医者の娘
 桂に案内されて辿り着いたのは意外な場所だった。
「ここは……」
 建物の造りはどことなく講武館に似ている。だが門の隣に掛けられている板にはこう書かれている。
 長州藩医学館。
「えっ……?」
 そこは、長州藩中の医師や医師を志す者が日夜研究に励む医療施設だった。そしてみやびの父、井上平蔵の仕事場でもある。
 こんなところに用があるのは医者くらいだ。ここはあくまで研究機関。一般人など患者でも入れない。みやびは困惑した面持ちで桂を見る。
「昨日、一昨日と日暮れ後にここから出てくるのを目撃した。今日も来ているのだとしたら、もうすでに中にいるかもしれない」
「で、でもなんで……」
「俺にも分からない。だから、理由は本人に直接聞くことにした」
 そう言って開け放たれた門を堂々と潜ろうとする桂の裾をみやびは咄嗟に掴んだ。ここが関係者以外立ち入り禁止であることを知らないのだろうかと心配したからだ。
「まっ……」
「心配いらない。君はただお父さんに会いに来ただけなんだから」
 そう言って、人好きのする笑顔を浮かべる桂。みやびは瞬きを数回してからようやく、彼が自分をここへ連れてきた理由に思い当たった。
 入口付近に立っていた医者の卵らしき男に井上平蔵の娘だと告げると、男は快く平蔵の研究室へ案内してくれた。研究室と言っても畳敷きの簡素な部屋で、壁一面に難しい異国の言葉や人体の図解が張られているような場所だ。勉強部屋と言った方が良いかもしれない。
 ただ、机の上に置かれたフラスコや試験管、薬品管理を行う電子棚や薬剤の分量を量り包装する機械など、天人たちが持ち込んだのであろう様々な医療器材が、井上平蔵が蘭方医の中でもかなり天人の技術に傾倒していることを証明している。
「みやび……何かあったのかい?」
 その器材まみれの机の前に座し、どこかの国の書物を読む平蔵が目を見開いていた。
 案内をしてくれた男は、にこやかな笑みを浮かべたまま「失礼いたします」と告げて去っていく。これで何の問題も無く敷地内には入れたわけだが、目の前にいる父をどうするつもりなのか。みやびには皆目見当がつかなかった。
「父上、あの……急に来てごめんなさい」
「いや、それは構わないのだが……あれ、きみは……」
 しおりを挟んで本を閉じる平蔵が、視線を向けたのは桂だった。どう説明しようか焦るみやびを余所に、彼は折り目正しくその場に正座し、そして恭しくお辞儀をする。
「井上先生、ご無沙汰しております。数年前、先生にお世話になった桂です、憶えておいでですか」
「ああ、もちろんだとも! いやあ、あの小さかった小太郎くんが、随分とまあ立派になって」
「先生もお元気そうで何よりです」
 みやびだけが会話に置いていかれたが、どうも二人は面識があったらしい。こちらに来てお菓子でも食べなさい、今お茶を用意するから、などと随分嬉しそうな父の姿にみやびは何も口を挟めない。
 するとそんな様子に気付いた桂が、苦笑交じりに教えてくれた。
「井上先生には、母と祖母を看取っていただいたんだ。満足に治療費も払えなかったのに、最期まで良くしていただいた」
「あれからもう四年か……早いものだね」
「よく、憶えておいでですね……先生」
 チョコレートや金平糖、みやびが知っている平蔵の好きな菓子ばかりが入った大皿を差し出しながら、彼はどこか辛そうに眼を細めた。対照的に桂は目を見開いて驚いている。
「君のおばあさんは、私が藩医に取り立てられる前……一介の町医者として最後に看取った患者だったからね。……よく憶えているよ、君が立派におばあさんを看取ったことも」
 言いながら、平蔵は茶を淹れるためにこちらへ背を向ける。部屋の隅にある、ボタンを押すと湯気の立つ湯が出てくる摩訶不思議なカラクリを操っていた。
 桂は少しだけ目を伏せると、唐突に話題を変える。
「凄い量のカラクリですね。先生が南蛮や宇宙の文化好きとは、意外です」
