前編
!注意!
・性的な描写や表現はありませんが、恋愛対象たるヒロインが6歳児です。
・柳がヒロイン以外の女性にかつて思いを寄せていた描写が出てきます。
・柳以外の原作キャラクターがヒロインに思いを寄せて、軽く柳と対立展開になる描写があります。








「I've been workin' on the railroad, All the live long day」
 小さな汗ばむ手を引いて、幼くもよく伸びる澄んだ声に重ねるように懐かしい童謡を口ずさむ。
「I've been workin' on the railroad, Just to pass the time away」
 真夏の日差しが厳しい湘南のアスファルトの上、江ノ電の線路沿いに歩きながら俺のリードボーカルに勤しむのは、つい先日6歳になったばかりの幼子だった。
「Don't you hear the whistle blowing? Rise up so early in the morn」
 歌詞に問題はないが、子供用に作られた高い音程の童謡はあまり得意ではない。つい声を小さくすると咎めるような視線が飛んでくるので、羞恥心は捨てて童心に帰ることにしたのは数分前のこと。
 ついこの前までキラキラ星やロンドン橋といった短く単純な童謡ばかり歌っていたのだが、いつのまにかもう少し難しい歌を覚えてくるようになった。
「Don't you hear the captain shouting "Dinah, blow your horn?"」
 腰に大きなリボンの付いた青いワンピースを纏う小さな歌姫は、そう歌い上げると楽しそうに飛び跳ねた。波打つ長いダークブロンドが風に揺れる。
「ねぇ、つぎはなにうたおっか? レン!」
「ああ、そうだな……だがもうすぐ弦一郎の家に着いてしまうぞ名前」
 線路沿いから住宅が密集するあたりまで移動してきてしまった。スカボローフェア、大きな古時計に続いて、先ほどの線路は続くよどこまでもは3曲目だった。残念そうに覗き込んでくる青い瞳にもう一曲付き合いそうになったが、道行く人の好奇の目に冷静になる。
「弦一郎の家は広いから、お庭で歌えると思うぞ」
「!! うん! サスケくんもうたってくれるかな?」
「うーん、どうだろう」
 弦一郎の例の甥の冷めた双眸を思い出して、即答はできなかった。一緒の保育園だったふたりは今年左助くんが小学校へ進学して離れ離れになってしまったが、こうしてたまに俺たちの集まりに便乗して一緒に遊んでいる。今日も、一昨日インターハイが終わり久々の休暇を楽しむ俺たちにくっ付いて、共に夏祭りに行く予定だった。
 この通り、おおよそ日本人ばかりの場所では大層浮いてしまう外見の名前を唯一『がいじん』と呼ばない左助くんを、名前はとても慕っているようだった。
「ゲンイチローでもいいよ! セーイチでも!」
「そうだな……着いたら頼んでみるといい」
 わくわくという感情を全身で表現しながらスキップするその金髪の幼子との出会いは、今から3年ほど前に遡る。
 小学五年の時に家族で移り住んだ神奈川の祖父母の家は、築四十年の随分と年季の入った日本家屋で、周りに建っている家々も築年数がかなり経過していると思われる物が多かった。中でも地元の小学生が幽霊屋敷と呼んでいたのが、管理会社もその存在を忘れている可能性がある一軒の長屋。我が家の裏にあるその全三戸の長屋は雑草も生え放題で、祖母曰く数年前にそこで独り暮らしをしていた老人が孤独死をしてからは誰も入居していないとのこと。取り壊されるのも時間の問題とされていた。
 そんな時だった。背が高く彫の深い父親と、金髪碧眼の人形染みた娘がタオルセットを持って挨拶に訪れたのは。
 長屋の新しい住人だというふたりは、聞けばどうやら訳ありの父子家庭。定職に就かず、土木作業員とジャズバーのギタリストという二足のわらじを続ける日米ハーフの父親を、最初祖母は得体の知れない異人と警戒していた。だが差別の目にも負けず人懐こく話しかけてくる天真爛漫な娘、名前を彼女が気に入るのにそれほど時間は掛からず、気付けば父親が仕事に出かける金土の夜は名前が夜遅くまで我が家にいることが多くなった。すると自然と付き合いも家族ぐるみになり、名前が左助くんと同じ保育園に通っていたこともあって一年もする頃には俺の友人にすら苗字父娘の存在は認知されるようになっていた。
