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第26話


「勘弁してくれないかな」


ため息交じりに口にした私の言葉に尾形さんはうんともすんとも言わず、乱れてもいない髪をかきあげ整えた。


「私はお風呂に行きたいんだけど…」
「俺だってこんな所でつまらん話をしたくはねえよ」


色気もねぇ、と吐き出す尾形さんにだったらやめろよと思わず悪態を吐いた。
土方さんの部屋を出た私を待っていたのは他でもない尾形さんだった。


「…盗み聞きなんて趣味の悪い」
「こう見えて情報収集は欠かさない質なんでな」


情報将校の鶴見中尉の下にいたんだ当たり前だろ?なんて続ける彼が何故か腹立たしくて蹴り上げようとすれば、その足を押さえつけられた。
廊下で騒ぐのもはしたないだろうと、尾形さんをあしらって避けるように廊下を進む。隠すこともしなかった溜息に、彼は何故か楽しそうに笑った。


「……で、どこまで聞こえていたんです」


自分の部屋の前に着いて足を止める。振り返らずとも足音で彼がついてきたのが分かっていて、そのまま確信を持ってそう尋ねる。
小馬鹿にしたような短い笑い声が聞こえて、誘われるように彼を見た。
にやりと不敵な笑みで見定めるような視線を乗せた顔をした尾形さんと目が合った。
付きまとっては来ているけど、口を割らせようとする素振りがないからおそらく尾形さんは私と土方さんの会話をほぼ聞いていたのではと思う。
その予測も、この表情を見れば当たりだったのだと察する。


「…あの爺さん、道すがら嬢ちゃんのことをヤケに聞いてくるから何かと思えば」
「(そんな事があったのか)……私も想定外だったよ」


まさか祖父の知り合いだとは想像もしなかった。土方歳三が生きていたということも驚きなのに、繋がりまであったとは。…というかしっかり聞いているじゃないか。


「だからといって絆されたりしてないよなあ?」


数歩、距離を詰められて顔を覗き込むかの様に近づいて来た尾形さんがそう聞いてくる。おちょくる様なその言い方に少しの侮蔑が混ざっているのに気が付いたのは、おそらく私が病院でそんな扱いを受けて来たからだろう。こういう感情を向けられるのに私は少し敏感だった。


「どういう意味?」


絆されるという言葉がいまいち理解できず、何を指しているのかと尋ねた。先程の土方さんとの会話を盗み聞いてそんな風に感じられたというなら心外だった。
私の言葉に尾形さんは状態を戻してどこか呆れたように息を吐く。私が質問の意味を分かっていない事に対しての溜息のようだった。


「今更戻りたいなんて言い出しても遅いって話だ」
「…戻るって、」


父の居る病院に?それとも祖父の居る東京に?
彼の言いたい事が掴めず怪訝に繰り返してしまうと「本当に分かっていないのか」と今度こそ呆れ返られた。
だったら遠回しに言わず皆まで喋ればいいのにと心の中で愚痴りながらこの長引きそうなやり取りを引き上げたい一心で自分の部屋の襖を開く。
土方さんの部屋とそう変わりないように見える間取りは、おそらく私に気を遣ってくれたのかもしれない。そんな心配り別に不要なのになと思いながらも頂いた配慮に感謝をしつつ部屋の中に足を踏み入れた。
当然のように続いて入ってくる尾形さんに湯浴みはお預けらしいと落胆しながら薬箱を部屋の隅に置く。
音も無く襖を閉ざす尾形さんにまた意外な面を見た気がして思わず凝視すれば、視線に気が付いたらしい彼に「なんだよ」と不愉快そうに言われて何でもない、と首を横に振った。
病院で過ごしていて尾形さんは綺麗好きだと知っていた。角を揃えるような所は寸分の狂いもないほど正確に揃えて、規律が乱れる事もなく見事だと感心した事もある。
言葉や所作は乱暴なのに、随所に現れる意外な所に思わず面食らうのは予想外だからだ。今だって襖も音を立てて閉めそうなのにそんなことは全くなかった。
そういえば道中野宿をする際さえも彼は小銃の手入れを欠かさなかったように思える。その手元は銃器の扱いを知らない私でも分かるほど丁寧だった。
意外だった、なんて口にしたら悪態を吐かれるのは目に見えて分かっていたのでまるっと飲み込む事にして、「お茶でも飲みますか」と出す気もあまりないお茶を勧めてみると「風呂に行くんじゃなかったのか」とどの口が言うんだと思わせる言葉が返ってきた。
立ちっぱなしもなんだしと座ろうとした私をその言葉が制止して呆れたように尾形さんを見る。入口の襖のすぐ脇にある壁に背中を預けた彼はそんな私の様子を観察しているようで、もう何がしたいのかわからない。


