9月27日
 9月27日土曜日。とうとう文化祭が幕を開けた。
 私たち1年5組の出し物は定番のお化け屋敷だ。クラスにいるホラー好き数人のおかげで、中々のスリルが味わえる内容だと自負できる。その恐ろしさは身を持って体感していた。
 昨日のことだ。不二が指揮を執った内装の出来があまりにリアルだったので、電気がついていたにも関わらず私は教室へ入るのを戸惑っていた。そこを目敏く発見した不二が『もしかして、怖いの苦手?』と訊いてきたのに対して、頷いてしまったのが運の尽きだ。
 最終点検だと言われ、無理やり部屋の中に放り込まれた時の不二の笑顔を私は一生忘れないだろう。段ボールと廃材で作られた井戸、そこから飛び出してくる幽霊。発泡スチロールの墓の影で蹲る落ち武者、暗がりから聞こえてくる呻き声。半泣きで騒ぎまくる私を見て、クラスの連中はみな豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていた。お化け役の子に心配される始末だ。けれど不二だけは大爆笑で写真を撮っていた。
 最近自分のキャラ崩壊が激しい。千代田さんって意外によく喋るんだ! などと最近よく言われるのだが、嬉しい様な悲しい様な、複雑な気分だ。
「1年5組の超絶叫お化け屋敷です! よろしくお願いします! まだまだ厳しい残暑ですが、一気に涼しくなりますよっ!」
 白装束に身を包み、段ボールと木の棒で作ったプラカードを持って学内へと繰り出す。開会から2時間が経過し、校門前は他校の生徒や近所の親子連れなどでごった返していた。元は菊丸の仕事だったものだ。愛想が良く人懐こい彼の代わりとなれるよう、いつもの数倍は声を張っていた。まるであの頃に戻ったようだ。
 などと思っていたら、人ごみの中で昔の知り合いをちらほらと見かけた。
 旋毛のあたりにお団子を作り、後れ毛が出ないよう髪をムースで固めている。懐かしい髪型。そしてあの骨と筋肉が目立つ体型。鞄の中にはきっとシューズが入っているはず。
 きっと土曜の半日練習の前に遊びに来たのだ。こうして見ると普通の女の子であるかつてのライバルたちの横に、自分の幻影を見たような気がした。イヤな汗が流れ始めたので、目を逸らして声を張り上げた。幸い、見た目のイメチェンが功を奏したらしく彼女たちには千代田渚だと気付かれなかったようだ。

「千代田さんお疲れさまーっ!」
 向こう半年分のコミュニケーション力を使い果たしたかもしれない。遊びに来ていた近所の小学生や他校生にターゲットを絞り、積極的に話しかけては宣伝していたその時だ。まだ交代には時間があるはずなのに、私と同じ白装束に身を包んだクラスメイトの女子4人に声を掛けられた。その内のひとりは水滴が浮かぶオレンジジュースの缶を持っている。
「はい、千代田さんこれ差し入れ」
「えっ!?」
「千代田さんマジ陰の功労者だからさ」
「こんなので悪いけど受け取ってよ」
 クラスの中では、博愛主義者で敵の少ない子たちのグループだ。私が戸惑っていると、その中のひとりである学級委員長が近寄ってきた。
「本当にお世話になりっぱなしだったからさ。……シフトのことも、本当にありがとう」
「そんな、私なんて全然……頑張ってたのは不二だよ。内装班サボり多かったし、あれだけのクオリティのもの作るの、そうとう大変だったと思うから」
 彼女たちから視線を逸らし、1年5組の教室の窓を見上げた。黒い暗幕で塞がれたその教室の外で、今彼は菊丸くんと並んで受付をしているのだ。
「千代田さん、本当に不二のこと好きなんだね」
「……」
