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第33話


東京の実家には確か何とかイスという名前の顕微鏡があった気がする。高価なものだし触らせてはもらえなかったけど、そもそも私はレンズを覗いて何かを見るという興味がなかった。
けど父はよく覗き込んでいた気がして、光学を好んでいるわけでもないのにと疑問を持っていた。そんな私に「細胞は神秘的なんだ」と高揚した顔で父は言っていた。


「生前と死後の差は細胞が生きているか死んでいるかだから、死後に刻まれたものならその痕跡はないんじゃないかな。逆に生前だったなら、治癒した痕でも見つかるんじゃない?詳しくは知らないけど刺青って針を刺して入れるんだもんね?」


悪趣味な人間剥製を前に私はそう言った。
私の言葉に何か考えるように土方さんは自分の顎鬚を撫でて、チラリと視線を剥製へ投げる。
この剥製がどう意図されて作られたのか私には分からないけど、人間を丸々剥製にしてしまうなんて良い趣味していると思った。
異様な空気を持つ剥製達を前に土方さんは真剣な様子で、おそらく先日牛山さんも口にしていた刺青というものが関わっており、しかもかなり重要なものなのだろう。
本物の刺青と偽物の刺青、見分けることは出来るかと唐突に聞かれれば私の答えは「知らないよ」だった。
そもそも分野じゃないし、偽物の刺青って何なんだよ、彫ったらそれは刺青で本物も偽物もないんじゃないのか。
口調こそは丁寧だったけど、意味合い的にそう口にした私に尾形さんと土方さんは私にこの人間剥製を見せたのだ。
…と、なれば答えは変わってくる。剥製に入れたとなれば死後のもの。それがつまり偽物と言うことになるのだろう。


「…となると精密な顕微鏡でもないと難しいですね」
「そう、まさにそれです」


私の言葉を家永さんが掬い取るように言ってくれたので私は頷き肯定をした。さすが家永さんだ。
顕微鏡なんて高価な物、そこらに置いてるわけもない。
細胞すらも鮮明に写すものとなれば大きな病院や研究所なんかじゃないと恐らくない。


「やはり共通点を探すしかないか…」


この家で作られたとされる人間剥製の手がかりを作業場を見て漁り探す。
そう言った土方さんに永倉さんが頷きを入れた。


「ならば手分けして探すとしましょうか」
「炭鉱の方も気になるからな」


永倉さんに続いて杉元さんがそう言うと、少し空気が静まった。それが誰となく肯定を示している様な気がしてこの剥製の空気と相まって居心地が悪い。
杉元さんと白石さんは、炭鉱の中で鶴見さんの部下と人間剥製の作製者を追っていたらしい。それをさらに追う形で尾形さんは彼等の後に続いていたと簡単に白石さんが説明してくれた。
曰く、鶴見さんの部下の人は屈強らしく死体を確認できない限りは安心することが出来ない、姿がなければ偽物が鶴見さんの手に渡っている恐れがある、と言うのだ。
それがどんな価値を持つのか、どんな事態なのか私には分からなかったけど、なんとなく聞ける雰囲気でもなくて少し思い空気から逃げる様に私は深呼吸をした。


「…私はこっちでいいかな?」


土方さんを筆頭に話し合いで人が振り分けられていく中、こっそりと尾形さんに聞いてみる。
視線をこちらに寄越した彼が意外そうな顔をした。


「向こうはもういいのか?」


向こう、というのはきっと炭鉱のことを指しているのだろう。
昨日時間を忘れて炭鉱の方にいたからそれを踏まえて言っているのだろうなと理解して私は曖昧に笑った。


「うん、死体はもう見飽きてるからね」


目新しいものもおそらくないだろう。死体の処理や事故の後始末の様を見ても私は楽しくないし興味もない。
そういう意味を込めて返事を返すと何を思ったのか尾形さんが鼻で笑う。
悪意を込めた様な笑い方だったことに気がついて「なに」と聞いてみるも彼はすぐ様表情を消して「別に」と言うだけだった。絶対何か思ったはずなのに何で隠すんだろう。多分失礼な事なんだろうな、じゃないとあんな笑い方しないもんな。
なんて納得しないまま、けど言う気がないのなら尾形さんは喋らないだろうから聞き出すことは諦めて私はこの家を徘徊することにしたのだった。

尾形さん、土方さん、家永さん、私。

この家を捜索する面々を見て、この家の間取りも考えてみる。細かい部分を探すとなれば時間がかかりそうだから手分けするのが一番良い。固まって探せば漏れが出るだろうし、気になったものが見つかれば確認してもらおう。
そう思って窓の外に建つ、物置小屋の様な小さな建物に足を向けた。





ガシャン、と窓を破って投げ込まれた火炎瓶が面白いほど簡単に炎を上げて剥製を覆っていく。
物音に気がついて部屋の様子を見に来た尾形は扉を開けるとその様に思わず舌を打った。


「家永ッ外へ出るな、撃たれるぞ!」


燃え上がる炎から逃げようとした家永に、素早く外の様子を伺った尾形が声を上げる。
建物に寄ってきた数人の男達、死角に入る様に消えてしまったが見覚えのある身なりを見間違うはずがなかった。