「行きたいのに引き止めてるのは尾形さんだよね?」
「引き止めたつもりはないけどな」
「こんな所までついて来ておいて?」
「お前の口から答えを聞いたら戻ってやるよ」


煮え切らないやり取りに些か苛つきながら「答えってなんの」と問いかける。二言三言で終わりそうな会話をこの人はわざと引き伸ばしていないだろうか。尾形さんはこんな面倒臭いやり取りをする人だっただろうか。


「さっき聞いただろ、絆されてないよな?戻りたいなんて思ってもお前はもう帰れないところにいるんだぞ」


その言葉に何となく言いたいことを理解した。
絆される、戻る、帰れない。この言葉から察するに東京にある実家を指していたのだろう。
土方さんと話して祖父を思い出し実家を恋しく思ったのではと危惧したのだろうか。


「(だとしても確信に触れないような言い方をするからやけに引っかかるな)」


それに私は逃げたいと以前口にしたはずだ。それを踏まえて連れていってと頼んだはずだ。
鳥籠のようなあの家に自ら帰るなんて私はそもそも望んでいない。それを尾形さんが知らないのは仕方ないとしても、散々連れ回しておいて今更この言葉とは、まさか本当に私は信頼されていないのだろうか。


「聞いていたなら分かるでしょ」


部屋の外で立ち聞きをしていたならば私の言葉をきちんと耳にしたはずだ。
私のその言葉に尾形さんは、はらりの落ちてきた前髪をかきあげてにたりと笑った。


「存外、お前は唆されやすいみたいだからな。心配なんだよ」
「……心配だなんてどの口が…」


言うというのか。そんな素振りも特に感じられず思わず口をついて出れば尾形さんは心外だと言うように自身の胸を抑える。その挙動が鶴見さんを思い出させて少し不快だった。


「今のは傷ついたな」


白々しい言い方になんだか疲れてしまって隠すこともせずに溜息をついた。


「もうやめよう、こういう腹の探り合いみたいのいらないから」


ただ疲れてしまうだけだ。変な労力を尾形さんに使いたくなかった。というかこの人をまともに相手にするとこんなに疲れてしまうのだろうか。
病院では私が主導権を握りあれこれ指示していたから気が付かなかったのかもしれないけど、この人は相当な捻くれ者だと本当に今更思った。


「私は別に貴方を騙したりしないよ」


嘘をつく必要もないからしない。今現在、私が縋る相手には尾形さんしかいないというのに、欺いて何になるというのか。


「それでもそうやって疑ってくるなら、私はどうすることもできないよ」


言葉で信じられないと言うならお手上げだ。私は今信頼を勝ち取るだけの術を何も持っていない。何か価値があるものを所持していれば尾形さんに預けることも出来ただろうけど、それも無理な話。


「いっそのこと舌でも抜き取りますか?」


そう口にした私に目を張ったのは尾形さんだった。予想外の言葉だったらしい。
言葉なしで行う意思の疎通がどれほど大変か尾形さんは身に染みて感じているはずだ。でもその言葉を持っても尚こうしてあらぬ疑いをかけられてしまうと言うなら私には術がない。
投げやりに言い捨てた私に珍しく困ったように彼は後頭部をガリガリとかいた。


