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第25話


居心地が悪い。どうしたものかと思いながら手持ち無沙汰に視線を彷徨わせる私は、周りからすればさぞ挙動不審に見えることだろう。
薬箱を赤の他人に探られるのは嫌いだ。整えた物を不躾にひっくり返されるかと思うと悲鳴が出そうになる。けど、これは違う。


「…ほお、これは良い」
「(もうやめて…っ!!)」


興味本位で漁られている訳ではなく、一つ一つ吟味するように手にとっては眺め、ご丁寧に感想をつけてくれる。父以外にそうやって見られたのは初めてで、身内である父ですら私はそわそわしてしまうのに、男のこの行動には小っ恥ずかしく落ち着かない。まるで頭の中を覗かれているような心地悪さがあった。


「もういいでしょ…」


我慢出来ずにそう口に出せば目の前の男は眺めていた丸薬を握りしめてニヤリと私に笑った。


「これは貰ってもいいかな?」
「…どうぞ」


だから解放してくれ。そう暗に込めて言えば通じたのか通じていないのか、男は笑みを浮かべたまま漸く薬箱を返してくれた。
凛とした佇まいを持つ立派な髭をこさえた老人は、かの新撰組副長の土方歳三である。そんなことを聞いたのは彼の周りの男達が「土方さん」と慕う様に呼んでいるのを耳にして、石田散薬を思い浮かべた私に心を読んだかのように「その土方であってるぜ」と尾形さんが口を挟んできたのだった。
「土方歳三って生きてたの…?」と思わず口走った私に当の本人が「この老いぼれをご存知かな」お嬢さん、と揶揄するように絡んできたのだ。


「…それ、どうするつもりか知らないけど使い所には気を付けてね」


土方さんが興味を持ったのは催吐剤だ。強い吐き気を催す生薬を主に、他にいくつか見繕って私が調合した漢方を練り丸薬にしたものだった。
咽頭反射でも吐かなかったり、謝って毒などを飲み込んで胃の中身をひっくり返したい時の応急として調合したものだ。つまり緊急時の薬としたので効果は強い。人によっては効きすぎて逆に毒となる程の出来となってしまった。


「どんな毒にも効く薬といえばなんだと思う?」


唐突にされたその質問に意図を汲み取ろうと思わず土方さんの顔を見る。
そしてその顔が疑問に染まるわけでも好奇心を持って聞いているわけでもない事に気が付いて、なるほど私を試しているのかと理解した。


「そんなもの存在しないよ」


例えば万能解毒とされたテリアカも60、多くて100もの生薬を組み合わせたと聞くけど、あれではむしろ毒ではないかと思う。
それに渡来してきた底野迦では阿芙蓉が入っていたと聞く。
地上に存在する毒は数多ある。一つ一つが成分が違い毒性の強さも作用の仕方も多種多様だ。だから似合った解毒を調合しないと変に作用する場合もある。時には毒をもって毒を制す事だってあるのだ、たった一つの薬で万物を癒すなんて所業は不可能だ。
だから私は催吐剤を作ったのだ。この北海道は自然が多すぎて毒を持つ生物や植物が思ったより多い。
私の回答に満足したのだろうか、どこか納得した様に土方さんはふっと笑うとたった一言「そうか」と口にする。
膝を崩して座っているにも関わらず伸びた背筋は綺麗だと思った。でも、どこか居心地が悪くこの人が苦手だと思ってしまうのは恐らく土方さんの佇まいが祖父を思い出させるからだろう。あの人はこんな風に私と対話をしたりしないけど、厳格ある老人というのはいずれも苦手なのかもしれない。