 柳家で内心一番彼女の存在にはしゃいでいたのは、まごうことなくこの俺だろう。歳の離れた妹が出来て張り切る小学生みたいだとチームメイトに揶揄されながら、俺は今でも限られた自分の時間をできるだけ名前に注ぎ込んでいる。
 その甲斐あってか、名前が一番懐いている他人は俺だという自負がある。そして俺は半年前、彼女から思わぬ贈り物を突然貰った。
『名前はレンのことがずっとずっとだいすきだよ。しんじて』
「サースケくんっ! あっそびーましょー!」
 俺の手を放して真田邸の長い玄関までの道のりを駆けていき、引き戸に向かってそう元気に叫ぶ無邪気な彼女は、半年前確かに俺にそう言って告白をした。一瞬妙齢の女かと見違えるくらいの大人びた表情に、言葉を失い途方に暮れたのは過去のことになりつつある。
 名前を追いかけると、やがて引き戸がゆっくり開かれた。
「やあ、よく来たな名前ちゃん」
 現れたのはその生来の硬い表情を僅かに崩した弦一郎だ。名前がニッコリと笑って彼に挨拶をしていると、その後ろから小さな影が顔を出す。
「おい名前、あんまり大きな声で叫ぶなよ。近所メイワク」
 小学校に進学してますます生意気さが加速している弦一郎の甥、左助くんだった。名前より一つ年上の彼にそう鋭く注意され、彼女は一瞬肩を落としたがすぐに顔を上げて左助くんの前で二回回って見せた。ノースリーブのワンピースの裾がふわりと広がる。
「みてみてサスケくん! レンにかってもらったの、たんじょうびプレゼントなんだよ? かわいいでしょ!」
 数日前の誕生日に、何が欲しいかと訊いたらデートと答えられたので昨日ショッピングモールに連れていきそこで見繕ったものだった。そのワンピースとねだられたパフェで計5300円。それでこんなにも喜んでくれるならと、ついなけなしの小遣いを費やしてしまうのは甘すぎるだろうか。
「……」
「名前ね、これできょうのおまつりいくのたのしみにしてたんだぁ」
 声を高くする名前とは対照的に、左助くんのリアクションは芳しくない。いつもなら皮肉のひとつでも飛んでくるだろうにとふと弦一郎を見ると、何故か彼も甥とよく似た気まずそうな顔をしていた。
「どうした、弦一郎」
「あ、いや……なんでもない」
 取り繕うような苦笑に首を傾げつつも、弦一郎が上がる様に促すのでそれに従った。左助くんはそのまま名前の格好には触れず、玄関先で履いていた突っ掛けを無造作に脱ぎ捨て無言で先に行ってしまう。すまんと謝りながら履物を揃える弦一郎に、難しい年頃だなと同情すると同時にポロシャツの裾を引かれた。
 視線を下げると、不安げな名前がこちらを見上げている。そのまま膝を折って目線を合わせた。
「どうした?」
「……サスケくん、どうしたの?」
「そうだな……俺にもよくは分からんが、少し様子を見てみる必要がありそうだな」
「ようす?」
「怒っているなら何に怒っているかを聞かなくてはいけないし、気分が悪いなら休ませてあげないといけない。もし何かあって落ち込んでいるなら、元気が出るようにしてあげなければな」
「げんきが……? どうやって?」
「それは……例えば、楽しい遊びを一緒にしてあげるとかだな」
 分かったような顔でご立派な処世術を述べてはいるが、これができる人間は大人でもそう居ない。自分が名前の立場なら果たしてできるだろうかと思ってはいたが、彼女は俺の不安などつゆ知らず「わかった!」と大きく頷くだけだった。
 するとその光景を黙って見ていた弦一郎が、俺と同じように膝を付き名前に視線を合わせる。
「名前ちゃん、すまないな。左助くんはただ少し落ち込んでいただけなんだ」
「おちこんで……? なんで?」
「他愛ないことだ、気にしないでくれ」
