満月の誘惑



「あの……、貴方のお名前は?」
「……デスマスク、だ。」


答えるつもりなんてサラサラなかった。
いつもと同じ、サラッと無視して背中向けて、その場から立ち去るつもりだったンだが。


俺の眼前、見下ろす女は、薄汚れた暗闇の中で煌々と光を放つ月に照らされ、何とも形容し難い独特の雰囲気を纏っていた。
破れた服、汚れた顔、血の滲む肌。
どれもこれも戦場ではザラに見掛ける女の姿。
戦地をのさばる下衆な男共にとって、若い女は格好の餌食だ。
この女も数人の男に捕まり乱暴され掛けてたトコを、偶然、俺が見つけて助けた。
ただ、それだけだった。


弱く力の無い者達を守れとの、嬢ちゃんからの面倒臭ぇお達し。
別に見返りを求めて助けたワケじゃねぇ、これが仕事だ。
こういう任務先で、襲われてる女を助けたのは一度や二度じゃない、それこそ数え切れない程にいる。
それでも、一度として、助けた女に興味を持った事なんてありはしなかったのに……。


「オマエは?」
「……え?」
「オマエの名前だ。名前ぐらいあるだろ?」
「アミリア……、です。」


未だ蹲ったまま俺を見上げるアミリアは、頭上にどっしりと浮ぶ満月に照らされ、その黒髪が艶々と輝いている。
不思議なモンだな。
薄く煙のたなびく夜の闇、そして、辺り一面に漂う街の焼け焦げた匂い。
この殺伐とした状況下では、どんな絶世の美女よりも、この女の方が魅惑的に見える。
栄華を失い荒れ果てた夜の街。
そこに堕ちた天使、傷付き翼を失い、汚れた人間の世界に染まった、そんな妖しさを纏って。


「オマエ、俺が怖くないのか?」
「どうして?」
「俺の名を聞いて怯えなかったのは、オマエが初めてだ。」


これも任務の一環だと割り切り、名前すら名乗らず去っていたのには、一応の理由がある。
『デスマスク』
この名を聞けば誰もが、皆、決まったように怯えるか、逃げるか。
明日の命をも知れぬ戦場だ、俺のこの名は『死の使い』と勘違いされてもおかしくねぇ。
そんな反応には、もうウンザリだ。
だったら、最初から名乗らなきゃ良い。


だが、こいつは、アミリアだけは明らかに違う。
俺の名を、俺自身を怖がらない。
それどころか……。


「それが貴方の名前なら、どんな名前でも優しいの。」


信じられねぇ言葉と共に、俺に向かって細い腕を伸ばす。
月光の下、その震える手で。
お前はこの『俺』に、救いを求めるのか?


「一緒に来るか?」
「……。」
「待ち受けるのは絶望かもしれねぇ。幸せなんてモンには、程遠いかもしれねぇ。それでも構わねぇのなら。」
「私を……、連れて行ってくれるの? デスマスク。」


灰色の夜の中、俺はどうかしちまったのか?
それとも、満月の夜に成就する呪いでも掛けられたのか?
この女が欲しい、今、俺の心の中にあるのは、ただその一念だけだった。



満月の夜に、堕ちたのは俺だった



それ以上、何も言う必要はない。
俺はアミリアを腕に抱き上げると、迷いなく歩き始めた。
背後に浮ぶ満月を、振り返りもせずに……。



‐end‐



→(NEXT.アイオロス)


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