夏の早朝の風は、ほわりとした温かさの中に、何処かピリリとした冷たさをも含んでいる。
中途半端に眠りから覚めた心と身体を、内側から引き締めるような冷たさ。
いや、それは冷気というよりも、神聖で厳かな空気というべきだろう。
実際には、冷たくはない。
でも、目覚め始めた世界のありとあらゆるものに、シュッと一本の芯を通すような厳格な気配。
それが、この静まり返った早朝の持つ空気なのだ。


私は女官服の上に薄物のカーディガンを羽織って、昨日の花束を抱え、宮の外へと出た。
いつもならば、まだ眠っている時間だ。
だが、眠る私を後目に、シュラ様が早朝トレーニングへと出ていくのも、この時間。
こうして早朝の空気に触れて、初めて分かる事もある。
彼が早朝の修練を怠らないのは、朝のトレーニングは身体だけではなく、心にも良い影響を与えるからだという事を。
身体は包む込む温かさによって解れ、一方の心は程良い緊張感の中で深い集中へと入り込めるのだ。


静けさの中、コツコツと石造りの階段に響く自分の足音を聞きながら、毎朝、彼が感じているであろう心境を肌で感じ取って、私は不思議な感慨深さに襲われていた。
共に暮らし、心も身体も預け合うような仲になっても、まだ互いに知らない事が沢山ある。
私はもっともっと知らなければならない、これから長い時間を掛けて。


見上げる空は晴天。
早朝といえ、見事な青空が広がっている。
今日は予想以上に早く気温が上がるだろう。
両親のお墓に、余り長居は出来ないかもしれない。
私は足早に墓地へと向かった。


聖域内に住まう一般人のための墓地。
私の両親のように、聖域のために働いている人、聖闘士や兵士以外の人達が、この場所に埋葬されている。
墓地の入口から比較的近い場所に、私の両親のお墓はあった。
訪れるのは久し振りだ。
磨羯宮へと移動になってからの数ヶ月は、ここへ来る暇もなかった。


「お父さん、お母さん、随分と顔を見せられなくてゴメンね。」


甘やかな香りを纏う白薔薇と白百合の花束を墓前に供え、そっと祈りの手を合わす。
決して忘れていた訳じゃない。
忙しさを理由にしてはいけないけれど、余りにも多くの出来事が起こり過ぎた。
この聖域内に鬼神が侵入するという大事件も含め、毎日が慌ただしくて、忙しなくて、そして、何もかもが目まぐるしかった。
せめて身の回りが落ち着いてから報告したかったの。
何よりも大事な事を。


「私ね、大切な人が出来たの。今まで一番大切だったお父さんとお母さんよりも、もっと大切な人が。こんな事を言ったら怒るかな。でも、そうなの。誰よりも、何よりも大切なの、その人の事が。」


七年前のあの日、交渉の席に乱入した第三者によって、二人が亡き人となってしまった後の事。
その仇を取るために、単身乗り込み、それを成し遂げた人。
規律に違反しての勝手な行いは、真面目な彼の行動とは思い難かった。
それだけ二人の死に対して怒りを覚え、自分を抑え切れなかったのだろう。
尤も、その事実――、シュラ様が自分の判断のみで仇を討った理由、それを私が知ったのは、つい最近の事だけれども。


「私はその人が、シュラ様が好きなの。大切なの。だから、これからの人生は全て、彼のために捧げたいと思っているわ。」


刹那、ザアッと吹き抜けた一陣の風。
それは両親からの応援の言葉か、激励の言葉か。
この身体を、髪を、肌を、優しく撫で包んでくれた。
シュラ様との事、きっと二人は喜んでくれている。
そう思えて、ホッと安堵の溜息が漏れた。


その時だった。
コツコツと石畳を打つ足音が、こちらへと徐々に近付きつつあるのに気付き、背後を振り返った私の視界に、降り注ぐ朝の光の中を突き進んでくる黒い人影が映った。





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