 他愛ないのニュアンスが通じていたかは微妙だが、それより名前にとっては『落ち込んでいた』のワードの方が重要だったらしく。やがて何か腑に落ちたかのように何度か頷くと先に廊下を進んでいく。
 ふたりでそれを追い掛けようとしたら、不意に名前が振り向いた。
「ねぇ、レン、ゲンイチロー」
「む?」
「何だ、名前」
 振り返った際にふわりとスカートの裾と波打つ金髪が浮き上がる。振り返った状態で少し足を交差させたまま、彼女はスカートの裾を右手で摘まんでみせた。
「きょうの名前、かわいい?」
 いたずらっ子のような歯を見せた笑みに、思わず釣られてふたりで笑った。
「ああ、たまらん可愛さだぞ」
「ここに来るまでに18回言ったぞ。可愛いよ名前」
「ふふっ、ありがと! でもレン、レンはなんかいもいってくれなきゃイヤ!」
 言いたいことを言って、いつもの遊び場である真田邸の居間へと駆けていく名前の後姿に、廊下は走らないようにと言ってはみたが聞いてやしない。お互い小さなモンスターに悩まされるなと弦一郎と目を合わせた。
「日に日に女になっていく癖に、ああいうところはいつまで経っても子供のままだ。頭が痛い……」
「俺はまず距離感が掴めん……俺は一体どこまでなら躾をしていいんだ。赤也の扱いやすさが懐かしい……」
「赤也は、一緒にしたら駄目だろう……。あのリトルギャングたちに比べたら天使だぞ」
「そう、だな……全員、可愛いことは可愛いのだがな……」
 恒例となりつつある末子同士の子育て会議に、自称ご意見番だが妹の教育には見事失敗している例の男の姿が無いことに気付く。
「そういえば精市は?」
「ああ、少し遅れてくるそうだ。用事を思い出したと」
「発案者が遅刻か、相変わらず自由だな」
 年相応、いやそれより少しあどけない笑顔の精市が子供たちと遊ぶ姿が目に浮かぶ。子供の扱いが上手いというよりは、子供の気持ちが一番分かるだけなのではと日ごろから思っているのは秘密だ。
 だがともかく、今はあの男の到着が少し待ち遠しかった。
「庭で遊んでくるから」
 俺たちが居間にようやくたどり着くと、冷房がよくかかった室内からわざわざ炎天下の飛び出そうとしているふたつの陰があった。
 居間のガラス戸を開け、真田屋敷を取り囲む縁側の上に立ち左助くんは中を覗き込んでいた。その隣には名前の姿もある。
「中で遊ばんのか?」
「今日の最高気温は36.4度との予報だ。日射病になるから中で遊んだ方がいいと思うが……」
「裏の日陰に行くよ。喉が乾いたら戻ってくるし」
 どうしても外で遊びたいらしい左助くんは、やや鬱陶しそうに俺たちの助言を聞き流そうとしている。その隣では名前がキラキラした目で親指を立てていた。
「サスケくんがね、たのしいあそびができるって!」
 自分に任せろとでも言いたげにそう言って笑う名前に、1時間くらいなら平気かと日陰で遊ぶことを条件に外で遊ぶことを許可した。着いていって一緒に遊ぶことも考えたが、それをするには俺も弦一郎も子供同士の遊びにどう付き合えばいいのかが分からなさすぎる。あの年頃の子供の体力は無尽蔵だ、その上帰りに寝てしまい担いで帰る羽目になるから性質が悪い。
 今日は弦一郎の兄夫妻も両親も祖父母も外出中らしい。それもそうだろう、今日は年に一度のこの地区の自治体が中心として行う祭りの日。大地主で役員もやっている真田家は一日中大忙しだ。本来なら弦一郎も祭りの準備に駆り出される予定だったらしいのだが、左助くんをひとりにはできないと留守番に回されたようだった。
「ここは何時に出ようか?」
「5時ぐらいで十分間に合うだろう。名前ちゃんは何時までなら大丈夫なんだ?」
「今日は父親が夜中まで居ない日だからな。どうせ帰っても俺の部屋で寝かせることになる、何時でも構わないだろう」
「そうか……」
 何か言いたげな弦一郎だが、口煩そうに見えて意外に他人の事情には深く首を突っ込まないのがこの男だ。その明確な線引きは見習いたい点でもある。
 それから弦一郎が淹れてきてくれた冷たい麦茶を飲みながら、昼下がりの情報番組を垂れ流すテレビを横目に部活や学校などの他愛ない話をしていた。互いに夏休みの課題は終わらせていたため、やることもなく手持ち無沙汰だ。トレーニングは日差しがきつくない早朝のうちに終わらせている。自主練が趣味の弦一郎も、さすがにその提案はしてこなかった。
