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第8話


「体を壊すのは勝手だけどさ、やるならちゃんと完治してからにしていただけます?」
「イケると思ったんだが」
「何を根拠に?」


朝の診察を終えて「順調ですね」と私は口にした。顎はそろそろ固定を完全に外して可動域を元の状態に戻せるよう施しても良い段階かもしれない。そう思ってのことだったのだが、私の言葉を聞いた尾形さんは散歩に行ってくると言い残してふらっと消えてしまったのだ。
ずっと病室にいるのも気が滅入るだろうと放っておいたのがいけなかった。事実彼は屋上がお気に入りのようで良くそこでぼんやりとしていることが多い。今回もそうだろうと思った。
しばらくしてやってきた師団の人が尾形さんを外で見たがもう良いのかと聞いてきた。「ここに居るのも退屈だろうから、散歩くらいなら」と答えた私に顔を曇らせ彼は言う。「射撃場に入っていかれましたが…」「……は!?」一拍置いて思ってもいなかった言葉に私は椅子から転がるように立ち上がる。何考えてるんだあの人!!
部屋を飛び出し病院を飛び出し近くの射撃場に走って行けば今まさに銃を手にしようとしている尾形さんを見つけたのだった。


「まさか嬢ちゃんに腹を殴られるとは」
「自分の行動を省みず人を咎めるとはいい度胸で…」


長くなった髪を後ろに撫で上げるようにした尾形さんの言葉に私は思わずそう言い返す。
確かに殴ったのは良くなかった。良くない、が尾形さんがダメージを受けた感じには見えない。むしろ私の拳が悲鳴をあげたくらいだ。


「暇ならお話の相手くらいするから、勝手な行動はやめてよね」


散歩だなんてとんでもない。今銃なんか手にして射撃などしたらと考えると恐ろしい。


「あんたいつもそうなのか?」
「え、何が?」
「一人の人間にここまで構うのか?」


病院への帰り道、そんなに長くない距離を並んで歩く。中身の無いような会話も随分増えた気がするなと思いながら尾形さんの言葉を考える。
尾形さんは私の初めての患者だ。担当としてもらい受けて世話まで見ている。でもそれは、担当となったからだけでは無い。


「尾形さんは私が見つけて私が拾った」


気にかけるのは当然だし、構うのも私にしたら当たり前のことだった。犬猫と同じだとは言わないが、一度拾って目をかけた以上私は最後まで、と思うのだ。それに対して尾形さんは少々自覚が足りないようだ。


「尾形さんは私のなんですから、私が怒るのは当然だと思うけど」


鬱陶しいと言いたいのだろうと思って彼にそう告げる。私の心境を納得してくれとは思わない。ただ理解をしてほしい。食事や行動に制限をかけ此処に縛り付けるのはきっと医者の性だろう。私利私欲と言われたらそれまでだけど、私は最後まで診たいと思うし理解もしたいとまで思う。


「……私の、ね」


病院の門を通り抜けた時、ふと尾形さんがそう口にした。含みのあるような言い方が気になって彼を見上げると嫌な笑みを浮かべた尾形さんと目が合う。


「どんな意味で言ってんだか」
「…そのまま、の意味…だけど…」
「ほぉ…?」


不敵な笑みと言う言葉がここまで似合う人も中々いないのではと思う。そのくらいに不気味に笑顔を作る尾形さんが嫌では無いのだからまた困る。
これは恐らく私の悪い癖だ。気にかかると深く理解しないと気がすまない。尾形さんの体は勿論、その中身にまで興味が出てしまっているんだろうと自分の分析が出来るくらいには私は冷静だった。


「桐原、良い事を教えておいてやる」


ついっと、私の前に歩み出て足を止める彼に、私も強制的にその場に立ち止まる。彼の言う良い事とは何だろうと尾形さんの言葉の続きを待っていれば促すまでもなく彼が動いた。
ゆっくりとした動きで体を屈め目線が同じになる。顎の縫合した痕が良く見えて私はこっそり心の中で自画自賛する。いつ見ても中々綺麗な痕だ。そのまま眺めていれば彼の顔が目と鼻の先にまで近付いてきた。

そしてピタリと止まる。


「え、なに?」
「……」


鼻息が顔にかかる程近くて正直居心地が悪い。良い事を教えようと言ったきりの彼に思わずそう口にすれば尾形さんは溜息をついて上体を元に戻した。


「男に向かって安易にそんな事を口にすれば、今みたいな事になり兼ねんぞ」
「うん?今?」


今って尾形さんの顔が近寄ってきたくらいで特別何も起こっていないんだけど。
怪訝な表情が出ていたのだろう、私の反応を見て尾形さんは眉を顰める。


「…おい、今のに何を感じた?」
「鼻息がかかって気持ち悪いなってくらいだけど…」
「………」


軽蔑するような目で見られた。尾形さんそんな表情も出来るんだねと場違いにも関心しつつ、それ以上に何を感じろと言うのか中々無理難題を押し付けていないだろうかと考える。
先程よりも深い溜息を吐き出した彼は何か言うのをやめたようで私に背を向け歩き出してしまった。慌ててその背中を追いかける。
男に向かって安易に、という尾形さんの言葉は私の何を指していたのだろうかと振り返る。思い当たるとすれば彼が含みを持たせる様に口にした、私の、という言葉だ。
ちらり、院に入り恐らく自身の病室に真っ直ぐに向かう尾形さんの背を見る。あの後尾形さんは私の言葉の意味を気にしていた気がする。それからあの行動だ。


