それから数日後の事――。


ひと雨やって来そうな灰色の雲が広がる空模様に、私は様子を伺いに自分の薔薇園へと向かった。
先日、栽培を始めたばかりの新種の薔薇。
まだ雨に当たった事のないその薔薇が心配で、植えられた一角へと小走りに進んで行った。


そこで見てしまったのだ、彼女の姿を。
やや小高くなっている場所から薔薇達を見下ろす、自身が咲き誇る大輪の薔薇のように美しいアレックス。


立ち尽くす彼女の姿を見つけた途端、私の足はピタリと止まっていた。
おそらくアレックスは私が見ている事に気付いていないだろう。
私の姿は手前にある背の高い薔薇の群生に隠れているから。
だからこそ、彼女は私の存在に気付きもせず、ただジッと薔薇を見つめ続けていた。
その秀麗な顔には、何の感情も見えない。
美しく整った顔は、まるで女聖闘士が自らの表情を隠すために装着している仮面のように無表情のまま固まり、ピクリとも動かなかった。
ただ長く艶やかな黒髪だけが、サラサラと風に揺られていた。


(冷たささえ感じさせる、あの美しさ。まるで凍れる薔薇だな。)


そう思った、刹那。
私の呼吸が止まった。


「……っ?!」


人形のように瞬き一つしないアレックスの瞳から、ホロリと零れ落ちたのは、真珠か水晶か?
いや、違う。
白い頬を伝い、ポタリと地面へ向かって落ちていったあれは、間違いなく一粒の涙。
無表情に凍り付いた美貌の頬を滑り落ちる、透明な宝石ように輝く涙の粒。


それは衝撃だった。
アレックスが涙を流す姿を見たのも初めてだったが、それ以上に、あのように流される女性の涙を見た事がなかったから。
髪を振り乱したり、ヒステリーを起こしたり、声を上げたり、如何にも悲しそうに顔を曇らせたり。
そのように感情を丸出しにして泣く女性なら、何度も見た事がある。
だが、彼女の涙は今まで見てきた、どんな涙とも違っていた。


その冷たい顔には一切の感情を浮かべずに、ただ涙だけをポロポロと零していく。
そんな彼女の泣き顔を、私は呼吸する事すら忘れて、陰からジッと見つめていた。
その時の私の心には何の感情もなく、真っ白な状態で、ただ呆然と、アレックスの姿と涙から目が離せずに立ち尽くしていた。


あの涙は一体、何だったのか?
その意味が知りたいと思ったのは、彼女がその場を去ってからだった。
頬を伝う涙を拭いもせず、突然、踵を返したアレックスの姿に、ハッと我に返った後の事。
足早に駆けて行くアレックスの背中で靡く長い黒髪を見つめながら、彼女が涙を流す程の『何事』があったのか、急に気になってしまって。
いつも出来るだけ他人と関わらずにいる私だったが、どういった訳か、あの涙の意味ばかりが心の奥に引っ掛かった。


そう、普段の私ならば見て見ぬ振りをする類の状況だったのだが……。
それがアレックスだったからなのか、それとも、あのような涙の流し方だったからなのか。
その時の私は、どうしても彼女を放っておくことが出来なかった。





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