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第7話


この人は今、何と言っただろうか。
上手に理解出来ない私を見て察したのか、あるいは差し出された手に向かって動く事もない私に手を取らすことを諦めたのか、鶴見さんはその手をそっと降ろした。


「お嬢さんがいて下さるなら我々の士気も高まりますね!」


そばにいた三島さんが、唐突にそう声を上げる。
思ってもなかった人から上がったそれは、嬉々としたように弾んでいて無防備に鼓膜を揺らした私はビクリと体が反応をした。
そんな私に気付いてか否か、鶴見さんは人差し指を立てそれを勿体ぶったように左右に振るう。


「待て待て三島。私はこれから桐原さんを口説こうとしているのだ。先走るのは良くない、そういうところだぞ。」
「はっ!失礼致しました、鶴見中尉殿!」


キザったらしい所作でそう述べる鶴見さんに三島さんは溌剌と返す。
私の名前が会話に出ているはずなのに蚊帳の外な気がして思わず尾形さんに視線を投げれば、彼は一歩引いたところから表情もなく三者三様の有様を眺めているようだった。


「(何も言ってくれないのかな)」


別に何か言って欲しい訳ではないのだが、状況も読めない目の前のやり取りに助け舟でも出してくれないだろうかと期待してしまう。
厄介事は勘弁だと尾形さんなら言いそうだけど、ここで私が一番接していて言葉通りの世話をしたのは尾形さんだけだったから、万が一の希望を持ってしまう。まあ、そんな都合良く彼が助けてくれる紳士ではないと過ごした日々で理解はしてるけど。
案の定、会話に混ざる気もないのか飽きたのか、そもそも興味もなかったのか分からないが、尾形さんはここではないどこか一点を見つめ何かを観察しているようだった。


「桐原さん、貴女は医師として非常に優秀です。聡明で知に長ける。」


徐ろにそう口にしたのは鶴見さんだった。
先日のあの発言からこうも評価を上げてくれたというのは尾形さんの経過を見ての事だろうけど、貰った言葉が嬉しい反面何故か少し複雑だった。


「知識と言うのはとても強い武器です。どんなに力のある将も稚拙では途端に無能となる」
「…それは私を買い被りすぎでは」


言い切る鶴見さんに、胸のもやもやの正体が分からないまま彼にそう返す。鶴見さんは勿体つけた様に目を伏せゆっくりと首を左右に振った。
鶴見さんと尾形さんと三島さんに私という異様な空間に無遠慮に揺れる洗濯物が場違いの様で、途端居心地の悪さを感じた。


「貴女の腕は勿論、最も称賛すべきは桐原さんの知識欲です」


知識欲?顔に出ていたのか無意識に声に出ていたのかいまいち理解が出来ずにいると、私の様子を感じ取ったのか鶴見さんはニタリと笑みを浮かべて言葉を続けた。


「私はこう見えて情報に敏感でして」


貴女のお話を耳にしました、と前置きをする彼にぞわりと背筋に悪寒がした。嫌な予感とでも言うのだろうか。


「幼い頃から医学へ関心があったそうですな」
「…医者の家系ですからね」
「特に解剖学へ没頭していた、と」
「……何処でそれを?」


言葉は核心を突いていないにも関わらず追い詰められている気がして思わずそう聞いてしまう。鶴見さんは私の反応を見て笑みを深くした。ああ、しまった。そう思ったのは鶴見さんの言葉を無意識に肯定してしまったと彼の表情を見て気が付いたからだ。


「素晴らしい。」


その一言が酷く不愉快に感じたのは何故だろう。


「何をご存知か知りませんけど、褒められる謂れはありません」


強く拒絶を示したつもりだった。他人から自分がどう見えているかなんて当人には分かり得ない。だからだろうか、私の拒絶が伝わりきらなかったらしい。
鶴見さんは尚も不快になる様な笑みを乗せるのだ。


「貴様の父上から婚約が破談になった話を聞いたぞ」


取り繕う様な猫なで声の喋り方から突如、ガラリと変わる鶴見さんの雰囲気に驚いて言葉を無くす。
刺す様な刺々しい空気は威圧感なのだろうと脳裏で祖父を思い出すと、自由が利くはずの体は何故か金縛りにあった様に硬直してしまった。


