さすがに五秒で片付けられるとは思っていなかったが、想定以上に時間がかかってしまった。その原因が相手の力量でも、自身の油断や実力不足でもないことを知っているクライサは、氷に覆われた通路を駆けながら舌を打つ。
「エミル、リーガル!」
前方に見つけた広間に駆け込み、ちょうど魔物を倒し終えたところらしい彼らの名を呼ぶと同時に、その向こうに人影があることに気付いた。赤い髪の、長身の男ーーリヒター・アーベント。そして彼の手により首を締め上げられたマルタ。
クライサに気付いてか、リヒターがちらりとこちらを見る。その目が一瞬歪んだように見えたが、それを疑問に思う間もなく、彼の剣がきらめいた。
「!!」
鋭い刃がマルタの体に突き立てられる。マルタは目を閉じ、声も出さずにその場にくずおれた。マルタ、と彼女の名を呼ぶエミルの絶叫が、冷たい神殿の壁に反響する。
「リヒター!貴様!よくも……よくもマルタをっ!!」
マルタの額からラタトスク・コアを取り出したリヒターに、ラタトスクモードになったエミルが向かっていく。しかし、リヒターに従うセンチュリオン・アクアの邪魔が入り、彼の剣はリヒターに弾かれ、エミルの体もまた固い床に転がった。慌てて起き上がろうとする彼のすぐ横を、リヒターが走り去っていく。傍らにはアクアが寄り添うように飛んでいた。
「くそっ!俺にもっと力があれば!いつも……いつも俺が俺の状態なら!!」
「悔やむ前に、もっとよく死体を確認するんだね」
聞き覚えのある声にクライサが顔を上げれば、広間の階段の途中に、ボンと音を立てて白煙が立ち込めた。
「藤林しいな、ここに参上!」
「でもって、地獄から甦った美少女、マルタ推参♪」
煙の中から現れたしいなの背後から、リヒターに殺された筈のマルタがぴょんと飛び出す。一瞬、エミルには何が起きたのかわからなかった。マルタ。確認するように何度もその名を呼びながら、エミルは階段を下りてきた少女に駆け寄ると、強く抱き締める。はじめは驚いていたマルタも、そっとエミルの背中に手を回した。
「よかった……」
「エミル……心配かけてごめんね」
さりげなく二人から視線をはずしたリーガルと同じく、クライサはしいなへと目を向ける。彼女もまた、暫くぶりに再会した相手だ。
「クライサ!あんた、本当にまた来てたんだね」
「うん、久しぶり。またよろしくね」
さすがミズホのネットワーク、クライサが再びこの世界に現れたことは既にご存知だったらしい。
「ゼロスには会ったのかい?」
「……」
こいつもか。当たり前のように投げかけられる問いに内心溜め息を吐きながら、とりあえずは頷く。彼女の期待するような再会ではなかったが、ま、嘘をついてはいない。
「それより、こいつは?」
「ああ、イガグリ流忍術ってやつさ。まだ、おじいちゃんほどうまくはないけどね」
リヒターに刺され倒れた時のままくずおれている死体に意識を向ければ、しいなの短い説明の後、ボンと煙に包まれマルタの姿からただの木偶人形に変わった。忍術ってすごい。へたな錬金術よりよっぽどすごい。そうか、忘れがちだったけど、しいなってすごかったんだ。ただのドジっ子かと思ってた。ごめん。
「クライサ、モノローグが全部口から出てるよ」
「で、しいなってばなんでここにいるの?」
「無視かい」
しいなは、拉致されたフラノールの住民を助けに来たのだと言った。フラノールが襲撃された時、アクセサリー屋の一家がヴァンガードにさらわれたのを見かけ、ここまで来たらしい。やはりあの主人、偽者だったのだ。ということは、その拉致事件はクライサたちを……マルタを、ここにおびき出すために行われたのだろう。
ここでこれ以上話し込むのは得策でない。まだヴァンガードが潜んでいる可能性だってあるし、リヒターに奪われたラタトスク・コアが偽物だと気付かれるのも時間の問題だ。話の続きは別の場所で、というテネブラエの提案に従って、とりあえず外に出るべく歩き出した。
「あんた、エミルだったかい?」
暫し進んだところで、急に思い出したようにしいなが立ち止まり、振り返る。
「あ、はい」
「……あたし、あんたとどこかで会ってる気がするんだけど、気のせいかね」
と言って顔をじっと見つめてくるから、エミルは恥ずかしげに目を伏せた。
「すみません。あの、僕はちょっと記憶に……」
「そうかい?おかしいねぇ。あんた、なんか懐かしい顔してるんだよねぇ」
「少し会わない間に、随分年寄りめいた言い方するようになったよね、しいな」
「クライサ、あんた後で引っ叩く。……懐かしいと言えば、さっきのあのリヒターってのも見覚えあるね」
そうなんですか、と驚いたマルタに頷く。
「ああ。どこで見たんだっけねぇ……あんな初歩的な仕掛けに騙される間抜け、忘れるとは思えないんだけど……え?」
考え込むように唸るしいなの、足元の床が突然なくなった。あ。
「きゃあーー!!?」
…………。
落ちた。
真っ暗な穴に落ちていったしいなの悲鳴が完全に聞こえなくなってから、絶句していたエミルたちが漸く我に返る。突然すぎて驚いた。驚きすぎて咄嗟に何も出来なかった。
「……さ、ひとまずフラノールに向かおうか」
「ほっとくの!?」
「さがそうよ!!」
「……クライサ、すまないが……」
「わかってるよ。さがします、さがしますからそんな目で見ないで会長、カメハメ波は勘弁してください」
「「(カメハメ波?)」」
よし。前言撤回しようか、ドジっ子め