9月1日
 夏休みが明けた。
 部活で忙しかったのだろう、夏休み中に不二くんからの連絡は全くなかった。
 いや、それは自分を慰めるための言い訳だ。何かを変えたかったのなら自分からメールをすれば良かったのに、私は彼へ一通たりともメールをしなかった。返信が無かった時、きっと今の何倍も傷つくだろうからと。
 彼はただあの場のノリでメアドを交換しただけだと考えるのが妥当だろう。そう自分に言い聞かせ、9月1日月曜日を迎えた。奇数月の最初の月曜日だが、7月に席替えをしたばかりなので席替えは11月まで延期だ。つまり、あと2カ月、私は彼の隣である。
 インターハイは8月の16から18日の3日間に渡り開催された。青学団体はベスト4。やはり手塚くんの抜けた穴は大きかったらしい。個人戦の方は、ダブルスで出場していた乾くんと二年生の先輩が準々決勝で敗退してベスト8。シングルスはテニス部の部長さんがベスト4まではなんとか進んだらしいのだが、今年のシングルス個人の優勝者に阻まれ、決勝進出は逃したらしい。団体の準優勝は氷帝。氷帝に準決勝で敗れた四天宝寺とかいう大阪の高校がもう一校のベスト4だそうだ。
 団体、シングルス個人、ダブルス個人。すべて、優勝は神奈川の立海大付属高等学校。
 シングルス個人では圧倒的な強さを誇る皇帝が他を寄せ付けず、団体のダブルスでは参謀が暗躍して確実に勝ち星を挙げていた。そして引退が囁かれていたが、S1に再び戻ってきた完全復活の神の子。ダブルス個人と団体のS2も中々の腕前だったらしいが、やはり三強が圧倒的過ぎたとか。
 秋の新人戦には間違いなく来るであろう、妙技師と4つの肺を持つ男。それにあの詐欺師と紳士が加われば、恐らくはまた王者立海の独走が始まる。
 まぁ、私には関係のない話だが。

 久々に会った不二くんは、どこか心ここにあらずといった様子だった。挨拶こそ笑顔で交わしてくれたが、終始虚ろな目をしている。考え事をしていると言うよりは、何かを思い出しているかのような。始業式の後の表彰式でテニス部が舞台に上がった時も、彼はボーっと空を見据えていた。
 そういえば、青学が準決勝で当たったのは、あの王者立海だった。確かネットで見た情報によると、ダブルスは参謀と三年生のペアが圧勝。続くS2はこちらの三年とあちらの二年の対決になったが、辛くも青学が白星を奪った。そしてS1は。
 私が、怖くて結果を見られなかった。
「最初は眩暈と耳鳴りだった」
 放課後、不二くんは青学のレギュラージャージを着て、この部室に来た。
 テニスが嫌いになったのではない。ただ、試合をするのが急に怖くなって、ここ数日は人相手にまともなラリーが打てないのだとか。今日も彼は先輩とのラリー練習が怖くなって、ここへ逃げてきたのだと言う。
「分かってたんだ。去年の全国大会で、越前……後輩が彼と対戦してどんな目に遭ったか。知っていて、心構えもしていたはずなのに。第1セットの4ゲーム目を取られたあたりで視界が霞んできて、場外の音に金属音のようなイヤな雑音が混ざりはじめた。そのうちに手足の感覚が麻痺して、ボールをコントロールできなくなっていって、そして最後には無様にコートへ這いつくばることしかできなかった。視界が滲んでもう前もろくに見えないのにね、下あごの横を切り裂くようにボールが通過していくのが分かった。触覚だけは最後まで残ってたんだよ。……どうせなら、全部奪ってくれた方がどれだけ楽だったか」
 神の子、幸村精市との対戦は、予想以上に彼の心を深く抉ったらしかった。クッションが破けてスポンジが飛び出した回転いすに腰掛け、俯きながらそうポツポツと話す彼に、疑問が沸く。どうしてそんなことを私に言うのだろうか。どうしてここに逃げてきたのだろうか。
「どうして、って顔をしてるね」
 急に、彼が顔を上げた。
「私、キミのことほとんど何も知らないから……アドバイスとかできないよ?」
「だからだよ」
「え?」
「キミは僕を何も知らない。信頼もしていなければ尊敬しているわけでもない。僕は、こんなちっぽけで弱虫な僕なんかを信じてS1を託してくれた仲間や監督に、こんなことを言えるほど強くないんだ。……彼らに、失望されたくないから」
 でも、誰かに言わざるを得なかった。ごめんね。身勝手で。
 そう告げる不二くんの気持ちは、痛いほどよくわかった。その『失望されたくない』という感情には、痛いほど身に覚えがある。だから、彼の話は出来るだけ親身に聞いた。
「テニス、辞めようと思ってるんだ」
 そしてその宣言を聞いた時、彼がここに来た理由が分かってしまったような気がした。
 彼は第六感がずば抜けて鋭い。他人の考えていることをなんとなく悟ってしまう。きっと彼は本能的に感じ取っていたんだ。私が、その彼の宣言を、否定できない立場にいることに。
 同じ者に傷つけられ、同じような理由で消えてしまいたい感情に駆られた者同士。そして私は、実際に仲間である彼らの前から消えたのだから。
 学校自体を辞めるという、最悪の形で。
「……そう」
「ごめんね。キミには何の関係もないことなのにね……」
 そう言って俯く不二くんに、奇妙な既視感を感じた。そして何故か気まずくなり、私は話題を変えようと口を開いた。
「不二くん、次の部活決めてるの?」
「えっ?」
「この学校、1年のウチはどこかの部活に所属してないとダメっていう規則でしょ?」
 テニス部抜けるなら、次の部活決めないと。我ながら苦しい話題転換だったかもしれない。しかし不二くんは気にも留めずしばらく考え込んだ後、パッとこちらを向いた。彼は微笑んでいた。
「文芸部、入りたいな」
「は?」
「僕、小説とか詩とか書いたことないけど、なんか楽しそうだし」

 そう告げた彼は次の日、テニス部を辞めた。


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