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第4話


警戒心の塊のような尾形さんは、あれから嘘のように私の渡す物を受け入れてくれるようになった。
もちろんあの無理に飲み込ませて直ぐは視線だけで人が殺せるんじゃないかという眼光を頂戴して、私が怪我の具合を診ることをかなり嫌がった。触るなと言わんばかりに無事な左腕で私を振り払う物だから断念したほどだ。日が昇って様子を見にきた病院の看護婦と見舞いにやってきた彼の仲間によって漸く信じてくれたようだが、それでも怪我を診せてはくれなかった。
その様子が好転したのは意外にもその日の昼頃だったと思う。
一眠りして起きた尾形さんがぼーっとした様子で宙を見つめた後にふいっと私に視線を寄越してちょいちょいと指で手招きしたのだ。(今思えばいい野良猫でも呼ぶような仕草だった)
眠っている間に彼に何の心境の変化があったのか、近寄って覗いた彼の瞳に朝にあった私への敵意は消えているようだった。


「じゃあ服脱ぎましょうか」


薬を煎じた液体を先日同様飲んでもらい、溢れた口周りを拭う。味をだいぶマシにしたからか、尾形さんは器を一気にあおる。マシになったと言っても独特の草っぽさは消えていないはずなのに眉ひとつ動かさず飲み干す彼の姿は天晴れである。
似たような薬を別の師団の人に飲ませた時は皆吹き出して嫌がったというのに。
感心しながら空になった器を受け取って体を拭くようの布を手に尾形さんにそう言えば、彼は私をジッと見て眉を寄せて顔を顰めた。怪訝そうな表情を目だけでここまで語るのは逆にすごいのでは無いだろうかと思いながら尾形さんの着物の合わせに手をかければ、その手を逆に取られる。


「え、なに?って…いたたた!ちょっと!痛いよ!」


言葉の通り握り締められた手の強さに私は思わず悲鳴を上げる。
尾形さんは利き腕は右らしいが、左手でもこんなに力強いなんて握力どうなっているんだろう。鍛え方なのだろうか、やはり軍人たるもの精神だけではなく肉体まで精錬であれ、と言われているだろうか。
そんな下らない事を考えながら尾形さんの手を払う。
喋ることの出来ない尾形さんと意思の疎通を図るのはだいぶ苦労する。二択の質問などは容易ではあるが感情を推し量るとなるとこれがまた難しい。


「……年頃の娘じゃあるまいし」


まさか恥ずかしいとかではあるまいな。
確かに名誉ある軍人様がただの女に着物を剥ぎ取られるなんて耐え難い苦痛なのかもしれない。けど、処置を大人しく受ける尾形さんにそんな様子は見られない。ならば羞恥によるものなのだろうか。


「…別に裸体なんて見慣れてるし気にしなくていいよ」


何ならその皮の中身まで見慣れているのだ。と言っても全て動かず冷たくなったものだったが。
ぽそりと呟いた私に尾形さんが目を細めて眉を寄せる。中々の顰めっ面である。
尾形さんの顔は腫れが引いたとしてもまだ綺麗に治っていない。それを差し引いたとしても今の彼は不細工な表情をしていた。そしてその表情のまま首を左右に振るう。


「え、違う?そうじゃないの?」


否定をした尾形さんがじっと私を見て、それから彼はすっと指をさした。
その先にあるのは私の手元で、彼の体を拭くための布を持っている。その手を胸元あたりまで上げて見せれば彼の視線がそれに従って動くのを確認して「これ?」と聞いてみた。
こくり、と頷く尾形さんにあれ説明してなかったっけと振り返れば、確かに彼が起きている時に体を拭こうとしているのは今回が初めてであったと思い出す。
尾形さんが熱で魘されている頃から脱がして拭いたりをしていたので、私からしたら今更だったのだ。


「尾形さんの体を拭くための布だよ。体を清潔に保つことって病んでいる時は特に大事だから」


そう伝えると暫く無反応だった尾形さんがややあってゆるりと動き出した。自分の着物の首元を緩めようとしているのか左手でぐいぐいと前を開こうとする彼に「いいよ、やるよ」と伝えて彼の手を止める。
ちらりとこちらを見た尾形さんに、なあに?と視線を返しながらも彼の胸元を開いた。


「(何回見ても白いよなぁ)」


初めて彼を見た時、呼吸を確認するまで死んでいると思っていた。それは、一目見た彼の白さが起因する。と言ってもその時は冬の川を流されて心臓が止まる手前だったのだから真っ青でおかしくはない。
おかしくはないのだから、その時は何とも思わなかったのだがこうして尾形さんの体を拭いたり接する機会が出来てからは元々色白と呼ばれる側なのだろうと理解した。
私も色素は薄い方で髪も目も肌も一般的な日本人と比べれば白いと自覚している。が、軍人で男で、尾形さんの様に白いのも中々珍しいのではないだろうか。おそらく日焼けしたら火傷になる性質だろう。
ちょっとした親近感を感じながら彼の体を拭ってやる。
包帯で隠れてはいない首元から左腕、背中に胸元、と順々に拭き進めていた時だった。