 否定も肯定もできなくて、困ったように笑ってみせた。彼女たちが次に告げた「頑張れ」という言葉に、同情が混じっていることに気付く。分かってるよ。思ってはいけない人を好きになってしまったことぐらい。
 私がこうして彼とお近づきになれたのも、タイミングが良かったというただそれだけの話だ。けれど、運でも偶然でもなんでもいい。私は今不二と関わらなければいけない理由がある。自分の恋心なんかよりももっと大事な理由が。
「へぇ、お化け屋敷かぁ。なんやおもろそうやなあ」
 校舎横の石段に腰掛け、オレンジジュースを飲みながら休憩していた時のことだ。考え事をしていた私を、正確には私の横に置いてあるお化け屋敷の宣伝の看板を見て、ラケットバックを持った関西弁のチャラい男が声を掛けてきた。脱色した金髪が特徴的だったが、不思議とチャラい男独特の不健康さと不潔さは無い。どちらかと言えば健康的な印象の男子だ。
「お兄さん関西の人? めっちゃ怖いで、ウチのお化け屋敷!」
「あんな自分、その発音は関西弁とちゃうで? そういうときは」
「こら謙也! なにナンパしとんねんアホ! 俺らそんなことしに東京来たんちゃうやろ!」
 すると、どこからともなく現れた別のチャラ男Bにチョップされる関西弁のチャラ男A。Bは綺麗なプラチナブロンドの髪で、左手に痛々しそうな包帯を巻いていた。相当ひどい怪我でもしているのだろうか。
「ごめんなお嬢さん。こいつが迷惑かけよって」
「だから! 普通にお化け屋敷面白そうやなって話してただけや言うとるやろ!」
「うん、ほんと迷惑とかじゃなかったから。……ところでお兄さんたち、もしかして関西の学生? この辺では見ない制服だけど」
「せやで、大阪のもんや。この土日はちょっと東京での野暮用ついでに、この学校のテニス部と練習試合してこかなぁ思うてな」
 そう言って、Bは私に背負ったラケットバックをちらりと見せる。
「テニス部? あ、もしかして菊丸くん? ウチのクラスで今受付してるよ? 来る?」
 そう進言すると、AとBはハッと私を凝視した。高身長二人に一歩詰め寄られて思わず後ずさる。
「嬢ちゃん、菊丸の知り合いかっ?」
「う、うん……クラスメイトだけど」
「なんやめっちゃ早う見つけてしもたなぁ」
 AはBの方を見てそう言う。Bは中腰になって私の顔を覗き込んできた。彼がすごく綺麗な顔をしていることに今更気が付いた。不二とはまた系統の違う、正統派イケメンといった顔立ちだ。
「すまんけど、菊丸のとこ案内してもらえるか? えーっと」
「あ、千代田っていいます」
 よく見るとBもなかなか整った顔立ちをしていた。学内の人気者とお近づきになるのは怖いが、他校のイケメンとなれば話は別だ。私も女。カッコいい男の子は人並みに好きなのである。
 営業スマイルを浮かべて名乗ると、2人は人懐っこそうな笑みを返してくれた。
「千代田さんな。じゃよろしく頼めるか?」
「了解! 2名様ごあんなーい!」
 美形のチャラ男2人を先導して歩き出す。
 移動している途中、Aの方が「自分、右足怪我してるんか?」と心配そうに声をかけてきた。私の右足の動きがおかしいことに気付いたのだろう。そういったストレートな物言いは少し好感が持てた。クラスメイトは一切、この奇妙に引きずられた右足に触れてこないのだ。別にタブーな話題と言うわけでもないのだけど。
「ううん、古傷だから平気。もう完治してて、今はリハビリ中なの」
「せやったんか、大変やな」
 気付いてて敢えて触れてこなかったのであろうBの方がそう言う。そんなやり取りをしながら、階段で4階まで上がった。2人が私の歩くペースに合わせてくれるのがくすぐったくて、私はすっかり失念していた。
