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第27話


色情魔と食人鬼がこの中にいるから、なるべく二人きりにならないように。との忠告のような言葉は土方さんと永倉さんから言い付けられた内容だった。
この中、と言われた建物は一見普通の木造の建物で、その最悪の組合せは一体何があってそうなったのだと疑問に持たずにはいられなかった。
話せば長くなると言った永倉さんに「爺の長話には付き合ってられん」と一蹴したのは尾形さんである。個人的には話を聞きたかったのに尾形さんのその一言でそんな雰囲気ではなくなってしまったので断念した。
ずんずんと建物に入り進んで行く土方さんに続いて歩む。履物を脱いで上がればきしりと床が悲鳴をあげる。
…と、不意にくんっと後ろに頭皮が引かれて私は背後を振り返った。こんな事をするのは一人しか思い当たらず、案の定私の三つ編みを手に軽く引く尾形さんと目が合った。
なあに、と声を出そうとした私を彼が己の唇の前で人差し指を立てた事でそれは阻まられた。
ちらりと入口で何か会話をしている土方さんと永倉さんを窺って尾形さんはわざと声をひそめる。


「いいか、彼奴らは血の気の多い脱獄囚だ。間違っても深入りするんじゃないぞ」
「脱獄囚…?」


待って、さらっと凄いことを言ったけど何も聞いてないんだけど。
そんな私の様子を、会話中の土方さんも発言元の尾形さんも気がつく訳はなく妙に緊張した私を置き去りにするかのように進んでいく。
色情魔と食人鬼と言ったのだ、刑務所に入っていたと考えてもおかしくはない。出所ではなく脱獄と言うのが嫌な予感のする部分であり、普通ではないと思う所以だ。
ただ、色情魔も食人鬼もそもそも普通とはかけ離れているのだからなんとも言えやしないけど。


「(常識というのは、ただの偏見だ)」


自分では当たり前でも他人からしたら非常識だったりする。主観的に捕らわれてはいけないと、父はよくそう言っていた。
私達医学に従する者が1つの意見に固執してしまえば視野は狭まり判断を誤る。父はそう言いたかったのだろう。何事にも柔軟な考えを持てるというのはきっとそれだけで武器になる。


「(かと言ってこれは話が別だろうけど…)」


それでも先入観で相手を評価するのは良くないなと小さく息を吐いて、首をほぐすように大きく回す。コキコキと弾むような音が自分の中に響いて幾分かほぐれた緊張にまた息を吐いた。
そして、躊躇いもなく開かれた部屋の襖のその向こうに私は興味の視線を向けた。


「お帰りなさい、客人とご一緒でしたか」
「(…この人が色情魔?)」


濡れっぽいふっくらとした唇と口元の黒子が特徴的な艶のある女性だ。怪我をしているのか頭に包帯をして、布団からぎこちなく体を起こす所作はどこか頼りなさげで思わず手を貸しそうになる。「こんな姿ですみません」と口にして控えめにふふふと笑う彼女は貴婦人の代名詞のようだった。


「遅かったじゃねぇか」


ふと、私達が入ってきた襖から大きな男が部屋に入ってきてそう口にした。その手に持っている盆からお米の匂いがふわりと香り、この状況からおそらく彼女の食事なのだろうと推測する。


「…軍人なんて連れて…ジイさん、あんたどういうつもりだ?」


男がチラリと尾形さんを見てそう口にする。呆れたようなその口調に尾形さんが髪を撫で付けるようにかき上げた。
線の細い薄い身体の女性と、がっしりとした熊のような大男と呼ぶにふさわしい男性の様子を伺いながら私は部屋の隅に薬箱を下ろした。
囚人というものを目の前にするのは初めてで、想像より普通…とは言い難いけど想像していたよりは幾分か一般人と変わらない様子に、そりゃあそうか結局は同じ人間だものなと密かに思っていた。


「江茉」


そんな思考を遮るかのように名前を呼ばれてはっと顔を上げる。呼び付けた本人である土方さんと目が合えば、彼は私の正面までやってきてそっと手を差し出してきた。何かを渡すようなその仕草に反射的に受け取ろうと私も手を出すと、彼の手から私の手に幾分かのお金が渡されて怪訝に顔をしかめることとなった。


