14Q 2
 一方、緑間から意識を離した白美が戻った場所では、全員が相手正邦の練習の様子を凝視していた。

 単純に彼等の動きを、漠然と見ている者。

(なんだこいつら。確かに雰囲気はある。でも、秀徳とは全く種類が違う)

 火神は内心呟く。

 一方同じことを思ったらしい降旗は、誰となく話しかけた。

「正邦って思ってたより普通っていうか、大きい人あんまり居ないんですね」

「まぁ、全国クラスにしては小柄だと思う。一番大きいのが、主将の岩村さん」

「じゃあ、水戸部先輩と同じくらい――、けっこうち……」

 リコの代わりに応える白美に、降旗は「ふっと! つかごっつい! すっげえパワーありそう!!」と驚嘆で言いかけた言葉を切った。

「あとは、司令塔の春日さん。あの三年二人が、チームの柱かな」

 対し、食い入るように、その身のこなしを見つめる者。

 リコや先輩たちは、一年達とは違って彼らの会話を片耳に相手の動きを凝視している。

 とはいえ同じように白美も、正邦の陣営を眺めていた。――この場合は、虎視眈々と言えようか。

 目の前には、今から踏み倒す相手。とりわけ、程よい獲物が一匹――津川智紀。

 本音を言えば白美は、今度こそ彼との勝負を楽しみたいと思っていた。
 以前の様な一方的な殺戮とは違うやり方で、「バスケを」したいと。

 だからこそ、彼には少し釘をさしておこう。白美はそう思って、相手に背を向けた火神とは対照的に、彼に向かって一歩足を踏み出した。

 だがその時、「ハッ」と小さく笑って踵を返した火神の背中に、「君が火神くんっしょ!」、と正邦側から声がかかった。

 火神がなんだと振り返る先にいるのは、笑顔を浮かべた、津川だ。
 白美はむしろ相手から来てくれたことに若干口角を吊り上げながら、まずは津川の様子を傍から眺めることにした。

「うわ、まじ髪あっけぇ、怖ぇえ!」

「あ?」

 だが、津川の視線は自ずから白美に移っていた。

「っつか、隣の人? しらが? アハハハハ」

「え……、うん。悩み事とか色々あったら、色素が抜けちゃって」

 面白そうなので、乗ってやる。実際、事実だと白美は内心ほくそ笑んだ。
――抜いたのは自分だが。

「えっ、そうだったのかよ、しらが」

「あ、怪我してた元帝光って君か! 上手く身体が動かなくてストレス溜まってたんだな! ご苦労ご苦労、でもその髪、似合ってるからいいんじゃない?」

「火神、j/kだよ」

「んだよ。おどかせんな」

「ごめんごめん」

 津川のウザさを久しぶりに体感した白美は少しムカついて、彼には堪えないのを知りながら、津川を華麗にスルーしてやった。

 果たしてその間に、笑顔の津川は振り返って「主将〜!」と叫び、手を振る。
 全く気にしていない。

「コイツですよね〜! 誠凛超弱いけど1人凄いの入ったって〜! あと凄かったけど怪我で使いもんにならなくなっちゃったやつも入ったって〜!」

「おうおう、言ってくれるわねクソガキィ〜〜」

 彼の言葉にリコは鬼の形相になり、白美はニッコリと微笑む。

(うぜぇ、Mr.シャラシャラの数億倍うぜえ――面白いけど)

 その笑顔を見た黒子は一瞬背筋が凍りかけたが、ほぼ同刻、岩村が津川の頭をげんこつで殴ったため、凍結はせずに済んだ。

「いってえ〜!」

「ちょろちょろすんなバカタレ。すまんな、コイツは空気読めないから本音が直ぐ出る」

 そう言う口調はとても落ち着いていて、まさに冷静なキャプテンのそれだった。
 岩村は坊主頭に手を乗せると、彼に無理矢理頭をさげさせる。

 対し、日向もキャプテンとして、負けじと彼の眼を冷静に見返した。

「謝んなくていいっすよ。勝たせてもらうんで。去年と同じように見下してたら、泣くっすよ」

「それはない。それに見下してなどいない。お前らが弱かった。それだけだ」

 だが、相手は依然とした態度で言い返し、津川を引っ掴むと踵を返した。
 迫力を以て説得力を醸す彼の風貌に、誠凛の一同は彼等の後ろ姿を黙って見送ることしかできない。

 ここではっきりと挑発に近い言葉を吐き、それで勝てば有言実行、問題ない。
 だが、相手の方が総合的に強いというのが彼等の共通意識だった。
 あくまでも自分たちは、王者に挑む挑戦者である。
 それにこの局面で、どしっと構えるあの主将に噛み付けるような者も、生憎ここには居ない――かと思いきや。


