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第29話


「夕張?」
「行ったことはあるか?」
「いや…ないよ、私は病院をあまり出なかったし、出かけても町を出たことはない。父上もそんな所まで行ったことはないと思う」


私が北海道に来てからの話だけど。そう続けた私に土方さんはなるほど、と頷いた。そうして自身のこさえた髭を思案するように撫でて私の背後に立つ尾形さんに目を向ける。
部屋の中に座卓を挟んで私と土方さんが座り、私の背後の壁に背を預けて腰掛けた尾形さんが火鉢を独り占めしている所である。


「こちらに話が入ってきたならば、他に知れてても不思議ではない」


噂を確かめる程度ではあるが先を越されるのは困る。


「だから俺達に先に行け、と」


火鉢を抱えたまま尾形さんが口を開くと土方さんは肯定の代わりにその口元に弧を描いてみせた。


「家永も回復しているとはいえ、無理をさせるのは得策ではない」
「随分優しいじゃねぇか」


揶揄するように口にした尾形さんに土方さんは大した反応を見せる事なくただ不敵に笑うと「お前達には牛山をつける」と答えた。その言葉に「え」と声をあげたのは他でもない私である。
しまった、と噤んでも遅く促されるように視線が突き刺さり気重い雰囲気を感じながらおずおずと私は言葉を紡ぐ。


「色情魔って聞いてるんだけど…」


そう言った私にふっと笑うと土方さんは私の背後の尾形さんに向けて「信用されているようじゃないか」と言葉を投げた。
なんだそれ、どういう意味だと答えを見つけるように土方さんの視線の先にいる尾形さんを私も振り返り見る、と僅かに嫌そうな顔をした彼が鼻で笑った後に「ガキに興味はねぇよ」と捨てるように吐く。


「(なんだそれ)」


結局意味も分からないままだけど、何故か私が貶されたのは分かり自分の表情が歪んだ。
ガキとか生娘とか尾形さんはいちいち私を罵らないと気がすまないのだろうか。
それで視線を自分に戻すように、ゴホンと咳払いが正面から聞こえて私は顔を正す。どこか楽しそうな土方さんと目があった。


「心配はせんでいい、牛山には花街で遊べるほどの金を持たせてある」
「…花街」
「誰彼構わず襲うほど飢えさせなければ良い」
「なる…ほど……?」


そういうものなのだろうか、分かるような分からないような、でも強く断言されては納得するしかなく私は少々怪訝に思いつつも相槌を打つ。
性欲というものがいまいちよく分からない、男の人は精を放たないといけないとは聞くけど、そんなものなのか、残念ながら私は女である為その必要性も分からない。そう考えてふと疑問を覚えて背後を振り返った。
尾籠な話尾形さんはどうなんだろうか。男の人が漏れなくそうある生物だと言うならば例外はないように思うけど、旅の道中で彼がそんな事をしていたようには見えない。事実花街に寄ってもいないし、茶屋で女を買ったこともない。
別行動は時たまあったけど、殆ど共にいた訳だから情事に溺れることもなかったと思う。

ならば性欲ってなんなんだろう。

軍では性欲を制する訓練でもあったのだろうか。そもそも兵隊ならば戦場に出てしまえば女だ何だと言っていられる余裕もないだろうし、そう言った経験で性欲といったものは何処かに消えてしまったのかもしれないな。


「…なんだ」
「いえ、なんでも」


彼の顔を見つめて考え込んでいたからだろうか、尾形さんが短く私に聞いたので、私はゆるゆると首を左右に振った。


「(外套に潜って一緒に寝たりしたもんなぁ…)」


性欲というものがあり飢えて見境がなくなるというならば、私はきっと襲われているのではないだろうか。それもなかったということは、きっとそう言うことなんだ。
そう考えが至ったところで、ちくりと胸を針で刺されたような感覚に襲われて思わず胸元を抑えた。







出立前のそんな出来事が何となく脳裏に浮かんで来るのは、今現在がその時だからなのだろうな。
あの場での格好と変わり、背広に身を包みきっちりと襟締をした牛山さんは私が思っていたよりずっと紳士的な男性だった。道すがら度々疲れていないか、休まなくて大丈夫かと気を遣ってくれるほど優しい人だった。
そんな牛山さんは訪れた町に入るなりそわそわし出し、宿を取るや否やわざとらしい咳払いをして何か誤魔化すように「今夜は遅くなるだろうから、お嬢は気にしないで寝ちまっていいからな」と言うのだ。
それだけならば大して気にしなかっただろうけど、牛山さんはその後に「お前はどうする、行くか?」と尾形さんに声をかけた。
無意識的に尾形さんに視線を向ければ彼は黙ったまま特に表情を変えることもなく居て、その姿に何故だろうか先日のやり取りを思い出したのだ。


