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第9話


冬ごもりしていたヒグマが穴から出てくる頃になると、父はげんなりとする。理由を聞けば頭の弱い阿呆がヒグマと出会う率が高くなってくるからだそうだ。
ヒグマは他の獣の違って人が出す音や松明の火を怖がる事がないらしい。
知識もない阿呆が好奇心に山に立ち入って怪我をする。命が絶えればそれでいいが絶命寸前で運ばれると僅かに繋がる現世との糸を私が断ち切ってやりたい、と口にした父は頭の悪い人間が嫌いであり、無駄な仕事を増やす輩を嫌悪している。
この運ばれた人間が地元民や猟師ならば力を尽くすだろうに父は自身に本当に正直だ。


「父上、顔に出ています」


不機嫌を隠す事なく苛立った様子で院の入り口に突っ立つ父に私はそう口にする。
周りにいる看護婦が父の様子に怯えているのが哀れだった。


「お前一人で事足りるだろうに何故私が診ねばならんのだ」


愚痴愚痴と溢れる文句に私は閉口する。
此処では私を舐めた人間が多い。いや、此処に限らず地元でも、病院を出た外でもいつだって私は軽く見られてしまう。生まれた性別が女だからというだけで受け取る視線は疑念だ。
けど父だけは違う。私を誰よりも認めてくれる唯一の人だ。(面倒を押し付けたいがためというのもあるだろうが)
そうやって意図せず私を一人の医師として見てくれる父に、私は少し照れてしまう。

朝、病院に連絡が入った。報せを受けた看護婦が言うにはヒグマに襲われた人が偶々居合わせた猟師に助けられたそうだ。
ただその怪我が酷く今から運ばれてくるそうで。最初に運ばれた病院は町医者が開く小さな所で、自分のところでは対処しきれないと思ったらしい。軍医の父に取り次がれたのは、父が良く町に出ては診療をしているからだろう。
この辺りで此処以上に大きな病院はないし、父の評判を知っているならば話が回ってくるのは当然なのかもしれない。
と言っても父は軍医である。一般市民の診療を受けない軍医も多い。父はヒグマと聞いて怪我人は地元民かあるいは猟師か確認した。そして、当てはまらないと知ると顔を歪めて言葉を紡ごうとした。

それを私は阻止した。

看護婦に何と言おうとしたのか、遮った私は知らないがあの表情の父を見るにどうせ野垂死にでもさせておけと捨て置くつもりだったに違いない。
そしてこれは父の不機嫌具合を見るにあながち間違ってはいないようだった。
しばらくして、馬が引く荷台に寝かされてやってきた怪我人と付き添いで乗ってきた医師が到着した。
その姿を見てすーっと目を細める父に看護婦がびくびくとしていた。あまり見ない父の機嫌の悪さを目の当たりにしてどうして良いのか分からないのだろう。


「江茉先生、大丈夫でしょうか…」
「…え、ああ…うん」


びっくりした。いつも私の事をチク先生と呼ぶ看護婦から突然名前を呼ばれて耳打ちされたので、動揺が出て生返事になってしまった。
けどそれはそうか、父の前で私をいつものように呼ぶ程彼女達も博打打ちではないだろう。
町医者から容態を聞きながら怪我の具合を確認する父をその後ろから見る。
本意ではなくとも患者を前に適当をする人ではない。怪我を見て途端ギラついた目をする父に私は確信を持つ。


「父上は生粋の医療人だからね」


小さい頃からその背を見て育ってきた。実家は沢山の医学者に溢れて知的好奇心をくすぐってきたけど、本よりも何よりも私の一番の見本は間違いなく父だったと思う。

だから私の嗜虐的な所はおそらく父に似たのだと自覚している。

と言っても私も父も別にいたぶる趣向性がある訳じゃない。ただ深く理解がしたいだけなのだ。


「江茉」


名前を呼ばれて思考を止める。
父がこちらに手招きをしていて、私はそれに従うように側に立つ。
荷台に寝かされた男が担架に移されようとしているところだった。
父は男に掛けられた布を取り上げて私を見る。


