気が合わねェ
 みやびがいつもの神社へ顔を出せたのは、もうすぐ日も沈むだろうという時間帯になってからだった。さすがに今日はもう居ないかもしれないと思ったが、高杉はまだ境内で素振りをしていた。彼も自分と同じで、家には出来るだけ帰りたくないのかもしれない。そんなことを考えながら彼女はその姿を見つめる。
「遅かったな、何かあったか?」
 しばらく見つめていると、視線を寄越さずに素振りを続けたまま高杉が話しかけてきた。みやびは木陰から彼の方へ近づく。
「ちょっと、知り合いに会っちゃって」
「そうか」
 高杉は素振りを止めない。何から切り出すべきかみやびは少し迷ったが、やはり下手な嘘はつきたくないと思い至る。
「あ、のね、晋助くん」
 呼びかけたが高杉は振り向かない。構わず続けることにした。
「知り合いっていうのは、桂くんなんだけど」
 瞬間、振り下ろされようとしていた竹刀が止まった。
 けれども振り向かない高杉に、みやびはだんだん怖くなってくる。だが一度口に出してしまった言葉は撤回できない。
「あのね、晋助くん。講武館に、行った方がいいと思うの……。晋助くんが頭良くって強いことは知ってる。でも、やっぱりサボるのは良くないよ……。晋助くんがみんなに誤解されちゃう」
「桂に良からぬことでも吹き込まれたか」
 竹刀が境内の石畳に勢いよく叩き付けられる。その音に怯み一瞬目を瞑ってしまったみやびだが、それでも恐る恐る目と口を開く。開き続ける。
「桂くん、心配してたよ。晋助くんが変な女、っていうか……私にたぶらかされてるんじゃないかとか、お家での立場を悪くするんじゃないかとか」
「はっ! 家での立場なんてとっくに悪いさ」
 みやびの言葉を鼻で笑い飛ばした高杉が、踵を返してようやくみやびの方へ寄ってくる。彼女はその勢いが怖くて、思わず俯いてしまう。逃げ腰は良くないと分かってはいるのに、体が言うことを聞いてくれなかった。
「心配するな。お前のことを噂する馬鹿どもは、今日全員脅してきてやった。明日には収まるだろうよ」
「……!」
 だが、高杉の的外れな言葉に、カッと顔に赤みが差すのが分かった。
 それは照れや焦りではなく、もしかしたら憤りなのかもしれない。怒ることに慣れていないみやびには、それが何なのかははっきり分からなかったが。ただ、攻撃的な感情が激流のように押し寄せてきたのは分かった。
 伝えなければと思った。みやびが意を決して顔を上げると、何故か高杉は何かを諦めたような寂しげな微笑を浮かべていた。
「私はっ! そんなことを心配しているんじゃ、ない、ですっ!」
 懸命に絞り出した声は震えていた。高杉の口元から笑みが引く。ただ深緑の瞳がジッとみやびを見下げていた。彼女の肩は小刻みに震えていたが、その原因は確かに恐怖だけではなかった。
「晋助くんは、すごい人です。まだ十歳なのに、大人に言われるまま生きるんじゃなくて、何が正しくて何が間違ってるのか、自分で考えて、自分の意志で行動しようとしています。私はそういうのがとても苦手だから……晋助くんのそういうところ、とっても憧れるし、好きですっ」
 でも、とみやびは言葉を繋げて、軽く息を吸う。
「どんな理由があっても、自分を心配してくれる人とちゃんと向き合わないのは、良くないと思います。そんなことしてたら、いつか、独りぼっちになっちゃうよ……」
 言っていて、高杉晋助が独りぼっちになる未来を想像してしまって、みやびは何故か目頭が熱くなってしまった。義兄弥七の『悪童』と揶揄する言葉が蘇ってくる。
 優しい男の子なのだ。聡くて強くて、何かを思って悲しむ心や慈しむ気持ちもちゃんとあるのだ。そんな悪意に満ちた単語で、片付けられたくなかった。
「俺のことを心の底から心配するやつなんて、居ねェよ」
 精いっぱい、自分の気持ちを伝えたつもりだった。
 けれど、高杉の心には届かなかった。そのことがどうしようもなく虚しかった。
「あのクソジジイは家の体面を気にするばかり。講武館の師範どもは問題児の俺には極力関わりたくない。外野は囃し立てて、むしろもっと面白い話題を提供しろとすら思ってる」
「でも、桂くんは……!!」
 その名を思わず出した瞬間、高杉の鋭い視線がみやびの心を鋭く抉る。