「…もういいかな?」


訪れた沈黙に耐えられず私がそう発すると土方さんは是非の捉えがたい表情で私を見た。僅かに上がる口角は笑みを確かに浮かべているはずなのに、何故だろうかその瞳は全く笑っていなくて、見抜く様な視線に直視することができずふいっと目を伏せる。やましい事なんて何も無いのに。
茨戸のあの場から、土方さんが隠れ家にしていると言う場所を目的地に移動が開始した。あたりが暗くなろうとしている頃合いに切りよく宿に辿り着いて泊まることとなったのだ。
外でご飯を済ませて、湯浴みでも行くかと上機嫌だった私は部屋に薬箱を置きに行こうと廊下を歩いていた。土方さんが宿代を持ってくれて、私には一人部屋まで用意してくれた。(今まで節約の為に宿に泊まる時は尾形さんと同じ部屋だったので、久々に一人で部屋を独り占めできるとあれば気持ちは高揚するだろう。)そんな無防備な所に突然開いた扉から宿代を払ってくれた張本人が「少し良いか」と声をかけてきようものならば、拒絶する選択肢など私にはなかったのである。
和室の部屋に訪れてしまう沈黙は居心地が悪くて仕方ないものだった。だって向かい合って睨めっこのような状態だ。どうしたって私に勝ち目はない。


「じゃあまた何かあったら呼んでよ」


引き寄せた薬箱を立ち上がって背負う。特に何も言わない土方さんに、本当にこの薬箱が気になっていたのだろうかと若干疑問を持ちつつ長居は無用だと廊下に続く出口に足を向けた。
辛うじて返ってきた「そうしよう」の声に解放でいいらしいと確信を持って襖に手を伸ばす。自分の部屋に戻って荷物を置いて湯浴みに行こう、それから…と頭の中で就寝までの予定を何となく組み立てながら引き手に触れた時だった。


「桐原江茉」


引き手を引くより早く名前を呼ばれて手が止まる。
この部屋の中で私を呼ぶ人なんて一人しかいない。今しがた解放されたはずなのにと溜息を隠すことなくついて、引き手から手を離し振り返れば、変わらず背筋がすっとした佇まいの土方さんが射抜くように私を見ていた。


「…なんです」


その視線に思わず無愛想な口調になってしまったのは、やはりこの人に祖父を連想するからだろうか。
そんな私に気にすることもなく、むしろ僅かに口角を上げて土方さんは私を見るので、害した様子は無いと見た。


「お前は何処まで知って尾形百之助に付き従っている?」
「………ん?」


土方さんのその言葉に一瞬頭が理解するのが遅く反応が鈍くなった。
そんな私を待つことなく土方さんは言葉を続ける。


「私が知る中で名の知れた桐原と聞けば、代々医学に従する家系に生まれた旧友を思い出す」


その身なりは一般市民の出ではないだろう、それにその薬箱には見覚えがある。
そう続ける土方さんに私は言葉を飲み込んだ。


「(人脈があるとは思っていたけど、まさか…)」


目を細めて私を見る土方さんは、私を通して誰かを見ているのだろう。おそらく口にした旧友≠ニやらに違いないが、こんな風に言われればみなまで言わずとも察しが付く。
まさかこんな風に家柄に囚われてしまうとは思ってもみなかった。


「桐原栄一郎の孫にあたるのかな」


まさか土方さんが祖父の知り合いだったとは思うまい。かの新撰組と繋がりがあったとは知らなかった。
ああ、でもそうか。土方さんの家は薬を製造しているのだ。ならばそこで繋がっていても不思議ではないか、と一人で納得しつつ私はゆっくりと息を吐いた。


「お祖父様と旧知の仲でしたか…ご賢察の通り私は桐原栄一郎の孫娘です」


細められていた目がゆっくりと開かれて、土方さんは小さく頷きながら自身の顎に手を乗せ髭を撫でる仕草をした。
納得したように「なるほど」と口にして、それから「ならば…」と呟く土方さんに私は襖をちらりと見てから、また彼に視線を戻した。
土方さんを苦手だと感じてしまっていたけど、益々その理由ができた。この人が祖父の知り合いだと言うならば、私は土方さんに関わりたくはない。
けど逃げる場を逃してしまったし、薬箱に見覚えがあり私に祖父の面影を見たならばどちらにしても逃げ道はなかったのだろうと思う。


