私は望んでない
 その後、町の診療所に運び込まれた高杉と銀時は、医師たちの手により傷口を縫われたり関節を嵌め直されたり感染症予防の抗生剤を投与されたりと、適切な治療を受けたのちに一日の入院を余儀なくされた。
 開け放たれた窓から吹き込む夕暮れどきの風が、病室の白いカーテンを揺らす。処置室からようやく病室へ移された高杉は、全身に纏わりつく疲労感からかバタリと仰向けでベッドに倒れこんだ。
 横を見てみると、同じように仰向けで倒れこんだ銀時が駄々っ子のようにその場で足をバタつかせている。
「あーもう腹減ったよー病院食まだかよー」
「夕食は六時からみたいですよ。あと一時間ですね」
 左頬を枕に押し付けてそう呻く銀時に、窓を閉めながら松陽がそう答えていた。すると銀時は絶望的な表情を浮かべながら、三角巾で首から吊られた利き手とは逆側の手を使って飛び起きる。
「はァ!? んなに待てるか!? こっちはどっかの泣き虫ブスぶん投げて肩脱臼した上にどっかの気絶した後追い馬鹿に噛みついて首がもげそうになったんだぞ!?」
「おい、誰が後追い馬鹿だ」
 今日一日でどんだけ体力使ったと思ってんだよ、と妙に声高に騒ぐ銀時に一応反論しておくが、当然のように無視をする天然パーマはわざとらしくヘロヘロと布団に再度頭をダイブさせる。
 そして、その赤褐色の眼でそっと、窺うように高杉のベッドの方を見上げた。
 正確には高杉のベッドの更に右奥だろう。釣られて高杉もそちらに目をやると、廊下側の壁際に立ち尽くしたまま、みやびが難しい顔をしていた。
「おいブス、いつまで辛気臭い顔してんだ。俺もこいつも無事だったんだぞ」
 性懲りもなくみやびをブス呼ばわりする銀時だが、対するみやびはあの時のようには怒らない。眉間に薄く皺を寄せたまま、何か考え事をしているように見えた。
「井上、どこか体調でも悪いのか?」
 みやびの一番近くに立っていた桂が心配そうに顔を覗き込む。それでようやく意識がこちらに向いたらしいみやびは、慌てた様子で声を上げた。
「だ、大丈夫! なんともない!」
「無理をするな、だいぶ疲れただろう。随分と走り回った上に、高杉の心肺蘇生までしたんだ」
「そうそう、熱烈な口づけをぶちゅっと」
「テメェは黙ってろ!!」
 みやびを元気づけようとしているのは何となく分かるのだが、明らかに方向性が間違っている白髪天パーの顔面に高杉は思いっきり枕の投擲を決める。
 心臓も息も止まっていたという土壇場で、みやびがそういう行動に出ることは手を取るように分かった。
 それでも、人工呼吸をされたという照れと妙な高揚感が抑えきれない。
 なるべくみやびの唇を直視しないよう目を逸らしながら、高杉は懸命に冷静さを顔に張り付けた。
「みやび。何か気にかかることでもあるんですか?」
 松陽が窓際から離れ、ゆっくりとみやびに近づいていく。
「見たところ、昨日よりはだいぶ顔色が良いようですが」
「昨日……」
 松陽の言葉に、高杉は逸らした視線を再びみやびの方へ持っていく
 昨日、いつも通り道場破りに赴いた高杉は松陽から、みやびが午前の授業中に教室で倒れたことを聞いた。松陽の部屋でまだ気絶するように眠っていた彼女の顔は、酷いものだった。
 連日の就職活動で疲れが溜まっているのだろう。そう高杉に言い聞かせる松陽の顔はどこか曇っていた。当然だろう。もう何日もまともに寝ていないような深い隈に、ただでさえ白い肌から血の気が消え失せた頬。
 耐え切れずにやせ細った手を握り締めると、寝言で名前を呼ばれた。少しだけ力の籠ったその手を、強く握り返したのを覚えている。
「せんせい」
 高杉の目から見ても、みやびは昨日よりは顔色がよく見えた。隈も少しだけ薄くなったその眼で、彼女は松陽をじっと見上げる。
「昨日、先生言いましたよね。私に邪な考えを植え込んだ、不届き者は誰だって」
 その問いかけに、松陽が息を呑んだのが分かった。高杉にはみやびが何を言いたいのかがまるで分からない。自分が気絶していた間に何かあったのかとすぐ近くにいた桂にも目配せしたが、彼も首を捻るばかりだった。
「……ええ。言いましたね」
 一方松陽は、全てを理解している様子でみやびに返事をする。
「先生、あのっ!」
 するとみやびは懐を急に探り出し、そこから何か親指大ほどの包みと一枚の紙切れを取り出した。
「この化学式、見覚えがあったりとかしません、よね……?」
 二つに折られたそれを松陽が受け取り、手元で開く。高杉が座る位置から少しだけ見えたそこには、化学者や医者が読み解くような難解な記号が描かれていた。
「すみません、私にはちょっと……」