 ふいに、白美が足を踏み出した。
 緊張感をはらむ重々しい空気をごく自然に抜けて、白美は微笑みすら浮かべてゆっくりと歩を進め彼等を追いかける。

 その背中は何も語らなかった。テーピングされた足が繰り出され、シャツが揺れ、束ねられた白髪がキラキラと光るだけ。

 確かに白美は先程、なじられるような言葉を向けられたが、白美があの程度のことで腹を立てう程に血の気が多いとは無論、普段の白美からして誰も思えなかった。


「橙野?」

「しらが――?」

 誠凛側は首を傾げたり、目を細めたりして、白美の背中に注目する。


 一方、白美は浴びせられる視線を気にすることなく、津川と岩村の傍まで追いついた。

 何事だと無言で振り返る岩村を無視し、まず白美は、不思議そうに自分を見つめる津川に近づく。

「あの、君、津川くん――って言ったよね。実は自分、昔君と試合したことあるんだけど……」

「えっ、そうなの!? っごめんごめん、全然覚えてない! 嘘、マジで?」

 そのやり取りを聞いて、誠凛側はなんだそんなことか、と少し胸をなでおろした。
 実の所、白美が何をしでかすかと、内心びくびくしていたのだ。
 彼の微笑みが、普段見ない程に明るく輝いて見えたからというのもある。

 同時に、いきなりやってきた白美の事を少し警戒していた正邦側も、胸をなでおろした。

 試合前の貴重な時間ではあるが、少しくらい構わないだろうと、岩村も彼等の会話を黙認する。

 周りの状況を素早く確認してから、白美は、笑顔の津川に、更にその上を行く微笑みを返した。

「そっか……、まぁ、そうだよね。それに結構会話もしたんだよ?」

「うっそぉ、マジ!? やべえ、全然記憶にないわ! お前、影薄かったのかもしれないな!」

「その言い方はちょっと心に刺さるよ。でも、憶えてないのも仕方ないかもしれないな……だって――俺――」

 そこまで言って、白美は薄く目を伏せた。
 そして。

――次の瞬間、一同の目にもとまらぬ早業で、津川の胸倉を掴み引き寄せた。

「んなっ!?」

「橙野クン!?」

 誰もが予期しなかった、突然の白美の行動に、辺りの空気がガラッと色を変える。
 同時に会場自体がざわめき、一同の視線が、背を曲げて津川の貌を真上から見下ろす白美に集まった。

 その表情は長い前髪と、津川の頭によって隠され、どの位置からもはっきりと伺うことはできなかった。
 だが、周りにいた誰もが、まるで魔法にでもかかったかのように、その場から足を動かせなくなっていた。

