第21話
乾いた音が響く。音と同時落下する鳥の姿に双眼鏡を覗いたまま「…お見事」と思わず口にして、双眼鏡を尾形さんに返すと、彼は得意げに笑みを浮かべて乱れた髪をかき上げていた。まるで「どうだ、凄いだろ」と言わんばかりの顔である。 尾形さんと行動を共にするようになって彼の射撃の腕が現実離れするほど優れていると知った。 度々病院を抜け出して射撃場に足を運んでいたのも頷ける。彼は狙撃手なのだ。
「尾形さんのおかげで旅路は困らないね」
鳥は食料にもなるし、売ってお金にも出来る。初めの頃沢で魚を捕まえようと躍起になっていたのが懐かしい気分だ。あの時、四苦八苦する私を見てふらっと消えた尾形さんは、次に戻ってきた時にはその手に鳥を二羽ぶら下げていた。 あの時もたしか踏ん反り返るような顔をしていたっけな。
「お前の持ってくる雑草は食うに耐えんからな」 「ちょっと言い方!?」
いや確かに雑草も混ざってはいたけども!
「ちゃんと食べれる物を選んだし栄養もあるからね!?木の実だって無毒なやつ取ってきたじゃん!」
解せん!と声を荒げれば尾形さんは素知らぬ顔で撃ち落とした鳥を探しに行く。 北海道は自然が豊かだ。毒を持つ植物をよく目にするから常人は気を付けないといけない。そう思っての配慮だったのだが、尾形さんには伝わるどころか雑草を食べさせられていると思っていたらしい。
「お前もそろそろ絞め方でも覚えるか?」
鳥を手にした尾形さんが戻ってくるなりそう口にした。思ってもいなかった言葉に一瞬反応が遅れる。
「解剖なら出来るけど…?」 「刃物の入れ方が違うだろ」
違うだろって言われても鳥の捌き方なんて知らないから分からない。食べられれば別に良いんじゃないのと思いつつも、さては尾形さん自分で捌くの面倒になってきたなと察する。 狩猟で取ってきた鳥は尾形さんが捌いてくれていた。私はそれを眺めるだけだ。もしかしたらそれが癪だったのかもしれない。一般家庭では男は外で女は中で働くものだけど私は曰く雑草しか尾形さんに食べさせていないのだから。
「案外細かいんだね」
と言っても病院にいた頃の尾形さんは綺麗好きでベッド周りを清潔に整えていたから何となく納得はできるけど。 私の言葉に理解が出来なかったのか「あ?」と一音で聞き返される。
「胃に入っちゃえば一緒じゃないの?」
そう言いながら手を差し出して鳥を受け取ろうとすれば、私の言葉にか眉を顰めた尾形さんは私の手をはたき落した。思ってもいなかった行動に今度は私が顔を顰める番だった。
「言動の一致をさせようよ」 「嬢ちゃんが一言余計だからだろうが」
そう言うと彼はこちらに背を向けて鳥の頭を素早く落とした。勢いよく飛び出した血が地面に跳ねるのを見ながら結局自分でやる事にしたのか、と尾形さんの言葉の意図が分からずにいた。
・ ・ ・
その町に踏み込んだ時の私の印象と言えば「町としては栄えてそうなのに随分閑散としてるんだね」だった。軒並みの続く通りにはお店も見受けられるのに、人が道を歩いていない。たまに見かける人影もどこか早足に見えて落ち着かない印象を口にした。 私の言葉を聞いているのかいないのか、尾形さんは薄く笑みを浮かべて「飯でも食うか」と的外れな事を口にする。
「それも良いけど、先に銭湯探さない?」 「…二、三日風呂に入らなかったくらいで死にはしねぇよ」 「そう言う話はしてないんだけどなぁ?」
尾形さんは早風呂だ。曰くあまりお湯に浸からないらしく湯浴みはすぐに済ます。だから旅路の途中でも私はいつも急かされていた。彼に長風呂だと文句を言われたけど、そんなに長く浸かっているつもりはなく単純に尾形さんが烏の行水なのだ。 「これだからお嬢様は困る」と揶揄する彼に「身嗜みは最低限のマナーだよ尾形上等兵!」と言い返せば何か言いたげに睨まれる。彼が何か言う前にと私は尚も続けることにした。
「入院中も言ったと思うけど、体を清潔にする事って凄く大切なんだよ。神道を語るわけじゃないけど幸福論の一つに清く正しく美しくってあってね、心身ともに気高くあれって言うのは精神に語るだけじゃなくて健康へ紐付いた理に適った話なんだ」 「幸福論、ねぇ…」
割と適当に口から出た話だが尾形さんが興味を持ったように呟くので、おやと思いもう一押しかと奮起する。
