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第20話


薬を使わず熱を下げるというのは実に原始的な方法だと思う。薬は使い方を間違えると毒となるが、私はその毒すら体が反応をしないのだから仕方ない。
食べて寝るを繰り返しながら薬箱に入れていた氷嚢で両脇の下を冷やし続けた。首や鼠径部も冷やせたら良かったが氷嚢の数は多くない。でも効果はあったのだろう、丸一日寝込んだ翌日にはすっかり熱っぽさはなくなっていた。


「買い足すものはもうないか?」
「うん、取り敢えず大丈夫かな」


道中を考えるとあまり荷物を増やすのも良くはないだろうと取り敢えず羽織だけ入手した。これで多少は寒さも耐えられるだろう。
そもそもこんな風に宿で泊まれれば一番なのだけど。と思ってそういえば尾形さんは何処か目的地があるのだろうかと疑問を持つ。
師団から逃げるだけだと思っていたので、その先をどうするつもりなのか私は考えていなかったし彼にも聞いていなかった。逃げ隠れするならばいっそ北海道から出た方が良い気もする。


「尾形さんって出身はどこなの?」


そう思って聞いた言葉に、尾形さんはこちらをちらりと見て「茨城だ」と答えた。
身支度を整えて薬箱を背負う。挿しておけと言われた簪は袴の結びに括り付けるように一緒に挿した。結局印と言った言葉の意味も歌の意味も教えてもらえていないままだ。
尾形さんも軍服に身を包んで銃を肩に引っかける。準備万端なようだけど、正直彼の軍服姿はまだ見慣れない。


「じゃあ茨城の方に逃げるの?」


そう聞いた私に先を歩もうとした彼が止まる。
どうしたのだろうと顔を覗き込むと、表情のいまいち分からない尾形さんと目が合った。


「な、なに…?」


心なしかその視線が鋭いような気がしてたじろぐ。
そんな私に少しの間を置いて尾形さんは口を開いた。


「…鶴見中尉からどこまで聞いている?」
「どこまで…?」


投げられた問いに疑問に首を傾げる。
どこまで聞いているか、の彼の問いかけに鶴見さんが私になんて言ってきたか記憶を探るでもなく思い出せる。ただ、尾形さんのどこまでの意図の答えにはならない気がして仕方ない。


「話した感じだと、鶴見さんはコネが欲しかったみたいだけど…」


父ではなく、私に手を貸せと言った鶴見さんを思い出しながらそう言えば今度は尾形さんが眉をひそめた。
きっと思っていた答えと違うのだろうと思って私は言葉を続ける。


「桐原の血が欲しいって鶴見さんは言った。父ではなく私に声をかけたのが、野心から来るものだとしたら頷けるものもある」


小娘だと私を舐めて見ていた鶴見さんが、私に恭しくするのが信じられない。いや、途中までは信じていた、多分言いくるめられていた。尾形さんの言葉を借りるなら唆されていた。けどそれは鶴見さん本人の言葉で我に返ることが出来た。
あの人は私を利用したかったのだろう。鶴見さんにとっての私の利用価値なんて家筋しか思い当たらない。本人もそうだと、確かに言った。
交渉に尾形さんを持ち出すよりも、鶴見さんの額当ての向こうを開かせてくれるとでも言った方が私には効果的だっただろうなと思う。
そんな考えをしていた私に尾形さんの否定が入る。首を左右に振る彼に何?と言葉を促せば彼は僅かに目を細めた。


「それだけか?」


その問いに「え?」と間抜けな声が漏れた。そして同時に気が付く。
鶴見さんにあれこれ言われはしたけど、そもそも何をしたいのか何が目的なのか一切聞いていなかった。
それに気が付いてぞっとする。野心を感じてはいたけど、手の内を明かされる事なく私はあの人の口車に乗るところだった。完全な手駒だ。


「鶴見中尉は第七師団本隊の乗っ取りを画策している」


私の思考を遮るように尾形さんがそう吐いた。
思ってもいなかった発言に言葉も何も出ない私を気にする事なく彼は続ける。


「お前は俺を謀反だと言ったがそれは少し違う。本当の反逆者は鶴見中尉の方だ」
「鶴見中尉が、反逆者…?」
「そうだ。鶴見中尉は軍そのものに楯突こうと企てている。第七師団の中の一部は鶴見中尉側と言ってもいい。そのまま師団を乗っ取って軍事政権を作ろうって考えだ」