「おや、そうかい? こう見えて新し物好きでね。見ると欲しくなってしまうんだよ」
 あっという間に茶を三人分淹れ終えた平蔵は、木製のお盆にそれを乗せてこちらへ戻ってくる。桂が振った話題はみやびも気になっていたものだ。
「意外です。うちにはカラクリどころか雑誌の一つも置いてないのに」
「ああ……佐栄が気味悪がるんだよ。あれは大の天人嫌いでね、テレビなんて持ち込もうものなら卒倒ものだろう」
 残念だ、と呆れたように言う父に嫌悪感は少しも無い。少なくとも父は、あの義母を配慮して好きな文明品を家へ持ち込まない程度には、義母を大切にしているのだ。そのことに少し、みやびの胸はチリチリと焼けるような痛みを覚える。
「それに……ただでさえこの藩は、攘夷倒幕と幕府恭順、この二つの派閥で小競り合いが絶えない。巻き込まれないためには目立たないのが一番だ」
 そう言って、彼は桂とみやびにそれぞれ茶碗を差し出した。
 長州藩は、かつての天下分け目の関ヶ原で煮え湯を飲んだ外様の一つだ。二百五十年の冷遇の中で育った徳川幕府に対する怨念は根深く、この度の開国騒動で藩を挙げて攘夷を行おうとする派閥も出てきた。その一派と、あくまで幕府に従って天人とは争わずに居ようとする幕府恭順派が、開国当初から藩の中枢を巡って争っている。
 もちろんみやびはそれを何となく知っているだけであったし、そういったことに興味を示せばまた義母佐栄の小言が飛んでくると分かっていたので、なるべく知らないふりをしていたのだが。
「井上先生は、巻き込まれたくはないけれどどちらかと言えば恭順派、ということですか?」
「そうだね……その二択ならそうなんだろうけれど、生憎私は政治はからきしでね。ただ、命を救う手段は多い方が良い。だからこの高度な文明を根こそぎ排そうなんて考えは馬鹿げていると思っている」
 平蔵の言葉に、桂はほんの少しだけその柳眉を逆立てた。
「確かに、宇宙の文明には時々目を見張るものがあります。ですが、文明とはそれを育む民がいて初めて成り立つもの。今の国の在り方では、ただこの土地で天人が天人の文明を使うだけに成り下がってしまう」
 小さな侍が流暢に語る自論に、平蔵は思わず微笑んでしまった。
「おやおや、小太郎くんは攘夷倒幕派だったか」
「……誰を主君と崇め、戦うのかはまだ定まっておりません。佐幕なのか、倒幕なのか。尊王なのか、公武合体なのか、それとも全く別の思想のために剣を振るうのか」
「いいや、今はそれでいい。賢い君なら心配いらないだろうが、間違っても……つまらない矜持や権力争いなんかのために若者を犠牲にする、そんな馬鹿者に忠誠を誓うことはない。心も体もボロボロにされてしまう」
 平蔵の言葉をきっかけに、みやびは数年前に起きた攘夷戦争を思い出す。
 天人と不平等条約を結んだ幕府に対して、長州藩の重鎮たちは揃って反発し藩中の若者千人を集めて挙兵した。そこに土佐や薩摩、国中の攘夷派藩が合流し攘夷戦争が開戦されたのだ。しかしそれに対して幕府は佐幕派の諸藩や幕府自体が持つ部隊の連合軍で迎え撃ち、さらには天人の力も借りて惨い弾圧を行った。長州藩の若い男たちは何百人も命を落とし、その責任をとらされて当時の重鎮たちは藩主も含め大多数が粛清。それからこの藩の中枢は、幕府恭順派ばかりに挿げ替えられた。
 傷つき帰ってきた兵士たちの治療のため、連日不眠不休で働いていた父を思い出す。まだ存命だったが体調を崩していた母に代わり、診療所へ女中と共に着替えと食事を届けたこともあった。その時の血と薬品の匂いを思い出すだけで、みやびは気分が悪くなる。
「そのボロボロの生き残りたちが、今もなお剣を握り続けているのは……はたして粛清された主君への忠誠心からなのでしょうか」
 桂は膝の上で拳を握りしめ、何か恐ろしいものと対峙するように目を細めた。彼が何を言いたいのかは、みやびにはよく分からない。
