このような笑みを見せるのは、アイオリア様には珍しい。
彼は普段、余り笑わない。
その心の内は、とても優しい方でありながら、いつも眉を寄せて怖い顔をしている。
幼き頃より続いた誹謗中傷の嵐が、彼を笑う事を極端に少ない人へと変えたのだろう。
だが、聖戦が終わって、皆と共に地上へと戻ってきた後は、以前に比べて、笑みを見せる機会も多くなっていた。
それでも、その笑い方は、アイオリア様の大らかで真っ直ぐな性格故に、パッと明るい豪快なものばかりだったのに。
今のような口元にだけフッと浮かぶ笑みは……、そう、まるでシュラ様のようだ。


「恥ずかしい話だが、俺は怖かったんだ。」
「……怖い?」


勇猛果敢な獅子座のアイオリア様が、何を怖がると言うのだろう。
どんな闘いにも恐れず、勇敢に前へと突き進んできた彼に、恐怖を与えるものが存在するとは思えない。
だが、不意に思い出すのは、デスマスク様の言葉。
今日、教皇宮からココへと戻ってくるまでの間に聞いた言葉。


「何よりも怖かったのは、自分の本当の気持ちを認める事だ。それを認めたくなくて、俺はずっと目を背けてきた。現実からも、自分の本心からも。」
「アイオリア様……。」


やはりデスマスク様の思った通りだった。
アイオリア様は頑固な性格でもある。
こうと思ったなら、滅多な事では考えを変えない。
それは時に、自分自身に対しても制約を課してしまう。
歩美さんを聖域に連れてきた時から、いや、彼女に初めて会った時から、アイオリア様は自身も予測出来ない不安定な心の動きに戸惑い、そして自ら心に制約を課し、それによって自分自身を苦しめ続けていた。


「アンヌ。気付いていたとは思うが、俺はずっと君が好きだった。」
「……はい。」
「だが、俺は認めなければならない。今は……、君以上に好きだと思う相手が居るという事を。」
「……えぇ。」


その想い、もう歩美さんに伝えたのですか?
そう聞こうと、アイオリア様を見上げた私だったが、その言葉を声にする事はなかった。
彼の横顔は、今まで以上に精悍で、雄々しさに溢れているように見えた。
まだ伝えていなくても、もう伝えていても、どちらでも良い。
アイオリア様の心は、もう揺らがない。
本心を認めた彼は、確固とした想いを胸に抱き、もう二度と迷う事も、足踏みする事もないだろう。


「フッ、おかしなものだな。あの任務から戻ったら、俺はアンヌに告白するんだと意気込んでいたのに。蓋を開いてみれば、別の想いでいっぱいになってしまっていた。」
「でも、今は後悔などないのでは?」
「そうだな……。確かに、そうだ。」


アイオリア様は誰よりも優しい人だ。
怪我をしている人、社会的に弱い人、戦火の中で必死に縋る女性や子供、そんな人達を見捨てるなんて出来ない。
だが、彼等を全て救うなんて、例え黄金聖闘士といえど、到底、無理な話。
ましてや何も知らない一般人を、この聖域の内部に連れてくるなんて、どんなにアイオリア様が感情的になっていたとしても、それは有り得ない行動だった。
つまりは、その時点で彼の心は既に、歩美さんに寄り添っていたのだ。
だからこそ、皆に非難されると明らかに分かっている行動――、歩美さんを聖域へと連れてくる事ですら躊躇いなく行えた。
ただ、その時はアイオリア様自身、自分の気持ちに、自分の心の動きに蓋をして、気が付いていなかった。
それだけの事だった。





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