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第34話


何となく見上げた空が高くて、雲が溶け込んだ空色に自然と長く息を吐き出した。
羽織が無くても特別寒さを感じない空気に季節の変化を肌で実感する。そういえば父の元を離れてからどのくらい経ったんだろう。
日数を数えたわけじゃないけれど、毎日が過ぎ去るような日々だったように思う。体感ではあまり過ごしたつもりもないのだけど、尾形さんを拾った時は真冬だったのだから、そう考えるとそこそこ経過してしまっている。


「(あっという間だったなぁ…)」


東京から出てきて今日まで本当にあっという間だったように思う。あのままあそこにいたら出来なかった経験も沢山した。

全焼した館を前に特に何も感じなかったのは、少しだけ自分に驚いた。悲しんだり焦ったりあるいは安堵したり、そんな何かしらの感情も込み上げるものはなく、ただゆっくりと飲み込むように理解した。

ああ、また見捨てられたんだなぁ。

そう思ってしまえば、振り切るようにしてこの場に来たのは自分なのに、嘘のように失せてしまった興味に私はゆっくりと今し方振り払った男に振り返ったのだった。

ヒヒンと馬が鳴いたのを合図にグラリと揺れた体を慌てて立て直す。「ごめんごめん」と馬を撫でてやれば、隣を歩く男から「少し休みますか?」と声をかけられた。
純粋に疲れたと思ったのだろう気遣うような声色だった事に気が付いて私はかぶりを振った。


「大丈夫です、お気になさらず」


馬に乗っている私と違って歩いているのは彼なのに気遣われるなんて情けない。
第七師団の兵士2名。1人は馬に乗った私の隣を歩き、もう1人は私の後ろで私と同じように馬に乗っている。
名前も知らない男達とこうして歩いているのは可笑しな感覚がしたけど私が望んでの事ではなかった。
捕まった、というよりは保護された状態の私は顔色を窺われながらこの2人と何処かへ向かっている。
あの館での彼らを見る限りはおそらく鶴見さんの部下の様なので向かっている先も鶴見さんの元なのだろう。にしては隊列から外れて少人数で動いているのが良く理解出来ないけど、怪我を負っている人が居たから道すがら別なのかもしれないと無理矢理納得することにした。


「(あの人平気かなぁ)」


焼けた屋敷から脱出してきたらしい1人の男には片足がなかった。
スパリと綺麗な断面だったのに惚れ惚れしながらも止血と消毒を施したものの本当に応急処置に過ぎない。
痛みなのかかなり暴れていたから少々手荒に縛り上げたけど、そこから別行動なのでその後どうなったのかは知らなかった。


「(このまま鶴見さんの所に行って、父上と合流して東京に引き戻される…かな、やっぱり)」


短い逃避行だった。結局鳥を捌くことは出来ないままだったし、尾形さんがどこに向かうのかも分からないまま終わってしまった。土方さん達の狙いも結局は不明だしここぞという話し合いの場では追い出されていたのだからきっと厄介払いが出来たとでも思っているに違いない。
医者というだけで自分に価値があると思っていたけど今や家永さんだっているし私は不要なのだろう。
それをあの全焼した館が物語っていて、痕跡もなく消えてしまった彼らに私は飲み込むように理解だけしたのだ。





道中は何度も休みを挟み数日を掛けられた。
途中、これは小樽への道じゃないぞと気が付いたのは大分経ってからの事だったように思う。地理に疎い私は自分が何処に向かっているのか分からなかったけど、それに漸く気が付いたのはそこが見覚えのある道だったからだ。
第七師団の本部がある旭川。父を訪れて北海道に来た時、最初に来た軍都である。


「(なんで、旭川…)」


私が旭川に寄る理由がイマイチ見つからないが、まさか父が来ているのだろうか。
相変わらず栄えたこの町並みを眺めて、チラリと隣の兵士を盗み見る。大袈裟なくらい丁重に扱われていた気がするのはきっと気のせいではない。鶴見さんの計らいなのは分かるけど、それ以外に感じる違和感の正体が読めないでいた。

第七師団の旭川駐屯地はとても広い。北の地らしく広大な土地を余す事なく使用しているかのようで、端から端まで行くのにも徒歩ではかなり時間がかかるほどだった。聞けば兵舎だけでは無く、様々な倉庫や工場、さらには獣医室まで備えていると聞いた。ならば何故その一角に病院を開かなかったのだと些か不満に思うのは、この広大な敷地の外れに陸軍病院があるからだった。
初めて訪れた時私は病院を探して歩き回り、いくら回ろうとも見当たらず疲弊して、たまたま声をかけてくれた兵の1人に聞くことにしたのを今でも思い出せる。だってまさか追いやられるかのように建っているとは予想にもしない。