 まずは驚きで、動けない。
 そして、胸倉を掴まれている津川だけでなく、周囲の者までもに襲い掛かる、圧倒的な威圧感で、動けない。

 何より――、津川の膝は、ガクガクと笑っていた。


 そして、白美によってつくられたその短い時間の中、津川は白美の貌を見上げ、とてつもない恐怖に襲われていた。

 まずは、胸を引き寄せる腕の力。強すぎて、動けない。
 そして、大きく吊り上った形のいい唇。楽しげに細められた眼――オレンジの、双眸。

 脳内には、問答無用でいつの日かの恐怖がフラッシュバックされる。
 靡くオレンジの髪、駆けるオレンジのバッシュ、鋭いオレンジの眼。

「お、おまえ……、トリック――スターッ!!!」

 恐怖故だろうか、姿勢故だろうか、喉からは真面な声が出なかった。
 だが、白美だけには辛うじて聞こえたのだろう。
 白美は、さらに口角を吊り上げた。

「俺を忘れるなんて――どれだけ強くなったのかと思っちゃったよ……、ねぇ、智ちゃん……」

 先程とは全く違うその口調だったが、今なら思い出せた。発声自体が違うものの、確かにこの声は、今まで聞いていたものと同じ。
――あの日聞いたものと、同じ。

「なんで――、そんな……」

「何でこんな恰好なのか……? それは秘密――でもね、智ちゃん……一つだけ、お願いがあるんだよねェ」

「……っ!?」

 黙った白美の貌からは一切の表情が消え去った。
 それは、更なる恐怖を煽る。
 津川は頬を引き攣らせて目を見開いたまま、ごくりと喉を鳴らした。

 今から言うことは、無条件に聞き入れなければならないと、思った。

 その途端、白美の口元がまた弧を描く。

「俺がナニモノか、誰かにすこぉしでも漏らしたら――」

――どうなるか、わかってるよな。

 津川は、咄嗟に頷いた。何回も首を縦に振り、「わかったから」と、「わかったから解放してくれ」と懇願した。

 まるで、命乞いをする弱者。敗者。矜持など、あったものではない。

 でも、津川はそれでも構わないと思ってしまった。
 それでも構わないから、どうか、噛み殺さないでください――と。




「いい試合をしようね、津川くん」

 白美は、背筋を伸ばして手の力を緩めると、慈母の様に微笑みながら言った。

――怖い。

 その瞬間、誰もが、呼吸を忘れていた。

「っ――!」

 空気が凍りつく中、津川はそのままフラフラと後ずさり、ぺたんと地面にしりもちをつく。

「あっ、津川君、大丈夫?」

 そこに、降りかかる声は誰の耳にも、やけに白々しいものとして聞こえた。
 白美はにっこりとしながら、腰を抜かして動けない津川に優しく手を差し伸べる。

 だがその微笑みはまるで「取れ」と命じているかのようで、実際津川は、震える手でゆっくりと彼の手を掴んだ。
 シーンとした空気の中で、白美は津川を労わるかのように立たせると、また彼に視線を合わせてニッコリ笑う。
 さながら、可憐な女子にするかのような動作だ。
 して、白美はそのまま彼の肩を掴んで身体を回転させると、馴れ馴れしくそこに腕を回し、一回り小さい彼の身体にべったりと密着する。

 そして、ボールを片手に呆気に取られて固まっている岩村に、優しげな眼を向けた。

「岩村さん。確かに貴方達のチームは強いです」

「――」

「とりわけ、ディフェンスは興味深い」

「――」

 白美は無言の相手に喋りかけながら、津川に視線を移し、更に彼の身体を引き寄せる。

「それに今年は、彼の様な面白い選手もいますしね。でも……、貴方たちは――」

――「俺達には勝てない」。

 白美は、にっこりと笑いながら、岩村に向かって言い放った。
 その言葉に周囲はまたどよめき、空気はまた冷たさを増す。

「っ……!」

 この時、岩村や周りの者たちは、漸く気が付いた。

 今、微笑む橙野の腕の中にいる津川は、まるで――。

 岩村は、彼の放つ「何か」に圧倒された。
 何かを言い返そうとしたが、言葉が出なかった。思わず息を詰まらせ、動揺を隠しきれずに白美を見返す。

 揺れる瞳が捉えた白美は、今度はどこまでも無表情で、捉えどころがなかった。

「先輩たちのことも、甘く見ない方がいいですよ。誠凛がこの程度で負けるチームだというなら、たまったものじゃない。俺の眼を見くびらないでください……」

――「お望みだろうとなかろうと……、問答無用で踏んであげますよ」。

 ゾクッとするような、どこまでも低い声だった。


 岩村をはじめとして、正邦、それだけではなく、周りの者は皆気付く。


 これは、挑発がどうのの次元ではない。

 明らかなる、脅し。


 そして彼はいともたやすく――正邦を、捕えた。


 時が止まったかのように、誰も動けない時間が1秒、2秒と過ぎていく。
 けれど、5秒経つかたたないかというところで、白美はまた優しげな表情をしてみせた。
 そのまま、いきなり津川の身体を解放し、その背中を軽く押す。

「おっと、時間を取らせてしまったみたいですね。貴重な試合前の時間をすみません」

 そして、真っ青な顔をして、ふらふらと白美から離れ、再び腰を抜かす津川を傍らに、いけしゃあしゃあと、彼等に頭を下げると、踵を返す。

――彼は、何者だ。 正邦の一同は、揃って怯え、動じた目で、彼を見送るしかなかった。

――橙野は、一体。誠凛の一同もまた、誰一人、戻ってきた彼に声をかけられなかった。


 やがて、コートに再び時が戻る。
 但し、まだ先程の余韻が消えないのか、選手達は皆どこか落ち着かない様子でいた。

 その中で、最も普段通りだったのは、隣のコートで調整をしていた秀徳、の1年レギュラー2人だろう。

 ニヤニヤと面白がるような笑顔の高尾、そして、いつも通りムッツリ顔の緑間。

「うっわぁ〜、やっべえな、なんだアレ、こっえぇ〜!! やっべえなぁ、真ちゃん!」

「――やはりあいつは、危険なのだよ」

「ッハ、これひょとして……正邦、やばいんじゃねーの。つか真ちゃん、さっきアイツ一瞬、こっち見たぜ!?」

「ああ、そうだな」

 高尾の言う通り、白美は正邦を離れて誠凛に向かう時、一瞬、緑間にニヤッと笑いかけていた。

「真ちゃん、しっかり魅せつけられちゃったじゃん。コレは負けてらんねーんじゃねえの?」

 高尾は、茶化す様に緑間に言う。
 それに対し、緑間はハッと軽く鼻で笑った。

「あのようなやり方は、邪道だ。スポーツマンシップから離れている。但し――、これもまた、『トリックスター』らしいやり方なのだよ。俺は俺で、奴に俺のやり方を魅せつけてやる。向かってくるのならば、打ち負かすだけだ」

「ほぅ……?」

 高尾は、緑間の言葉と表情に少し瞠目した。
 が、数拍を置いてニヤリと笑う。

「……っ、なんなのだよ、その笑いは」

「っは、べーつに? 何でもねぇーよ。それにしても、……橙野 白美だっけ? マジ面白そうな奴だな」


 少なくとも高尾は、今の白美がした様な振舞いを誰かがするのを、これまで見た事がなかった。

(hostage and threat)

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