「良いこと教えてやろうか」
 見たことの無い、人の悪い笑顔を浮かべた少年に、これは誰だとさえ思った。
「桂家は数年前に前当主がやらかしてな。腹を詰めさせられ、石高もえらく削られた没落武家さ。苦労が祟って後を追うようにその奥方も母親もバタバタ倒れて、残ったのが息子である現当主のアイツってわけだ」
 みやびの脳裏に、あの凛とした少年の横顔が過る。何かと戦い続けているような、緊迫した面持ちにも似ていたかもしれないと今更ながら思う。
「その出来のよさと品行方正さから、アイツはあの講武館に特待生として招かれてるのさ。その特待生様はな、師範どもにも一目置かれて絶大な信頼を寄せられていて、やつも狙ってそう仕向けている。……アイツは師範どもに頼まれたのさ。悪童を講義に出させろってな」
「そんなっ……」
「アイツの野望は桂家の復興。その一番の近道は、使える男だと藩の重鎮たちに認識され取り立ててもらうことだ。俺を講義に出させるのも、その野望の一歩くらいにしか……」
「仮に、そうだとして」
 本当は、そうだとはみやびは毛ほども思っていない。桂は心の底から高杉のことを心配しているという確信があった。だがそれを今高杉に言っても無駄だと思った。
「その野心の中に少しも、晋助くん自身を心配する気持ちが混ざってないと、思ってる?」
 高杉の目がそっと細くなっていく。段々と、日の光が赤みがかってきた。神社の裏山を根城にしている烏たちが、うるさく鳴き喚く。
「知らねーよ」
 やがて、苦虫を噛み潰したような顔をして、高杉はみやびの横を大股で抜けていった。慌てて振り向いて呼び止める。
「晋助くん!!」
「お前が友達になりたいだとか抜かすから、この数か月一緒にいてやったが」
 背を向けたまま、高杉が言葉を遮る。
「やっぱり俺、お前とは気が合わねェわ」
 じゃーな、と言って彼は石段を降りて行った。
 みやびはしばらく、そこから動けずにいた。


 次の日も、その次の日も、高杉は神社に現れなかった。川原や大通り、高杉邸にも足を運んだが、そのどこにも彼の姿は無かった。気が付けば姿を見かけなくなってから一週間が経過し、もうすぐ季節は水無月になろうとしている。
 もしかしたら、講武館に通い始めたのかもしれない。そんな淡い期待を胸に、講武館の講義が終わる時間帯にそこへ行こうとみやびが思い立ったのは、その一週間後の昼下がりだった。
 講武館は萩城からほど近い武家屋敷の通りの外れにある。広大な土地の中に道場と学び舎が建っていて、ぐるりと囲う白塗りの壁は心なしか威圧感を放っている。
 正門がよく見渡せる物陰から覗き見る。良い仕立ての羽織や長着を着る上級武士の息子から、おそらく親が無理をしてそこに通わせているのだろう質素でくたびれた着物姿の少年まで、門下生は千差万別だった。
 そしておそらく下級武士の子であろう少年たちのほとんどは、上級武士のせがれたちに媚びへつらい、荷物持ちや使い走りをしていた。
「堀田様、お荷物お持ちします!」
 その中に義兄弥七の姿を見かけ、みやびの胸に何とも言えない遣る瀬無さがこみあげてくる。
 彼らは大人になってもずっと、こんなことを続けなければならないのだろうか。誰かの顔色を伺いながら息をするように世辞を言う。これが将来のこの藩の藩士、この国の侍になっていくのか。
「高杉が反抗したくなる気持ちが、わからないわけではないんだ」
 突然話しかけられて身が竦む。振り向くと、難しそうな顔をした桂小太郎が立っていた。
「時々わからなくなるよ。俺たちが目指すべき『侍』とは、本当は何なのか」
 それを学びに来たはずなのにな。そう告げる桂の声にはどこか諦観が混じっていた。
「けれど、俺たちはその中で自分の出来ることを見つけなければならない。お家を護り、藩主を護る。それが、武士道なのだと信じている」
「……私は、そういうことを自分でちゃんと考えて、考えた上で反抗したり受け入れたりできる、晋助くんや桂くんが偉いと思うよ」
 みやびが迷いなくそう言うと、桂は少しだけ微笑み「ありがとう」と返した。
「高杉の居場所に心当たりがある。着いてきてほしい」


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