶し、時が経つのを待った。目覚めたその時には見覚えのある国の風景が広がっているようにと、何度も誰かに懇願した。そうしている間にも自身の身体は暴かれていったが、できるだけ現実を直視しないことで平常心を保った。保っているつもりだった。
「ああ、フジ。やはりお前の泣き顔は美しい。穢れを知らぬ乙女のようだ」
 だがこの時すでに、不二の精神は限界を超えていたのだ。




 不二が目を覚ました時、あたりには水煙草の煙が充満していた。すでに夜明けの光が部屋に差し込んでいる。不二はその煙たさと自身の身体に纏わりつくべたつきに不快感を覚えた。そしてゆっくり起き上がると、すぐ隣にアイシャが寝ていることに気付く。
「よぉ、どうだよ。童貞喪失の感想は」
 声の主は水煙草の煙の先にいた。壁に凭れかかり喫煙を繰り返すのは、情夫たちの中で唯一不二と肌の色が同じ男だった。不二は全裸で寝転がるアイシャに手近な布を掛け、そっと起き上がる。
「優しいねぇ」
「別に。目のやり場に困るだけ」
 小さく口笛を吹き冷やかすような口調でそう言う男。不二は眉を顰めながら、自分の衣服を探すために立ち上がった。体の節々が痛むのは、絨毯の上で寝てしまった所為だけではないだろう。
「で、どうだ。感想」
「別に。女性じゃあるまいし、感慨なんてないよ」
「その割に大泣きだったじゃねぇか」
 不二の息が詰まる。固く握りしめた拳に鈍痛が走った。
「こんな美少女に筆おろししてもらったってのに、あのリアクションは随分なんじゃねえの? もしかして女は専門外とか?」
「黙れ。……理由なんてない。何も考えていなかったんだ」
「……ああ、そうかよ」
 不二の睨みに折れたのか、男は煙草を持っていない方の手を挙げておどけた。ちょうどその時、部屋の隅に投げ捨てられていた自分の衣服を発見し、不二はそれを緩慢な動きで身につけた。言いようのない気だるさが彼の全身を襲う。欠伸をもらし、もう一眠りしても良いだろうと思ったその時。
「まぁ、あんなもんだと思わない方が良いだろうな」
 冷たい声が背後から不二の動きを止めた。
「は?」
 振り向くと、水煙草の男は険しい顔で不二を見据えている。
「昨日のお前のあの待遇は破格だ。アイシャ様は少しでも機嫌を損ねると容赦なく首を刎ねさせるぞ」
 その言葉の重みは、不二にとってどこか遠い世界のことのように思えて仕方がなかった。頭ではその危険性を理解している。あの我儘で理不尽な王女のことだ、気分一つで人も殺せるだろう。しかし、この世界で死ねば自分がどうなるのか。一縷の望みに縋って見たくなるのもまた事実だった。
「俺も今まで、彼女のお気に入りが何人も首を刎ねられてきたのを見てきた」
「なら」
 不二の口元が緩む。それは悲しげな微笑みだった。
「はやく、僕の首も刎ねてくれないかな」
 帰りたい場所があるんだ。そう言って、不二は壁に背を預けズルズルと座り込む。そして動かなくなった彼に、水煙草の男が駆け寄った。不二は壁に凭れかかったまま、死んだように眠っていた。


 潔癖気味である不二だが、それでも健全な男子高校生らしく性的な動画や画像には定期的に世話になっていた。けして頻繁にというわけではなかったが、それでも女体に対しては人並みに興味を抱いていたと言っていいだろう。だがしかし、彼は貞操を喪失し泣いた。それは事実だった。
 自分より年下の、あどけなさすら残る少女に半ば無理やり襲われた。そしてその光景を、同年代の男たちに好奇の目で見られた。男たちの中には、不二の性器を子供のようだと言って笑う者までいた。少女に圧し掛かられ、成す術もなく何度も果ててしまった自分への嫌悪感。同年代の男たちへ抱いた劣等感と羞恥心。人に嘲笑われることに慣れていない彼の心を、彼らの高笑いはいとも簡単に破壊しつくしていった。
 彼は男としての矜持を片っ端から折られ、その悔しさから涙を流したのだ。
 突然の環境変化、数日に渡る幽閉と拷問、何度も砕かれたプライド。不二の精神はいよいよ全壊を目前としていた。
「フジ。お前は美しいな」
 そして、情夫としての生活が始まり二週間が経過した。
 アイシャが新しい遊びを考え付くたびに、不二は泣いてそれに抵抗した。女装に玩具、侍女たちの前での行為。言葉で記すのも憚られるような内容の遊びをしたこともある。だが慣れとは恐ろしいもので、不二は段々それらの行為に耐性ができてくるのを自身で感じていた。
 今しがた言い渡された『いやらしく服を脱げ』という命令にも、彼は多少の嫌悪感こそ抱くもののたどたどしく身に纏った衣類を脱ぎ捨てていく。だが、その美しい顔に表情はなかった。
「どうした? お前、最近やけに従順だな」
 一糸纏わぬ姿で跪く不二の顎の下を撫でるアイシャ。面白くないとでもいうような表情に、彼女の一番の側近である情夫が耳打ちする。不二はその光景を他人事のように見ていた。
「フジ。じゃあ今日は、犬になりきって私の身体を舐めてもらおうか。……良しと言うまで、お前が果てることは許さない。ああ、あと。発言も許可しない。犬はどう鳴くか、分かるな?」
 アイシャが言い終えた途端、どっと湧き上がる笑い声。しかしその中でも、不二が表情を変えることはなかった。ただ、あの不二と同じ肌の色の男だけが、その不二の様子を不審そうに見守っていた。
「わん……」
「おお、フジ。お前は可愛いなぁ……。そう、そうやって頑張って口だけで私の服を脱がしてみせろ……」
 無感情な海色の瞳が、アイシャを見据える。音もなく流れる涙を、彼女は満足げに拭った。


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