「あの…?」
「少々お使いを頼みたいんだが…」


この場所から少し町に向かったところに甘味処がある、そこで人数分の団子を見繕ってきてくれないか。
私の困惑を遮るように紡がれた土方さんの言葉に「団子…」と繰り返す。きっと無意識だったそれに自分の喉から絞られたものだと気がついて口を噤んだ。
小間使いの扱いを父以外から受けるのは中々新鮮だ。


「でもこの辺りの町は第七師団がいるでしょう…?」


町の外れだとしても此処が小樽だというのは把握している。私の顔が知られていないとしても、以前に治療を行った兵士が町にいてもおかしくはない。
困ったようにそう口にして私は尾形さんを仰いだ。
目のあった尾形さんは少しの間を置いて、おもむろに外套を脱ぎ出すと、それをばさりと私に差し出してきた。


「え、なに?」


無言のそれに困惑してたじろけば、彼は返答の代わりにため息と共にそれをズボリと強引に私に被せてきた。


「ちょっと…!?」


少々手荒な手付きに、「お、おいそんな乱暴な…」とあまり聞きなれない声が耳に入る。おそらくあの大男の発言だった。私の扱いを心配するかのような言葉に思いのほか常人らしいとどこか持っていた偏見を自身で嗜めた。
外套を被せられ頭を押し込められて漸く首元から頭を出した私は、心配そうにこちらを見ていた男と目があって、そしてそのまま目の前の尾形さんを睨み上げる。


「これを着ておけ、多少は隠れられるだろ」


なのに目の前のこの男はどこか満足気に言うではないか。
身を隠す為に着せられたとしても、もう少し丁寧に出来ないものだろうかと不満を持って顔が顰められるのが分かりながら、自分の身を確認すればすっぽりと私を覆う外套がとても不恰好に見えた。
尾形さんが着てもゆったりと余裕のあるものなのだ、体格差のある私が着ては大きすぎて違和感しかないのではないだろうか。
そう思いながら首元を摘み鼻を寄せる。くん、と鼻を鳴らしたところで勢い良く手を取り上げられた。

犯人は言わずともがな。


「嗅ぐな」
「だってこれ洗ってないでしょ」
「そんなことはない」
「最後に洗ったのいつさ」


聞いた私に尾形さんは口を噤み押し黙る。ほらね、と思いながら掴まれていない逆の手でまた外套を摘み鼻を寄せる。
整髪剤とお日様の匂い。尾形さんの匂いに混じって微かに鼻を刺激するツンとした汗の匂いに眉を顰めた途端、そちらの手も取り上げられた。


「嗅ぐな」
「臭い」
「臭くない」


そりゃあ自分の匂いなんて自分自身では分からないだろう。こうやって文句を言ってはいるけど、私の着物だって清潔かと言われたら首を縦に振りにくい。
気にはしているけど、道すがら洗濯も出来ないことが多々あったのだ、仕方ないといえば仕方ない。


「あまり駄々をこねるな」
「その子ども扱いはどうなの…?」


溜息交じりに呟かれた言葉と共に尾形さんが私の手を解放し、そのままぐいっと外套の頭巾を被せられる。途端頭を覆い隠し狭まる視界に少しだけよろけた。
想像以上に目深で視界が悪すぎる。
被せられた頭巾を自分で直すも、ずるりと下がり覆い尽くすそれはどう考えたって私には大きい。
文句を言おうとずれる頭巾を手で押さえて顔を正面に向けた時、部屋中の目がこちらを向いていることに気が付いて閉口する。
まるで何かを待つような空気に私は漸く察した。


「(…ああ、そういうこと)」


ちらり、土方さんと目があってから私は目を伏せる。
不自然な時分での使いだなとは思った。なんて事はない、人払いさながら追い払われたのだろう。
まるで私が立ち去るのを待っているかのように口を閉ざしている片倉さん達にそう思わずにはいられなかった。
でもきっとそれを言えばまた駄々をこねるなと子どもをなだめる口ぶりをされるのだろうな。


「…行ってきます」


土方さんから渡されたお金を握りしめて吐き出した言葉に勢いをつけるように私は部屋を後にしたのだった。
でないと、この部外者扱いの空気に耐えられそうになかった。