「中々お目にかかれるものではない、お前も見ておきなさい」
「………っ!」


遮るものがなくなって、良く見えるようになった男の有様に私は口元を抑える。なんて事だ、こんな…


「(こんなにズタズタ…!)」


上げそうになった悲鳴を飲み込んで男をまじまじと見る。担架で運ばれる男の横にぴったりと張り付いて私は脳裏に焼き付けようと各部分を見つめながら口元を抑えた手に力を込める。
じゃないと悲鳴をあげてしまいそうだったのだ。


「(すごい、出血量…肉は抉れてるし、これは脂肪が見えてるのかな。わわわ、尺骨見えちゃってる…って上腕も血が邪魔してるけどこの抉れ具合だと骨達してるよね…きゃあああ〜これだと肋骨も何本かいってそう…!それにはらわた出ちゃってるし…でも千切れてないってのはすごいなぁ、ヒグマの爪って割と切れ味悪い刃物みたいなのかな…?はあぁ…すごい、これ、これ…ちゃんと生きてるのぉ?)」


ここまでの深手となると痛みというのは感じるのだろうか非常に興味がある。
ちらりと男の表情を伺おうとすれば、男の目元には布が被せられておりその口元が非常に荒い息をしているのだけが分かった。


「(意識は…意識はあるのかなぁ…。張り巡らされた神経は内部から触られるとどんな感じなのか聞きたいな、試したいな…あぁもうすごい…)」


溢れてしまいそうな悲鳴を押し込んで、息を吐く。心なしか私の心臓は早足で刻んでいる気がしてほかほかと体が熱かった。


「(いやぁ…どうしよう、この人が欲しい…ああでもだめだめ、私には尾形さんがいるもの………でも尾形さんもう大分良いしそろそろ他の人をもらっても……)」
「だめだぞ江茉」
「っ!?」


一人で葛藤に戦っていれば、父からそう声を掛けられた。抜群の頃合いだったからか、見透かされていた事に驚いて体が飛び跳ねた。さすが私の父上だ、私の思考をよく理解している。


「今のお前は好奇心に負けそうだ」
「そんな…」


でも否定出来ない。
人の理性なんて呆気なく崩壊するのだと私は身に染みて分かっていた。


「このまま手術に入る。江茉も手伝いなさい」


父のその言葉は甘美な誘いだった。
ああやっぱり北の地に来てよかった。そう思いながら私は父に返事をして、下げた三つ編みをくるくると巻き上げ簪でまとめ上げ準備に取り掛かる。長くなりそうだから、普段行なっている仕事を頭の中で整理して後で片付けようと決める。
担架の横で私の足は気を付けないと軽快に弾んでしまいそうだった。















手術が無事終えて、ばたばたと慌ただしくしていたのが漸く落ち着いたのは、日が沈んで空が闇に包まれた頃だった。
服を着替えて自室の椅子に座り机にもたれかかる。汗をかいたからお風呂に入りたい気分だったけど今から銭湯は疲れてしまって気が乗らない。けどこのまま休むのは気持ちが悪いので軽く身を清めるくらいで今日は諦めよう、じゃないと片付けるべき仕事が終わらない。


「(っていうか、尾形さんの事忘れてた)」


ご飯を持って行くのも、診療するのも抜けていた。何せ朝から今の今まで缶詰だったから。とは言えすっかり頭から抜けていた事に叱咤する。
私が手術の助手として入っていた事は知られているだろうから、ご飯に関しては恐らく看護婦がどうにかしてくれただろう。でなくても尾形さんはもう出歩けるし口も開くことができるのだから私が出向かず腹でも空けば自分でどうにかできるはず…。
とまで思いはするが、やはり気になる。私の手から餌付けの様に食事を口元に運んでいるあれを、他の誰かがやったのかと想像すると何だか嫌な気分だ。

つまらない独占欲だろう。私は自分の物に手を出されるのが嫌いだ。


「(様子だけでも見に行こう)」


時間も時間だから、診察するのは明日にするとしても一日も姿を見ておかないのは落ち着かない。
机から体を起こして体が望むままに伸びをする。こきこき、と関節が弾けるような音を立ててそれが少し心地よい。
そのままぐるりと首を柔軟させるように回した時だった。


