×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

第32話


坊主頭の人――おそらく白石さん――は思っていたより容態が悪かったけど牛山さんが連れ出してきた時に意識を取り戻したそうなので想像よりは悪くないと理解した。意識があるかないかでは大きな違いだ。
白石さんの口にも同じように手を突っ込んで同様に吐かせ、2人の呼吸を誘導した。いささか落ち着いた頃に自力で水を飲ませると2人が長く息を吐いた。
そして、地面に尻をついた彼等が私をゆっくりと見上げる。その瞳に揺らぎがあったことに気が付いて私は首を傾げた。なんだろう。


「何この子こわい…」


からからになった声でそう言われて、私は口ごもった。
以前尾形さんに、お前は説明が足りないと言われたことがある。その台詞を今更思い出してもすでに手遅れて、どこか怯えたような目で見られて少し困ってしまった。
ここで謝れば穏便に済むのだろうけど、最短であり最良で最も効果の高い処置を選んだにすぎない私は、謝罪をすればそれが間違いだと認めたような気がしてしまい、どうしてもそれだけはしたくなかったのだ。例え手荒だと言われても私は私を曲げたくない。


「お前ら…助けてもらってその言い方はないんじゃないか」


ふと呆れ声が隣からかかり頭をぽんと優しく撫でられた。ハッとしてそちらを見上げれば、大柄な男性が私に片目を瞑って「なぁ」と慰めるような仕草をした。
独特の模様の入った着物、髭、髪型、そして耳飾り。初めて見る面妖な出で立ちにどかの民族なのだろうと他人事に理解する。


「そうだぞお前達…!」


更にその隣に似たような出で立ちの少女がいて、男に同意するように溌剌とした声を上げてくれた。
地面に尻をついたままの2人は疲れたような顔をして「いやでもほら」と口をもごもごしていて、その側にいる牛山さんが困ったように頬をかいていた。


「だめだ!息してねぇ!!」


そんな居心地の良くはない場に背後から叫ぶようにして声が上がり、弾かれたように私は振り向いた。
私が救える命にはどうしても限りがある。目の前の全てをなんて傲慢なことは言わないし何より綺麗事は嫌いだ。


「ちょっと行ってくるね」


それでも間に合う命ならば掬い上げたい。そうして私は間違っていなかったのだと自分を認めたい。
色々な死体を見てきた。様々な死因を見て沢山体を開いた。それでも足りない満足できないと感じるのは私に流れる血筋のせいなのだと思う。命というのはとても不思議なものだから。

走り出した私を見送るように返事を返した牛山さんから、その背後にいる尾形さんに目を向ける。すれ違い様に「後で迎えに来る」と言われて私は短く返事をした。





胸部圧迫を行う時基本中の基本として肘を曲げてはいけない。一本の硬い棒を思い浮かべ伸展した肘を固定する。必要な圧力が逃げてしまう恐れがあるからだ。それから力で押してはいけない。力では疲労して長く続けることも困難になり、均一に保てない力では心肺蘇生による生存の効果が薄れる可能性があるからだ。自分の体重を胸、肩、肘、そして手首をかけて落とす。それを瞬間圧として継続して行う。
頭の中で初めて心肺蘇生をしたときのことを思い出す。あれは確か弟だった。いつも通り食事を共にした後、具合が悪いと訴えた弟は突然血を吐き倒れた。当時まだ幼かった私は、本を読んで得た知識を手繰り寄せて胸部圧迫を行った。人工呼吸という知識が欠落していた不完全な心肺蘇生は、全く意味をなさず命が助かることはなかった。
それでもあの時、好転する反応を一向に見せない弟を前に父や祖父に助けを求めることをしなかったのは私の中で好奇心が疼いていたからなのだろう。
あの時、私の頬を打ったのは母だっただろうか、祖父母だっただろうか。父ではなかった事だけは覚えている。


「随分汚れたな」


不意に背後から聞き慣れた声がして私はハッと振り返った。
先刻迎えに来ると言っていた彼がそこに立っていて、私は脈を診ていた腕をそっと離した。
何人を蘇生し何人かを看取ったか分からないくらいだったけど、辺りがすっかり暗くなっていたところを見るに随分時間が経ってしまったようだ。
しゃがみ込んでいた体勢から土埃を払って立ち上がると、改めて私のてっぺんからつま先までを眺めて尾形さんは「汚ねぇな」と嫌そうな顔をした。
中には火傷の応急処置を施したりもしたので、おそらく今の私は自分の汗と泥と血と煤とが混ざってぐちゃぐちゃな身なりなのだろう、確かにお世辞でも清潔とは言えない。
そう思ったところで尾形さんの身体から汚れが綺麗に落ちていることに気が付いた。着ているものも泥っぽさが消えているから着替えたのだろう。そう思うと途端自分の汚れっぽさが恥ずかしく感じた。


