10月6日
 10月になり、私たちが青学高等部に入学してから半年が経過した。不二はあのカラオケ店でのやりとりの後、菊丸くんたちに話をしたそうだ。10月に入って最初の土曜日。最初は菊丸くんと乾くんの3人での会議だったらしいけど、気が付けば元青学レギュラー陣がほぼ集合していたらしい。途中から手塚くんや越前くんも時差があるのに電話で参加して、何時間もとことん話し合ったそうだ。
 不二は考えがまとまらないまま、ただあの日コートで何が起きたのかを話した。その後自分の身に何が起きたのか、その結果何を思ってテニス部を辞めたのかも時間をかけて説明した。上手く話せた自信はない、と彼は後に語る。
「みんなには怖くて言えなかった。落ちぶれた不二周助を知られたくなかった。みんなと距離を置いたのは、みんなを見ているとどうしてもテニスがしたくなったからだ。できないくせにね。……けれどもう覚悟を決めたよ」
 その時の不二はテニスコートにいる時の不二だった、と菊丸くんから聞いた。
「僕は元から、テニスは高校までと決めていた。だからこそ高校3年の最後のインハイまで、僕は青学の不二周助でいたい。……いや、格好つけてるけど、ただこのまま引き下がるのはやっぱり悔しいだけなんだ。」
 お願いだから、力を貸してほしい。

 10月6日月曜日。久々に菊丸くんと仲良く話している彼を見かけた時、不覚にも泣きそうだった。HRと1時間目の間の空き時間、彼は手短に、だけど嬉しそうにその会議の様子を私に聞かせてくれた。彼のその告白を元レギュラー陣は受け入れ、天才不二周助が復活するその日まで、全力で彼をサポートすることを誓ったそうだ。
「みんなが毎日、交代で僕をテニスに誘い出してくれるんだ。といっても、また基礎からやり直しだけどね。今は壁打ちラリーをして恐怖心を紛らわしているんだ」
「よかったね、素敵な仲間で」
「うん、自慢だよ」
 彼は文芸部に通うのをやめなかった。まだテニス部に復帰できる次元ではないと、菊丸くんや乾くんが部活を終えるまでそこで待っている。けれど、締め切られていたはずのコートに面した窓は彼によって開け放たれ、彼は本を読む代わりにずっと、筋トレをしながらテニス部を眺めている。私はそんな空間が凄く心地よくて、つい涼しくなり始めた風に誘われ眠りに落ちそうになる。
「この一か月を埋めるように、いろんな人と話をしたよ」
 もう少しで落ちる。そう思ってた時に紡がれたテノールに、一気に意識が浮上した。
「いろんな人?」
 窓枠の方へ目を向けると、不二は椅子に腰掛けてダンベルを持ち上げながらコートの方を眺めていた。
「手塚、越前、白石、佐伯、芥川、平子場……今まで戦った選手たちと、あとは弟も」
「弟っ!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げた私を、不二は目を見開いて見つめた。風が栗色の髪をさらさらと靡かせる。
「そんなに驚く?」
「……絶対一人っ子だと思ってた……」
「失敬な。9歳上の姉さんと1歳下の弟がいるんだけど」
「しかも三人兄弟!? ……いや待てよ、マイペースなクセに寂しがり屋なところとかはある意味真ん中っ子の典型か……?」
「むっ、別に寂しがり屋じゃないよ」
 ジト目で拗ねる姿が最高に可愛い! とか悶えたらいけない場面だろう。懸命にこらえて、私は咳払いをした。
「で、弟さんとは何を話したの?」
「……弟もね、テニスプレーヤーなんだけど」
 弟の話題を出した途端、彼は顔を綻ばせた。あまり想像できなかったけれど、不二はどうやらいいお兄ちゃんのようだ。
 そうか、きょうだいで同じ競技をやっているのか。
「このところ僕が一方的に避けてたから気まずかったんだけどね……。でもちゃんと経緯を話したら、完全復活した暁には一番に俺と勝負しろ、って言ってくれたんだ」
「……素敵な弟だね」
 ニコニコと笑う不二が、少しだけ羨ましかった。
「ほんと、頼もしくなった。だから僕はあいつのためにも、また強くならなきゃいけないんだ」
 不二周助は昔の私と似ている。でも完全に私と同じなわけじゃない。
 そんなことは重々承知の上だった。けれど、私が持っていないものを彼が持っているのは、少しだけ寂しいと思ってしまった。
 あの無感情な横顔を思い出す。あの子は私なんて眼中にもなかった。まるで最初から、私がいつか使い物にならなくなる日を予想していたかの如く。彼女は私に比べて幾分か覚えが悪かった。先生や母親にも叱られることが多かった。私はそのたびにあの子をフォローしていたけど、彼女は感謝もしなかったし、私にライバル意識を燃やすこともなかった。ただただ、全てを見透かすような澄んだ目で、私を見据えるだけだった。

 ああ、嫌なことを思い出してしまったな。

下校時刻を過ぎ、菊丸くんや乾くんと一緒に野外のテニスコートへと行く不二を見届けてから、家路についた。仕事で夜遅く帰ってきて朝早く出ていく父親とふたり暮らしのマンションに着き、シャワーを浴びようとしたところで携帯が鳴った。ディスプレイに表示されたのは『母親』の文字。なんてイヤなタイミングだ。
「もしもし」
『もしもし、渚? なにか変わったことはない?』
 耳につくキンキンとした声は1週間ぶりくらいに聞いた。こうやって母は定期的に電話を掛けてくる。
「……別に。なにも」
『そう。学校は? 変わりない?』
「たぶん」
『……貴方ね、もう少しなにか言い方があるでしょ』
 怒気を含んだ声に、こちらも少しムキになってしまう。携帯を強く握りしめた。
「そんなこと気にしてる暇があったら、楓のことちゃんと面倒みてあげなさいよ」
『それは渚が心配することじゃないわ』
 相変わらずピシャリとドアを閉じるような返答をする。反論を許さないこの人の言動が嫌いだった。
「……楓はどう? ロシアは寒いでしょ。練習は順調?」
『まずまずよ。それより渚、本当に学校は大丈夫?』
「っ、平気だってば。ウザいな……」
『また、あんなことになってないでしょうね?』
「っ、別にバレエもうやれない私の体がどうなろうと、関係ないんでしょうっ!?」
 携帯を壁へ投げつける。バッテリーが外れてしまったのでおそらく通話は切れたのだろう。
 別に今更、母親としての義務とかどうでもいい。あの人は最初から私の母親じゃなくて先生だったんだ。だったら使い物にならなくなった生徒のことなんか忘れてほしい。これ以上、みじめにさせないで。
「……逃げても逃げても、追ってくるんだ」
 私は今日もお菓子は食べられず、柔軟体操を繰り返し、ライバルの活躍を見て寝るのだろう。


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