コンコン、と扉が叩かれる。
返事をするよりずっと早くにその扉が開かれた。


「お嬢さま、尾形上等兵殿のご様子は……」


ノックの意味はあったのだろうかと思うくらいに早く開かれた扉から現れた看護婦と師団の人に私は作業の手を止める。が、向こうも言葉を消した。


「な、何をなさって…!?」


驚愕の様子に声を上げた男がズカズカと部屋に入ってくる。その後ろで口元を抑える看護婦が見えた。
無遠慮に足音を立てた男はそのまま私の手元から布巾を取り上げて尾形さんと距離を取らせるかのように間に入ってきた。
尾形さんをチラリと見ればその感情を表情から読み取ることはできなかった。


「何って、体を清めてるだけだけど…」
「その様な事!お嬢さまがされるべきではありません!」


布を返してと手のひらを向ければ、男は布巾を届かない様に高く上げた。まるで聞き分けのない子どもから物を取り上げる母の図ではないかと想像して顔を顰める。
行動を起こすかどうかは他人が決めるべきではない。自分の意思を伴って体を動かす。そこに誰かの指示などない。


「そうですわ、桐原先生のご息女様にそんなことさせられません、私共看護婦にお任せくださいませ」


オロオロと間に割る様に入ってきた看護婦の言葉に私は少しムッとする。
看護婦の物言いに棘を感じたのだ。一部の者ではあるが、彼女達が陰で私を何と呼んでいるのか私は知っていた。
仲良しこよしをしたい訳ではない。軍属でもない私が軍医の真似事をしているのが気にくわない気持ちもよく分かる。けれど私は医学校をちゃんと出てるし開業試験も通っている。
疎まれるのは分からなくないが、咎められる謂れはない。
でもそれを彼女達に分かってもらいたいとは思わなかった。彼女達だって仕事を誇らしく思っているのは知っている。看護人という職業が出来てから看護婦に就く女性も増えたと聞いていたから。国の為人の為、大義あっての行動は大層なことである。
大きく息を吸って深くゆっくりと鼻で吐き出す。挑発に乗ってはいけない。こんな腹の探り合いみたいなこと学校では日常茶飯事だったじゃないか。


「尾形さんは私がいただいたんです、私が診るのは当たり前ですわ」


にこり、笑みを浮かべて言葉を取り繕う。看護婦が抑えた手元の向こうで口元を引きつらせたのに気付く。
ふふふと笑いを零しながら師団の男に向き直り「ね?」と布を返す様に催促して手のひらを出せば男は「いや、しかし」と尚も渋るので、私は更に笑みを深くした。


「誤解されないでくださいまし、彼は私のものなのです。何をするかは私が決める事なんですよ」


そう言い切れば男は目を見開いて、何故か尾形さんに視線をやった。
尾形さんは寄越された視線を受け止めて気にしていないという風に私を見る。けど私は再度見た男の視線に隠された感情に目を張ってしまった。
ギラついたその瞳に轟々と燃える様なそれは怒りにも似た負の感情で、それが表すのは不快感≠ナある。


「あの…?」


軍人でありながら女人に世話をされる尾形さんに嫌悪したのだろうか、ならばお門違いである。さっき言ったとおり尾形さんは私のものなのだ、尾形さんに拒否権は存在せず私が好きなように行なっているだけなのである。
そっと男に話しかければ彼はハッと我に返った様に慌てて私を見下ろした。


「失礼致しました、そこまでお嬢さまが仰るなら上等兵殿はお任せ致します。」


と、案外引き際は弁えているらしく布を手元に返された。
「では行きましょう、失礼致します」と看護婦に声をかけて私に一礼をする彼をなんとなしに目で追う。さっきの感情から身の返し方がとても不気味だったのだ。

だから、彼が部屋を出る直前小さく呟いた言葉を拾ったのかもしれない。



「山猫の子どもは山猫だな…」



吐き捨てる様なその言葉を部屋の扉が蓋をした。
感情がその声に全て乗せられていた様な気がして、聞かなかったことにどうしても出来ない。なんの揶揄なのか私に分かる訳がないのにそれが良くないものだと何処かで理解してしまう私は何故なのだろう。
扉に向かって踏み出そうとした足が後ろ髪引かれて阻止される。
振り返ってみれば言葉の通り三つ編みにした私の髪を自由のきく左手で引っ張る尾形さんと目があった。とても緩く引いたのだろう、痛みも何もなかったそれは彼と目が合う事でするすると手から解けるように溢れていく。


「尾形さん?」


喋れるわけ無いのに彼が何か発してくれるのかと声をかける。
尾形さんはゆっくりと首を左右に振っただけだった。何の否定だったのか分からない。追うなという事なのか、何も聞くなという事なのか、彼の仕草からは何も読み取る事が出来なくて、でも何故だろう彼をもの凄く抱き締めたい衝動に駆られた。

きっとさっきの揶揄は彼の事だったんだろう。
良くないものだと理解してしまったのはきっと、彼が私と同じだからなのかもしれない。