「……何か臭います」
しいなが落ちた穴に繋がる道を探し出し、歩いていた足を止めてテネブラエは言った。すでにエミルとマルタ、リーガルは手で鼻を覆っている。
「……あれ、このにおい……」
皆が顔を顰めるほどのひどい臭いがあたりに漂っている。クライサはその臭いに覚えがあった。確か、フラノール。負傷者の救助活動中、行き着いた教会で。
「これって……メロメロコウ!まさかデクス!?」
記憶を遡っていたクライサが臭いの主の姿に辿り着いたと同時、マルタがはっとした様子でそう言った。それから神殿の奥へと駆け出すので、皆が慌ててその後を追う。
辿り着いた先にはしいながおり、それからフラノールの教会でクライサとエミルが会った青年と、アリスの姿があった。
「……まずいよ。全然目覚めない」
「アリスちゃん!アリスちゃん!キミのデクスが来たよ!さあ、目を覚ましてくれ!」
「これだけの臭いなら普通目が覚めそうだけどねぇ……」
気を失っているのか、ぐったりしたアリスを床に膝をついたしいなが抱きかかえている。そのそばでアリスに呼びかけているデクスという青年が、やはりこの酷い臭いの元のようだ。
「ああ、あんたたち、ちょうどよかった。あたしこの子の上に落ちちゃってさ」
治癒術で回復してやってくれないか、なんて言い出すしいなに、クライサは額を押さえた。ああそうか、落とし穴の真下にアリスがいたのか、ってそうじゃなくて。
「しいなさん、しいなさん。そいつら、敵。ヴァンガード」
「……なんだって?」
クライサの言葉を聞いた途端、顔色を変えたしいなはアリスを放り出し、エミルたちの側へと飛び退った。冷たい床に落ちたショックで意識を取り戻したらしく、アリスが立ち上がる。
「いたたたたた……な、何……?」
「アリスちゃん!キミの王子様、デクスだよ」
クライサがドン引いた。
「ちょっと!なんで3Kデクスがいるの?もうやだぁ!臭いのうつっちゃう!」
不覚にも、ちょっぴりアリスに同情してしまった。とりあえず良かった。来てくれたのね、デクスくん、さすがアリスの王子様ぁ、とか言い出さなくて。……良かったんだろうか。
「マルタちゃん?なんで生きてるの?なに、リヒターってば失敗したの?」
「せっかくこのオレがこうやってマルタをおびき出してやったのに……」
忌々しそうに言ったデクスの姿が一瞬にして変わる。マントを纏った男の姿。それは先ほどマルタを呼んだ男だった。
「パパ!……あんた……あんたが化けてたの!」
マルタが息を飲み、リーガルとしいなも驚きを隠せないようだ。しいなの忍術だって、種も仕掛けもなしにあんなことは出来ない。
クライサのほうにはああいった芸当をしでかす人物に心当たりはあるが、まさかこの世界に同じような存在がいるとは思えない、とすぐさま可能性を打ち消す。
「あらあら、じゃあリヒターを笑ってやるためにも、ここでマルタちゃんを始末しちゃいましょう」
にこやかに鞭をペチペチと鳴らすアリスに、手伝うよ、とマルタの父親に化けたままのデクスが身を乗り出す。
その時、しいなが氷の精霊、セルシウスを召喚した。アリスらとこちらを隔てる氷の壁が出現する。アリスの悔しがる声も遠く聞こえる分厚さだ。
「ず、ずるい〜!私の頭の上に落ちてきたうえに、こんな氷の壁なんか作ってぇ〜!」
「さあ、この氷の壁も長くはもたないよ。早いとこ、ここから逃げよう!」
クライサは壁越しに悔しげなアリスの姿を堪能していたのだが、促すしいなの拳を脳天に食らい、渋々エミルたちとともに駆け出した。
神殿を出ると、アリスたちが追ってこないことを確認して、リーガルとクライサはこれまでのいきさつをしいなに説明した。
ラタトスクのこと、センチュリオン・コア、ヴァンガードに狙われる理由もろもろ。しいなは、フラノールの襲撃がロイドの仕業とされていたことを知らなかったらしい。信じられない、と顔色を悪くして呟いた。
「でも、ロイドがセンチュリオン・コアの暴走に影響されているなら、考えられなくはないでしょう」
「確かにそういうこともあるかもしれないけど……」
それまで黙っていたエミルが言うと、しいなは考え込み、だがすぐにあぁと唸って髪をかきむしる。
「やめたやめた。考えても無駄だよ。確かロイドのことはリフィルたちが追いかけてるんだったね」
じゃあ、あたしはあんたたちについていくよ。
しいなの申し出に、エミルとマルタは驚いて声を上げた。
「ロイドがおかしくなったってんなら、あたしが一発鉄拳を食らわせて目を覚ましてやらないと。あんたたちについていけば、ロイドに会えるかもしれないんだろ」
「まあ……そう……ですね」
「よし、じゃあ決まりだ。いいだろ?」
そりゃ質問じゃなくて脅迫じゃないか。微笑みながらも強い視線でエミルとマルタを見る彼女の姿に、クライサは苦笑する。まったく、ロイドの仲間たちはみんなこうだ。
それから一行は、グラキエスのコアの行方を問うためにフラノールのアクセサリー屋を訪ねることにした。ヴァンガードにさらわれたというアクセサリー屋一家は、しいなの仲間が助け出して街へ送ったのだそうだ。
アクセサリー屋でしいなを迎えた彼女の仲間、つまりはミズホの民と頭領と呼ばれたしいなのやりとりに、エミルとマルタが目を丸くするなんて一幕がありながら(そりゃ情報収集や戦いのエキスパートであるミズホの民の頭領が、あんな簡単に落とし穴に落ちた奴だなんて言われりゃ真偽を問いたくもなろう)、ひとまずグラキエスのコアの行方を聞き出すことは出来た。
「メルトキオか……」
心なしかげんなりした声で呟くクライサの頭をしいなが小突く。エミルとマルタは首を傾げた。……ちょっぴり嫌がる素振りくらい、させてくれてもいいんじゃないかと思う。
リーガルがレザレノ社の高速艇を手配してくれることになり、一刻も早くメルトキオへ向かうべくフラノールを後にした。
懐かしさ半分。もう半分は、