 浅はかだったと思う。私の中で既にテニス部と言えば菊丸くんと乾くんだけだった。しかし、気付くべきだったのだ。
 いまだジュニアテニス界の認識で青学テニス部といえば、今はドイツ留学中の手塚国光。そして、
「菊丸くん、なんかテニスの知り合いつれてきたよー」
「おう菊丸クン! 元気しとっ、た……って、あれ?」
「なんや、探す手間省けたやないか」

 天才、不二周助だということに。

「……白石、忍足」
 私と同じ白装束に身を包み受付に座っていた不二は、ふたりを見てそう呟いた。切れ長の瞳が見開かれている。その隣の菊丸くんもどんぐりみたいな大きな目をまんまるにしていた。その間にも、AとBはじりじりと詰め寄る。菊丸くんではなく、不二の方へ。
「久しぶりやな、不二」
「休憩いつ入るん? 俺らそれまで待つで、ちょっと話できへんかな? 菊丸クンも」
 逃亡は許さないとでも言うように不二を取り囲む関西の二人組。不二、ごめん。そう目配せで訴えると不二は状況が呑み込めたらしく、いつもよりだいぶ冷ややかな目で私を見据えた。彼から与えられるプレッシャーに、胃のあたりがキリキリと痛んだ。
「いいよ、どうせ今から休憩だし。確か食堂が休憩所になってるはずだから、そこへ行こう」
 クラスの連中はこの険悪な空気を感じ取ったらしい。ササッと次の受付係が作業の引き継ぎを申し出て、彼らは席を立った。
「じゃあ……不二、ごめん。私はこれで」
「何言ってるの。キミも来るんだ」
「へ?」
 後でたっぷり謝罪することを心に決め、邪魔にならないようこの場から離れようとしたその時だ。私の右腕を不二の華奢な手が掴んだ。いや、華奢だと思っていた手は、ちゃんと男の子の力強さを持っていた。
「ちょっと言いたいことがあるしね。このシフトについてとか」
 本当は振り払って逃亡したかった。けれどその眼力だけで小動物程度なら失神させられそうな迫力で言われ、私には付いて行くほかの選択肢が選べなかった。

 5人でしばらく歩き、主に青学の生徒で溢れている休憩所の食堂へと場所を移す。その隅の6人用のテーブルを不二は陣どり、私を隣に無理やり座らせて、私の正面に座った白石くん? とやらを見据えた。
「まず、そっちの用を聞いていいかな?」
「……単刀直入に訊くで。なんでテニス辞めたん?」
 まっすぐ不二を見つめ返す白石くん。予想通りの言葉だった。これは完全に案内した私のミスだ。私は不二から逃れたい一心で不二とは反対方向へ体を傾け、俯いた。
「じゃあ、僕の要件を先に終わらすね」
 不二が腕を組み足を組んだのを視界の端で捉えた。不遜な態度、そして俯く私の横顔に不二の冷たい視線が突き刺さっているのが何となくわかる。
「英二と同じシフトに組み込んだり、白石たち連れてきたり。千代田、言いたいことがあるならはっきり言えば?」
「……別に、いいたいことなんて」
「あるよね? なに、僕の相談に乗るふりして、本当は僕をテニス部に引きもどしたかったの?」
「っ!!」
「誰の差し金? 乾?」
 まるで尋問でもするかのようにそう捲し立てる不二。こちらが悪いと分かっていながら、つい睨みつけてしまった。顔を上げると、やっぱり不二はビックリするほど冷たい目で私を見据えていることが分かった。その表情に私はすぐ怯んでしまう。
「……違う。私はアンタをテニス部に戻そうとか、これっぽっちも考えてないし……乾くんとは話したことすらない」
「じゃあなんで、英二と同じシフトにしたのさ」
 僕と英二が気まずい事、キミが一番よく知ってたよね?