第七師団はその活躍から北海道では北鎮部隊と畏敬の念を込めて呼ばれている。しかし、軍の中で見れば冷遇され立場は悪い。
そう続けた尾形さんに軍の事情など知らない私は驚いた。此処では軍服を着た兵隊を敬う人ばかりだ。年寄りの中には手を合わせる人も見たくらい親しまれていると思っていた。それが内部では扱いが悪いとは想像つかない。


「軍は上に行くほど横の繋がりが強くなる。当時の第七師団長が自刃したことも、上からすれば部下の落ち度らしい」


勲章も報奨金も何もなく、ただ死んでいった戦友を鶴見中尉は嘆き部下を奮い立たせたのさ。
淡々と口にする彼に違和感を覚える。話を聞くだけだと鶴見さんがやろうとしていることはもっともな気がする。だって命を賭して戦った彼らにあんまりだと話を聞く限りでは思ってしまう。


「……今、哀れんだのか?」


そんな私を見抜いたように尾形さんがそう聞いた。
驚き呆気に取られる私の返事を待たずに彼は続ける。


「それが鶴見中尉の狙いだ。そうやって揺さぶって駒を増やす。あれは天性の人誑しだ」
「でも…」
「大義を掲げてはいるが、鶴見中尉は独裁者だ。現にお前は何も知らされず此処まで来ただろ。鶴見中尉やその部下がやっている事はエゲツない所業だ」


ぐうの音も出ない。言葉巧みな鶴見さんに揺らぎはしたけど、尾形さんの言うとおり、私は何も知らない。やっている事もやって来た事も目的も何も。結果を追い求める過程がどの様なものなのか知りたいわけではないけど、こうやって尾形さんが言うくらいなのだから相当なのだろう。確かに鶴見さんは常人とは違う部分を感じることがある。気が触れた訳ではないだろうけど時たま見せる繕いは狂人の様だった。


「軍に属する第七師団の一部、鶴見中尉は部下を率いて造反を企てている。そんな鶴見中尉の元を抜け出した俺は今や彼奴らにとっても敵って訳だ」
「なるほど……」


やっと理解出来た。
なら鶴見さんは初めから尾形さんを生かしておく気はなかったという事だろうか。自分の立場を明かさず尾形さんが謀反だなんだと私に言っていたのはただ騙されたという事なのだろうか。国に忠誠を誓った?誇り高い日の丸を背負ってる?宮様から賜った御心?どの口が吐いたんだ、恐ろしい狸め。


「ところで」


言葉を切って、すっと歩き出した尾形さんに慌てて私もついて行く。「何?」と隣を歩きながら聞けば彼はチラリと私を見て口元に嫌な笑みを浮かべた。


「知ったからにはもう戻れんなぁ」


それは病院にという事だろうか。含みを持たせた言い方にいまいち理解が出来ないけど、私が戻る場所と言えば父のいる病院である。
確かに尾形さんから鶴見さんの事情を聞いてしまった以上、病院に戻ってはまずいと感じた。そもそも私が尾形さんと逃げた時点で鶴見さんからは敵認定されていてもおかしくはない。ただ、彼と違って私は軍医の娘であり名のある家の娘という盾がある。だから命を狙われる事はないだろう。それに行方が分からなくなってしまったとなれば鶴見さんの立場も良くはないはず。きっと変わらず私は鶴見さんに追われるだろうけどそれは完全に保身の為となるだろう。
何となく腹が括れて私は彼に笑みを返す。思っていた反応と違ったのだろう、尾形さんはつまらなそうな顔をした。


「尾形さんと鶴見さんの立場は分かったけど、なら尾形さんはどうするつもりなの?陸軍本部にでも行くの?」


尋ねた私に尾形さんはこちらを見る事なく「いや」と短く返してきた。
鶴見さんの部下が徘徊するこの地で逃げるのも限界があるのではないだろうか。確かに北海道は広いし身を隠すことは出来るだろうけど、鶴見さんを出し抜き続ける事がどうしても出来ないのではと思ってしまう。ならば、第七師団の本部でもいいし東京の陸軍省に掛け合うのもありなのではと思う。信じてもらえるかは否として。
そう考えている私をよそに尾形さんは続けた。


「俺はまだやる事がある」
「やる事?」


追われている身なのに、逃げ果せる事よりも優先しようとするやる事とは何なのか。
聞いた私に答える気がないのか、尾形さんは歩みを止めることはなかった。