「よぉ、浮気者」
「!?」


突然と背後からかけられたその声に私は椅子の上で飛び跳ねる。
割り振られた私の部屋である此処に私以外の人が居ることを想定していなかった。というよりいつ入ってきたのか気付きもしなかった。そのくらいに疲弊していたのだろうかと、慌てて振り返ろうとすればその間際に頭が撫ぜられる感覚がして三つ編みが揺れ落ちた。
ああ、そういえば簪で上げたままだった。


「尾形、さん…ごきげんよう…」


にこにこと不気味に笑みを浮かべる彼は一見人の良さそうに見える。が、彼と接してきた私からしたら胡散臭くて仕方ない。取り繕ったような尾形さんに思わずそう声をかけると私の頭から抜き取った簪を彼は器用にくるくると指先で回した。


「ごきげんよう、桐原先生」
「ひぃ…!」
「とでも言うと思ったか?」


にこりと笑って朗らかに口にする尾形さんに思わず悲鳴を上げれば、彼はその笑みを消してギロリと私を睨み下ろして来た。何この人怖い。


「俺を放ったらかしにして、随分他の男にお熱だったそうじゃないか」
「ちょ、そんな不埒な…誤解を招く言い方やめてよ」


浮気者ってそう言う意味か!
聞き捨てならない尾形さんの言葉に言い返すと、尾形さんは鼻で笑い飛ばす。何しにきたんだこの人。
意図の読めない彼に丁度いいから具合見ておくかと尾形さんを見上げる。彼はふと、くるりと回していた簪を止めて、くんと鼻を鳴らすと怪訝に私を見た。
何だろう、何か言い足りないのだろうか。尾形さんの様子を眺めていれば簪を握ったままの手がすっと私の三つ編みに伸びて、彼は無遠慮にそれをひっつかむ。そしてそのまま鼻を寄せると、犬だから猫だかのようにクンクンと嗅ぐではないか。


「ちょっと…、」
「血の匂いがする」


今まで血生臭い場にいたのだから匂いが移っても仕方がない。けど、それを嗅がれるのは嫌だった。


「明日には臭わないようにするから」


今日は勘弁してほしい。と伝えると尾形さんは髪を嗅ぐのをやめて私のベッドへ無遠慮に腰かけた。
潔癖という訳ではないし、私も尾形さんのベッドに腰掛けたりするからとやかく言えないのだけど、彼の行動に少しだけ不快を感じてしまう。


「…ご飯はちゃんと食べられましたか」


それを払拭するように気になっていたことを一つ聞いてみれば尾形さんは簪をまたクルクルと回しながら視線をこちらに寄越した。


「ああ…嬢ちゃんの代わりに看護婦が運んできたんでな」


やはり把握してくれていた看護婦が動いてくれたようだ。お礼を言っておかないとな…嫌味を言われないといいけど。


「明日は」


不意に尾形さんが言葉を繋げるように声を漏らす。彼の様子を伺えばその視線は簪にあった。けれどこの空間で独り言にしては大きすぎる為、私に発しただろうと続きを待つ。


「お前が来るだろうな」


思ってもいなかった彼の台詞に私は言葉を飲み込む。
運ばれてきた男のその後は父が主に見るだろう。包帯を変えたりだとか単純な事なら私に投げられるかもしれないが、今日の様に一日中付き添う事はもう無いはずだ。けど、あの怪我の具合は中々見れるものではない。経過観察には物凄く興味がある。後から処置履歴をまとめた病床日誌を見せて貰えばいいかもしれないが、生でこの目で見れる機会は幾度とない。


「…何か不都合が?」


尾形さんへの所有物という自覚と、新しく転がり噛んできた男への好奇心を天秤にかけて、揺れるに揺れる二つに私は思わず尾形さんに聞いた。
そんな私にか、彼は僅かに眉を顰める。まるで心情を見透かされた様な気がして視線を逸らせば彼はややあってから溜息と共に言葉を紡ぐ。


「…飯が塩辛い」
「…え」
「嬢ちゃんの味気ない味に慣れちまったからな」


最後まで責任取れよ、と続けた彼に私は驚いて返す言葉を無くした。
他の看護婦が用意したご飯がお気に召さなかったのか…。私の作る流動食にも味気が無いと文句を言っていた癖に。
そんな風に思うのに彼の言葉は何故だか嬉しい様な歯痒い気持ちを感じて、私は顔を伏せたのだった。