そして、彼もまた、その命を落とした。
アイオリアだけではない、全ての黄金聖闘士が帰らぬ人となり、聖域は悲しみの涙に濡れた。


心深く、密かに想い続けていた人の死。
兄の死を目の当たりにした時も辛かったが、今はそれ以上の苦しみがアシュリルの心を締め付けていた。
彼にとって肉親でも特別な存在でもない自分。
それは、堂々と泣く事を許されない身であるという事。


アシュリルは人知れず、たった一人、部屋の奥深い場所で失った愛しい人のために涙を流した。
絶叫し、部屋の床を何度も素手で打ち叩きながら慟哭した。
それによって美しい手が真っ赤に腫れ上がり、激しい痛みに変わっても、それを止めようとはしなかった。
泣いて泣いて、そして、心の中に渦巻く後悔の念を痛い程に噛み締めていた。


どうして、たった一言でも伝えておかなかったのか。
「好きです。」と、そのたった一言。
それだけでも良い、伝えておけば良かったと、そんな後悔の思いばかりが心の中をグルグルと回り続ける。
例え断られたとしても、自分の気持ちだけでもちゃんと伝えておくべきだったのに。
もう二度と会えなくなるだろう事を予期していたのなら、この想いだけでも彼に知っていて欲しかった。


ただ重荷になりたくなかった、それだけだった。
これから大きな闘いへと向かう彼の、負担にはなりたくなかった。
自分が想いを伝える事により、アイオリアの心に迷いや惑いを植え付けたくはなかった。
彼は優しい人だ、例え自分に心がなくとも、最良の道を選ぶため、きっと強く悩むだろう。
自分という些細な事で、闘いを前にしたアイオリアの心に憂いを残したくはない。
だからこそ、何も言わずに、心の中でだけ別れを告げる覚悟をした筈なのに。


人の心は、そう簡単に割り切れるものではない。
そして、アシュリルは自分で思っていた以上に、強くアイオリアを想っていた。
その死を目の当たりにして慟哭し、立ち直れない程に強く。


全ての涙を流し尽くした後のアシュリルは、まるで抜け殻だった。
心は何もない空っぽの状態で、何を考える事も、何かをする気力すら湧かなかった。
残されたものは何もなく、行くべきところは何処にもない。
彼女にとっては、全てが空虚だった。
この世界に生きている事、自分だけが生きている事。
大切な兄も、心から慕う人も既に亡く、自分一人だけが生きている事、それが空虚だった。
まるで水溜まり一つなく、植物すら生えていない砂漠のように、アシュリルの心は荒涼としていた。


だからだろう。
何の奇跡が起きたのかは分からないが、女神と、そして、共に闘った聖闘士達全員が戻って来たと聞いた時。
アシュリルは、足が竦んで動けなかった。
心は早く会いたいと願えど、抜け殻となっていたアシュリルの足に、身体に力が戻るまでには、もどかしいくらいの時間が掛かった。


まるで自分の足ではないかのように、夢の中にいるかのように、自由に動かない二本の足。
強張る身体と重い足を引き摺って、必死に女神神殿を目指し階段を上るアシュリル。
徐々に迫り来る荘厳な女神像と、その前に広がる黒山の人だかり。
耳に痛い大歓声までも、遥か遠くに聞こえる、それは本当に夢の中の出来事のようだった。


スローモーションで動く視界の中、人混みを掻き分け、無理矢理に前へと進んだアシュリルの瞳に真っ先に映ったもの。
それは、至高に輝く黄金聖衣を身に纏い、太陽の光を浴びて金色に輝く愛しい人の後ろ姿だった。





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