薄暗い店内、冷めやらぬ熱気。
ざわめく客達の喧騒の中、アリアは呆然と立ち尽くしていた。
視線の先には、舞台上のシャワーブース。
だが、そこには、もう誰もいない。
あの異様な姿の魅惑的な男は、既に舞台の裏へと消えてしまった。


「……カクテルをどうぞ。」


差し出されたグラスにハッとする。
見れば、黒服の店員が真横にいて、無表情のままトレーを掲げていた。
小さな銀のトレーの上には、紅い色をしたカクテル。
先程のショーで、自分の心を射抜いた『彼』の瞳の色のようだ。
何処か血の色を思わせる、それでいて、儚く色を失ってしまいそうな紅く透明なカクテル。


アリアは小さく礼を言って、グラスを受け取った。
だが、それをトレーから持ち上げると、グラスの下に小さく折られた紙が現れたのに気付いた。
これは何?
首を傾げると、店員が無表情のままコクリと頷き、それからジッと瞳を見つめられる。
その仕草はつまり、それが自分に対する伝言メモであるという事。
それを無言で伝えているのだ、この店員は。
誰から、なんて聞かなくても分かった。
間違いない、『彼』だ。
あの紅い瞳をした、エロティックで、魅惑的で、そして、傲慢な。


慌ててメモを開く。
そこに書かれていたのは、ホンの数言。
走り書きでありながら、流麗で美しい文字は、彼らしくないとも、彼らしいとも言える。
それでも思うのは、たったこれだけの文字でさえも、何ともいえず艶めかしいという事。
書いてある『言葉』ではなく、『文字』そのものが、官能的で色っぽいのだ。
不思議だ、この文字を見ているだけで胸がドキドキと高鳴ってしまう。


<その店員に50ユーロ紙幣を1枚握らせろ。そうすれば会える。>


書いてある言葉は、それだけ。
本当に数言、本当に走り書き。
それでもアリアの胸は、その奥深くを鷲掴みにされたように、ギュッとなった。


『会える。』
その一言にばかり目が釘付けになる。
会える、会える……。


そうだ、彼に会えるのだ。
彼の元に行けるのだ。
離れた舞台から見上げるだけではない、彼の傍に行き、彼を間近で見られる。
心臓が早鐘を打ち出して、そのメモを持つ手が震えた。
あまりの鼓動の大きさに、心臓が胸を突き破りそうだ。


「……失礼します。」


アリアがピクリとも動かなくなったのを見て、店員はメモの返事が「ノー。」だと判断したのだろう。
小さく告げて、その場を去ろうとする。
その気配にハッとした彼女は、慌てて店員を引き留めた。
バッグを探り、財布を取り出し、店員の手に50ユーロ札を捻じり込む。


「お……、お願い、します……。」
「分かりました。こちらへ。」


小さく促されて、店員の後を追う。
薄暗い店内、冷めやらぬ熱気。
ざわめく客達の喧騒の間を潜り抜け、導かれたのは地味な扉の前。
この向こうは、店のバックヤードだ。


彼に……、彼に直に会える。
アリアの胸は、痛い程に高鳴った。





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