「いま外にチラッと軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」


状況を口にしながら小銃のボルトに触れ臨戦態勢に入る。パッと見た感じの人数に家の窓の位置を頭の中で浮かべ配置を組み立てていく。


「贋物製造に繋がる証拠を隠滅しにきたか」


ジャキッと銃に弾を込めながら土方がそう言った。
ご丁寧に火炎瓶を投げ込んでここを包囲、炭鉱の事故からこの短時間でこの采配。つまり、月島軍曹は生きて鶴見の元に逃げ帰ったと言って良いだろう。
そう尾形が確信するとほぼ同時、「鶴見中尉の手下がこの家を消しに来たと言うことは月島軍曹が生きて炭鉱を脱出したと考えるべきか」と土方もそう口にした。窓のそばから離れ、土方の言葉に間を入れず「だろうな」と肯定すると尾形はその足を二階へ続く階段に向けた。
窓は鉄格子、侵入するならばお互いの出入り口は玄関一択。ならば…


「外の連中を玄関まで追い込む」


そう言い捨てるように口にして彼は階段を駆け上がる。
途中部屋の中を視線だけで覗き込んで彼女の姿を目で探す。


「江茉!そのまま出てくるな、隠れていろ!」


一階に姿はなかった故に、おそらく二階の何処かにいる。
そう考えて声を張り上げると尾形は一つの部屋に飛び込みそのまま窓硝子を割って小銃を構えた。建物が燃えてしまっている今、時間が惜しい。一瞬の躊躇いが判断ミスになり命取りとなってしまう。
頭の中で描いていた通り、上から確認できる軍服に向かって銃を撃つ。上からは尾形が、下からは土方が。
制圧は出来ればでいい。数の差がある今、重要なのは制圧よりも隙を作ること。一階では火が回り始めているだろう今、時間は限られてしまっている。
そうして躊躇いなく撃ち込んでいれば、思いがけない方角から銃弾が飛んできて尾形はまた舌を打った。
思っていたより人数が多いらしい。銃を装填し直して足だけでも止めるべきだろう。
そう考えた彼の背後で微かに床が軋む音がした。





侵入してきた一等兵の肋骨を抉るように下から突き刺した銃剣は、本人によっても尾形によっても抜かれることはなく、口から血を吐き出しながらも尾形に馬乗りになり男は殴りかかってきた。


「死ね!!コウモリ野郎がッ」


般若のような顔をして血を吐き出しながらそう恨み言を口にする男を容赦なく後ろから殴り付けたのは杉元だった。
彼は炭鉱の捜索担当だったが、戻ってきていたらしい。


「お前が好きで助けたわけじゃねぇよ、コウモリ野郎」


一等兵が比喩した言葉をわざと真似てそう言い捨てた杉元に尾形は切れて口内に溜まった血を吐き出した。お礼を言うつもりも特にはないが、出会いが出会いだけに杉元はやけに尾形に突っかかる。面と向かって信用ならないと言われたばかりだが、それでも助けるのだから根は善人なんだろう。
グイッと口元を乱雑に拭って立ち上がると、尾形は今一度小銃を抱えて窓に寄る。
先程よりもチラチラと姿を現わす軍服に牽制を込めて狙いを定め彼は一発弾を撃ち込んだ。
数十センチ幅を狙ったそれは、針に糸を通す精度の高い狙撃で、反応するように軍服が物陰に隠れていく。たった一発の銃弾に警戒を高めることに成功したと分かると尾形は潔く身を引いた。

登ってくる煙の状態を見ても、もう長くここに立てこもるのは無理に見える。
向こうの男達はこちらの狙撃を恐れ無闇に出ては来ない。つまり今が好機。


「逃げるなら今しかない!!急げ!!」


廊下を抜け階段を降りながら響き渡るように声を張り上げそう言う。
この煙に紛れて身を隠して脱出できる筈だった。

先に出ていた彼等の姿を見て、尾形は一瞬足を止める。
燃え上がる建物を振り返り少しだけ躊躇った。


いや、大丈夫だ、あれは聡い。


一瞬込み上げた感情を誤魔化すように自分に言い聞かせて周りの兵隊に気付かれないようにまた足を進める。
屋敷から離れて炭鉱の町まで足を止めず走り抜け、先に逃げていた彼等の姿を見つけようやくその足を止めると、彼等は今後の話をしている様子だった。
贋物の見分けができる可能性を持った人物を尋ねに月形へ向かう。人数が多いと見つかってしまう恐れがあるからここからは分かれて向かう。そんな話を右から左へ流して尾形は今一度辺りを見渡す。

……いない。

じくり、先程の躊躇いで感じていた感情が火傷も負っていないはずの彼を蝕むように胸に広がった。
土方、家永、牛山、杉元、アシリパ。面々を目で追って瞬きをする。
走って上がった息とは別の何かが心臓を叩くように跳ねさせる。じんわりと汗をかいていたはずなのに背中がひやりと冷えた感覚がした。


「――江茉が居ない」