×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

第6話


頻繁だったお見舞いは落ち着いて、でも定期的に鶴見さんの使いが病院にやってくる。
今日は鶴見さん自らがやってきて尾形さんの部屋で話をしている。機密事項の話もあるだろうから私は席を外し胸に抱えた洗濯物を干すべく中庭に向かっていた。
包帯やシーツが溜め込まれているのに気が付くのが遅くなってしまい中々の量で籠から山のように溢れたそれは、目の前を白い布が覆いそうなくらいだった。


「桐原先生のお嬢さん」


ふと畏まったように呼び止められ洗濯物を落とさないように体ごと振り返る。
呼び止めた男は私と目が合うなり軍帽を外して会釈をしてきた。ので、落とさないように気を付けながら私も会釈を返す。


「こんにちは三島さん」
「お嬢さんは洗濯までされるんですね」


働き者だなぁ、と繋げる三島さんは他意なくそう言ったようだった。これが一部の看護婦であれば刺々しく嫌味のように感じただろうに、同じ言葉でも人によって受け止め方ががらりと変わるのは何とも不思議である。
軍帽を被り直した三島さんは好印象を与えるような笑みを浮かべて私の持つ洗濯物をさらっと掻っ攫う。


「鶴見中尉が尾形上等兵との話を終えるまで手持ち無沙汰なので手伝わせてください」
「え、そんな悪いよ」
「お気になさらず。それに足元見えていないでしょう、転んでしまいますよ」


穏やかな笑顔を乗せて三島さんはそう言う。奪われた洗濯物は半分以上の量でさすがに持たせている感が強すぎる。いくつか取り返そうとすれば三島さんは笑顔で体を捻りいいからいいからと私を制した。
仕方ないと諦めて三島さんと中庭に出た。真冬と比べればずっと暖かい今日は少しずつ春を向かい入れようとしているようでぽかぽかとお日様の温もりが心地よい。
風で飛ばされないように気を付けながら洗濯物を広げ紐にくくるように干していく。
三島さんも手伝ってくれているので量の割に早く済みそうだった。


「お嬢さんは、尾形上等兵と仲が良いと耳にしましたが本当ですか?」


不意に何の前触れもなく隣でシーツを広げて干していた三島さんが手を止めることなく私にそう聞いてきた。


「どうしたんです突然」


あまりにも突拍子ない台詞だったので思わず聞き返して彼を仰ぐ。三島さんは変わらず手を止めることも視線を寄越すこともなく洗濯物に向き合っていた。


「いえ、看護婦達が話しているのを聞いてしまって…尾形上等兵は中々に辛辣な方なので女性と睦まじい姿があまり想像できないんです」


お嬢さんに不快な思いをさせてはいまいかと…と続けた彼に私は小さく溜息をついた。
女性というものがそうなのか看護婦というものがそうなのか、時としてお喋りが過ぎる者がいるようだ。学校でも噂好きの子が居たなと思い出してげんなりとした。
他人の私生活に首を突っ込んで何が楽しいのだろうか、有る事無い事を吹聴する姿ははしたないと淑やかを着飾る彼女達は思わないのだろうか。


「仲は別に良くないでしょうね…」


私も尾形さんも和気藹々と談笑するような間柄ではない。別段会話らしい会話もないし、尾形さんも何かを話したいという素ぶりはないと思う。
大体私は医師という立場で、彼は患者である。恋仲でも友人でもないのに仲が良いとは看護婦も何を見て思ったのか疑問だが、それでも三島さんの言う辛辣という言葉にはどこか納得してしまう。
如何せん彼との初の会話は、私に対しての申し出だったのだから。他に言うことなかったのかなと思うが、他に無いくらい訴えたい事だったのかもしれないと思うと少し複雑だった。


「誤解されているようだけど、私が彼の世話をしているから変な思い違いを聞いたのでは?」


実際こんなに1人の人を長く診るのは初めてだ。担当として初めてもらった尾形さんを私はきっちり治したいと思うしその経過も興味がある。だから世話をするのは当然なのだが看護婦達には異様に映ったのかもしれない。そう意味を込めて言うと三島さんは何か納得出来ないのか妙な顔つきで漸く私を見た。


「…だからと言って、男の体を拭うなど…やり過ぎでは?」
「、」


なるほど、そう言うことか。

先日のやり取り中に乱入した看護婦と兵士がいた。棘を持つ看護婦と何かを揶揄した兵士。どちらもそれぞれ私と尾形さんに良い印象を持ち合わせていなかった。どちらから聞いたのか、あるいはどちらからも聞いたのか。
口が過ぎるというのは尊厳だけではなく信頼も何もかもを犠牲にするのかもしれないなと、深くそう思った。
あの状況で尾形さんに体を清潔にしろと言う方が辛辣だ。負担を考えれば私がやることが当たり前なのだが、彼等からすれば健全な男女がはしたない、と言いたいのだろう。私からしたらそんな考えに行き着くそっちの方がゾッとする。
これが同性同士なら何も言われる方もなかったのだろうに、意味なく詰られるのは非常に不愉快だった。医学に性別など本来関係ないはずなのだ。