「待っててやるから風呂にでも言ってこい」


銭湯がある方角を指差して言う彼に、あれ珍しいと私は目を見張った。


「待っててくれるの?」
「そうでもしないとまた没頭されそうなんでな」


私の言葉に呆れた口調で返して彼は私の背後のそこまた向こうに視線を投げる。私が今し方向いていた方角である。つられるようにそちらを向けば炭鉱関係者のみならず近隣の人達が救出やその後の後始末に走っていた。
救助に関して言えばほとんど落ち着いてしまって、もう出てくるのは窒息してしまった死体が大半を占めている。真新しいものも無く特別目を引かない為に私は脈だけ取ってとりあえず息があるか否かだけを確認していた…が、もう無駄だろうことは何となく理解している。


「…いえ、行きますよ」


どんな理由であるにせよ、尾形さんが私を待ってくれているなど貴重である。
気分が変わられて置いていかれでもしたら、私はきっと合流するのも難しい。だからここは素直に従うしかなかった。





体を癒すというよりは綺麗にすることに重きを置いて銭湯の暖簾をくぐった私は、尾形さん程では無いけどかなり早くに出た。
頭と体を洗って数十秒しか湯船に浸かっていないのだから当たり前だけど、かなり半乾きになってしまった頭はみるみるうちに熱を奪い取っていく様だった。
半信半疑で銭湯を出れば約束通り尾形さんが待っていて、出入り口のそばに置かれた長椅子に腰掛けていた。


「なんだ、早かったな」


チラリと此方を見て言う彼に肝を抜かれるような心地だった。
というかそう言うならゆっくりしてくれば良かったなぁ。
そう思いながらぼんやりと彼を見ていると私の視線に気が付いたらしい尾形さんが少しだけ不快そうに眉を寄せた。


「湯冷めするつもりか」
「え?」
「髪」


足りない言葉もその一言で、ああそういうこと。と納得をするけど、待っていてくれた手前文句は言えないし私の勝手な判断で慌ただしく出て来たのだ。「うーん、うん」と曖昧な返事を返すと尾形さんは何を思ったのか腰掛けた長椅子の隣の空いている空間をぽんぽんと叩く。
帰らないのだろうか、それではそこに収まれと言われている様だと首を傾げてみれば尾形さんは構わず私に言う。


「いいから座れ」


徐ろに伸びて来た彼の手が私の手首を掴んでズイッとそこに誘導された。
抗うことも特別なくされるがままにそこへ座ればいつの間に準備をしたのか尾形さんが蓋の空いた飯盒を差し出してきた。
何だろうと思って見ればふわりと食欲をくすぐる香りに思わず中を覗き込む。
串に刺さったこんにゃくと里芋と大根と…もろもろ入った食材がたっぷりの汁に浸かっていて思わずお腹を抑える。そういえばご飯を食べていない。


「…おでん?」
「いらんのか」
「いるいる!ありがとう!お腹空いてたんだ!」


受け取らず様子を伺う私に尾形さんがそう言うので慌てて飯盒を受け取った。取り上げられてしまっては困る。香りに誘われてお腹がきゅううっと丁度鳴いて「素直な体だなぁ」と揶揄する様に言われた。ちょっと恥ずかしくなって誤魔化す様に中にある串を一つ手にして口へ運んでみる。「あつっ」と火傷しそうになって呟けば隣の彼は呆れるように笑った。


「尾形さんは?」
「もう済ませた、いいから食え」
「えーありがとう、おいしいー」


自分の味付けとは程遠いそれは食べる手が止まらない。おそらくお酒が飲みたくなる味というのだろう、少し濃くてしょっぱい。
何だろう何だろう、なんか尾形さんが優しくて不気味だ。いつも素っ気ないからだろうか、まさか尾形さん本人が本当に迎えに来てくれるとは思ってなかったし、銭湯から私が出るのを待ってくれていたり、食事を食べ損ねた私にわざわざ準備して置いてくれたり、普段そんな事しない彼が重ねて珍しくするものだからむず痒くてくすぐったく感じる。


「…それ貸せ」
「はい?」


それ、と指されたものが一瞬何か分からずこんにゃくを頬張りながら聞き返すと尾形さんの視線が私の肩にあることに気がつく。


「これ?」


言いながら髪によって着物が濡れない様にと敷いた手ぬぐいを手にすればしっとりと水分を含んでいた。おでんが温かいから体も暖まっているが、手ぬぐいから感じるのはひんやりとした冷たさで思わず軽く結った自分の髪に視線を向ければ、それを遮る様にして手ぬぐいがするりと手から抜けていく。


「背中向けろ、拭いてやる」


言うが早いか伸びて来た手が無遠慮に結い紐を浚う。ふわりと自分の髪が反動によって視界の隅で遊ぶ様に揺れて、尾形さんのあまりの早技にびっくりしてこんにゃくを飲み込んでしまった。
げほげほと噎せながらどう言う意図があるんだと彼を睨む様に見ればなんてこと無いと言いたげな表情で尾形さんは手ぬぐいを広げた。


「また寝込まれたら困るからな」
「また…って…」
「体調を崩して吐かれでもしたら、何をしてもらおうかね」


存外根に持つ性分なのだろう、性格が悪い。
あの件に関しては私には分が悪い為何も言えず、黙って背中を向けることにした。
そうして少しの間を置いて背後から髪が掬い取られてわしゃわしゃと水分を抜くような振動がじんわりと伝わり、それを甘んじて受けながら私は今度こそしっかりこんにゃくを咀嚼して飲み込むことに専念した。