誘惑の雨宿り



ホンの少しだけ、皆よりも帰宅が遅くなってしまった。
というのも、終業時間の直前に、サガ様から持ってきて欲しいと頼まれた資料が中々見つからず、探し出すのに随分と時間が掛かってしまったからだ。
私が帰宅準備を始める頃には、既に他の女官達の姿はなく、少しだけ疲れの滲んだ溜息を吐く。


しかも、タイミングの悪い事に、教皇宮を出て見上げた空には、見る見るうちに黒い雲が広がりつつあるではないか。
あの黒さ、あの流れの早さから見て、確実に雨雲だろう。
定時で仕事を上がれていれば、こんなにも急いで十二宮の階段を駆け下りて行く必要もなかったのに。
自分の運のなさに、また溜息を一つ漏らす。


西の空から迫りくる黒雲は、それはそれは不気味な黒さだ。
夕方と言えど、まだ明るかった空を、あっという間に暗く染めていく。
更には、耳に微かに届いていた遠雷まで、徐々に迫ってきているではないか。
背後から襲いくる、その迫力ある音が、余計に私の気持ちを焦らせた。
どうか、家に着くまでは降り出しませんように!


だが、願い虚しくとは、こういう事を言うのだろう。
磨羯宮を抜け、あと一歩で宝瓶宮というところで、頬を掠めたのは大粒の雨。
最後の数段を必死に駆け下り、降り出したスコールのような雨に打たれる寸前で宝瓶宮に滑り込んだ私は、ギリギリのところでずぶ濡れになるのを防げたとはいえ、それでも、大きな溜息を零す事は止められなかった。


「そんなに落胆したところで、もう、どうにもならぬであろうに。無駄な溜息だな、アレックス。」
「あ、カミュ様……。」


滝のような大雨を宮の入口から見上げ、ガックリと肩を落とす私の背後から、不意に響いた落ち着いた声。
暗さの増した宮内でも、この瞳に眩しい赤い髪を揺らして、ゆっくりとカミュ様が近付いてきていた。
その髪の赤い色は、この急速な暗転の中にあっても、胸をドキリと打つ程に鮮烈だ。
何という鮮やかさだろう。
水と氷の魔術師と呼ばれる人が持つには、あまりに情熱的な色。
その魅惑的な赤い色に、思わず見惚れてしまう。


「何事も、良い方へと捉えれば、溜息の数などゼロになる。」
「……例えば、どのように?」


思わず聞き返したのは、彼がどんな答えを返してくれるのか、そこに多分な期待を抱いたから。
それだけの期待を持ったのは、その髪の赤が、私の心を大いに乱したから。
眩暈にも似たその赤に、何故だか、胸の奥が熱く、そして、キュウッと痛む。


「この雨のお陰で、私とアレックスは二人きりになれた。そして、雨が上がるまで、誰にも邪魔されない。このように素晴らしい時間と機会を手に入れた私は、何と幸福だろうか。」
「っ?!」


期待通りの答えが戻ってきた筈なのに、甘い矢で心臓を射抜かれたみたいに呼吸が苦しくなる。
それを更に煽るように、スッと伸びてきたカミュ様の長い指が、私の頬に触れた。
ビクリ、自分の意思を飛び越えて、小さく跳ね上がる身体。
ジクジクと熱い渦を巻き始める、この身体の深い深い奥底の感部。


頬を撫で擦っていた指は、何の前触れもなく、こめかみから髪の中へと差し込まれた。
普段、他人に触れられる事のない頭皮は、予想外に敏感だった。
先程よりも大きく、相手にもそうと分かる程にハッキリと全身を走る震え。
ビクリビクリと、指が肌を擦る度に、抑え切れない快感が身体の隅々まで貫いていく。
この視界の中、目の前に揺れる赤い髪すら霞んで見える程、私の全身に甘い痺れが広がっていく。


「さぁ、アレックス、中に。私と共に天国へ行こうか。」
「あ……。」


手を取り、導かれるままに、カミュ様のプライベートな部屋の中へと足を踏み入れる。
豪雨のベールに包まれた宮の中。
彼に秘めやかでいて情熱的な愛を仕掛けられて、私は今夜、帰れないかもしれない。
例え、この雨が降り止んだとしても……。



甘い誘惑
雨のベールに閉ざされて



‐end‐





『甘い誘惑』リメイク版、第7弾は我が師です。
クールな先生は、誘い方はスマートに、でも、ベッドの上ではERO師ですってな感じで、セクシーに組み敷いてきそうねと、ニヤニヤしながら妄想してますw

加筆修正:2015.08.04

→next.(薔薇のように美しいあの人)


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