 抑揚のないその声を聞き、私はそっと菊丸くんを盗み見た。彼も少し険しい顔で私を見据えていた。
 善意でしたことが失敗するのはよくあることだから、耐性ついてるし大丈夫。でもふたりの仲直りがこれでまた遠のいたのかと思うと、久々に視界が滲んだ。私の所為だ。まだ早かったんだ。彼らを元の関係へ戻すには、まだ日が浅すぎた。いや、ひょっとしたらもう遅すぎたのかも。それとも私がこんなことをしてはいけなかったのか。
 もう分からない。もしかして、このまま不二を消させてあげることが最善だとでもいうの?
「ちょい待ち。話よう分からんけど、千代田さん責めるんはちょっと気の毒ちゃうんか?」
 その時。助け舟を出してくれたのは、意外にも他校の生徒である白石くんだった。
「なに? 部外者は黙っててくれないかな」
「せやな、不二くんからしたら俺たちは完全にただの出しゃばりや。たぶん、千代田さんも俺も、本来このことに口出しするべきやない。……でも部外者が介入せな、不二くんずっとテニスともテニス部とも疎遠のままやろ」
 私が咄嗟に顔を上げると、白石くんは少し険しい顔をして不二へ挑むように口を開いた。不二は不遜な態度を崩さずに目を細め彼を睨みつける。
「俺は不二クンがテニスやめたことがどうしても気に食わんかった。せやから四天宝寺のみんなの制止を聞かずにわざわざ東京まで来た。謙也は言うならお目付け役や。俺が暴走しそうになった時のな」
「おい白石」
「言わせてくれ謙也、せやないと往復のバス代で貯金使い果たした意味がない」
 身を乗り出すようにして不二と距離を詰める白石くん。彼が左肘をテーブルについた時、ガン! という固い音が響いた。
「一身上の都合でテニス辞めます。並のプレーヤーならそれでええやろな。でもお前は『不二周助』や。納得できる理由言え。話はそれからや」
「……」
「神の子に負けたんがそんなにショックだったんか。寝ぼけたこと抜かすなアホ。負けたから辞めるとか、そないな初心者みたいなこと今更されても困る。お前はテニス始めたてのボンボンでも才能のない底辺プレーヤーでもない。天才不二周助……お前との再戦を願ってる猛者が全国にどれだけいるか考えたことあるか?」
 やめて。
「心底腹立つわ。こんな腑抜けをライバル認定してた自分にな!」
 白石くんやめてと、そう言う権利は私には無かった。
 これはテニスプレーヤー同士の問題だ。私が口出しできるのはあくまで『菊丸くんたちとの仲直り』に関してだけ。テニスのことについて私は何かを言うべきじゃない。ここに踏み込んではいけない。
 ただ、無感情に白石くんを見つめる不二を見てると、昔の自分を思い出した。声を上げて泣きたくなった。
「白石、もう帰るで。……不二はもうテニス辞めたんや」
「いいや違う。この男は根っからの負けず嫌いで性格の悪い貪欲な男や。負けっぱなしで尻尾蒔いて逃げる男ちゃう。俺はこんな男と戦ったんやない」
 連れの男子は席を立って白石くんを引っ張ろうとする。けれど白石くんはそこから動かなかった。理知的な最初の態度はもうどこかへ消し飛び、ただの聞き分けのない我儘さが目立った。戦いたいんだ。天才不二周助と。
「ぶっちゃけな、不二クンが青学テニス部とどうなろうと俺は興味ないねん。そっちは菊丸や千代田さんたちが何とかするやろうし。何とかできなくても俺には関係ない。……ただ、テニスは別や。俺は出しゃばらずにはおられん。せやからここへ来た。夜行バスでケツ痛めながら、貯金全部はたいて来たんや」
 テニスコート行くで。ラケット貸したる。
 たぶん、白石くんは冷静じゃなかった。不二周助を再びコートへ立たせるのは自分だと、ある意味執着に似た使命感を燃やしてここにいるんだ。それはここ数週間青学が何もできずに放置していた所為かもしれないし、不二周助をテニスコートから追いやった人物が不二とはなんの因縁もなかったからかもしれない。