 その時、弦一郎の携帯が鳴った。
「ん?」
「精市か?」
 すぐに画面を確認する弦一郎だったが、俺の問い掛けにすぐには答えなかった。しばらくして言うか言うまいか迷うそぶりを見せた友人がおずおずと口を開く。
 あいつからだと教えられた送り主は、かつて俺が淡い思慕の念を告げて見事に振られた元同級生の少女だった。
「インターハイ優勝おめでとうと。……たわけが、そんなメールを送る暇があったら自身の鍛錬に励めばいいものを」
 そう呟きながら今返信をしたためない弦一郎は、俺に気を使っているのだろうか。
『……ずっと、お前が好きだった』
 自身の極めたいことがある。そう言って高校から海外留学を決めたその想い人に、自身の胸の内をさらけ出したのは中学の卒業式だった。校舎裏のまだ咲かない桜の木の下で、卒業証書を手に着古した制服を身に纏った黒髪の彼女は、最初その幼い顔に驚きの表情を浮かべたがやがて泣きそうな笑みに変えてこう返してくれた。
『ありがとう。私も柳のこと大好き。……でもゴメン、今は誰とも付き合う気無い』
 承知の上だ。それにそれは俺も同じだった。
 握手をして別れてから、彼女とは一度も連絡を取っていない。彼女の告げた大好きがどういう意味合いの愛情だったのかは分からなかったが、それは些細なことだと思えた。
『名前はレンのことがずっとずっとだいすきだよ。しんじて』
 俺に前へ進む勇気をくれた、その幼子からの愛の種類に拘らないのと同じだ。彼女たちのことが好きだ。そして彼女たちも俺のことを憎からず想ってくれている。今はそれで十分すぎるほど満たされていた。彼女たちが好きだと言ってくれる自分を、好きでいられる気がしていた。
「弦一郎、俺に……」
 俺に気を使うのはもう止めてくれと言おうとしたその時だった。庭から微かにだが甲高い泣き声が聞こえてきた。それは間違いなく、たった今思い浮かべた少女のものだった。
「名前!?」
「こっちだ、蓮二!」
 勝手知ったる我が家故か、俺よりも正確に泣き声が発せられた場所を把握したのか弦一郎が廊下へと続く襖を開けた。黙って着いていくと弦一郎は台所の勝手口から女物のサンダルを履いて飛び出していく。俺も並んだ突っ掛けを拝借して続くと、台所のすぐ真裏に名前はいた。
 何故かそのあたりの地面は一様に濡れているようだった。名前は頭から水を被り地面に尻餅を付いて号泣しており、その足元には水が入っていたのだろうバケツがひとつ転がっている。それから小さな水鉄砲と思わしき玩具も放られていた。
 少し離れたところで、左助くんが両手で構えるタイプの大きな水鉄砲を抱え、途方に暮れたように立ち尽くしていた。
「何をやっておるのだ!!」
 弦一郎が頭ごなしに左助くんを叱り飛ばすのを横目に、俺は名前のことしか考えられずただ抱きしめて頭を撫でてやることしかできなかった。抱き起すと新品の洋服にべっとり泥が付着している。
「ご、ごめんなさ……ワンピース、よごしちゃっ、て……」
「気にするな。洗えば取れるだろう」
 本当は買う際に洗濯表示を見ていなかったことに冷や汗をかいていたが、いざとなればクリーニングという手もある。来月の小遣いが吹き飛ぶが。
「僕、ちが……名前がかってに……」
「言い訳をするな! 大体何故水鉄砲なんぞ持ちだした!? 名前ちゃんがお前の思い通りにならなかったからだろう、だから着替えさせようとした。違うか!?」
 名前の泣き方がだいぶ大人しくなり、そこで初めて弦一郎たちに意識を向けることができた。彼なりに耐えていたものがあったのか説教と呼ぶには些か口調が強すぎる物言いに、左助くんの目に涙が浮かんでくるのが分かった。
「弦一郎、それくらいにしておけ」
「口を挟むな、これは真田家の問題だ」
 子供の喧嘩程度で大げさなと思ったが、これが真田弦一郎なのだ。弦一郎の叱責内容に引っかかる点もあったが、いよいよ嗚咽を漏らしだした左助くんにどうするべきかと内心焦っていたその時だった。