「例えば……」


なんと説明するか。別にしなくても良い気はするくらい面倒だったが、師団内での尾形さんの評価を下げる訳にはいかない。尾形さん本人が落とすなら構やしないが悪意ある噂話で翻弄されるなんてあんまりだ。


「……昔、手負いの犬を拾ったんだけどね」


ふと小さい頃の事を思い出してそれを口にする。
まだ母が居て、弟も生きていた頃、随分小さい頃の話だ。


「父上は犬など放っておけと言うし、お祖父様は病気をもらったらどうするんだと私を叱るしで、犬が可哀想でさ」


あの時はかなり怒られて捨てられそうになった犬を隠してこっそり飼うことにしたんだったな。


「拾ったのは私だったから、最後まで責任を持たないとって思ったんだよね」


拙い治療でも犬は少しずつ元気になって、走り回れるようになった姿に私も弟も大層喜んだような気がする。


「無責任に放り出す訳にはいかないからね」


にこり、努めて笑顔を作って見せれば三島さんは呆然として「犬…ですか」と確認するように口にした。たしかに尾形さんと犬を同じにするのは失礼だったかもしれない。尾形さんは人間だし、屈強な戦士だ。


「例えばの話だって。一度手をつけたら最後までって思うし、出来るなら理解だってしたいと思うよ私は。」
「理解……」


呟く三島さんに私は笑みを返す。そんな難しい話じゃないのだけど怪訝な表情を貼り付けた三島さんに私はもう何を言っても無駄かなと諦める。
別に価値観を押し付けたい訳じゃないし、納得してくれとも言わない。
自分の感情を整理するのだって時に人間というのは複雑に出来ているのに他人の理解を得ようなんて図々しい話しではないか。
ただ理由を知ったなら黙って飲み込んでほしいのだ。それが浅ましい好奇心から来たとしても、崇高な理想を掲げたとしても、他人は他人でしかない。


「桐原さんが家事をする姿は中々映えますな」


三島さんからの返答を諦めて(そもそも期待はしていないが)空になった籠を片付けるかと視線を落とした時だった。
かけられた声に視線を上げる。風で揺れる洗濯物の向こうに狸が立っていた。


「(尾形さんまで連れ出して……)」


しかも鶴見さんが剃ったのだろうか髭が綺麗に揃われていた。(彼が手を使えない間、怪我の様子を見たいと理由をつけて全て剃り落としてやっていたのだが、口をきけるようになってから拒まれて無造作に生えてきていたのだ。)


「さすが桐原先生のご息女、尾形は中々な男前になりましたな」


兵士たるもの傷は勲章です。素晴らしい左右対称だ。と続けた鶴見さんに話題とされた尾形さんは無言だった。


「先日は失礼な事を申し上げました、取り消させていただきたい」
「…別に慣れてますから、気にしてませんよ」


私を舐めた発言の事を指しているのだろうと思い鶴見さんのその言葉に返答する。
事実私はムキになっていただろうから気にしていないといえば嘘になる。
馬鹿にされる事は少なくない。その度に怒りを感じるし見返してやるとも思う。
けど、冷静な頭で考えてみれば鶴見さんの立場上大切な部下を預ける先が名も通っていない小娘となれば理解は出来るかもしれない。


「その腕前を是非、今後とも私の元で発揮して欲しいものです」
「……?」


鶴見さんの言おうとしている事が読めず私は思わず首を傾げた。
父は北鎮部隊に強い引き抜きを受けて東京の陸軍病院からこの北の地にやってきた。そんな父を追うようにしてやってきた私は、家の名や父の名があれど開業しているわけでもないので桐原の名を盾にここで医療に携わっているにすぎない。
薬箱を背負って町を歩けば医師ではなく薬師と間違えられるほどだ。
好き勝手やっているようなこの状況は、父ありきである。父が居る限り私もここにいるだろうに、鶴見さんは何を言っているのだろうか。

私のその疑問を見透かしたかのように鶴見さんは口元に笑みを浮かべた。
そしてまるで手招きをするかのように、こちらに手を差し出す。


「貴女が欲しい」


言葉を遮るように風が強く吹き干した洗濯物が大きく靡いた。
呆気にとらわれる私は何と言っていいか分からず鶴見さんをただ見つめた。そしてその向こう、鶴見さんの背後に立つ尾形さんと目が合った気がした。


黒曜石の様なその瞳に、私は何故か咎められている気がした。