「そ、ですよね……あの、じゃあこの飴とか、見覚えありませんか?」
 松陽の返答に少しだけ肩を落とすと、みやびはすぐさま気を取り直した風に、素早く松陽の手の中にある紙を別の物へと交換する。
 紙と共に懐から取り出した、親指大の小さな包みだった。それは半透明で、よく見ればその中には薄く黄色に色づいた飴らしきものが収まっている。
「え、なに飴あんの? 一個くれ」
「銀ちゃんは絶対食べちゃダメ」
「なんで」
 銀時がみやびに絡んでいる間にも、松陽は包み越しに飴を眺めたり、少しだけ包みを解いて匂いを嗅いだりしている。
「普通の飴に見えますが……これがどうかしたんです?」
「……先生!」
 飴玉を包みへ丁寧に戻した松陽を、みやびは突然大きな声で呼んでその体に縋りついた。飴玉を持ったまま松陽が驚いていると、彼女はその体勢のまま四十センチ近く身長差のあるその男を見上げる。
「私、明日絶対に松下村塾に行きます。何があっても絶対に」
「……みやび?」
「先生のこと、赤の他人だなんて思ってません。信じてくださいっ」
 また訳の分からないことを言い始めたみやびだったが、やはり松陽には通じたらしい。
 彼は少しだけ目を見開くと、徐々に破顔して、優しくみやびの頭を撫でる。
「最初からちっとも真に受けてなんていませんよ。……今ここにいるみやびを信じています」
 その言葉に、みやびは少しだけ瞳を潤ませる。そして一瞬だけギュッと松陽に抱き着くと、そのままそっと手を放し、後退を始めた。
「だから、もし……万が一、私が明日顔を出さなかったら、その飴を長州藩医学館へ持ち込んで、それが一体どういうものなのか調べてもらってくれませんか?」
 後ろへ下がりながら、みやびは懐に再度紙を仕舞う。その足は病室の出入り口へと向かっていた。
「田原さんか松島さん、それか河村さんなら、父と仲の良かった同期と後輩なので、井上みやびからの頼みだと言えば邪険にはされないはずです」
「みやび、待ちなさい。君は一体何を知って……」
「まだ! まだ、何も知らないんです。知ろうとしていなかった。おかしいな。私、好奇心は旺盛な方なんですけど」
 ニコリと笑ったみやびに、高杉は思わずベッドから飛び起きた。
 入口のドアを開こうとしていた手を掴み、みやびがここから出ていくのを阻止しようとする。
 胸騒ぎがしていた。このままみやびを行かせてしまえば、取り返しのつかないことが起きる。
 事態は何一つ呑み込めていなかったが、なぜだか高杉はそう予感してしまった。
「晋助くん……」
「言っただろ。自分を大切にしろって」
 囁くように、けれど戒めるように少しきつく言って聞かせたつもりだ。けれどみやびの反応は高杉にとっては予想外のものだった。
 嬉しそうにはにかんだ彼女は、己の手を掴んだ高杉の手へ逆に指を絡める。
「大切にしてるよ。私いま、生まれて初めてってくらい、自分の気持ちばっかり大切にしてる」
 今はもう全て取り除かれて包帯が巻かれているが、たくさんの木片が突き刺さりボロボロだったその指を、みやびは労わるように撫でる。
「私、みんなとずっと一緒にいたい」
 まるで、到底叶うはずもない夢物語であるかのように、そんなことを彼女は言う。
「そのために少しだけ、いろいろ頑張ってくる。大丈夫。もうどこにも行かない。……そんなの、私は望んでない」
 胸騒ぎがしていた。
 このままみやびを行かせてしまえは、取り返しのつかないことが起きる。
 そう予感しているのに、高杉は離れていくその白い手を掴み直せなかった。
「みやび!」
 最後に呼び止めたのは高杉の声ではなかった。
 扉を開けたみやびが、その体勢のまま振り返る。自身の名を呼んだ、松陽の方へ。
「全部終わったら、一緒に暮らしませんか?」
 松陽のその驚くような、けれど腑に落ちる申し出に、みやびの目がゆっくりと大きく見開かれていくのが分かる。
「本当は、みやびから言ってくれるのを待つ気でしたが……我慢できなくなっちゃいました」
 照れたように頭を掻く松陽の背後で、銀時が呆れたように笑っている。振り返った先にあるみやびの瞳に、薄く膜が張ったのが分かった。
「あ、改めてっ! 私から、弟子入りの申し出をさせてくださいっ!」
「はい、待ってますよ」
 何かを堪える様に口元を震わせたみやびが、感情に追われるように早口でそう告げる。松陽は笑顔で答え、そして小さく手を振る。
 みやびは深々と一礼し、そしてとうとう、病室を出ていった。


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