「幸福論なんて実際は結果でしか語れないものだし、人生の幸福について生きている人間が語るのは正直馬鹿馬鹿しいと私は思うんだけどね、清く正しく美しくをなぞらえた時に至福を感じることが出来れば納得出来るし」
例えるならば湯船にゆっくりとのんびりと浸かった瞬間は至福である。が、これに関しては単に銭湯に行きたいが為の口実であった。 幸福を語るのに銭湯を上げるなんて冷静に見ればおかしいし、人生の幸福についての結果論を語ろうとするならば語れるのは死人のみだがそもそも死人に口なしでそれも不可能だ。 語るに足りない話を語ってまで私が銭湯に行きたい理由も尾形さんは薄々わかっているはずなのだ。ここで逃せば次ゆっくりと湯船に浸かれるのがいつか、保証されていない旅である。身を清めることは出来ても風呂に浸かるのとは別物だ。 そんな私を見抜いてか尾形さんは鼻で笑うと「阿呆らしい」と一蹴した。それから少し考えるように宙を見て私に視線を寄越す。
「神道でも綺麗事でも屁理屈でもなく、嬢ちゃんが思う幸福論は何だ?」
…これは、意外な質問だった。 阿呆らしいと吐き捨てられた言葉にお預けかと一瞬諦めたのだけど、意外にも興味は持ったままらしい。私が語った言葉達が並べただけの御託だと分かった上で問われるとは思わなかった。 だから面食らって、それから少し考える。うーん、と考えていると待っているのか様子を観察するようにこちらをじっと見つめる彼と目が合って私はそっと口を開いた。
「あのね、さっきも言いましたけど幸福論についてを本当に語れるのって結果ありきだと思うんですよ。そもそも幸福の定義も感じ方も千差万別で目に見えないものなんだからそれを口にするっていうのは……」 「いいから」
言葉を遮られて口を噤む。やけに突っかかるというか食い下がるというか。 言葉を促されて軽く溜息をついた。こういう話は何となく苦手だ。小さい頃から自身の主張をあまり表に出来なかったからかもしれない。私は私の感情もよく理解出来ていないのに、思考を言語化するとなると一般的な理論を述べるよりずっと言葉を紡ぐのは躊躇われた。 少しまた黙って、それからそっと口を開く。
「……選択肢の有無じゃないの」
吐き出した呟きに尾形さんは「ほぉ?」と詳細を急かすように相槌をする。少し居心地が悪くて私は視線を地面に落とした。
「…選択出来ない人生ほど、窮屈なものは無いと思う」
幸福になるために、というような大袈裟なものでは無いけど選択肢の自由は個人の権利だと思うのだ。人は毎日色々な選択をしながら生きる。大なり小なり選択肢は必ず存在してそれを選んで人生という道を進んでいる。 東京の実家にいた頃と北海道に来てからと、選択したものは様々あるけれど私の意思が強く働いた選択は実家を出てからにある。前と今とどちらが幸せかと聞かれたら私は今だと断言出来るほど満足していた。 けど、それが万人に当てはまるかと言うと微妙な部分もあって言葉はずっと小さくなった。にも関わらず尾形さんは「ははぁ」と何かを納得したかのように笑うと乱れてもいない髪をかき上げる。それから踵を返して歩み出す彼に私は慌てた。
「尾形さんどこ行くの?」
思わず呼び止める私に振り返った顔はどこか呆れ気味だった。
「…何処って銭湯に行きたいって言ったのは嬢ちゃんだろうが」 「(そういえばそんな話だったな)」
なら私の言葉が返事に足るものだと満足したのだろう。私の方が一方的に喋っていたのに完全に尾形さんのペースだった事に今更ながら気付いた。 すたすたと歩いて行く彼に小走りで後を追えば「どうせお前は長風呂だろうから俺は別の用も済ませることにする」と口にする。「別のって何?」と何となしに聞くと尾形さんはふと顎に手をやりながらこちらをちらりと見る。
「身嗜みは最低限のマナーなんだろ?」
答えになっていないような答えを受け取りつつ余計な事を言って気が変わられては嫌だと思って、うんそうだね。と私の口からは言葉が漏れた。 それから少しして私は湯船に身を沈める幸せを身に感じることにありつけたのだった。
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