 ただ、平蔵は何か思ったことがあったらしく、愁いを帯びた笑みを浮かべると桂にそっとにじり寄り、菓子の詰まった大皿からチョコレートの包みをつまんで中身を取り出した。そして、難しい顔をしている桂の口に無理やり押し込む。
「んむっ……!?」
「君は少し勉強のしすぎだな。疲れたときには甘いものが良い」
 剃髪の四十路手前の男の背後に花が見えたような気がした。平蔵が唐突に醸し出す平和ボケモードに桂は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたが、実子のみやびは慣れっこだった。彼が話を逸らしたい時によく行う言動だ。
「あの、父上。この医学館で晋助くんを見かけませんでしたか?」
 体ごと平蔵の方へ向けて、そう問いかけるみやび。問われた彼は瞬きを数度すると「もしかして君たち、晋助くんを探しにここまで?」と意外そうな顔をする。その隣ではチョコレートの独特の甘みに慣れていなかったらしい、桂が複雑そうな面持ちで咀嚼しているのが見えた。
「その……一週間前に喧嘩をしてしまって、それで、話をしたくて……」
「そういうことだったのか……」
 合点がいった様子の彼が腕を組んだのと、襖の向こうから幼い少年の声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。
「井上先生、検査終わったぜ」
 言い終わるや否や、部屋の主の返事も聞かずに開け放たれる襖。集中する三人の視線。高杉晋助が襖を開けたままの姿勢で固まっている間に、桂がなんとかチョコレートを呑みこみ終えた。
 そして、やっと口を開ける。
「高杉!」
「しっ……」
 晋助くん、と言おうとしたみやびの口は、彼の一睨みで硬直した。それでも怯まなかったのは桂で、先ほどまでの聡明な態度とは正反対の荒々しい足取りで出入り口へと向かう。
「お前、いい加減にしろよ。師範たちを抑えるのももう限界だぞ!」
「誰がいつ、抑えてくれって頼んだよ。親父にチクりたきゃチクれって師範どもに伝えとけ」
「なんでお前はそう分からず屋なんだ!」
「おい井上先生、どういうことだ。なんでこいつらがここにいる?」
「はいはい、声を少し小さくしようね。学者は騒がしいのが苦手なのが多いから」
 掴み合って今にも殴り合いを始めそうな少年たちを、非力そうな平蔵が何とか諌めて部屋の中へ連れ込んだ。
「あの、父上。晋助くんは、どこかお身体が悪いのですか?」
 これだけは訊いておかなければと、高杉からの視線を感じ冷や汗をかきながらみやびは口を開く。平蔵は二人の様子を見ながら苦笑を浮かべると、高杉に「言ってもいいかい?」と訊いた。
「その前に俺の質問に答えてくれよ」
「お前が昨日一昨日とこの医学館から出てくるところを見かけたんだよ。だから井上先生を訪ねる名目でここへ来た。それだけだ」
「……ちっ、余計な事を」
 何かの興が削がれたのか、高杉は桂の胸倉を掴んでいた手を放して、自分の胸倉を掴む桂の手を勢いよく払う。襟元を整えるとそのまま背を向けて部屋を出ていこうとするが、今度はみやびがその袖を掴んだ。
 掴んだといっても、簡単に振りほどける弱々しい力だったが。
「放せよ」
「……どこか、痛いの? だから、講武館に行けないの?」
 弱々しい問いかけに、高杉は何故か身動きをとらなかった。その手を振り払うのは桂を振り払うより余程簡単なはずなのに、だ。
 しばらく部屋はしんと静まり返ったが、やがて高杉が大きなため息をついて口を開いた。
「もうとっくの昔に治ってるよ。一昨日からの三日間は数か月に一度の定期検診だ」
 だから放せ、と言う高杉の言葉を無視し、みやびは気になった単語を繰り返す。
「定期、健診?」
「晋助くんは昨年、生死の境を彷徨う難病に掛かってね。完治してからもこうして、再発してないか検査したり研究のためのデータ採取に協力してもらってるんだ」
