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第12話


咎めるような言葉と視線を受け止めながら何でこんな事になったんだろうと考える。考えてみたところで私にはさっぱり分かるわけもないのだから無駄だと気が付いて考える事を早々に放棄した。
突き刺さる視線を貰いながらも、私は満足いく説明が出来ない。だって私ですらこの状況をよく分かっていないんだもの。
追い立てられるような現状を他人事に構えて、今思えば今日は朝から違和感だらけだったように思えるなと、今朝のことからぼんやりと振り返ってみる。







ふと人の気配がして意識が浮上する。
はっきりしない思考のまま気配を探ろうと目をこすりながら部屋を見渡す。が、おかしな事に誰もいなかった。


「……」


ちらりと窓の外を覗く。まだ日が昇ってすらいない。北海道は東京と違って夜が濃く一層暗闇に感じる。


「(気のせい、だったかな)」


人の勘というものは舐めてはいけないと後々に強く思うのだが、私はこの時かなり眠かった。
ぼんやりとした思考は微睡みに容易く落ちて、私は再び布団に包まれたのだった。




次に異変に気が付いたのはきちんと頭が覚醒し身支度を整えている時だった。
寝る時に着ている浴衣から袴へ着替え、自分の髪を三つ編みに編んでいる時。編みながら病床日誌を手に取ろうと机に向き合って初めてそれに気が付いた。


「何だろうこれ」


五寸ほどの長細い包みが私の机に置かれていた。勿論私はこれに見覚えはない。
包みを見下ろしながら三つ編みを完成させて後ろに流す。それを手にしてひっくり返してみるも、宛名などは何もなく。(期待もしてはいなかった)
包みを眺めていても透視なんて出来やしないのでそれを開いてみる事にした。
白い包みを解いて姿を現したそれに、私はただ困惑する。


「…簪…」


金色の簪棒に真っ赤な菊の花が咲いていた。
小ぶりな装飾なのによく目立つ程鮮明な赤。簪を手にまじまじと見つめてみれば菊の花弁がとても細かく再現されているのが分かる。
一目でそれが安物ではないと理解出来たのは、似たような物を実家で買い与えられていたからだろう。
私は祖父母に着せ替え人形にさせられて着飾る事を強要されていた。価値の高さは分からないけど、あの祖父母らが見栄を張る為にこさえたものが安いわけがなかった。
菊の花に覚えはなかったけど、菊といえば漢方では薬として扱われる。長寿の花とされる菊は中国ではお茶としても楽しまれ、その香りでも人を癒す効果を発揮する。


「……父上かな」


先日簪がないからと箸でまとめ上げていたのを父は見ていた気がする。
あとでお礼を言っておこうと、簪を胸元の合わせに差し込む。菊の細かな作りは見事だと思うが些か私には派手だ。正直に言えば趣味ではない。が、頂き物に文句をつける程私は図々しくない。


「あれ、」


ふと包みの紙に目をやると、そこに何かが書かれている事に気が付く。
包みを手にして書かれたその言葉に首を傾げる。一体これは何だろう。
いまいち理解出来ない内容にその紙も畳んで胸元に忍ばせながら朝食を済ませるべく部屋を出た。これも後で聞こう、そう思って。




私の毎日は大体決まっている。朝目が覚めて身支度を整え、朝礼までに朝食を摂る。朝礼で引き継ぎや受け持ちの伝達を行い各自が割り振られた仕事を確認し、持ち場に着く。
私は前まで父の補助、煎じ薬の調合、栄養食の考案、備品の整理整頓などを行なっていたが今は主に尾形さんの管理が一日を占める。空いた時間に前まで行なっていた事を終わらせる様になったけど、以前は空き時間に本を読んでいたりしたが最近はその時間も就寝前くらいかない。が、悪くはないと思う。のんびりとした日々よりも一日があっという間であった方が好きだった。
朝礼が終わり私は尾形さんの病床日誌と診察道具を手に彼の部屋まで足を運ぶ。朝の診察はその日の健康状態も把握出来るから抜かすわけにはいかない。
いつものように尾形さんの部屋の扉を叩き訪問を報せる。どうせ返事はないと分かっているから遠慮もなく扉を開くこととなる。
そうすれば、いつもより少しだけぼんやりとした尾形さんが部屋に侵入した私に視線をくれる。


「……あれ?」


はず、だった。
誰もいない部屋を見渡して首を傾げる。朝から姿を見ないなんて珍しいけど、お手洗いにでも行ったのだろうか。
すぐに戻るだろうと思って持ってきた病床日誌諸々を机に置きイスに腰掛ける。ふと見たベッドが綺麗に整えられていて思わず笑った。
尾形さんは意外に綺麗好き。規律を守る軍でもおそらく整理整頓は義務付けられていたのだろうけど、一糸乱れず整えられたベッドは奇妙にも見えた。


「………」


そう考えて違和感を覚える。何だろうこの感じ。
じいっとベッドを見つめ違和感の正体を探ってみる。もやっとした物が胸に纏わり付いて気持ちが悪い感覚にじわじわと手汗が滲んできた。
乱れのないベッド。整えたならば当たり前だし、ここまで綺麗にするのは看護婦でも難しいのではと思う。それくらいに寝た痕跡が無かった。