 ただ、悟ってほしかった。
 青学テニス部に説得できなかったということは、もう誰が何を言っても無駄だということを。
「もう、黙ってくれ」

 彼の言動にはいつも静けさがまとわりついていた。けれどどんな騒がしい所でも良く聞こえる、明瞭な声だ。
 悲しみと怒りに満ちた、静かな声。

「帰ってくれ、白石、忍足。英二も、もう話すことは何もない」
「っ、不二!」
 最後に彼の名を呼んだのは白石くんじゃない。菊丸くんだ。今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「……ごめんね。僕はもう、テニスができないんだ。……したくないんじゃなくて、できない。……こわいんだ」

 その日初めて、私は不二の笑みを見た。泣きそうになるのを懸命にこらえる、強がりの笑みだった。
 誰も何も言わなかった。彼をそっとしておく以外、方法が思いつかなかったからだ。連れに肩を叩かれ、白石くんはその場を後にする。私も放心状態の菊丸くんの腕を引っ張り、その場から去った。
 あの神の子は、これほどまでの恐怖を植え付ける男だっただろうか? 確かに昔から、テニスにおいては完膚なきまでに人をやりこめる男だった。けれど何か違和感がある。幸村は試合中、本当に勝つことだけを考えていたのか? 不二を潰したいとでも思ってプレーしなきゃ、ここまで彼に深く傷を残す結果にはならないだろう。
 そんなことを考えて、寒気を覚えた。考えたくはない可能性だった。


「アイツと俺が対戦したのは、去年の全国大会の準決勝でな」
 あの後、迷惑をかけた詫びと称し、白石くんと忍足くんは私に出店の焼きそばを奢ってくれた。彼らや菊丸くんはそれぞれフライドポテトやホットドックやチュロスなどを大量に買い込み、一緒に屋上へと移動する。屋上は文化祭期間中立ち入り禁止だったが、サボり目的の生徒たちのたまり場になっていた。私たちは人気が少ない端の方へ行く。私たちはそこへ腰掛けると、そこでやけ食いするように勢いよく頬張り始めた。しばらくは誰もが無言だった。
 焼きそばは丁度いい昼ごはんになったのだが、私の気分は晴れなかった。けれどあと30分で係に戻らなきゃいけない。でも今のままじゃ笑えない。そう思っていた私の微妙な心情を悟ってくれたのか、白石くんはそんな話を始めた。
「試合の終盤まで俺の完璧なリードやった。でも、最後の最後でアイツ、覚醒しよってな」
「覚醒?」
「新技どんどん決めよって。あん時はホンマ焦ったわ。せやけど同時に、めっちゃかっこええって思ってな」
「カッコいい?」
「あの場にいたら、千代田さんも完全に不二クンに惚れとったで。恋愛云々っていうより、人間として、プレイヤーとしてな」
「……そうなんだ」
 不二のテニスについて語る白石くんは、楽しそうに目をキラキラと輝かせていた。その様子からも、不二が優れたプレイヤーだったことは手に取るように分かる。それから、白石くんが本当にテニスプレイヤーとして不二に惚れていたのだということも。
「まぁ、最終的には俺が勝ったけど。あれは正直、最後のミスショットが無ければ危なかった」
「勝ったもん勝ちや」
 不服そうにそう口を挟むのは忍足くんだ。白石くんはそんな彼を見て苦笑した。
「せや。勝ちは勝ち。……せやけどあいつはあん時から、俺の越えなあかん壁のひとつになった」
 白石くんは先ほど不二に『お前との再戦を願ってる猛者が全国にどれだけいるか考えたことあるか?』と言っていた。
 私は対戦形式の競技に関わったことが無いのでよく分からないが、ライバルが腑抜けになってしまった時の落胆だとかはよく分かる。自分が何のために頑張っていたのか少し分からなくなるんだ。まるで、がむしゃらになってた自分を鼻で笑われたような気分になる。