 高杉の言葉の補足を平蔵が続ける。みやびはそっぽを向く高杉を凝視した。どこからどう見ても健康優良児の彼が、そんな九死に一生を経ていたとはにわかに信じがたかった。
「父上、一体何の病気に……」
「痘瘡(とうそう)だよ」
 返事をしたのは高杉自身だった。これにはみやびだけでなく桂も驚く。
 痘瘡とは致死率が非常に高い有名な伝染病で、仮に治ったとしても肌に醜いあばたが残る。しかし、高杉の手足や顔にそのような痕は見受けられない。
 みやびは思わず高杉の手を取ってまじまじと観察した。痕一つない綺麗な肌だった。高杉は彼女の突飛な行動、さらにはその力強さに目を白黒させているが、みやびはそんなことなど知る由もない。袖を捲って二の腕を見始めたときにはさすがに「ちょっ……」と抗議の声を上げたが、彼女の耳には届かなかった。
「父上、どういうことですか。あばたが無いだなんて……晋助くん、種痘の痕もありませんよね? 発症はしなかったのですか?」
 種痘とは痘瘡の重病化を防ぐワクチンのことだ。数年前にどこかの藩が行い始めたと、みやびは父の書斎の報告書で読んだことがある。
「いいや。発症したよ。四十度の高熱が出た」
「……ちょっと待ってください。発熱だけ? 発疹は出なかったのですか?」
「ああ。天人が持ち込んだ抗ウイルス剤を使った」
 そう言うと、平蔵は自分の机の上に置かれた大量の書類の中から、一束を取り出してみやびへと差し出した。彼女はそれを小走りで受け取りに行くと、食い入るように読み始める。
「痘瘡に限らず、ウイルス性の感染症に対して直接効果のある特効薬はないとされてきた。……いや、我々の科学力ではそれを作れなかった」
「ええ。ウイルスは細菌と違って人間の細胞に寄生して増殖しますから。それを殺すとなると人間の細胞そのものを死滅させなければならない。……天人は、人の細胞を壊さずしてウイルスのみを殺す化学療法を編み出しているのですかっ?」
「いいや、そうではない」
 みやびが目を通している書類に興味が湧いたのか、高杉と桂がそっと覗き込んでくる。だが、そこに書いてある化学式やら専門用語やらは彼らには些か難しかったようだ。
 今度はそれを読みながらぶつぶつと何かを呟いているみやびを見て、それから二人で顔を見合わせた。
「お前、これ分かるのか……?」
 喧嘩中だということも忘れて、思わず高杉が話しかける。みやびは書類から目を逸らさずに「いいえ全く」と答える。あまりにも潔く断言する様が今の彼女自身の様子と食い違いすぎて、高杉と桂は同時に「分からないんかい」と突っ込んだ。
「いや、まぁ……そりゃあそうだよな。いくら医者の娘だからってこんな……」
「ええ、本当に意味が分からない。つまりこれは、細胞内で増殖したウイルスの遊離を防ぐ蓋のようなもの。ウイルス自体を死滅させる効果は無い。……本当にこれで症状を抑えられたのですか?」
「ああ。我々もそれを疑って、今でも晋助くんに協力してもらってるんだよ。本来痘瘡は発疹が治って完治するものだが、晋助くんにはそれが出なかったからね」
「こんな得体の知れないもの、一般人の子供によく打てましたね……」
「ははっ、みやび先生にお叱りをうけてしまったなぁ」
 平蔵の嬉しそうな笑い声で、ようやくみやびは我に返った。
 書類から視線を上げると、困惑した表情の高杉や桂と目が合ってしまう。自身の顔から血の気が引いていくのが分かった。
 彼女は何枚か捲っていた書類を乱雑に戻すと、突き出すように父親へ押し付ける。
「申し訳ありません……女が、出過ぎた真似をしました」
 そう言って深々と頭を下げると、逃げるようにその部屋から出ようとする。
「ちょっ……」
 高杉が呼び止めようと手を伸ばすが、彼女はもう部屋の襖に手をかけていた。
 恥ずかしい、消えてしまいたいと、みやびは心の中で泣き叫ぶ。我に返った時、目撃してしまったのは義母と同じ表情をした高杉と桂だった。