「(痕跡…)」


基本的に診察は尾形さんに設けられたこの部屋で行なっている。彼がお手洗いに出たとして、また部屋に戻ってくるこのベッドをここまで綺麗にして行くのだろうか。
まさか、と呟いて私は椅子から立ち上がり彼のベッドに手を着く。さらっとした布の感触を手で確かめて血の気が引いた。

シーツに温もりも何も感じない。


「(尾形さんは寝てなんかいない…!)」


席を立った訳ではない。
最初からもぬけの殻だったのだ。

ガタガタと無様に椅子や壁に当たりながら部屋を飛び出す。廊下をばたばたと足音を立てるのも構わず駆ければ看護婦が目を見開いて「チク先生!?」と声をかけてきた。手短に尾形さんが病室に居ないこと、探して欲しいことを告げれば私の様子に只事では無いのだろうと看護婦は真剣な顔で頷いてくれた。
私はその足で階段を駆け上がり屋上の扉を無遠慮に開く。乱れる呼吸に息苦しさを感じながら辺りを見渡すも、あの姿はどこにもない。


「(どうしよう…)」


尾形さんなら射撃場に行きそうだけど、あそこへは父が出入り禁止にしているから絶対立ち入ることが出来ないと確信している。将校でもない限り軍人の頼みと父の頼み、どちらを叶えてくれるかなんて考えるまでもなく答えが出ていた。
だから私は外を探さず真っ先にここに来たのだ。
尾形さんは良くここでぼんやりと外を眺めていた。何を見ていたのかは知らない、知ろうとも思わなかった。
だってこの屋上が意外と眺めが良いことすら私はたった今知ったのだから。
だから私には分からなかった。彼が行きそうな所も心当たりが全く無かった。不甲斐ない、彼を自分の物だと言っておきながらこの様だ。


「(尾形さんのこと、何も知らない…)」


呼吸は整ったのに、それとは別に胸がつきんと痛んだ気がして私は吐くべき息を一度飲み込んだ。





手の空いている看護婦を総動員して探し回るけど、病院内にも周辺設備にも尾形さんの姿は無かった。
先日訪れた尾形さんの仲間が手にしていた軍の支給品とやらも病室には見当たらず、まさか師団に戻ったのではと一抹の不安を抱えつつもそうであれと思って連絡を取る。
その後血相を変えてやってきた男に期待は外れてしまったのだと愕然とした。

「(何故?)」

それが一番の感想だった。
共に歩いた道すがら、見つめていた先は軍では無かったのだろうか。あの瞳の先にあった射撃場のその奥に尾形さんは帰るべき居場所を見据えていたのではなかったのか。そしてその先は彼の所属する師団じゃなかったのか。
でも確かにあの時、問いた私に彼は答えなかった。それどころか今思い出すと、はぐらかされた様な気もする。
答えたくなかったなら別にいい。はぐらかそうとも構わない。けれど、何故今抜け出すのだ。よりによって私に何の言葉も告げず。


「(悔しい……)」


ただ、何故?と思った後に胸を占める感情は悔しさだ。酷く侮辱された様な気さえした。まるで飼い犬に噛まれた気分だった。
いつだったか三島さんに尾形さんを犬に例えて微妙な顔をされたっけな、と向けられる視線の中に三島さんを見つけてそう思った。あの時よりも随分暗い表情をしているなとぼんやりと眺めていれば、ああその顔をさせているのは私か、と他人事に気が付いた。


「チク先生!真面目になさってくださいまし!」
「そうですお嬢さん!尾形上等兵を匿われているなら貴女の為になりませんぞ!?」
「何処に行かれたか、懇意にしていたお嬢様ならご存知のはず!!」


さぁ、吐かれませ!と看護婦や軍人に取り囲まれてしまえば私に逃げ場など無かった。
けれどそんな風に責め寄られても私は知らないのだ。彼のいる所も行き先も心当たりも何もない。
知らない、分からないといくら言おうと目の前の彼等は私の肩を揺さぶるだけで私の言葉に耳を傾ける気はないようだ。
詰め寄られる勢いに負けて後ずさる。背中にとん、と当たった壁にもう後退することも出来ないと理解したのと同時、私の胸元からコロリと床に何かが落ちた。
反射的にそれが何か理解する前に拾い上げる。拾って目視して漸くそれが何か把握すればふと今朝の出来事が脳裏をよぎった。

覚えのない赤い菊の簪。

まだ日も登らない暗闇の中、私は確かに気配を感じて目を覚ましたのだ。
簪を見ておそらく父からの贈り物だろうと思っていたが、まさか。


「(…尾形さんが来ていた…?)」


まさか、と思いつつも否定しきれないのは、以前にも彼は私の部屋に侵入してきた前科がある。あの時は私も起きていたし理由が理由だったから咎めるような事もしなかったし正直忘れていた。
それに…と胸元に忍ばせた包みの紙を服の上から押さえる。かさりと小さく立てた音は誰にも拾われる事はなかったが、私の耳にだけ届いたそれは書かれた文字を思い出させるのに十分だった。

あの時は意味が分からなかった。
正直今もちゃんとした意味を理解出来ない。

けど、確かな事は尾形さんがこの日私の前から姿を消したという揺るぎない事実。
それを前提にあの書き残された言葉を考えると私はどうして良いのか分からなくなってしまった。




立つ鳥や 泡沫追えば 赤い



第1章 了