第七師団司令部と構えられた建物の裏側に案内されて、左右対称の西洋風な建物へ「どうぞ」と通される。
見てきた兵舎や素通りした司令部と違った空気を持ったその建物は私を躊躇わせるには十分だった。
まるで話に聞いた社交界の会場のようで自分が場違いである事がよく分かる。本当にあっているのだろうかと兵隊さん1人をチラリと見れば私の視線に気がついたらしい彼が再度「どうぞ」と述べた。
早く行けと言いたげな空気に圧されるようにして私はそこに足を踏み入れる事を決心する。
扉を開けられて真っ先に目に付いたのは床一面を覆う真っ赤な絨毯だった。ついで、無意識に細めてしまった目がその原因を探せば天井や壁に仰々しい照明が存在を主張していて眩しさに目をそらすことになる。


「二階に上がっていただき左手へ、進んだ先の突き当たりの部屋へお入りください」


将校が貴女様をお待ちです。
そう付け足された言葉に私は黙り込んだ。1人で行けと言うことか、この爛々とした不釣り合いな空間を。そんな気持ちに負けないくらい将校、つまりは鶴見さんという事に私は気が滅入っていた。やだな、やだな、騙し騙され振り払ってきたあの人にまた相見えるのがとても嫌だった。
はぁーと長く息を吐いてどちらにせよ相対せねばいけないのだと自分を奮い立たせるようにして私は歩を始めた。
金に彩られた額に風景の様な絵がかけられている。生憎芸術には疎いので価値があるのかなど知らないが私には子供が書いた様な落書きにも見える。
床と同じ様な赤い絨毯が敷かれた階段は手すりが真鍮のように黄金に輝いていた。よく磨かれているのだろう指紋ひとつない。
上がりきった階段の向こうはまた左右対称で右に伸びる廊下も左に伸びる廊下も全く同じ装飾で寸分の狂いもなく見えた。
言われた通り左の廊下に足を向けまた長く息を吐く。
そのまま突き当たりまで進み、部屋の前で少しだけ悩む。どんな顔をしてここを開けようか。丁重に扱われて連れてこられた以上、私は客人扱いなのだと思う。けどそれは鶴見さんの部下に言い広められていることであり鶴見さん本人にとっては違うはずだった。微笑みながら挨拶を交わす仲ではないし、嫌だというのを全面に出すのも癪だった。これから自分がどうなるのかという疑問はあれど、不安を悟られるのは絶対に嫌だ。あの狸を一度でも出し抜いたのだから挑発的に笑ってやれば良いだろうか。
そんな風に扉の前でああでもないこうでもないと悩み続けていれば、私の意思とは関係なしに不意をつく様に扉がガチャリと音を立てた。


「お待ちしておりました、お嬢さん」


どうぞ中へ。そんな言葉と共に中から姿を現した男を私は知らなかった。
扉の前に私がいると気付いていて、入ってこない私に痺れを切らしたのだろうか。そんな疑問を覚えながらも柔く微笑む目の前の男を私はさぞ間抜けな顔で眺めていただろう。


「…お嬢さん?」


動く気配のない私を案じてか顔を覗き込む様にして呼ばれると漸くハッとして私は招き入れられる形で部屋へ入る。だれだ、この人。
予想外の展開に思わず床に落とした視線をゆるゆると上げる。廊下や広間と同じように煌びやかに装飾された部屋の中で男は上手く溶け込んでいたように見えた。
部屋の中央に置かれたテーブルにティーカップとポットが置かれており男は慣れた手つきでそれを入れ始める。
褐色の肌にスッと通った鼻筋。キリリとした目鼻立ちは、おそらくこの人を美男子と言わせるに等しく、伸びた背筋と手先まで流れるような所作には気品すらも感じさせた。


「さぞ怖い思いをされた事でしょう、ここに居るうちは私が責任を持ってお守り致します。どうぞご安心下さい」


カップを出されながらそう言われる。空いている椅子に腰掛けるように手で促す動作をされて、背負っていた薬箱をそばに下ろし私は流されるように腰かけた。
ふわりと花のような、甘い果実のような匂いが香りカップの中が紅茶であることを理解する。
この人に似合い過ぎて思わず小さく笑ってしまうとそれに気が付いたのか不思議そうな顔をされた。誤魔化すように慌てて咳払いをして背筋を伸ばし私は男に笑みを向ける。
もてなされているような気がした。ここに来るまでもそうだったが、丁重に扱われ過ぎていると思った。
鶴見さんから私のことをどう聞いているのかは分からない。分からないけど、確実に鶴見さんの元から逃げたというのは鶴見さん本人が分かっているはずなのに。
何を企んでいるのだろうかと私は目の前の男から情報をどうにかして得なければと思いつつ淡く映るように笑みを投げ渡した。