 女が学を身に付け、男の真似事をして小難しいことをのたまうのは恥だと。その価値観を最初にみやびに教えたのは和歌の師匠だった。だから本来女は、文字など読めなくともなんら不便は無いのだと。ただ、風流な文化人は教養のある女性を好む傾向があるので、学んでおいて損は無い。だからもし将来嫁いだ家が、女が文学など嗜む必要はないという家風なら、ここで学んだことは大事に秘密にしておきなさいと。
 最初、みやびはその師匠の言っていることが分からなかったし、気にも留めなかった。実母が教養のある女性だったからかもしれない。だが二年前から今日にかけて、昼夜問わずその価値観を押し付けてくる女が身近にいた。
 勉強は、医学は楽しかった。でも、みやびはそれ以上に波風を立てるのが嫌いだった。自分が折れて丸く収まる道があるなら、折れたまま生きようとするのだ。
「失礼しま……」
 襖を開け放ちながらそう言おうとした彼女の口は、不意に止まる。
「いつから寺子屋になったのかしら、ここは」
 不機嫌さを少しも隠そうとしない、艶のある女の声が響いた。
 みやびの目の前に立っていたのは、白衣を肩に掛けた着物姿の女性だった。年の頃は平蔵より少し下の三十半ば。年増と言えばそうなのだが、かんざしでゆったりと束ねられた黒髪や、剥き出しになった首筋にはその年頃の女にしか醸し出せない色気がある。
「げっ、ババア」
 高杉の気まずそうな声が飛んでくる。女性は片眉を吊り上げた。
「次にそう呼んだらお婿に行けない体にしちゃうわよ晋坊。……平蔵、もう事あるごとに私を呼びだすのは止めてちょうだい。データは全部あげたじゃないの」
 高杉のことを晋坊と呼んだその女性は、平蔵に不満そうに言葉を投げかける。艶っぽい猫なで声だったが、みやびは不思議と不快には思わなかった。
「遠路遥々ご足労感謝します、楠本先生。抗ウイルス剤のデータも存分に役立たせていただいております。ただ我々としてもまだ、これを完全に信用したわけではありませんので」
「……ふん、そんな風な石頭ばかりだから、この国の医学はいつまで経っても原始時代並みなのよ」
 鼻を鳴らして悪態を吐いたその女性、楠本がふと視線を下げる。呆然と彼女を見上げていたみやびと目が合う。
 白衣を羽織っているということは、おそらくは蘭方医。もしくは平蔵のように天人の医学に傾倒している医者だ。だが髪は長く、しっかりと化粧を施し、綺麗な着物を着ている。
 みやびはその摩訶不思議な存在から目が離せなかった。
「平蔵の娘?」
「……はい、みやびと申します」
「あっそ」
 楠本は一瞬だけ目を細め、そして何事も無かったかのようにみやびの真横を通り抜けた。
 みやびはその途端少し力が抜けて、壁に手を付かざるを得なかった。蛇に睨まれたカエルのような気分だった。
「御客人もいらっしゃったようですし、我々はこの辺りでおいとまします。探し人も見つかりましたし」
 時機を見計らい、そう切り出したのは桂だった。素早く出入り口付近へ移動すると、さり気なくみやびが外へ出られないように彼女と廊下の間に体を滑り込ませる。
「ああ……大したお構いもできなくてすまなかったね。またおいで、小太郎くん」
「ありがとうございます。こちらこそ、急に押しかけて申し訳ありませんでした」
 礼儀正しく一礼する桂を見て微笑む平蔵。そしてその笑顔のまま視線は高杉へと向かう。
「晋助くんも、この数日ありがとう。お礼にたまのサボり場の提供ぐらいはするよ。だから今日は帰りなさい」
「……俺はまだ」
「あら晋坊、ならこの後私の客間で一緒に寝んねする?」
 そうからかってクスクス笑う女に、高杉は「死ねクソババア」と罵声を浴びせると、反撃を食らう前に部屋から飛び出していった。


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