 不二の復活を誰よりも願っているのは、もしかしたら青学テニス部じゃなくてライバルたちなのかもしれない。それは不二の為ではなく、自分の力試しとプライドのためなのだろうけど。
「そんな周りに影響を与えるほど、不二は凄い人だったの?」
 私が話を振ると、白石くんはまた目を輝かせて頷いた。
「強いプレーヤーにも二種類あってな。もう二度と戦いたないってやつと、何度でも戦いたいってやつがいる。不二くんは完全に後者や。技はかっこええし、それを破る瞬間がたまらへん。そんでもって破ってもまた対策立てて向かってくるのが不二周助っちゅー選手のええところや。こっちが強くなればなるほど、不二クンも強くなる。だからそれを超えるためにこっちも強くなる。こういう選手はなかなかおらへんからなぁ……」
 なんとなくだけど、白石くんが今不二と対照的に誰を思い浮かべているのか分かってしまった。
「……不二は」
「え?」
「その、もう二度と戦いたくないってやつと、戦っちゃったんだね」
 白石くんが目を泳がせる。しばらくして、力なく「せやなぁ……」と呟いた。
「……でも、正直がっかりや。あいつ、手塚クンのことも忘れてしもたんかなぁ」
 独り言のような呟きは続く。
「あいつにとって、手塚クン以外の選手はやっぱり……スリルを楽しむためだけの存在だったんやろか。それが、絶対的な恐怖に潰されて、もう闘争心も捨ててしもたんか」
 アイツにとってのテニスって、なんやったん?
 吐き捨てるようにそう言う白石くん。その時声を荒げたのは、私でも、ましてや忍足くんでもなかった。
「知ったような口きくなよ、他校の選手が」
 小さな声だった。けれど反抗的な感情が前面に出ている。菊丸くんは膝を抱えてカスタードクレープを頬張りながら、少し遠くを見つめていた。猫が毛を逆立てるような敵意をむき出しにしている。
「確かに、不二は自分の力抑えてるよ。あいつオレと練習試合する時いつも6-4なんだよね。でもそのこと問い詰めたら本人はまるで自覚なしで、オレと試合するのは楽しいとか言うの。……誠実な選手だとはぜったい言えないけど、ギリギリの戦いが楽しいっていう気持ちはオレもすごく分かる。テニスの楽しみ方なんて人それぞれだから、勝ちさえすればオレたちは文句なんてなかった。……手塚の二の舞にはさせたくなかったから」
 その内、その敵意は白石くんたちへではなく菊丸自身に向けられていることが分かった。
「不二が、自分の楽しみのためだけにテニスをやっていてくれたら、今ごろアイツはまだコートに立ってたよ。……インハイのシングルス1なんて引き受けなかった。オレたちが思っていたよりずっと、あいつは青学が大好きなんだ」
 菊丸くんはクレープを強く握りしめる。クレープからはみ出たカスタードが彼の上履きの真横にぼたりと落ちた。菊丸くんは泣いていた。音もなく、大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、唇を噛みしめていた。
「でも、だったらなんで! まずオレたちに『こわい』って、『テニスができない』って相談してくれなかったんだよ……っ!」
 屋上から見下ろす青春学園高等部の校庭は、様々な来場者や青学生で溢れて活気に満ちている。ナンパに失敗した他校生や、ジャージで宣伝をする男子バスケ部、メイド服を着込んだ二年生女子、メインステージの客席に座り話し込む中学生の女子たち、風船を貰ってはしゃぐ子供。
 みんな楽しそうなのに、どうして私たちはこんなにもやりきれないんだろう。
「……菊丸くん、それは」
「黙れよっ」
 校庭を見据えたまま私が口を開くと、菊丸くんはそう言い放った。
「知ってるよ。お前には全部話してるんだろ。……でも聞きたくない。これはオレたち青学テニス部の問題だ」
 ほんとうに、やりきれない。


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