「ああ、そういうこと…」


所変わって宿の中、借りた部屋の中に私達はいた。入り口付近で外出をしたそうにしている牛山さんと、私が淹れたお茶をズズリと啜る尾形さん。その座卓を挟んで自分にもお茶を淹れながら、そうして呟いた私に二人の視線がこちらに向けられる。思わず出てしまった呟きだったので、向けられた目によって口に出していたことに気が付いた私は少し気まずさを感じて一度口を閉じる。
そして今一度口を開いた。


「行かないの?」


そう言えば表情のなかった彼の顔が確かに顰められた。


「意味わかってて言っているのか?」
「え、女の人を買いに行くんでしょう?」


疑問に疑問を返す。私の場合は違うのかという確認をするための疑問だったけど、牛山さんが肩をすくめて見せたところその表情にも恐らく間違っていないと確信を持つ。
必要なものならば行けばいいのに渋るのはやはり尾形さんから性欲とかそう言った類のものが消え去ってしまったのだろうか。
そう考えている私に向けて深く長い溜め息が落ちてきた。


「あいつと一緒にするな」
「でも男の人ってそういうものじゃないの?」


吐き出された言葉に純粋に聞き返す。あいつって俺のことか酷い言い方だな、と言う牛山さんをまるっと無視して尾形さんは心外だと言うように髪をかきあげた。


「俺が一度でも女を買ったか?」
「いや、心当たりはないけど…」


自制くらい効くと言いたいのだろうか、ふんと鼻を鳴らす彼に「まあ…じゃないと一緒に寝たり出来ないよなぁ」と他人事に小さく呟けば牛山さんがあんぐりと口を開けて喫驚に似た声を上げる。


「お嬢!こいつと一緒に寝てるのか!?」
「その言い方は少し語弊があるかな…」


信じられないと声を荒げた牛山さんに思わずそう返すと、揶揄するように「お前が俺を離さなかったんだろ」と悪意を持つ言い方をする。ので、険しい顔つきになっていく牛山さんに気が付いて私は尾形さんを睨み上げた。


「火鉢代わりを尾形さんで賄っただけでしょ」


野宿をする中で凍えるより人肌で暖をとる方が良いと思ったのは尾形さんと逃走し始めて最初の頃だ。おそらく東京の祖父がこれを知ったら卒倒してしまうだろうし、私も自尊心から意地を張ったりした。が、北海道の極寒はそんな意地などでどうにかなるものではない。あの頃、羽織すら持ち合わせていなかった私は一度味わった温もりを簡単に忘れられるほど淑女ではなかった。
そういった経緯を話せば牛山さんはなるほど、と頷いた後にそれからどこか怪訝そうな顔つきで尾形さんを見る。
その視線に気が付いたらしい尾形さんは心底嫌そうな顔をした。


「まあ…溜めてるものがあるなら行ってきた方がいいんじゃないの」


そんな二人を割くつもりでそう口にすると、牛山さんは噴出して声を上げて笑い、尾形さんには鋭く睨みつけられた。え、え、なんだ、なんだ。


「おい、言い方に気をつけろ」
「えっ…ご、ごめん」


何かまずかったのだろうか、私にはちっとも分からないけど有無を言わさない空気で私を諌める尾形さんにそれを尋ねることなど出来なかった。


「で、行くのか行かないのか」


ひとしきり大笑いをして落ち着いた頃に牛山さんが尾形さんに尋ねると、彼は言葉で返事を返すことなくスッと立ち上がり牛山さんの横を通り過ぎるようにして部屋を出る。
どうやら行くらしい。
その様子にまた笑いながら牛山さんは尾形さんの肩をバンバンと叩く。


「これ以上無駄話してると不能扱いされそうだ」
「そう腐るな、俺が良い女を見繕ってやる」
「いらねぇよ」


牛山さんの腕をはたき落として言い捨てた尾形さんはこちらを振り向くことなかった。
じゃあな嬢ちゃん、行ってくるぜ。と牛山さんはそう言ってどこか早足で部屋を後にする。静かに締め切られ静かになった部屋の中で私はお茶を喉に流しこんだ。
手持ち無沙汰になって、薬箱を少し見つめる。
どうせ二人の帰りは遅く、この部屋の中で異臭を放とうとも誰も文句は言わない。
そうして私は、大して減ってもいない薬をいくつか煎じることにしたのだった。

どこかモヤモヤする気持ちを抱えながら、その正体が何か分かることもなく誤魔化すように私は長く息を吐いた。