「参った」


たった一言、そう口にした尾形さんをこれ以上責め立てることは出来なかった。
降参だと言うように両手の平をこちらに掲げる彼を見て私はゆっくり深呼吸をする。


「ねえ、何か思うことがあったならちゃんと言ってくれない?不安も不満もちゃんと聞くし、私は白々しい尾形さんは面倒で嫌いなんだよ」


腹の探り合いもしたくはない。何かを隠したいとか騙したいとかそんなつもりも一切ないのだから、聞きたいことがあるなら向き合って聞いてほしい。答えられるか分からないけど、歩み寄りたいとは思っているのだから。
そう思って彼に伝えれば尾形さんはやはりバツが悪いのか居心地悪そうに視線を宙に投げた。


「悪かった、試すような事をしたな」


疑い深い性分でな、と続けた尾形さんにその性分のせいでこう疑われたらたまらないのだけどな、とどうしたものかと考える。
それでもこうやって非を認めてくれたところ、かなり前進している気もするな、と思ったところでふと腰にさしていた赤菊が視界に入った。
どういうつもりか知らないけど、これをくれたのは間違いなく彼である。


「菊の簪」


ぽつり呟く私に「あ?」とガラも悪く尾形さんは聞き返す。


「私が尾形さんを信じているうちは、この簪を身につけておくよ」


以前これを印だと言ったのだ、双方で意見は合致するのではないだろうか。
尾形さんは少し考えるそぶりをして、それから僅かに笑う。この人の笑みは本当に不敵という言葉が似合うなと他人事に思ってその様を見ていれば、私のその考えなど読み取れるわけもない彼はそのまま口を開いた。


「ならそんなところではなく、頭に挿したらどうなんだ」


私の腰に収まる赤い菊の簪を指差してそう言う彼に引きつりそうになる顔面を深呼吸で抑え込む。
尾形さんがくれたこの簪は安物だとは思えない。花弁一枚一枚丁寧に作り込まれ鮮やかな赤に映えた菊はいつ見ても見事だと思う。たった一輪の花でここまで華やかになるのも、おそらく作り手が丹精込めた結果だろう。


「(だからと言って話は別だけどね)」


見事だと思う、素晴らしい簪だと思う。上等な物だと思うし、目を引くのも確か。けど、私の趣味ではない。


「私には似合わないよ、派手すぎる」


だから頭に挿すのは無理だ、と続ければ尾形さんはじっとこちらを見るではないか。
観察されているような吟味されているような、まるで品定めをするような視線に「な、なんです」と思わずたじろぐ。
そんな私を気にする事もなく無言で間を詰められて目の前まで迫った尾形さんが、変わらず無表情のままでするりと私の腰を撫でて来たのだから気持ち悪さに悲鳴を上げそうになった。


「なにを、」


上げようとした抗議の声は尾形さんによって遮られる。腰を撫でた彼の手が離れたと思ったら今度は首、というよりは後頭部に回ってきてただでさえ近かった距離がさらに詰まってしまった。
その距離に言葉が飛んでしまって私は息を飲み視線を落とした。
けど、その後に彼が何をしているのか直ぐに理解する。
三つ編みにした私の髪が掬い取られた感覚。そして頭皮を撫でる冷たい感触と僅かな圧力に、落とした視線で腰にあったはずの菊が消えていることに気がつく。


「…」
「馬子にも衣装とか言ったら殴りますよ」


するりと手が遠のいて尾形さんが離れた。
じっと見られた視線に耐えられず私がそう口にすれば彼はふっと鼻で抜けるように笑う。
私の頭に咲いているだろう赤い菊を私自身が合うとは思えない。馬子にも衣装なんて強気を吐いたけどそれにすらなれていない気がして羞恥に居心地が悪い。


「…お前は馬子じゃないだろ」


どこか呆れたように、仕方ないと言わんばかりの口調で半笑い気味にそう言われた。


「(確かにそうだ)」


馬子にも衣装という言葉を使うには語弊がある。尾形さんの言うとおり私は馬子ではない。
だからと言って別の言葉が浮かぶ訳でもなく言い換える台詞が見つからず上げ足を取るような彼を惨めにも睨みつけるしか私には出来なかった。