「(…男、か)」


今まであまり性別という事を気にしていなかった。そんなもの必要がないから。けれど尾形さんがそれを口にしたという事はもしや色事なのだろうか。
ようやく戻ってきた病室にするっと入り込む彼に続いて身を滑らせる。ベッドにどかりと座り込んだ彼を扉の側からじっと見つめた。
こちらをちらりと見た尾形さんにはっとする。


「あ、まさか口付けでもするつもりだった?」
「……お前が生娘ってことは良くわかった」


にっこり笑顔を作った尾形さんがそう口した。


「(生娘って…そんなの関係ないでしょうに)」


でも間違ってないから否定は出来ない。だからといって口付け程度に赤面するような反応を期待していたなら申し訳なくも思う。
そもそも私は人工呼吸を尾形さんに行なっている。あれを口付けと言っていいのか疑問はあるが、口と口を合わせる行為はあれが初めてで、あの時は色々な意味で緊張はした。勿論尾形さんの人命救助という名目での行為なのだ、それに対しての緊張が強いのと同時にどこか口付けを意識したのもきっと少なからずあると思う。
事実、経験のない事への興味もあった。
他人と口をつけ粘膜の接触を行うなんて想像しただけで気味が悪いのにどうして人はそれを好んでやるのだろうかと疑問を持っていた。
だから進んで行ったというのもある。が、正直鮮明には覚えていない。ただこんなものか、と思ったのは覚えている。
合わせた口から空気が漏れない様に、割れた顎を引っ掴んで固定して行う人工呼吸は初めてにしては上手くできたと思うし、思っていた以上に大変だった。出来れば顎が割れた人とは二度とやりたくないのが本音だ。


「尾形さんとはもうしたくないなぁ…」
「、は?」
「噛み付かれたの地味に痛かったし」
「おいそれ何の話だ」


扉の前から机の元に移動する。徐ろに手にした尾形さんの病床日誌を捲りながらぽそっと言えば予想に反して彼は反応した。


「何って…」


そうだ、これは尾形さんには言っていない事だったと言いかけてふと止まる。
この話を知っているのは父と、父に報告する場に居た鶴見さんだ。けれどもしこの話が広まったら?ただでさえ院内や師団の方で私と尾形さんが仲睦まじいとか何とかの話があるらしいのに、噂が尾ひれをつけて泳いで行ってはしまわないだろうか。


「…何でもない」


面倒になるのは嫌だった。私はあれを間違いだとは思わないし、同じ日に戻れてもまた同じ事をするだろう。
けれど此処には娯楽に噂話をする者が多すぎて過程を投げ捨て結果を面白おかしくされてしまう。


「気になるだろうが」
「ごめん、そのうち教えてあげるよ」


言いかけてやめられる心地悪さといったらないだろう。顔を顰める尾形さんに謝って、今度ねとまた強く言えば彼はそれ以上の追求をやめた。興味が失せたのか顔をふいっと逸らして窓の外を眺め始めた彼を見て私は病床日誌を閉じる。
退屈そうな横顔は何を考えているのかイマイチ分からない。そもそも他人の頭の中を理解出来る方がおかしいのだけど、正直私は興味があった。
あの日、彼は何故真冬の川を流されていたのか。何故顎が割れる様な負傷を負ったのか。何故腕が粉砕される様な目に合ったのか。顎と違って腕は綺麗に折れていた。それは見事な程に。お陰で腕の骨は綺麗に繋がり元に戻るだろう。あんな折れ方はどうしたら出来るのか医師なら気になって当然だと私は思う。


「……何だよ」
「いえ…」


ふとこちらに視線を寄越した尾形さんが怪訝に聞く。物欲しそうな顔でもしていただろうかと口元を隠して私は首を横に振った。

聞く機会は何度でもあった。でも聞かなかった。何故だろう。

ちらりと尾形さんを見れば彼はまだ私を見ていた。怪訝そうに僅かに首を傾けてこちらを見る彼に私は少しだけ笑う。

聞こうと何度かしてはやめた。


「尾形さんは雲みたいだね」
「は?」


退屈そうにする彼が、病室ではとても窮屈そうに見えた。
射撃場から連れ戻しはしたけど、あそこにいた彼は何処か顔色が良く高揚しているように見て思えた。
あれが本来の彼ならば、此処はもしかしたら尾形さんにとっては檻なのかもしれない。
そして私は聞きたいのに聞かないでいる理由を漸く理解出来た。


もし聞いたら、ふわっとふらっと彼が消えてしまいそうな、そんな気がしたのだ。