「婚約者の前で鼠の解剖をしたそうで」
「……相手の殿方も医療関係者だったものですから」


ここに来る前、見合いとして連れ出され中庭を歩かされた事を思い出す。
会話をしている上では素敵な殿方だったと思う。医学校では首席の成績で、顔も整って中々の男前だった。きっと眉目秀麗と言うのはこんな人を指すのだろうとすら思った。家柄も大層立派で、彼もそれには絶対の自信を持っているのかつらつらと聞いてもいないのに先祖の話を鼻高々に語っていた。正直私には勿体ない人だと思ったし、同時に祖父が気に入りそうな男だとも思った。
勉強熱心な様だったので私自身も理解を示したつもりだ。ただ、私の得意な分野で、ではあるが。認めよう、あの時たまたま見かけた鼠をこれ好機と思った。残念な事に先方は解剖学には疎かったようで親密な関係に至らなかったが、破談にしたいと思っていた私からしたらあれは確信を持っての行動に過ぎない。
無かったことされた見合い話に祖父は激怒していた。あの男の子どもでも産んでやれば大いに喜んだのだろうが、胃の内容物の分析をし始めた辺りで己の胃の中身を吐瀉するような柔な男はこちらから願い下げだ。


「私には縁が無かっただけですよ」


あの時のやり取りを思い出しながら鶴見さんにそう言う。鶴見さんは笑みをすっと消してゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
揺らめく洗濯物を気にもせずに真っ直ぐ目の前に来た鶴見さんは身を少し屈め私に耳打ちをする。
その一連の動作を拒絶する事なく眺めていれば、鼓膜を揺らした彼の言葉に私は愕然とした。


「………なんで、」


内緒話をする様にこそこそと耳元で囁かれたその言葉に私は何も言い返すことが出来なかった。


「ますます良い。桐原江茉、私の元に来い」
「頭、おかしい…」
「ははは!私は少々脳が吹き飛んでおる!」


私のことを知って尚自分の手下として働けというのか。父がいる限り私はここに居るしかないのに。それとも鶴見さんはここから異動でもするのだろうか。頭では色々な事を考えつつも口から出たのはたったそれだけだった。
にも関わらず、鶴見さんは高らかに笑うと自身の額当てに触れてそう言い切る。それは知ってるけど、そうじゃない。なんて言えるわけもなく。
心無い言葉をぶつけられるのも、悪意を吐かれるのも慣れているはずなのに何故鶴見さんだと追い詰められているように思うのだろう。ジリジリと詰められるように刺される様な言葉に何故この人が上官として親しみを持たれているのか、私にはさっぱり理解が出来なかった。


「鶴見中尉殿」


何も言葉を紡げず、あれじゃないこれじゃないと頭の中で論争を繰り広げては私は無言でいるしかなかった。一分だろうか、二分だろうか、数十秒かもしれない沈黙は私にとって数十分の様に感じた。
そんな居心地の悪い空間に口火を切ったのは今まで無言を突き通していた尾形さんだった。


「そろそろ戻られなくて良いのですか」
「…おおしまった、思いのほか長居してしまいましたな!」


仕事を置いて見舞いとしてやってきた鶴見さんは尾形さんの言葉で時間を思い出したらしい。
途端おどけた様に振る舞う鶴見さんが気味悪く見えて、でも尾形さんの言葉は私には間違いなく助け舟だった。


「では桐原さん、私はこれにてお暇します。良い返事をお待ちしてます」


さっきまでの物言いが嘘の様に、いつもの取り繕った鶴見さんに元に戻り勿体つける様に身振りをする彼にぞわぞわと肌寒さを感じる。


「(…狸め)」


それが本性か。

あんなに詰め寄ってきた癖に、それが嘘の様に呆気なく踵を返す鶴見さんはこちらを一度も振り返る事なく去って行く。「ではお嬢さん、また」三島さんが朗らかに私に声をかけて上官の背中を追って行く。そんな姿をぼんやりと見つめていれば、そこに取り残されたのは私と空になった籠と、何を考えているか分からない尾形さんだった。


「戻るぞ」


院内にという事なのか病室にという事なのか、ただそれだけを口にして簡単に私を置いて行く尾形さんの背中を見ながら彼も鶴見さんの忠実な部下だったのかと何処か残念に思った。
元々鶴見さんが嫌いだとかそんな話ではなく、私は彼の取り繕う姿と本性とを目の当たりにしてただ身の毛もよだつ様な思いをしたのだ。ぞわりと粟立つような視線と笑み、責め立てる訳でもないのに追い詰めるような言葉の使い方、独特の間の取り方。あんなの初めてだった。
ここで向けられる悪意と比べ様もない全く別のもの。

人はあれをなんと呼ぶのだろうか。

院内に消えた尾形さんの背中を追うように私も籠を拾ってからその場を離れる。
考えがまとまらない頭の中では先程の鶴見さんの耳打ちがぐるぐると回っていた。



実弟の解剖は貴様にとって闡明になったのか?



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