「あれの家系だと言うなら尚更、尾形百之助と行動を共にしている理由が検討つかない」


脅されている様子もない、一体どこまで知ってあれと一緒にいる?
続けられた言葉に私は土方さんからゆるゆると床へと視線を外した。
見た目では綺麗と言い難い床のい草は、使い込まれた味を出しても尚畳特有の香りが感じられた。相当いいものを使っているのだろう、使い込まれた畳ほど踏みしめた時柔らかく、寝転がった時に肌に優しく触れるものはないと思う。
ゆっくりと深呼吸をして、視線はそのままに私は口を開く。土方さんを見ては自分が萎縮してしまうような気がしたから。冷静な頭で答えようと思った結果だった。


「その言い方は正しくない」


そう呟いた私に、土方さんが黙り込んだのが分かった。静まった部屋に空気を変えたくて、私はまた口を開く。


「付き従っている訳でもない。かと言ってどこまで知っているかと言われたら、多分私は何も知らないんだと思う」


ああ、その言い方も正しくないか。と声に出した後思ったけど、訂正するのはやめておいた。
何も知らないというのも語弊がある。尾形さんは鶴見さんを裏切り造反をしたけれど、その実本当に反逆を企てたのは鶴見さん側であると今の立場に至った経緯は知っているのだ。
ただ、やる事があると北の地を離れない彼がその理由まで話してはくれなかったけど。


「…尾形百之助は第七師団でありながら追われている身だそうだな」
「そうだね」
「目的も何も聞かされていないのに、命を賭して危険に身を置く理由が何処にある?」


桐原の家に帰り平穏を取り戻そうとは思わんのか?
続けられた言葉に私は口を閉じる。
ここにいるのは私の意思だ。私が尾形さんと共にいる事を選択し師団から逃げてきた。一緒に逃げてくれると言った言葉が嬉しかったから。例えばそれが尾形さんにとって都合のいい盾を作るための台詞だったとしても私に後悔はない。
あの時伸ばされた手を掴んだのは他でもない私なのだから。
ならば私は喜んで彼の盾になってやろう。


「死んでほしくないから。それ以上に理由っているかな?」


私は尾形さんに死んでほしくない。彼が何か隠していようと、例え私に嘘をついていようと、それだけは変わらない事実だ。
ゆっくりと視線を土方さんに向ければ、想像以上に無感情の瞳と目が合った。一瞬鳥肌が立って、それを気取られまいと両足の裏に力を込める。たじろいでしまわないように、足の指先まで神経を巡らせた。


「…そうか」


先に目をそらしたのは意外にも土方さんだった。ふいっとそらした視線の先に何があるのかは分からない。おそらく映っているのは畳くらいだろうけど、何か違うものを見ているような含みのある口振りに私は少しだけ困惑する。


「…また何かあった時は呼び付けよう、栄一郎の孫としてではなく一人の医者として」
「…それなら、喜んで」


土方さんの言葉にそう返すと、何が面白かったのかククッと噛み殺すように笑われた。
疑問の目に気が付いたのか「いや、何でもない」呼び止めてすまなかった。と続けられて詮索を拒まれたようだった。そうでなくても詮索したいとも思わないし、そもそもここから立ち去りたかった私は「いいえ。では、私は戻りますね」とやっと解放されたと今度こそ襖の引き手に力を込める事が出来たのだった。
ああなんだかどっと疲れたな…ようやく湯浴みに行ける。そう思いながら廊下に出て襖を閉じる。
閉じる瞬間に土方さんが何か呟いた気がしたけど、もう聞こえなかったふりをして襖で蓋をしてしまった。


「(なんだか本当に疲れたな)」


背負っている薬箱がずしんと重い気もした。
でもこれで解放だとパッと顔を上げ自分の部屋の方に足を向ける。と、そこで気が付いた。


「随分長話だったじゃねぇか」


壁に寄りかかり腕を組んだ男が文句ありげにこちらを見ていたのだった。