腹黒彼氏と困惑彼女B



その日の午後は、とても静かだった。
執務室にはミーノス様と私、ただ二人きり。
聞こえるのは、カリカリとペンの走る音と、カチコチと鳴る時計の音だけ。
そんな心落ち着く静けさの中で、ミーノス様には珍しく、真剣な眼差しで溜めに溜め込んだ書類と向き合っていた。


午後のお茶を運んできた私にも、チラとも視線を向けないままで。
彼は優雅なペン捌きで、積み上げられた書類を一枚一枚、確実に処理をしていく。


「すみません、アルクス。これが終わったら一区切り着きますから、そうしたら一緒にお茶にしましょう。」
「はい、分かりました。この間、地上で買ってきたお茶請けも用意して来ま――、っ?!」


――ズガーンッ!!


「オイ、こら! ミーノス!」


折角、このサボり常習犯のミーノス様が、こうして久々にやる気を出してくれたというのに。
こういう時に限って邪魔が入るのは、どういう訳か。
派手な音を立てて部屋へと飛び込んできたアイアコス様は、ドアが壊れてしまった事などには、まるで罪悪感を覚える事なく、その残骸を壁側へと放り投げて、ミーノス様へと歩み寄る。


ドカドカと鳴り響く足音から、これは相当に怒っていらっしゃるのだろうと推測がついた。
それもその筈、つい二日前も「亡者相手の任務など面倒です。」と言ったかと思えば、またいつもの調子で近くにいた冥闘士を丸め込んでそそのかし、自分はさっさと何処かに逃げたのだ。
大方、アイアコス様は、そのとばっちりを食らったのだろう。


「貴様、俺にどんだけ迷惑を掛けたら気が済むんだ?!」
「そうですねぇ。多分ですが、一生、迷惑を掛け続けても気が済まないかと思います。」
「はぁ?! ふざけんな、ミーノス!!」
「何を言ってるのです。私はこれっぽっちも、ふざけてなどいませんが。貴方がそんな質問をするから、私なりに真面目に考えて答えた、それだけです。」


ただでさえ常日頃からミーノス様の口車に丸め込まれてばかりのアイアコス様が、だ。
今は逆上して頭に血が上り、余計にマトモな返しが出来ないときている。
これではミーノス様の巧みな『はぐらかし』に対して冷静に対応するなんて事、どう考えても無理に決まっている。


「ミーノス! オマエ、いい加減に――、ゴホッ! ゴホゴホ!」
「おや? どうやら、怒鳴り過ぎで声が涸れてしまったようですね。アルクス、彼にもお茶をお願いしますよ。」


視線を隠す長い前髪の下から、ミーノス様が軽いウインクを一つ。
それを見て、私は心の中で大きな溜息を吐くしかない。
そう、それは合図。
こういう時のために彼が立てていた作戦、それを『決行しろ』との意を籠めた目配せなのだから。


私は新しく淹れた紅茶のティーポットとカップをトレーに乗せて、二人の元へと戻った。
未だ怒りの治まらないアイアコス様は、一方的にああだこうだとミーノス様を罵っているが、そんな言葉など彼に掛かれば右から左。
いや、正確には全てキッチリ聞いていて、しかも、それをシッカリ覚えているからタチが悪い。
後々、言った方すら忘れてしまった頃、あの時の報復とばかりに、色んな嫌がらせを仕掛けてくるのだから。
そうミーノス様は、とても根に持つタイプなのだ。


「アイアコス様、お茶をどうぞ。」
「お、悪いな、アルクス。」


紅茶のカップを彼の前に置いて、一旦、そこから離れた後、私は自分のカップを手に引き返し、アイアコス様の横に腰を下ろした。
その行動に驚いて、ジッと私に視線を向けるアイアコス様。
あぁ、本当はこういう事をするのは、とてもとっても嫌なのだけれど……。


「何、どうした、アルクス?」
「お茶請けです、これもどうぞ。」
「ん、クッキー?」


目を見開き、期待の色を大いに滲ませて、アイアコス様は横に座る私を見遣る。
ミーノス様がいる手前、流石に積極的に迫ってはこないが、自ら接近してきた私に興味津々なご様子。
そんな私達の遣り取りを、少し離れた自席から眺めているミーノス様の、口元に浮かんだ楽しげな薄い笑みが憎らしい。


「あ、美味いな、コレ。」
「先日、地上で買ってきたんです。有名ホテルのパティシエさん、何でも今年の国際大会で金賞を取った方が作られたとかで。」
「へぇ。やっぱ地上の菓子は違うな。」


コクのあるバターの深みと、炙ったスライスピーナッツの香ばしさが、味覚と嗅覚の両方を満たしてくれるスイートなクッキー。
モグモグと口を動かしてクッキーの味を反芻するアイアコス様の表情は、何処か小動物にも似て可愛らしい。
などと三巨頭様相手に言ったなら、怒られてしまうだろうか。


「良かったら、来週にでも一緒に買いに行きませんか? お詫びと言っては何ですが。」
「えっ、俺とアルクスが!? 良いのか?!」


慌ててミーノス様の顔色を伺うアイアコス様に、彼はただ笑みを深めただけで、ゆっくりと確実に頷いた。
それはつまり『OK』を意味する訳で……。


「おっし! なら来週の日曜な! もう約束したんだから、後から後悔したって遅いぞ、ミーノス!」
「後悔などしませんよ。どうぞ、地上デートを存分に楽しんでください。」
「オマエ、たまには良いところもあるんだな、ミーノス。」


そう言って、今にもスキップを始めそうな勢いで、部屋から出て行ったアイアコス様。
後に残されたのは、未だ笑みを浮かべたままのミーノス様と、小さく肩を竦める私だけ。


「あれでは、アイアコス様があまりに不憫です。」
「何故です?」
「だって、来週の日曜日、ミーノス様も一緒に行く気満々なのでしょう?」
「勿論です。私は『貴方達二人だけで』などと、一言も言ってませんから。私が同行するのは当然です。そうでしょう、アルクス。」


ちょっと考えれば分かる事なのに。
相変わらず単純馬鹿と言いますか、すっかりぽっかり抜けてますね、あの人は。
そう言い放ったミーノス様は、大層ご満悦の様子で、再び目の前の書類にペンを走らせ始めた。



単純馬鹿は救いようがありませんね



‐end‐



→Cへつづく


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