「お邪魔しまー……あーあ、間に合わなかったか」
 満を持してというべきか、待っていた男がようやく到着した。
「幸村か……悪いが取り込み中だ、勝手に居間に行っててくれ」
「蓮二、状況は?」
 皇帝の凄みを軽く無視してそう俺に問いかけてきた精市は、普段は持ち歩かない手提げを肩から掛けていた。俺は抱き上げた名前の背中を叩きながらその問いに答える。
「水遊びをしていたらしい。何かの拍子に名前が転んで泣き出してしまってな……精市からも言ってやってくれ、そう左助くんを責める必要もないだろう」
「あー……うんうん、なるほど。ところで名前、可愛い格好してるね? そのワンピースどうしたの?」
 俺の肩に顔を埋める名前の髪を掻き上げて顔を見ようとする精市に、名前は少しだけ顔を上げて愚図りながら答える。
「レンにかってもらったの、バースデープレゼント……なのにっ」
 また涙がこみ上げてきたらしい名前に、精市は「そうなんだ、良く似合ってるよ。可愛い」と言って頭を軽く撫でた。全くきざったらしい仕草が似合う男である。
「で? 左助はあれか、それが噂の弦一郎に買ってもらった最新式水鉄砲か」
「……」
「名前に見せびらかしてすごーいって言ってもらいたかったんだろ」
 責めるというよりはからかう調子でそう言う精市に、その最新式らしい水鉄砲を抱えた左助くんは元来の負けん気を刺激されたらしかった。いつの間にか泣き止んでいた彼は口をへの字に曲げて精市を睨みつける。
「違うし」
「へぇ? じゃあ……」
 そして左助くんの身の丈に合わせてしゃがんだ精市は、その耳元で何かを囁いた。やがて顔を真っ赤にした左助くんが珍しく声を荒げだす。
「その分かりやすいところ、叔父さんにそっくりだな」
「誰が!? ってか、あのことセーイチに話したのかよゲンイチロー!!」
「だから呼び捨ては止めろと言っているだろう! それに説教はまだ終わっておらんぞ!」
 またギャーギャーと騒がしくなる叔父甥コンビに、それより着替えを貸してくれないかといつ言い出すか伺っていた時だった。精市が再び名前に話しかけてきた。
「名前、これで戦ってたの?」
 その手には名前の足元に転がっていた掌ほどの大きさの水鉄砲が握られている。名前はこくりと頷いた。
「すぐにみずなくなっちゃうから、バケツでいれてたの……そしたらサスケくん、名前にみずかけてきて……名前、ころんじゃって」
「そっか。……名前、まだ立てる?」
 すると、そう言いながら精市は肩から提げた袋の中を漁り始める。精市と会話をして気が逸れたのかすっかり泣き止んでいた名前がこくりと頷いたので、俺はそっと彼女を下ろした。
「なんかさ、このままやられっぱなしは嫌じゃない?」
 再び幼児サイズに目線を合わせる精市。名前は少し思案した後に再び頷いた。すると、精市は満足げに微笑む。
「そうこなくっちゃな」
 そう言って袋の中からあるものを取り出した。
 名前の青い瞳が輝く。精市からその品、左助くんが持っているものと全く同じ水鉄砲を受け取ると、その小さな手に余る大きなそれと精市の顔を見比べた。
「セーイチ……これ……」
「ハッピーバースデー、名前。俺からの誕生日プレゼント」
 そう言ってウインクを飛ばす精市は一体どこでそんな小技を仕入れてくるのか。これが女兄弟を持つ者と持たざる者の差なのか。向こうでは一部始終を見ていた左助くんが口を開けて呆然としている。弦一郎もようやく冷静さを取り戻しつつあるようだった。
 やがてその顔に満面の笑みを浮かべた名前は、そのまま精市に飛びついた。
「ありがとうセーイチ! だいすき!」
 そして、名前はそのまま精市の頬に軽い口づけを落とした。それを名前からされ慣れている精市は少しも動じずニコニコと笑っている。これが、近所の幼児たちの初恋泥棒と名高い精市の人気の所以だ。同年代の異性相手にもやたら紳士的な事は周知の事実だが、何故かそれが子供相手だとリップサービスの量が増す。名前相手にはまた規模が違う大盤振る舞いだったが。


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